第11話 顔を見たら情が湧いたので俺がこの手で殺してやる
気がついたら、エレミヤたち三人は薄暗い建物の中にいた。
徐々に目が馴れていく。光の存在を感じ始める。建物の出入り口の左右にかがり火のように燃える巨大な蝋燭が二本。そして、高いところにある窓から差し入る月光。
建物の中には、一辺がエレミヤの身長より少し小さいくらいの木箱が数え切れないほど並んでいた。
うちいくつかにははしごがかけられている。
はしごのある箱はふたが開いている。
そして、はしごに足をかけている青年たちが箱の中から何かを取り出している。
拳よりも少し大きな陶器製の丸い何かだ。小さなくちばしのような出っ張った口がついていて、そこから細く短い縄が垂れている。あの中に火薬とやらが詰め込まれているのだろうか。
実物を見たことはなかったが、エレミヤは火薬というものの原理は知っていた。学問所の科学の授業で説明を受けたからだ。
曰く、木炭と堆肥から作った化合物を混ぜて作られるものである。点火するとものすごい勢いで燃え広がり、時として接触している周囲の物体を爆ぜさせることがある。木炭が多少の臭いを吸収するとはいえ、化合物に糞尿を用いるのには変わらないので、そこそこきつめの硫黄の臭いがするそうだ。
そういう原理はわかっているが、この厳密な作り方はまだ帝国に伝わってきていないので、それなりの性能のある火薬を製造できる者はない――はずだった。
帝国の首都であるマムラカで、公的には存在しないはずの爆発物を貯蔵している。
帝国に、そして
その上、よその宗教の礼拝所を襲っている。
エレミヤが一番悲しいのはそこだった。
礼拝を何よりも重んじている自分たちが異教徒の礼拝を邪魔しようとしている。
確かに、対立したこともあったかもしれない。使徒教会をないがしろにされたこともあったかもしれない。
それでも、自分たちは異教をないがしろにしないのが信条なのではなかったのか。たとえ違う方法、違う理念からであっても、神に祈る人間を否定しないのが、聖職者のプライドではなかったのか。
信仰とは、何だ。
咳き込む声がした。
見ると、オルハンが地面に両手をついて激しい咳をしていた。
月光に照らされて唇の端を流れる鮮血が見える。
「オルハンさん!?」
彼はしばらく肩で息を続けた。合間に一度ぽつりと「畜生」と呟く。
出入り口のほうからも彼を呼ぶ声がした。
「オルハン……?」
顔を上げると、左手に緑色の瓶を持ったイオアンの姿が見えた。今は薄暗い倉庫の中なのでわかりにくいが、やはり顔色が悪い気がする。教会で見た時の様子のままなら酒の飲み過ぎによる黄疸だ。
「お前、どうしてここに」
目を丸く見開いて驚いた顔をしていた。
そういえば、どうしてだろう。なぜ、自分たちはここにいるのだろう。
ここは、きっと、タハミーネが説明した、タハミーネが囚われている倉庫だ。
だがタハミーネの首飾りは今ロスタムの首にかけられている。オルハンが空間移動をするための魔法陣はここにはないはずだ。
「ナメてもらっちゃ困るぜ」
ようやくオルハンが立ち上がった。
「お前らちょっと勘違いしてるみたいだけど、別に魔法陣がなくても跳ぼうと思えば跳べるんだよな」
イオアンが「嘘だ」と呟く。
「そんなのしたこと一回もなかっただろ」
「やる機会なかったからな。なにせ
左手の甲で血液と唾液の混じった口元の液体を拭う。
「説明するとしたら――魔法陣は穴。すでに穴が開いているところを通るだけなら魔力はほとんど消耗しない。だが穴のないところ――魔法陣のないところに跳ぶとしたら? 空間に魔力をぶつけて穴をぶち開けるんだよ。これがそこそこ魔力体力を使うからあんまやりたくないわけ」
「なるほど……」
「それでも、今回は、ロスやエレミヤに移動先のビジョンが見えているようだったので。俺は、ここに、穴をぶち開けられたわけだ」
オルハンが指したところはエレミヤの目にはなんともなっていないただの空中に映ったが、
「ミーネが首飾りを持っていなくてもやろうと思えばやれる。俺、小さい頃から言われてたけど、やればできる子なんだわ」
イオアンが「できるんなら最初からやれよ」と突っ込んだ。オルハンが「いやいやいや」と否定する。
「だから、『鷹』だった頃には必要なかったっつってんだろ。こんなの二十年近くくらいぶりよ。もう魔力使い果たした、死んじゃいそう」
「それは、ご苦労様」
「マジ、こんなに疲れるとは思ってなかった。子供の頃はもうちょっと楽にできてたんだけどな。俺もおっさんになったんだろうな」
「おっさんになると魔力が減るのか?」
「わからん。昨日今日と魔力をちゃんと溜めてなかったからかもしれない。これって食うか寝るかヤるかで増やすものだから……昨日もあんまり食ってないしほぼ徹夜だし……もう最近ぜんぜん徹夜できなくてダメ……この三年間一回もセックスしてないから上限も天井……なんかもういろいろ無理……」
「そうか……まあわかる。俺も三十になってから白髪がすごいし
エレミヤは苦笑してしまった。このほんの少しの会話だけでオルハンとイオアンが本当に仲の良い友達同士だったことがよくわかったからだ。
だが、もう、二人の道は交わらない。
オルハンが、腰の剣に手をかけた。
イオアンが、瓶を投げ捨て、ポケットから取り出したナイフを両手に一本ずつ合計二本握った。
瓶が砕け散る音がした。
「残念だなぁ」
オルハンが剣を抜く。魔法陣の描かれた、先端がふたつに割れた『鷹』の剣だ。
「お前とこういう話ばっかりしていたかった」
「俺もだ。お前と一緒に年を取りたかった」
イオアンがナイフを構える。
「でも俺は今日死んでもお前を宮殿に行かせないようにしないとならない」
月光が二人の姿を照らし出す。
「双子に手を出したお前が死ぬのは決まってるんだが――『鷹』に引き渡して拷問してもらって苦しんで苦しんで死んでもらおうと思ってたが、顔を見たら情が湧いたので俺がこの手で殺してやる」
「考えることが一緒だな!」
二人が一足飛びで互いの間合いに突っ込んだ。
迫真のぶつかり合いに、誰も間に入れなかった。エレミヤとロスタムはもちろん、爆弾を抱えている自由同盟の志士たちも唖然と見ているだけで何もしなかった。
金属音が響く。オルハンの大きな剣をイオアンのナイフが二本で受け止める。
イオアンの片手がオルハンの剣を離してオルハンの手を狙った。オルハンが剣全体を引いてイオアンのナイフを弾いた。
イオアンは一瞬バランスを崩したが、すぐ持ち直してもう片方の手でふたたびオルハンのもう片方の手を狙った。オルハンは剣の柄からそちら側の手を離し、イオアンのナイフを持った手を殴った。それでもイオアンはナイフを手放さない。強靭な握力だ。
イオアンのナイフが二本揃ってオルハンの胸元に向けられる。そんなイオアンの腹をオルハンの足が踏むように蹴る。イオアンが二、三歩下がる。
次の時だ。
エレミヤは目を丸くした。
イオアンの背後に、小さな人影が見えた。
タハミーネだ。
思わず声を上げそうになったが、隣にいるロスタムに口をふさがれた。
タハミーネの世界一美しい顔に、大輪の薔薇が咲いていた。赤銅色の薔薇が、月光に照らされて美しく輝いていた。
タハミーネが何かを振り上げた。
瓶だ。赤い液体、おそらくワインが入っている半透明の瓶を握っている。
オルハンが一瞬動きを止めて驚いた顔をした。
それを隙だと思ったのか、イオアンが腰を落として次の攻撃に移ろうとした。
そのイオアンの後頭部に、タハミーネが瓶を思い切り叩きつけた。
ごっ、という重い音がして、瓶が砕けた。先ほどイオアンが空瓶を投げた時とは違う音だ。
イオアンの頭から液体が流れ始めた。血かワインか。ともかく赤い液体が目に入ったらしく彼は両手のナイフを手放して自分のまぶたを押さえた。
「エレミヤさん!」
タハミーネが出入り口のほうを指す。
「行きましょう!」
「えっ、僕!?」
「他に誰がいますか!」
「どこに!?」
「エレミヤさんが言ったんじゃないですかぁ!」
ロスタムが「ミーネに伝えましたよ」とささやいた。
「主教座大聖堂」
エレミヤは大きく頷いて駆け出した。
まず、タハミーネが出入り口から出ていった。次にエレミヤもタハミーネの後を駆け抜けた。そして最後はロスタムがしんがりを務めた――と言っても何があるわけでもなかったが、自由同盟の志士たちが「あっこのクソガキども」と言いながら追いかけてきたのだ。
「イオアンさんはオルハンさんに任せましょ!」
「早く、早く!」
三人は夜の闇の中を一路十字架ののったドームを目指して走り出した。
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