第14話 聖ポリュカルポスの日のおわり
「どうか私に責任を取らせていただけませんか。私の子供たちの罪を私に背負わせてくださいませんか。私を地獄に行かせてくださいませんか」
軽く、目を伏せる。
「イオアンも連れて行きましょう。彼の手を取って地獄の門をくぐります」
オルハンも無言でうつむいた。
「猊下、命の価値は平等ではない」
防衛隊長官が言う。
「あなたの命は複数のルーサ人の命を救うでしょう。あなたは本意ではないと思うが、この世のことわりとはそういうものです」
主教が「恐れ入ります」と首を垂れた。
長官が立ち上がった。
「連れていけ」
帝都防衛隊の制服を着た男たちが近づいてきた。
エレミヤは泣き叫びたかったが、ぐっとこらえた。
男たちの手が主教に伸びる。白い司祭服の肘をつかむ。そして強引に振り返らせる。
主教はまったく抵抗しなかった。
エレミヤも、まったく抵抗しなかった。
不意に右の手首をつかまれた。
見るとロスタムが握っていた。
次の時もう片方、左の手首もつかまれた。
見るとタハミーネが握っていた。
二人とも真剣な顔をしているので、エレミヤはちょっとだけ笑った。
「そっちの指名手配犯も地下牢の端にでも置いておけ」
防衛隊の男たちがオルハンに近づいてきて、イオアンに手をかけた。
やはりオルハンも抵抗しなかった。素直にイオアンを明け渡した。
そして、苦笑いをした。
「まあ、お天道様に見せられない生き方はするんじゃないってことよ」
エレミヤは笑ってしまった。今まで一度もカムガイ人らしいことをしなかったオルハンが初めてカムガイ人の宗教である
誰が何を信じているのかなどわからないものだ。
でもきっと、みんな何かに祈っている。
「さて――エレミヤ少年だったか」
急に防衛隊長官に名を呼ばれて、エレミヤはぎょっとして彼のほうを向いた。
彼は今までと何ら変わらぬ少し冷たくも見える顔と声で言った。
「君に謝罪したいことがある」
「えっ、僕にですか?」
「いつぞやには私の部下がルーサ人をかばうことなどできないと言ったそうだな」
エレミヤは「あ」と呟いた。まだ教会が
長官が至極真面目な顔で首を垂れた。
「このアブー・ヌワースが帝都防衛隊を代表して謝罪する。申し訳なかった」
「いやっ、もうだいぶ前の話だし――」
「だが
「そうなんですか?」
「諸君らは神の認めた聖法に則って生きている。そんな諸君らを保護するのは我々でなければならないのだ。そうでなければ我々はいったい何から何を防衛しているのか」
エレミヤは胸を撫で下ろした。
先ほど主教にも感じた気持ちを思い起こした。
本当にひとの上に立つ人間というのは、こういう人のことを言うのだ。
「ふむ。それにしてもー―」
長官が鼻で笑う。
「これが噂の双子か、母親そっくりだ。美しいが可愛げのない顔をしている」
双子が真剣な顔と声で言った。
「よく言われます」
オルハンが今度声を上げて笑った。
「さて」
そこから仕切り始めたのはシャフィークだ。
「みんな、お風呂に入ろう。着替えは宮殿の下働きの皆さんに何とかしてもらうとして、一回汚れと疲れを落としたほうがいいね」
彼のそんな言葉に、オルハンは珍しく素直に「ああ」と頷いた。
「本気で疲れた。ひとっぷろ浴びたら『鷹』の巣で寝かせてくれや」
「構わないよ。兄さんの部屋は片づけてしまったけれど、僕の布団を貸してあげてもいい」
「お前の布団かー、なんかやだな――ってなんでお前の部屋はあんのよ、お前はお前で嫁と暮らしてる豪邸があるじゃねーか、
「やだなあ、前団長の兄さんがそれを言う?」
「そうですねすみませんせっかく立派な家があっても忙しい時は帰ってるヒマないですね」
「着替えや入浴のためでもあるよ。愛する妻に返り血を浴びた醜い僕の姿を見てほしくないので!」
「百年やってろ」
シャフィークがエレミヤと双子のほうにも微笑む。
「君たちも来たまえ、歓迎する。ちょっとばたばたしているけれど、君たちがお風呂から出てくる頃にはなんとか片づけておくよ」
双子がエレミヤから手を離して「やったー!」と笑った。
「あ、でも、着替えを用意するにあたってひとつお願いがあります」
ロスタムが言う。シャフィークが「何だい」と尋ねる。
「ロスとミーネ、お揃いの服がいいです」
この瞬間に至るまでずっと、ロスタムは病院で男物の病人服を着せられた時のままだったのだ。
シャフィークは片目を閉じて「もちろんだとも」と言った。
「双子ちゃんは双子ちゃんでいるのがいいね。そのほうが自然だ」
次の時だ。
意外なことが起きた。
「えっ、一緒でいいの?」
タハミーネがそんなことを言い出したので、ロスタムも目を真ん丸にしてタハミーネを見た。
「えっ、いや?」
「ううん、ロスのほうがいやなんじゃないかと思ってたけど」
唇を尖らせる。可愛い。なんだかんだ言ってもタハミーネも可愛いのである、エレミヤの好みではないだけで。
「あんなに怒ってたのに! もう帰ってくるなとかなんとか言って」
なんと、彼女はまだ喧嘩したことをおぼえていたのだ。それこそ百万年くらい前の話のことのように思われたが、言われてみれば三日くらい前の話である。
ロスタムも口を尖らせた。
「忘れておけばいいものを……」
「えっ、なんで? ロスにとっては大事なことだったんじゃないの?」
「まあ、そうだけど。こんな大騒ぎをしてる間にもミーネはそんなこと考えてたの?」
「ううん、ずっとそのことばっかり考えてたわけじゃないけど。でも、たった今、どうして怒ってるのかまだ聞いてないということに気づいてしまったのだった!」
タハミーネは黒目がちの大きな目でロスタムを見つめている。その目は真剣そのものだ。
ロスタムも黒目がちの大きな目でタハミーネを見つめ返した。その目には戸惑いや不安が見え隠れしていた。
「……なんていうか」
ロスタムがちょっと目を伏せる。
「お揃いがいいな、って思っただけ」
「そっかー!」
タハミーネが白い歯を見せて笑顔を作った。
「じゃあ、今までどおりなのね?」
「そう。今までどおりだよ」
「なんだ! とっても心配した」
彼女は腕を伸ばすと、大事な片割れの体を包み込むように抱き締めた。
「これからもずっと双子でいようね。双子、やめないでね。ロスとミーネはずっと双子だからね」
ロスタムも、片割れの体をふわりと抱き締めた。
「うん。ロスとミーネはずっと双子だよ。何があっても。たとえどんなことが起こっても、ぼくらが双子であることには変わらないよね」
安心した。仲直りだ。
オルハンもエレミヤと同じ心境らしい、大袈裟に「はー」と息を吐いた。
「何がなんだかよくわからんけど、二人の間で解決したんならもういいわ」
「騒いでごめんなさい」
「もう金輪際こんなのやめてくれよ。家出する時はちゃんと行き先を言ってからにしてくれ」
双子が「そんなの家出じゃないですよぅ!」と声を重ねた。
――こうして、今年の聖ポリュカルポスの日は終わりを迎えたのだった。
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