第8話 俺様暴力大好き!!
オルハンが身を翻して旋回する。オルハンの長剣の切っ先が水平に円を描く。オルハンの周りを取り囲んだ男たちの胸が裂け、赤い血液が噴き出した。
しかしあくまで対複数の攻撃である。全員が全員等間隔で並んでいたわけではない。傷の深さに違いがあるのか、ある男は倒れ、ある男は剣を握り直して向かってきた。
突進してきた男の腹に回し蹴りを決める。
その足の角度、タイミング、勢い――洗練されている。
オルハンがこうして戦うところを見るのは初めてではない。しかし何度見ても感動する。
彼の動作のひとつひとつが、美しい。
剣舞だ、と思った。これは本来
突如襟の後ろをつかまれた。
我に返って振り向こうとしたがもう遅い。オルハンと戦っている相手と同じように黒い覆面をした男が、エレミヤの首を後ろからがっちりとつかんでいた。けれど締め上げられるほどでもない。手加減されている? なぜ。
「小僧、貴様何者だ」
男に問われた。
エレミヤは内心怖かったが、せいいっぱい虚勢を張ってこう答えた。
「お前らに教えてやる筋合いはない」
ところが彼は次にこんなことを告げた。
「我々の目的は無意味な殺戮ではない」
驚いた。
「貴様はルーサ人だろう。ハッダードの研究には関係ないはずだ」
「それは、まあ――」
確かに、自分はハッダードの学問への姿勢に共感しているのであり、彼の直接の弟子というわけではない。
言葉に悩んだところ、たたみかけるように言われた。
「悪いことは言わない、関わるな」
下唇を噛んだ。
「我々の宗教は音楽を非合法としているが、お前たちの宗教では音楽は推奨されている。お互い立ち入らないほうがいい」
嘆息した。
この覆面の男たちはきっとただの暴漢ではない。ある程度の宗教的知識がある。それも異教であるはずのルーサ使徒教会のことまで理解している。ひょっとしたらそれなりの学問的研鑽を積んだ人間なのかもしれなかった。
そんな知識人でも、ゆるせないことがある。
彼らの信仰では、音楽は認められていない。預言者の友人が音楽を卑しいものとみなす旨の発言をしたからだ。そういう言行録が残っている以上彼らは音楽の存在を公的に学ぶことができない。音楽を天文学という国家プロジェクトと結びつけて論じようとしているハッダードは、彼らからしたら、聖法教の戒律に則って運営されている聖なる帝国を冒涜する人間だ。
宗教的熱狂――わかることではあった。
エレミヤだったらどうだろう。
たとえば、金曜日に肉を食べるとか?
たとえば、礼拝堂の蝋燭を折るとか?
たとえば、復活祭のたまごを踏み潰すとか?
たとえば、礼拝の時に賛美歌を歌うことを禁じられたら?
戒律の冒涜は人生の冒涜だ。
ハッダードの研究は、熱心な宗教家たちに不快感を与えている。
熱心な信徒であればあるほど、教友の――使徒教会で言えば使徒に当たる人々の――言葉を裏切るハッダードの研究を認められない。
逡巡した。
そこでオルハンの怒鳴り声が響いた。
「エレミヤ!」
「はい!」
「どんな理由があったって! 暴力は暴力!」
エレミヤは頷いた。
「何が正しいかじゃねーんだよ! 殴ったら殴った奴が悪い! 刺したら刺した奴が悪い! 暴力には暴力でやり返せ!」
右手に握り締めていたオルハンの短剣を、首を羽交い絞めにしている男の腕に突き立てた。
「暴力! 暴力! 暴力! やっちまいな!」
エレミヤは思わず「どんな宗教だって神は殺生を望んじゃいないですよ」と言ったが、オルハンは「はぁー?」と言いながらまた別の男の腕を切り落とした。
「俺様暴力大好き!!」
だめだこいつ。
周りが騒ぎ出した。忘れかけていたが、ここは大学と宮殿の間をつなぐ大通りだ。もちろんそれなりに人の往来がある。そこかしこから悲鳴が聞こえる。しまった、目立ってしまった、と思ったが今回はいいのかもしれない、だってやられた側だもの。
「兵隊さん、こっちです! こっち!」
顔面蒼白の女性が揃いのマントを羽織った男たちを連れてきた。帝国防衛隊の制服だ。彼らは鋭く警笛を鳴らしながら「貴様ら何をやっとる!」と怒鳴ってきた。
「やっべ、防衛隊だ」
オルハンがそう呟きながら剣を柄に戻した。
いつの間にか黒い覆面の男たちはみんな沈黙していた。生死はわからないが、とにかくオルハンやエレミヤにとっての安全が確保されたのは確かだ。さすがオルハン。普段は店の二階でごろごろしているだけの男だが、こういう時だけは頼りになる。
と言いたいところだったのに、オルハンはエレミヤの肩を叩いてこんなことを言った。
「俺はずらかる」
「えっ」
「シャフィークに言いつけて病院の手配をさせる。お前は先生のそばにいて医者が来るまで気を確かにもたせろ」
「オルハンさんは?」
「俺と防衛隊が仲悪いの知ってんでしょ」
「まあ確かに――って、えっ」
防衛隊の男が「貴様ァーッ!」と怒鳴った。
「野良の『鷹』だな!? また貴様かァッ!」
「あばよっ」
オルハンは腰にぶら下げていた帯飾りを壁に向けた。帯飾りが光って、壁に少し小ぶりの魔法陣が映った。オルハンが魔法陣に跳び込む。
消えた。
あっという間だった。
エレミヤ一人が防衛隊の隊員に囲まれてしまった。
「少年」
防衛隊の男の戦う大きな手にがっちりと肩をつかまれる。
「署で話を聞かせてもらおうか」
「え、えーっと……」
その時、背後からうめき声が聞こえてきた。
「ご老人! 聞こえますか、ご老人!」
振り向くと、防衛隊の若者がハッダードを抱え起こそうとしていた。
ハッダードはまたうめき声を上げたが、次の時には自らの意思で上半身を起こした。
「いてててて……聞こえておる……」
「大怪我をなさっているようですね。今医者を呼んできます、お気を確かに」
「なんの、これしき」
まだ流血を続ける腹の傷を押さえながら、力なく笑う。
「いつでも学問に殉ずる覚悟はできておる。信念を持つということは、そういうことなのだ」
エレミヤはショックを受けた。
ハッダードのすぐそばに膝を折る。
「こんな危ない目に遭ってまで研究を続けるんですか?」
「おお、エレミヤよ、無事だったかね」
「預言者の言行録という手引書がある以上この聖法教の国で音楽の研究をするのは危険です。またこんなことになりますよ」
「わかっておる」
そしてひげの下で唇の端を持ち上げる。
「こういうことは、初めてではないのだ」
一瞬言葉を失った。
拳を握り締めた。
「……改宗しませんか」
あっちでは非合法でも、こっちでは合法だ。
「使徒教会の庇護下なら、いくらでも星と音楽の研究ができます。それに、博士も言ったとおり、大学では信仰なんて関係ない。たとえここで乗り換えても、研究を続けることは可能なのではないでしょうか」
ハッダードの大きな手が伸び、エレミヤの頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「それができないことは、君が一番よく知っておるだろう」
そのとおりだ。死にかけたくらいで信仰を捨てられるなら、誰も悲しい思いはしないのだ。
むしろ、学問をすればこそ。真理を探究すればこそ。
それは、神へ近づくことだ。神なき世界に真理はない。
どうやって神にアプローチをするのか、その道筋を示すのが、信仰であり、学問なのである。
そんなエレミヤとハッダードのやり取りを聞いていたらしい、ある若い防衛隊隊員が、こんなことを言ってきた。
「博士」
「何だね」
「あなたは国家占星術師でもいらっしゃる。そんな偉大な方が音楽などやるべきではない。『鷹』どもに同調するのは癪ですが、あなたが亡くなられたら、我々も大いに悲しむでしょう。どうか音楽への執着を捨ててくださいませんか」
ハッダードは苦笑して目を閉じた。
「それでも。星は歌うのだ」
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