エピローグ 異世界ラノベの元著者は英雄譚の続きを紡ぐ

———気がつくと、そこには真っ白な天井があった。


「……あれ、ここは——」


全く見覚えのないその天井に、俺はポツリと呟く。


「!?、晃!?、目が覚めたのかい!?」


そんな俺の隣から、驚くような声が聞こえた。その少し掠れた声は遥か昔によく聞いたような、そんな懐かしい声で。


「…母さん」


その声のした方へ顔を動かすと、そこには両眼に涙を浮かべてその口元を両手で覆う黒髪の女性——日本の母さんの姿があった。


「——ッ!!、先生を!先生を!」


母さんは俺と目が合うと同時、今にも転びそうなくらいに急いで部屋の外へと走っていった。先生…?一体誰のことだ?というか何故、母さんがいる…?それにここは…何処だ?


母さんが部屋を出て行った後、俺は辺りを見渡してここが日本の病院であることを理解する。

そして傍に置いてあった鏡を見て、更に理解する。この身体は——かつての俺、加藤晃のものだ。


俺は前世へと帰ってきたのか?しかしそれはどうして…



一度目を閉じ、自身の記憶を遡る。

最後に記憶にあるのは、ヌレタ村の自宅で力なくベッドに横たわる俺とその手を握り続けているオリアの姿。


あっちの世界で俺は90くらいまで生きたが、アーネとイヴェルは俺よりも先にその天寿を全うした。エルフであるオリアは人間よりも永く生きるため、最後には俺とオリアだけが残っていた。


「今更だが…オリアだけを残してしまったのは本当に申し訳ない」


それらのことを思い出し、俺は自責の念に駆られる。


彼女は孤高に見えて、実は寂しがり屋な一面も持つ女性だ。その彼女を1人にしてしまったことは、種族間の違いがあるとはいえ非常に心残りである。


「いや、だがそうなってしまったものは仕方ない。取り敢えず、今は目の前のことだ。あっちの世界で死んだ俺は…日本に帰ってきたのか?てか、俺ってこっちの世界では死んだんじゃ…」


後悔から頭を切り替え、そんな事を考え始めた俺の耳にドタドタと大量の人間の足音が聞こえてくるまで、それほど時間はかからなかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



病室へやって来た医師の話によると、過労によって倒れた俺は非常に危険な状態だったが研究室で倒れたということもあり、すぐに救急車が手配されなんとか一命を取り留めたらしい。


しかし、一命を取り留めたものの俺の意識は全く戻らず、現在は俺が気絶した日から2年もの月日が経過しているとのことだった。


「ごめんねぇ…晃、ごめんねぇ…。晃が辛い事に気がついてあげられなくて…そのせいで晃は2年間も…」


「いや、母さん。そんなに謝らないでくれ」


軽い問診のようなものを終えて医師達が部屋を去った後、涙を流した母さんは俺へと縋るように謝罪の言葉を述べ続けた。


そんな母さんの背中を摩り、静かに宥める。


俺が倒れたのは決して母さんの責任ではないし、その2年間は決して無駄では無かった。


「——俺も俺で、いい経験ができたから」


もしかしたらあれはとても長い夢だったのかもしれない。そんな考えが一瞬頭をよぎるが、それを即座に否定する。


セインや両親と過ごした幼少期も、学園での生活も、それ以降のヌレタ村での日々も、夢であるはずが無い。誰がなんと言おうとも、あれは紛れもなく俺の中でのリアルだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「リハビリってこんなにきついのか…」


俺が再び日本で目を覚ましてから約1週間が経過した。


2年もの間眠り続けていた代償は決して小さくなく、俺は凝り固まった全身をなんとかするためリハビリに明け暮れていた。


それの成果もあってか、目覚めた当初は何にも言うことを聞かなかった身体も次第に自由に動くようになり、何か物に掴まっていれば普通に歩けるくらいにはなった。



そんな日常を過ごしていたある日の昼下がり、ふと病院の売店へと出向いたときだった。


「う〜ん、う、うむ〜」


少し背の高い棚に置かれた商品を、背伸びをして一生懸命に取ろうする少女の姿を発見した。


高校生、だろうか。長い黒髪を三つ編みで縛り、黒縁の眼鏡をつけたその少女は学校の制服のようなものを着ている。

近くに小さな脚立もあるのだが、少女はそれに気が付いていないようで懸命にその手を伸ばし続けていた。


「あ、」


そして少女の手は、何とかその商品まで届いたのだが、


「わっ!!」


手の届いたことに安心したのか、その手に商品を掴んだ少女はバランスを崩し、体は後方へと傾いた。


ドンッ


そんな鈍い音が売店内に響く。


「痛——くない?へ?」


その音の中心にいた彼女は、そう間の抜けた声を漏らす。そんな彼女と床の間には——


「むぎゅう、」


「わ!!、お兄さん、大丈夫ですか!!」


バランスを崩した少女を見て、咄嗟に飛び込んだ俺が挟まっていた。


かっこよく少女の体を支えられれば良かったのだが、あまり自由の利かない体では飛び込むのが精一杯だった。

俺の存在に気がついた少女は急いで立ち上がるが、何をしていいのか分からずにあたふたとする。


「どうした、静香しずか。何か大きな音がしたのだが——」


その直後、棚の影からそう言って一人の少女が顔を見せた。黒髪を後ろで縛りポニーテールにしている少女だ。友達同士なのだろうか、二人は同じ制服を着ている。


「い、伊織いおりちゃん!大変、わたし人を殺しちゃったかもしれな———」


「おい、勝手に殺さないでくれ。…君、怪我はないか?」


かなりパニクっているのか、とんでもないことを口走った少女に怪我の有無を尋ねる。


「あ、はい…大丈夫です」


「それは良かった。これからは脚立を使うなり、人に頼むなりしなよ」


俺はジンジンと痛む全身に鞭を打ち、それが彼女達にバレないようそうとだけ告げて早歩きで売店を後にした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「いってぇ…」


売店を出て、痛みに耐えながら歩くこと数分。人気のない病院の隅の方へ移動し、俺は力なく床に座り込む。


自室に戻るのが最適だったのだろうが、売店のある1階に対し俺の部屋は病院の4階。エレベーターを使おうにも、それを待っている途中に先程の少女達に追いつかれたらなんだか気恥ずかしい。そのため、痛みが引くまで適当な場所で時間を置くことにした。


取り敢えず、ここで10分程度休憩をしてから病室に戻ることにしよう。


「———じゃん、—————ぼうって」


「——やですってば!!、———たってください!!」


そんなことを考えていた俺の耳に、男女の言い争うような声が聞こえてきた。その声は一つ上の階から聞こえてくる。


…ここは人気のない病院の隅の方。放っておくわけにはいかないか。


痛む全身に再度鞭を打ち、俺は階段をこっそりと上がる。その先では、一人の少女が金髪の青年に壁際に追い詰められていた。


「いいじゃん、少し一緒に遊んでくれればそれでいいからさ」


「嫌です!!他を当たってください!!」


壁際に追い詰められている少女は語気こそ強めだが明らかに怯えており、男の方はその様子を見て楽しんでいるように見えた。


「——おい、何してるんだ。ナンパなんて、病院ですることじゃないだろ」


気がつけば俺は、彼らの前に姿を現してそう言い放っていた。


「あ?何だお前、おっさんは引っ込んでろよ!」


少女へと詰め寄っていたその青年は俺の存在に気がつくと、明らかに苛ついたような態度で勢いよく俺の胸ぐらを掴んだ。


「おいおい、おっさんとは酷いな…俺はまだ25のお兄さ…あれ、20代後半って意外とおっさんだったりするのか…?」


「何、訳の分かんねぇこと言ってんだ!殴られてぇのか!」


男の言葉を無視して勝手に独り言を宣う俺に、その男は更に苛ついたように言う。


男は俺を威嚇するように睨むが、恐怖と言う感情は一切湧いてこない。異世界での経験を経て、胆力だけは無駄についたようだ。


「いや、殴られたいわけではないが——逃したくはある」


怯えた様子も退く素振りも全く見せない俺に男はその怒りがMAXになったのか、強く固めた拳を振り上げた、その瞬間。


「——ッ!!」


「あ、おい!テメェ!」


それらの様子を冷静に見ていた少女が、俺たちの横を一気に駆け抜けた。


少女は俺のアイコンタクトやジェスチャーをしっかりと理解してくれたようだ。あの速度で駆けていけば、すぐに他の大人のいる場所へと辿りつくことができるだろう。


いやー、良かった良かった。これで一件らくちゃ——


「…殴られる覚悟は出来てんだろうな?」


「え、」


次の瞬間、頬への強い衝撃と共に視界は真っ黒に染まった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ナンパを阻止したとはいえ、あんなにちゃんと殴るかね…一応相手は病人だぞ…」


まだまだ痛む頬を抑え、俺は一人呟く。

チンピラ男に殴られた俺は見事一発KOを果たし、気がついた時にはその場には床に倒れている俺しかおらず、その男はいなくなっていた。


逃げた少女を追って行った。

その可能性もゼロでは無いが、あの少女は確実に人のいる場所へと逃げることが出来ているはずだ。そちらに心配はないだろう。


「…とはいえ、やっぱりあっちの世界のようには行かないか。……空が綺麗だなぁ」


そして現在、俺は病院の中庭のベンチで一人寂しく座っている。


何故わざわざ中庭に出たのかって?…泣きたい時って、外に出たくならない?


「じーっ…」


「へ?、うぉ!?」


眩しい太陽に照らされながら軽くナーバスな気持ちに浸っていると、いつの間にか俺の隣には一人の女の子が座っていた。


その少女はじっ、と俺の方を見つめ続けている。中学生…くらいだろうか。その髪は金色で、瞳も若干青い。外国人とみて、まず間違いない。


「ん、」


突然現れた存在に驚く俺に向けて、少女は勢いよくその両手を突き出した。何事かと思えばその手には、小さな花冠が握られている。


「…俺にくれるのか?」


「ん」


確認を取ると、少女は小さく頷く。


「それは…ありがとう。」


「ん」


ゆっくりとそれを受け取ってみると、少女は満足そうに頷いてそのまま空を眺め始めた。


「♪♪♪」


無言で空を見上げるその少女は何処か上機嫌で、足を前後にパタパタと揺らしている。


…なんだか不思議な子だ。

花冠を貰っただけで特にすることもなかった俺は、少女と同じように青い空を眺める。俺たちの間に言葉はなかったが、不思議と心地の良い時間だった。


そんな時間が流れること数分。


「Orla!!」


オルラ、と明らかにネイティブの発音をした声が聞こえて来た。


声のした方へ視線を移すと、そこには綺麗な金色の髪をたなびかせこちらへ手を振る女性の姿があった。


「…あ、ママ」


その姿を見た少女はそう呟き、ベンチから立ち上がる。


ああ、やっぱり海外の子だったか。少し遠くで手を振っている女性はかなりの美人だし、この子も美人になるのだろうな。俺はボーッとしながらそんなことを思う。


すると立ち上がった少女は一度こちらを振り返り、


「…またね」


とだけ言い残して、彼女の母親の方へと駆けて行った。


「…一体なんだったんだ」


走り去る少女の背中を見送りながら、俺は小さく呟く。その瞳からはいつの間にか、滲んでいた涙は無くなっていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



その後、少しだけ日向ぼっこを楽しんだ俺は今度こそ自室へと戻るため病院のエレベーターホールへと向かう。


するとその道中、


「「あ、さっきの…」」


「ん?」


すれ違った3人の少女達のうち、2人が俺の姿を見るなり振り返った。


そちらを見てみると、そこにはつい1時間ほど前に見た少女達の姿があった。よく見れば、3人はみな同じ制服を着ている。共通の友人にへのお見舞いにでも来ていたのだろうか。


「さ、先程はありがとうございました。あの、お怪我とかありませんでしたか?」


「あ、ああ。俺は大丈夫だから、気にしなくていい」


まず初めに、黒縁の眼鏡をかけた三つ編みの少女——名を静香と言ったか——が、俺へ向けて丁寧にその頭を下げた。


「あの!私も先程は助けて頂きありがとうございました!あ、あの、私、江藤えとう有紗ありさといいます!あの後、看護師さんと戻ったんですけど誰もいなくなってて…無事だったようで何よりです!」


「あ、ああ。そっちも無事で良かったよ。あの辺りには気をつけてね」


続いて、肩ほどの長さまで髪を伸ばした少女——江藤有紗というらしい——が俺へ頭を下げた。二人ともわざわざこんなに丁寧に礼を言ってくれるとは。とても礼儀正しい子達のようだ。


俺はそんな二人に対し、当たり障りのないように言葉を返す。


「まあ、二人に大事がなくて良かったよ。じゃあ、帰りも気をつけてね」


未だ頭を下げている彼女達へそう告げ、適当にその場を去ろうとした、そのとき。


「「あ、あの!お名前を…!!」」


俺の言葉に顔を上げた2人は、綺麗にハモって言った。


「お、俺の名前…?加藤かとうあきらだけど…」


まさか自分の名前を聞かれると思っていなかった俺は、若干戸惑いながらも彼女達へ名を名乗る。しかし、


「——有紗ちゃん?私は今、このお兄さんの名前を聞こうとしてるから、邪魔しないでくれるかな?」


蓮井はすい先輩こそ、邪魔をしないでください。今、大切なところなんです」


俺が戸惑いながら答えたその一方で、静香さんと有紗さんの2人は互いに向き合い、笑顔で相手を牽制し合っていた。


なんだろう、彼女達の間に火花が飛び散っている気がする。


「か、加藤さん!病室ってどちらですか!?お礼も兼ねて一度伺いたいのですが———」


「晃さん!今、彼女とかっていますか?というか、好きな女性のタイプって———」


そして互いに牽制し合っていたかと思うと、静香さんと有紗さんの2人は急に俺へと詰め寄り、それぞれが同時にその口を動かした。


なになになに、どうしたどうした、分からない分からない、誰か助け——


「2人とも、一旦落ち着け」


「うげ、伊織ちゃん!?今いいところだから…!!」


「ぐ、頼城らいじょう先輩…!!離してください、ここで退くわけには…!!」


「加藤さん、連れが迷惑をかけてすみません。この2人は私が抑えておくので、どうぞ逃げてください」


「お、おう。ありがとうな」


静香さんと有紗さんの2人を抑える救世主、伊織さんに礼を言い、俺は素早くエレベーターホールの方へと退避したのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



さて、そんな色々なことがあり、なんとか自室へ戻ってきた俺だったが。


「どうしたんですか、加藤さん。何かいいことでもあったんですか?」


「え!?、…顔とかニヤけてましたか?」


「ええ、かなり分かりやすく」


と、看護師さんに指摘をされてしまうくらいには俺の顔は緩んでいた。

それは決して、女子高校生達にちやほやされたことが原因ではない。


「この世界でまた会えて良かったな、と思いまして」


——それが思い違いである可能性もあるが、俺の中にはどこか確信があった。


まあどうせこの看護師さんを含め、俺以外の人間には何を言っているのだと一蹴されることは分かっているが。


「そうですか…」


案の定、俺の返答を聞いた看護師さんは微妙な反応を示した。しかしその数秒後、


「———私も、そう思うよ」


「え?」


そんな声がはっきりと聞こえた。

そして、その声の主は間違いなく目の前にいる看護師さんのもので。


「あ、あの———」


米良めらさん!少し来てもらってもいい?」


彼女へ話しかけようとすると、丁度タイミング良く彼女へと声がかかった。


「はい!今向かいます!———ではまた、晃さん」


それ受けてその看護師——米良さんは俺の呼び声には気が付かず、病室の外へと急いで出ていってしまった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



米良さんが出ていき、病室内には俺一人だけとなった。今日はもう特に用事は無いが、夕食まではまだ時間がある。……暇だ。


病院内を散策してもいいのだが…今日はもう疲れた。


「あ、そうだ」


ふと、あることを思いついた俺は枕の傍に置いてあった携帯を手に取る。


電源を付け、その検索ワードへある文字を入れる。



『勇者セインの学園英雄譚』 [検索]



そして俺は、数年前から更新されていないそのweb小説を一から読み返す。その話数は少なくなかったが一応内容はある程度把握していたので、かなり早いペースで読み進めることができた。


そして数時間ほどかけ、最新話まで読み終えた俺は一つ思う。



全然違う…と。


この作品で描かれている内容は、俺の経験してきたものとは全く異なっていた。

その話の内容は勿論のこと、セインをはじめとしたキャラクター達の性格に関しても実際と齟齬のある部分が多い。


セインはこんな鼻につくようなキザな性格ではないし、健気な少女のように描かれているアーネは実際はもっと嫉妬深い。イヴェルには実は弱気な面もあるし、オリアはもっと子供っぽい性格だ。あと、シエルはもう少し性格が歪んでいる。




そしてその全員が、もっと魅力的な人物だ。



「新しく書き直すかな…」


その事実を確認した俺は、1つの結論に至った。現在は療養中ということで暇な時間が多くあるし、小説を書くとはいえ経験してきたことをそのまま文字に起こせばいいだけだ。


元々の小説を完結させないことに多少の抵抗はあるが、これは俺が勝手に一人で描いた物語だ。俺達の紡いだ物語はこれではない。



俺は携帯を操作し、小説の新規作成のボタンを押す。さて、まずはタイトルを決めなければならない訳だが……そうだな。






『異世界ラノベの元著者は英雄譚の続きを紡ぐ』、なんてどうだろうか。

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【完結済】異世界ラノベの元著者は英雄譚の続きを紡ぐ くコ:彡 @mar_fac

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