第4話 正解は本人にしかわからない

 オルハンとロスタムが帰ったあと、エレミヤはいつもどおり勉強をしに主教座聖堂へ出かけた。

 主教座聖堂とは、マムラカのルーサ使徒教会の司教が運営しているとても大きな教会だ。附属施設として、聖職者の育成を目的とした学問所を有している。エレミヤは毎日午前中いっぱいそこで聖書の解釈や儀式の手順について勉強する生活を送っていた。昼に帰宅して両親と昼食を取り、午後に双子の猫の店に行く。


 午前の勉強会が終わって帰宅すると、母に「ちょっと教会に行ってきてちょうだい」と言われた。


「ミーネちゃんが教会にいるみたいだから。みんなでお昼ご飯にしましょうと言ってきて」

「わかった」


 タハミーネが教会か。何の用事だろう。見物だろうか。彼女は異民族の宗教施設で熱心に祈る殊勝な奴だとは思えない。


 アリアナ人の両親を持ち、カムガイ人と精霊ジンのハーフのオルハンと暮らし、マシュリク人風の生活を送っている彼女にとっては、ルーサ系の教会は物珍しいだろう。


 マムラカで主流の宗教施設といえばマシュリク人の礼拝堂だろうか。この礼拝堂はわりとシンプルな構造で、ミフラーブと呼ばれる聖地の方角を示したくぼみと説教壇くらいしかない。

 それに比べれば教会は圧倒的に少ないし、建前上はすべての人に開かれていると言っているが入ってくるのは基本的に信者、つまりルーサ人だけで、どちらかといえば閉鎖的で神秘的に思われがちだと聞いた。


 将来司祭になるエレミヤは、そういうところも考えていかなければならない。


 しかし、どうだろう。天井からつるされた十字架、磔刑になっている救世主の像、巨大なシャンデリア、常に火が燈されている蝋燭の群れ、いくつもの小さな礼拝室――教会は美しい。どんな建設物よりも教会は祈るにふさわしい施設だ。


 いやいや、祈るのに場所なんて関係ないし。豪華だからといっていい施設だなんて言うほうがいやらしいし。


 まあ、でも、タハミーネがちょっとは感動してくれるといいな――そんなことを考えながら教会に入った。


 前方、説教壇の手前くらいの木製の長椅子に人影がある。ちょこんと座っている小柄な少女の背中はタハミーネのものだ。今朝エレミヤの母に着せられたルーサ人の衣装のままである。


 扉を開けるのに大きな音がしたはずだが、彼女はまったく振り返らなかった。


「ミーネ」


 声をかけてようやく、彼女が振り返った。


 胸がずきりと痛んだ。


 泣き腫らした、真っ赤な目をしている。


「母さんが……そろそろお昼だから食べに来てって言ってるけど……」

「あ……はい。ごめんなさい、食事の準備、お手伝いしなかったですね……」

「いや……、まあ、母さんには悪いけど、ちょっと待ってもらってもいいんじゃないかな」


 エレミヤは通路の真ん中を通って静かに歩み寄った。

 タハミーネの真横まで移動した。

 猫のように大きな瞳がエレミヤをじっと見つめている。

 そんな彼女の隣に、腰を下ろした。


「うちが恋しい?」


 問いかけると、彼女ははっきり頷いた。


「出てけと言われるとは思ってなかったです……。ご主人様だってミーネのこと置いていっちゃうし……」

「オルハンさんはしょうがないんじゃないかな、ミーネのこと置いていこうとか捨てていこうとかそういうわけじゃなくて、ただ単純にどうしたらいいのかわからなかっただけじゃない? 双子が喧嘩することなんてそうなかったと言っていたし」


 華奢な肩をしている。


「どうしてこんなことになっちゃったのか、聞いてもいい……?」


 タハミーネはまた、頷いた。器用の彼女は素直だ。


「ミーネ、趣味がお裁縫なんですけど」

「そうみたいだね。ロスの衣装もミーネが作ってるって聞いてるよ」

「昨日も何気なく新しいお着物を作ろうと思ってロスの体を採寸してて、それで、気づいちゃったですよ」

「何に?」

「ミーネよりロスのほうがちょっと背が高くなりました」


 エレミヤは唇を引き結んだ。我慢しないと変な声が出そうだった。


「もうちょっと伸びたら可愛いお服は着れなくなるね、って言ったら、ブチギレたですよ」

「なるほど……」


 確かに、タハミーネからしたらほんのちょっとした何気ない言葉のつもりだったのだろう。当たり前の自然なことだ。ロスタムは少年であり、これから男性になっていく。背が伸びて、声が低くなって、今までにはなかった毛が生えて、というのはきっとあるに違いない。


 でも、ロスタムはそれが嫌らしい。


「ミーネは悪口じゃなくて、ロスは中身がお父さんに似てるし見た目もお父さんに似てくるのかもしれないよ、って自然な流れで言ったつもりだったんです。でも、ロスは悪口としてミーネはお母さんそっくりの脳味噌すっからかんって言うですよ……」

「なんていうか……、想像以上に込み入った問題だね」


 そう言われると、タハミーネが可哀想になってくる。彼女のことだからずけずけと人の弱みを踏みにじってきたのではないかと思っていだが、少なくともエレミヤには、彼女の言うことが間違っているようには思えない。


「なんでそんなに怒っちゃったんでしょう……」


 エレミヤは腕組みをして考えた。


「ロスは可愛い服を着続けたいのかな……前にどうして女装してるのかと聞いたら可愛いからですって断言してたんだよね」


 タハミーネは一瞬「それだけで――」と言おうとしたが、しゅんとうなだれて「そうかも」と呟いた。


「ミーネが男っぽくなったら可愛い服を着ちゃダメって言ったみたいに解釈したのかな」

「わからないけど、ロスは自分が可愛いことにかなりのこだわりがあるみたいだったからね」


 生まれてこのかた男児であり少年であり男性でしかなかったエレミヤには想像のつかない世界だ。


「ロスタムは自分が男なのが嫌なのかな……だから女の子のふりをしていたいのかな」

「そうなんでしょうか? それはとても難しいと思うんですけど……だってロスは男の子ですもの。そのうちご主人様みたいにすね毛ぼーぼーになるですよ」

「まあすね毛なんて剃ればいいと思うけど……でもマシュリク人社会で男性として生きていくのならひげを生やしたほうがいいのかなあ」

「ひょっとしてエレミヤさんもひげ生えるですか?」


 そんな真剣な目と声で問われるとちょっと恥ずかしいので、エレミヤは小声で「まあ細くてちょろちょろなのでかっこつかなくて抜いちゃうんですけどね」とぼそぼそ答えた。


「もしくはミーネとお揃いがいいとか? オルハンさんも言ってたじゃないか、二人でワンセットだって。今まで二人でくっついて悪さしてきたんだし、ミーネと自分が分離していくのが怖いのかもしれない」


 エレミヤがそう指摘すると、タハミーネはちょっと驚いた顔で「それはあるかも」と言った。


「小さい頃からずっとお揃いばっかりだったので……ミーネが着れない服がロスが着れないということはなかったしロスが着れない服がミーネが着れないなんてことはなかったですよ」

「十三年間そういう人生を送ってきていると、急に今までの自分とは違う自分になるのが怖いのかもしれないな。僕だって明日から突然ルーサ系の民族衣装を禁止されてマシュリク風に改めろって言われたらすごい抵抗感あると思うし」

「そうですねえ。ミーネも明日から急に男の子の恰好しかしちゃだめって言われたらびくびくしちゃうかも……」


 そこで二人揃って、はあ、と溜息をついた。


「まあ、なんていうか、ここで僕らが好き放題当て推量するのはいくらでもできるよ」

「はい?」

「でもそのどれが正解かはわからないし、ひょっとしたら全部間違いかもしれない。本当の正解はロスにしかわからないんだ」


 そして、エレミヤはタハミーネに向かって微笑んだ。


「話をしておいでよ。どうしてそんなに怒ったのか、本当のことを教えて、って。双子だからといって何もかもすべてがわかるわけじゃない。二人は良くも悪くも別の人間なんだ。もしもこの先も一緒にいたいなら、話し合って何を言ってよくて何を言わずにいるべきか、きちんと確認したほうがいいよ」


 エレミヤの言葉に、タハミーネが小さく頷いた。


「ロスは優しいから真剣に知りたいと思っているということをアピールすれば取り合ってくれると思うよ。なんなら、ちょっと悔しいかもしれないけど、わかってあげられなくてごめんなさい、何について謝ればいいのかわからないのがごめんなさい、と言って頭を下げる手もある」

「なるほど」


 それまでずっと強張っていたタハミーネの頬が緩んだ。ほんのり微笑んでいるように見えた。


「エレミヤさん、すごいですね」

「何が?」

「本当はやっぱり司祭様なんですねえ。えーっと、こういうの、何て言うですか? 懺悔? 告解?」


 エレミヤは照れもあってうつむきながら「何だっていいよ」と首を横に振った。



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