第2話 にゃーん、にゃーん、にゃーん

「いらっしゃーい!」


 オルハンがクロシュとルーダーベの家を訪ねると、双子の少女たちが転がり出るように現れ、歓迎してくれた。クロシュとルーダーベの子供で、片方が兄のロスタム、もう片方が妹のタハミーネだ。一見しただけでは区別はつかない。いつも、お揃いのきれいな服を着て、母親似の緩やかなカーブを描く長い髪をきちんと梳かした上で垂らし、ふくふくした赤く滑らかな頬をしている。笑顔が絶えず、明るくはきはきとした声でしゃべり、物怖じしない。愛されて、大事にされて育っているんだな、と思う。


 二人はオルハンによくなついてくれている。イオアンが「精神年齢が近いからだろ」と馬鹿にしていたが、実際そうかもしれない。まだ十歳の子供相手に本気で相撲を取ったり双六をしたりしているから同類だと思われているのだろう。


 片方がオルハンの腕にまとわりついた。もう片方も、オルハンのもう片方の腕にまとわりついた。


「今日は五人でご飯を食べるんですか?」

「嫌か?」

「オルハンさんだからしょうがないですね!」

「許可してあげてもいいですよぅ!」


 クロシュは「こら双子、年上の人間に対して」とたしなめたが、ルーダーベはしれっとした顔で「別にいいのよ、可愛いものはすべてに優越するのよ」と言って叱らなかった。彼女自身も美しいというだけですべてのことを許されて生きてきたのだ。ある意味教育が行き届いている。


 双子はルーダーベそっくりの綺麗な顔をしている。オルハンのひいき目かとも思ったが、皇帝スルタンも目をつけているくらいだから客観的に見ても美しいのだろう。クロシュが父親として宮殿に召し上げるのを強固に拒否しているので、今のところは家と手習い所を往復する暮らしをしている。だが、手習い所を卒業したら皇帝スルタンは双子を『鷹』に入れようとするかもしれない。ルーダーベの血を引く双子には魔法が使えたし、身体能力も高い。


 双子が十歳か。


 十一年前のことがよみがえってくる。


皇帝の鷹サクル・アッスルタン』は思春期の少年少女を集めて作った集団だ。当然ながら好いた惚れたも始まる。

 はじめのうち、皇帝スルタンは彼ら彼女らが勝手にくっつくことをよく思っていなかった。全員自分の所有物だからだ。『鷹』が自分以外の人間に愛だの恋だのをささやくのをよしとしなかったのである。

 だがルーダーベの妊娠がわかった時、彼の気が変わった。お気に入りの美少年とお気に入りの美少女をつがわせ、かけ合わせることで、もっと美しい子供を作らせようと考えたのだ。

 そういうわけでクロシュとルーダーベは特に処罰されることなく結婚を許された。それどころか、皇帝スルタンは二人の子育てのために『鷹』の『巣』とは別に武官のための官舎の一角を与えた。


 皇帝スルタンの思惑どおり、美しい双子の子供が成長している。

 さて、クロシュとルーダーベはこの双子を皇帝スルタンの魔の手から守るためにどこまでできるか。


 オルハンも夫婦の味方をすることにしていた。

 この可愛らしい双子を皇帝スルタンの所有物にするなんてまっぴらごめんだ。血みどろの鷹狩りの世界に引きずり込みたくもない。二人には清らかなままきちんと外の世界を学んで将来的には自由に独立してほしかった。それが『鷹』として囲われている自分たちのできる最大限の反抗だ。


 クロシュとルーダーベが協力して作った夕飯を、五人で平らげる。

 オルハンは食べるだけの係のつもりだったが、ルーダーベに「片付けはやりなさいよ」と怒られた。クロシュが準備も片付けもやるのは既定路線だ。


 お腹がいっぱいになって床に転がった母親に、双子がまとわりつく。


「猫の親子がくっついてるみたいだな」


 オルハンが言うと、クロシュも「そう思う」と笑った。


「暑くねぇのかな。くっついて寝てやがる」

「見てて癒されるよ。僕らが十歳の時ってこんなふうに親に甘えることなんてなかったじゃない?」


 クロシュが「ねえ、ルー」と声をかけると、ルーダーベが「にゃーん」と答えた。双子も「にゃーん」「にゃーん」と続いた。


「十歳ってこんなガキだったっけ」

「子供らしくいられるならそれに越したことはないよ」


 食器を持って土間に下りた。

 甕から水を汲んできてたらいに注ぐ。食器を洗うための乾燥へちまに石鹸をこすりつけ、泡を立てる。

 男二人で顔を突き合わせた。


「クロシュさんが『卒業』すんのマジでやだな。クロシュさん亡き後『鷹』たちをまとめ上げる自信がない」

「勝手に殺さないでくれる?」


 クロシュが苦笑する。


「みんなの手前ああは言ったけど、僕も不安じゃないわけじゃないんだ。宮廷の表でちゃんとした武官の職を得られるんだから、むしろ栄転だと思うべきなんだろうけどね。悪いことしかしてこなかった『鷹』にまともな仕事ができるんだろうか」

「そこはクロシュさんは気にしなくてもいいと思うんだけどな。クロシュさんは器用だし、ひとに好かれるし――俺と違ってな」

「そうだよオルハン、いつまでも僕がかばってあげられるわけじゃないんだからさ」


 そこでひとつ溜息をついた。


「なんだかんだ言って年長の『鷹』たちは年少の『鷹』たちの面倒を見るのに慣れてた。シャフィークといいゼイネプといい、世話される側だった子たちが二十歳過ぎても世話される側だと思ってる様子なのを見るとドキドキしちゃう」

「マジでごめんなさい」

「ルーダーベがもうちょっとしっかりしてくれていたらと思うんだけど、人間は子供を産んだくらいじゃ大人にならないんだね。むしろ年々増長してる。僕がちゃんとコントロールできていないのが悪いのかな」

「うんクロシュさんが甘やかしてるのが悪いんだと思う。――うそうそ、みんなルーさんには下手に出るからみんなの連帯責任だと思う」


 皿についた石鹸の泡を水で洗い流した。


「まあ、でも、死ぬわけじゃないんだからさ。何かあったらうちに来てこうして話をしてくれれば休日に対処するし、同じ宮殿で働くんだから最悪陛下の許可があれば駆けつけることだって不可能じゃないと思うよ」

「だといいけど」

「みんなおおげさだよ。だいたい僕が初めてというわけじゃない。先輩たちも普通に仕事してる」

「接点はなくなったけどな。誰も帰ってこなかった」

「そりゃ仕事だからだよ、生きて自分の持ち場にいるんだよ。なんなら、やろうか? 同窓会。僕がセッティングする」

「クロシュさんの仕事が増える」

「みんなで増やそう増やそうとする」


 皿を拭きながら「まあいいよ、そういう性分なんだよ」と力なく笑うクロシュを見ていると抱き締めたくなってくる。彼はみんなのお母さんなのだ。


「そのうちオルハンだって団長を辞めて異動するんじゃないのかなあ」

「そうなんかな。この『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』という組織自体がそもそも俺に悪いことやらせたくて作った組織なんだと思うと、俺のことどう扱う気なんだろってちょっと考えちまう」

「まあ……、うん。相談は乗るよ。僕も陛下にそれなりに可愛がられてるつもりだし、まるっきり無視されることはないと思うからさ。逆に考えて、あと三年、四年はあるでしょ。今二十六だよね? 僕の三個下」

「ああ」


 突如腕が伸びてきて後ろからクロシュを抱き締めた。クロシュが「うわっ」と呟いてのけ反った。


「やあねえ、もうすぐ三十ですって?」


 ルーダーベの鼻にかかったような声がする。


「なんだかすごいおじさんになるみたいね」

「僕がおじさんならルーもおばさんだよ」

「言ってくれるじゃないの」


 正確には、ルーダーベはクロシュの一個下で現在二十八歳だ。だがひとつの差が大きかったのは十代までで、二十歳を過ぎてからは誰も気にしなくなったように思う。


「三十歳か」


 クロシュが溜息をついた。


「子供の頃の三十歳ってすごく大人でおじさんだと思っていたけど、実際に来年三十歳となると何にも落ち着いちゃいないし図体ばっかり大きくなって子持ちの子供みたいな感じになってしまった」

「クロシュさんでさえそう言うんなら誰も三十くらいじゃ大人になれねーな」

「四十になったら変わるのかな? 五十になったら? そんな果てしない未来のことなんて考えられない」


 しかしルーダーベは笑ってクロシュの頬を揉んだ。


「どっちにしてもわたしがそばにいて一緒におばさんになってあげるわ。四十になった時、五十になった時、お互いどれくらい衰えてるかチェックしてみましょ」


 オルハンは複雑な心境だ。

 この二人には四十になっても五十になっても寄り添い合う未来がある。

 自分は一生指を咥えて眺めているだけなんだろうな、と思う。

 でも、二人が幸せならそれでいいのだ。自分もこうして時々交ぜてもらって双子と遊んで飯を恵まれれば幸せだ。


 現状に満足している。


 永遠にこの状況が続けばいい。

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