第5話 あー、ロスは可愛いなあ……
双子がどんな状況であっても、第三者であるエレミヤが日課を変える必要はない。昼食を食べ、軽く休憩を取ってから、双子の猫の店に向かった。いつもどおりだ。
武器通りにたどりつくと、見覚えのある華奢な背中の少女が一人、金物通りのほうに背を向けてほうきで砂ぼこりを掃いていた。
店の前には相変わらず双子の猫の看板が出ている。一匹ではない。ちゃんと二匹、黒い鉄板の猫が並んでいる。
この看板はいつも店を開ける時に双子が二人で出すものだ。それが二匹とも出ているということは、ロスタムは今日もちゃんとこの店を双子の猫の店であると認識して一人で看板を出したのだ。
ロスタムの背中がなんとなくしょんぼりして見えた。ほうきを動かす手も気持ちがこもっていない。
「ロス」
話しかけるとロスタムが振り向いた。タハミーネのように泣き腫らした顔ではなかったが、それでも、楽しそうではない。やっぱり、悲しそうな、寂しそうな、なんとなく疲れた顔だった。
ロスタムがほうきを動かす手を止めた。
今日のロスタムはシックな装いだった。深い赤のワンピースはくるぶし丈で、黒い帯を締め、黒いショールのようなベストを羽織っている。長い髪は下ろしていて、赤いヴェールのついた黒い帽子をかぶっていた。十三歳にしてはちょっと大人っぽい気がするが、アリアナ人女性ではよくある服装のように思う。いずれにせよ女物だ。
「一人ですか?」
「うん」
彼はうつむいた。しかし同時に肩の力が抜けたようにも見える。ひょっとしたら、エレミヤがタハミーネを連れてくるかもしれないと思って緊張していたのかもしれない。会った時にどんな顔をしたらいいのか、悩んでいたのかもしれない。
「ミーネは置いてきたよ。僕の父と教会の掃除をしてくれることになってる」
「そう」
エレミヤもいろいろ考えた。タハミーネがどんな様子か知りたい? 何があったと言っていたか知りたい? どうしたいと言っていたか知りたい? どれもこれもちょっと意地悪なような気がする。ロスタムを責めたいわけじゃない。
ロスタムもいろいろ考えていることだろう。知りたいのだろう、聞きたいのだろう、言いたいのだろう。でも気まずい。
エレミヤのほうから何か切り出してやるべきか。
極力ロスタムが傷つかない言葉を選んだ。
「ミーネ、ロスを恋しがって泣いてたよ。捨てられた、置いていかれた、と思ったみたいだ。僕は、そんなことないと思うよ、ちゃんと話をして謝ったら許してもらえるかもしれないよ、と言っておいたんだけど――僕がロスの気持ちを代弁するのはおかしいと思って、あんまり適当なことは言わないように、それとなくなだめて切り上げた」
「そうですか」
少し、間が開いた。
「妹が迷惑をかけてすみません」
エレミヤはすぐ首を横に振った。
「ロスはそういうところ聞き分けがよすぎるんだよ。そんなところで急にお兄ちゃんらしくしなくていい」
「でも、ミーネ、泣いてたんでしょう。エレミヤさんやエレミヤさんのご両親に甘えて、びーびー泣いて。ミーネはいつもそう。泣いて人の気を引こうとする」
「いいんだよ、泣きたい時は泣けば。僕はこういう時ロスは泣かないで我慢しちゃうのかなって、そっちのほうが心配だよ」
ほんのちょっと、ロスタムが唇の端を持ち上げる。
「エレミヤさんは大人ですねえ」
「まあ、もう十五だしね」
「ぼくはまだまだ子供なのに、もう大人にならなきゃいけない気がしてる……」
数歩分ロスタムに近づいてから、「店の中に入ろうか」と促した。
「立ち話じゃちょっと長くなりそうだからさ。話、ゆっくり聞かせてほしいな」
エレミヤの提案に、ロスタムは素直に頷いた。
まず、ロスタムが店の中に入る。店の奥、カウンターの手前の壁にほうきを立てかける。そしてカウンターの後ろにちょこんと座る。隣に一人分開けて、だ。
ついつい、ロスタムはこういうところが可愛がられるんだよな、と思ってしまった。彼の言うとおりタハミーネは大きな声で騒いで我を通そうとするわけだが、ロスタムは大人しく周囲の人間の話を聞いているのだ。そりゃオルハンもロスタムのほうがおしとやかとも言うよな。
エレミヤはロスタムの隣に腰を下ろした。
二人並んで通りのほうを見る。武器通りなんて物騒なところにはなかなか人は通らない。太陽は輝いているが、冬の今は少し傾き方が低くて、日光が弱々しい。それでも日焼けする時はするのが砂漠の都市マムラカだ。
「――許してあげようと思います」
ロスタムはいきなりそんなことを言ってきた。
「魔法で呼びかける声もちょっと、こういうのも声色っていうのかな、なんとなく雰囲気が変わってきた気がするし……ミーネから呼びかけてきて、謝ってきそうな感じなら、もういいかな、って」
エレミヤは「それでいいの?」と問いかけた。
予想外の反応だったのかロスタムは顔を上げてエレミヤの顔を見た。
大きな真ん丸の黒目がちな瞳――猫みたいな目。タハミーネとお揃いだ。
「さっきも言ったけどね、ロスは無理してお兄ちゃんらしくならなくてもいいと思うよ。まあ、もちろん、僕としては最終的には二人に仲直りしてもらってミーネにこの店に帰ってほしいんだけどさ。意地を張らずに素直に受け入れてくれるのが一番なんだけどさあ。それでも、ロスが一方的にミーネの主張を聞いたり聞かなかったりでミーネはロスの主張を考慮しないというのはフェアじゃない気がするんだよな」
ロスタムはしばらくエレミヤの顔を見つめていた。きょとんとしている。薄く開いた口の唇が三角形になっている。可愛い。
ああ、認める、認めるよ、ロスタムは可愛い。心底可愛い。この子がおっさんになるなんて絶対嘘だ。
「たぶんだけど、オルハンさんもそんなこと言わないんじゃない? オルハンさんは二人のことちゃんと平等に扱っているつもりだと思うよ。そりゃロスのほうが跳んだり跳ねたりが得意そうだから危ないことをやらせることもあるけど、それはロスが男だからとか先に生まれたからとかそういうのとはちょっと違うんじゃないの」
ロスタムがこくりと頷いた。
「一番気にしているのはぼくなんです」
案の定、だ。
「ねえ、ロス」
「はい」
「どうしてこんなにミーネに怒っちゃったのか、聞いてもいいかな……?」
ロスタムが一瞬黙ったので、慌てて「話したくないなら話さなくてもいいんだけど」と手を振ったが、彼はややして首を横に振り、「だいじょうぶです」と呟くように答えた。
「ほんとうは……、ほんとうは、ミーネにも申し訳ないけど……、ぼくもぼく自身どうしてこんなことになっちゃったのかよくわからないんです……」
「あら……なんでだろ」
エレミヤも首を傾げる。
「ミーネからちょっと聞いたよ。ロスがお父さんに似てるって、そのうちお父さんみたいに背が伸びる、って言ったら機嫌を悪くしちゃった、って。ロスはそれが嫌なのかな、とぼんやり思うんだけど、具体的に何がどう嫌なのかな、って、ちょっと疑問に思っちゃって――ごめん二人の間に勝手に入って」
「いえ、こういうのは第三者――あ、エレミヤさんのこと他人だって言いたいわけじゃじゃないんですけど――」
「ううん、大丈夫、わかるよ。ミーネでもオルハンさんでもない、家の外にいる人間だから話しやすいんだよね」
「そう、そうなんです、ありがとうございます。エレミヤさんはわかってくださるからすきです」
もう本当に可愛い。
「ぼく自身、ぼくのからだがどうなったら自分が納得するのかよくわからなくって」
カウンターの上に両方の拳を置く。
「なんとなくこわくて。今までどおりじゃないのがすごくいやで。なんでミーネはずっと可愛いままなのにぼくは変わっちゃうんだろう、って」
おそるおそる問いかける。
「僕さ、ロスは男の子なのが嫌なのかな、女の子になりたいのかな、ってちょっと考えたんだけど……」
するとそれにはロスタムは首を横に振った。
「違うんです。そうじゃない。女の子だったらよかったって思ったことは一回もないです。でも男の子でよかったって思ったことも一回もなくて」
「そっか」
「男になりたいんじゃなくて、大人になりたくないのかも。ううん、精神的にはもっと大人になりたいと思うんですけど」
ここでずばっと、無理だよ、と言ってしまったら彼を深く傷つける。それだけは言ってはいけない。けれど事実として彼はこれから男性らしくなっていく。それを避ける手段があるとしたらたったひとつだけ――男性器の切除だけだ。でもそんなむごいことが簡単にできるだろうか? 少なくともエレミヤには提案できなかった。
エレミヤにはロスタムのその悩みを理解するのが難しかった。なぜならエレミヤは十三歳の時一刻も早く大人になりたいと思っていたからだ。心身ともに、だ。もっと背が伸びて手足が太く長くなることを望んでいた。そうすればいろんな意味で強くなれる気がしていた。実際に今成長しつつある自分の身体に満足している。まだまだ中途半端で、もっともっととは思うけれど、背はもう少し高くなったらいいし、声はもう少し低くなったらいい。
ロスタムと自分は何が違うのだろう。
まあ、人間なんて十人十色、とは言うけれど。
自分はロスタムに何のアドバイスもしてあげられないんだな、と思うと無力だ。
「でも、そうですね」
しかしそんなエレミヤの心配をよそにロスタムは微笑んだ。
「そう考えるとちょっとミーネにも八つ当たりだったかもしれないですね。ぼくこそ謝らなきゃ」
「ロス……」
「明日の朝迎えに行きます。もうひと晩お世話になっちゃうと思うと申し訳ないですけど、ぼくも話をする前に気持ちの整理をしたいですし。それで、明日、こういうことで悩んでるんだよ、というのを丁寧に説明しようと思います」
まだ少しもやもやしたが、ロスタム自身がそれでいいのなら仕方がない。エレミヤは「わかった」と言って笑顔を作った。
「何度でも言うけど、あんまり無理しないようにね。難しいようなら僕も同席するし、オルハンさんの手も借りるんだよ」
「はい!」
ロスタムが素直に微笑んだ。
あー、ロスは可愛いなあ……。
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