第4話 それだけの話よ
店の中に戻ると何もかも元通りだった。双子は食器を洗いながら何か二人でおしゃべりをしてきゃらきゃらと笑っているし、オルハンはあくびをしながら売り物の剣の手入れをしている。この店の日常風景だ。まるで先ほどの混乱などなかったかのようだ。
しかしエレミヤはなかったことにできない。できる性格だったらもう少し楽に生きられたのかもしれないが、首を突っ込んでしまった以上無視はできない。
エレミヤはカウンターのむこうであぐらをかいているオルハンのすぐそばに座った。真面目に正座だ。
オルハンはしばらくエレミヤを無視していたが、ややして顔も見ずに作業をしたまま言った。
「ハッダード先生と何を話した?」
膝の上で拳を握り締めてから答えた。
「民族の罪というものはあると思うか、と問われました。ルーサ人にはルーサ人の罪があると思うか、と。つまり、先生は僕にもその罪を背負う覚悟はあるか、と聞きたいんじゃないかと思いました」
「結論から言うとなくてもいいって話だと思うぞ。言ったろ、イオアンはイオアンでお前はお前だ」
少し力を抜いて頷いた。
「でもまったく無関係でもいられません。僕は聖職者志望ですから。少なくともあの
「御大層なお心がけだな。俺様にはまるで理解できねぇ」
オルハンが手を休めることなく「逆じゃねーかなぁ」と言う。
「お前が背負いたがるから背負わなくてもいいという確信を持てるまで関わるなって話なんじゃねぇの」
「優しいんですね」
「先生のことだから、部外者が首を突っ込んだら『鷹』の『子供たち』が苦しむとでも思ってんじゃん? いつまでもガキ扱いしやがって」
「首を突っ込まれるオルハンさんは苦しみませんか」
「俺がそんな繊細なタマだと思う?」
「思います」
断言すると、オルハンはようやく手を止めた。
「正確には、オルハンさんにも繊細なところはあるんじゃないか、というか。デリケートな部分がない人間なんていないので。普段はずぶとくて図々しくて無神経なオルハンさんでも――」
「言ってくれるじゃねーの」
「アンタッチャブルな部分はあるんじゃないですか」
オルハンとエレミヤの目が合う。
エレミヤは真剣な目でまっすぐオルハンを見つめた。オルハンも珍しく真面目にエレミヤを見つめ返してくれた。
「僕はそこに触れたいです。その覚悟が必要なんだと思います。で、その覚悟はオルハンさんに関わる覚悟であると同時にルーサ人の罪とやらを背負う覚悟に通じるんじゃないかと」
「想像力が豊かだ」
「よく言われます」
「賢い奴は自分の賢さに足をすくわれる」
「ひとによりますよ。賢さの種類によります」
「種類というか、性格によるか。お前はバカを見るタイプだ」
そして、溜息をついて手元に視線を落とした。
鋼鉄の刃にオルハンの顔が映る。
「三年前」
遠くから、双子の明るいおしゃべりの声が聞こえる。
「何があったんですか。ポリュカルポス蜂起事件とは、いったい何なんですか」
刃を見つめながらも、オルハンの手は動かなかった。
「――イオアンが」
唾を飲む。
「『鷹』の一員だったルーサ人の男が、本来宮殿の中には入れないルーサ人の仲間を手引きして、
一瞬呼吸が止まる。
「仲間のほとんどはルーサ使徒教会の関係者だった。当人たちが聖ポリュカルポスの日に決起集会をしたと言っていた。殉教者聖ポリュカルポスの加護のある聖戦なんだとさ」
道理で父が冷静ではいられないと言っていたわけだ。
「ルーサ人の襲撃犯はみんな言っていた」
ハッダードの言葉がリフレインする。
「これは、すべてのルーサ人を解放し、奴隷の身分から解放するための戦いだ、と」
――ルーサ人が他の民とは違うことを信じているのは他の誰でもなくルーサ人たち自身だったのかもしれん。
「何人のルーサ人がそれに賛同していたのかはしれないが、百人以上の逮捕者を出す事件だぜ、ルーサ人の大半がわかっていたことなんじゃねぇのか」
意識して大きく息を吸い、そして、吐いた。
「……僕たちは」
民族の解放を求める聖戦。
「反逆者の民とみなされているんですか」
オルハンは答えなかった。
それが何よりもの答えだ。
ただ差別されているだけではなかったのだ。差別されるのに理由があったのだ。だがそれも差別されていたからの抵抗の結果であり、もともと差別されていなかったらまた違う手段に出ただろう。そして差別されないためには抵抗するしかなく――
抵抗に抵抗を重ねる。差別に差別を重ねる。どちらが最初かわからない。
襲撃犯たちは――イオアンとやらは、
うつむき、唇の内側を噛んだ。
エレミヤはルーサ人たちがどれほど苦労しているか知っていた。使徒教会の信仰をもっているというだけで税金を取られる。信仰を否定され、改宗を求められる。人生を踏みにじられるのと一緒だ。
それを覆そうという人々の行いが罪と言われるのは、どうなんだ。
でも、覆すためには、人を殺してもいいのか。
声を上げるためには、いったいどうすればいいのだろう。
「だからやめとけって言ったんだわ」
オルハンの手が剣の手入れを再開した。
「子供にそんな顔させたくないからお前の周りの大人は黙ってたんじゃねぇの。自分たちの犯罪は自分たちの代で処理してお前らに引き継がせないっつー強い意志があったんじゃねぇの」
何も答えられなかった。
父が、中立的な立場で話せない、と言っていた。
もしかしたら、使徒教会の司祭である父も関わっていたのかもしれない。
関わっていないわけがない。少なくとも声はかかっていたのだ。実際に行動したかどうかは別として、彼は聖ポリュカルポスの日に殉教者への祈りを捧げたはずなのだ。
ルーサ人たちは、殉教のために蜂起した。
「でも、まあ、言っちゃえばそれだけの話よ」
剣を掲げてくもりを見る。鈍く輝く様子は人を斬るというよりは芸術作品のようだ。
「もう三年も前の話だし、だいたいの人間はもうそれぞれの日常生活を新しく作り出した。俺もここでぐうたらして平和に過ごす人生を手に入れた」
そう言われると、エレミヤはどうしようか悩んだ。
オルハンはこう言うが、『鷹』は大勢死んだと聞いた。
と、言いたいが、オルハンは「それだけ」と言う。
ちょっと、淡泊すぎるのではないか。
死は不可逆だ。
双子の親は死んだ。
「ルーダーベさん、というのは、双子のお母さんですよね」
「ああ」
「『鷹』だったんですか。女性なのに?」
「
「クロシュさん、というのが、双子のお父さんなんですよね」
「ああ」
「その人も『鷹』だったんですか?
「いや、あの人は生粋のアリアナ人だ。だからこそ、拝火教の信仰を捨てきれずに奴隷と似たような扱いを受けてた。社会的に認められるためにはその美貌と腕力でのし上がらなきゃいけないっつってた」
深く、息を吐いた。
「二人とも、死んだんですか」
オルハンはこともなげに「ああ」と答えた。
「イオアンに殺された」
悲しい、と思った。
身近な人が死んだ話をしているというのに、実感が湧かない。
直接参加していないエレミヤには、当時の空気を上っ面の言葉でしか認識できない、ということだろうか。
オルハンは淡々と事実だけを述べている。それがたまらなく悲しい。エレミヤに湿っぽいところを見せないようにしているのだろうか、強がりなのだろうか。もともとのさっぱりした気質のせいなのだろうか。
泣きたいのに、泣くべきなのに、こんな言葉だけじゃ泣くに泣けない。
「終わり」
オルハンにそう言われてしまうと、第三者のエレミヤにはもう何も言えない。
「……聞かせてくれて、ありがとうございました」
「まー、別に、たいしたことじゃねーよ」
そして「ただ」と付け足す。
「ルーサ人にはルーサ人の事情があんだろ。お父ちゃんに聞きな」
エレミヤは頷いた。
「ところで」
「はい?」
「お前ハッダード先生と学問すんの?」
急に話が変わった。目をぱちぱちさせながら二度頷いた。
「専門違いなんでちょっと話を聞くだけで終わるかもしれませんが、少しお話を聞いてみたいし、もし大学で講義を持っているようなら受講させてもらえたらいいなーと思ってます」
「ハッダード先生もなかなか敵が多い人だぜ」
「えっ」
あの温厚で聡明な研究者に害があるようには思えなかったが――
「どんな分野でも自分の信念を貫こうとする人には足を引っ張る奴が現れるってことよ」
オルハンが「どれ」と言って手を伸ばす。
その先にあったのは、いつか見覚えのある短剣だ。切っ先が二つに割れた剣である。オルハンの魔法陣の描かれた魔法の剣だ。
「これ、当分お前に貸しておいてやるよ」
放り投げるようによこしてきたので、エレミヤは慌てて受け取った。
「いいんですか?」
「ハッダード先生に何かあったら抜け」
彼らしくなく苦笑する。
「一回でいいから、先生のために戦ってみてぇんだよな。俺は体育会系でおつむのほうはとんとだからよ、別の形で先生にいいとこ見せたいじゃん」
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