第8話 可愛いからです。可愛くないですか? 可愛いでしょ

「お世話になりました」


 十日ほど経ったある日、アービドとマイの夫婦が店を訪ねてきた。二人とも晴れやかな笑顔だった。最初に店に来た時の思い詰めた雰囲気はない。エレミヤはほっと胸を撫で下ろした。


「何から何まで手配してくださって、このご恩はどうお返ししたらいいのやら」


 オルハンが平然とした顔で「いやいや」と言う。


「俺じゃないから。だいたいシャフィークだから。後始末はみんな『鷹』がしたのよ、聞いてない?」

「でも、オルハンさんが『鷹』に掛け合ってくださったからですし、もっと言えば私たちがこの店を訪ねてからすべてがいい方向に向かったんですよね」


 双子がオルハンの両サイドで胸を張る。


「双子がいたからですぅ」

「ここに双子の猫ちゃんの看板を立てたからですぅ」

「看板娘の双子のおかげですぅ」


 オルハンは慣れたもので「はいはい」とあしらったが、真面目で親切な夫妻は双子に向かって「本当にね」「ありがとう」と微笑んだ。


「それに、あの時双子ちゃんの片割れが地下牢まで来てくれて。ええっと、どっちだったかしら」


 二人がにっこり笑顔を作って「どっちだって一緒です」と言った。マイは困惑した様子だったが、オルハンが「いいのいいの」と手を振る。


「まあ、二人ともだな。二人の功績だ。どっちが欠けてもダメなのよ」


 双子が改めて胸を張った。


 エレミヤは思わずその胸を見つめてしまった。


 平らなほうがロスタムで、ふんわり盛り上がっているほうがタハミーネ。


 自分は最低だ。


 だが他にどこで区別をつければいい? 二人は今日もお揃いの恰好だ。手首と足元の裾にたっぷりレースをあしらったくるぶし丈ワンピースを着て頭に白い羽根の刺さった帽子をのせている。どこからどう見てもそっくり双子ちゃんだ。


「えっへん」


 ロスタムと一緒にイブン・ワハシュの屋敷に潜入させられたエレミヤは、基本的にはロスタムの功績だ、と思うが、あの時魔法でタハミーネと通話をつなぐことができたから進んだ話もあるわけで、どっちが欠けてもダメというのはそのとおりであるような気もする。


「ところで」


 双子の片割れが言う。たぶんタハミーネのほう。


「アービドさんとマイさん、本当に行っちゃうんですか?」


 夫妻が苦笑した。


「はい。マムラカを出ます」


 それが二人の出した結論だった。


「イブン・ワハシュの手下がどこにいるかわかりませんし、帝都防衛隊を信用できませんので」

「それに、なんだかもう、帝都に嫌な思い出ができてしまったから。どこかで仕切り直したいんです」


 アービドの左手を、マイの右手が握る。


 痛々しい。


 アービドは右手に何重にも包帯を巻いた上で、首から三角巾で腕を吊るしていた。

 彼の右手は物を握れる状態ではない。

 利き手であることもあって、今はマイが食事から着替えまで何くれとなく世話を焼いている。しかし永遠にそうしていられるわけではないだろう。夫婦二人分の食い扶持が必要だ。マムラカを出るための旅費は貯金でどうにかなるようだが、それもきっといずれどこかで尽きる。


 もう二度と物を握れないかもしれない。

 包丁も握れないかもしれない。


「仕事のあてはあるのか」


 オルハンが尋ねると、アービドはわずかに表情を曇らせたが、マイが「大丈夫です」と答えた。


「私、こう見えて五年もイブン・ワハシュの屋敷で裁縫をしていたんです。きっとなんとかなります」


 そして少し恥ずかしそうに付け足す。


「手仕事でしたらお腹が大きくなってもできますし」

「マイ……」

「まあ、いずれ。いずれね。今はあれだけど、ほら――」


 ぎゅ、と。強く、握り締める。


「ずっと。これから先は、もう、ずっと二人でいられるんだもの。いつかは、そういう日も来るかもしれないから」


 アービドが泣きそうな顔で頷いた。


「誰にも邪魔はさせない」

「あーはいはいそういうアツアツなのはよそでやってね」

「すみません」


 二人がまた頭を下げる。


「それにシャフィークさんが紹介状を用意してくださったんです。西方の街に医学の先生がいるとかで、手を診てもらえるかもしれなくて」

「そりゃよかったな。あいつ性格はゆがんでるけど仕事はできるんだよな。俺とは正反対で。俺は性格は善良だけど不器用でなぁ。性格は善良なんだけどなぁ」


 エレミヤは思わず「どの口が言うんだ」とつっこんだ。


「帝国から出ていくわけでもないですしね。どこに行っても皇帝スルタンのご加護がありますよ。預言者の代理人たる皇帝スルタンは偉大なり」


 この帝国は広い。マムラカは砂漠の街だが、大海原から大草原まで、大川から滝や湖まである。人知れず暮らすことも可能だし、どこか別の街に落ち着くことも可能だ。帝国の中にいれば言語にも不自由しないだろう。なんとかなる。


 二人が何度も頭を下げる。


「では、行きます」

「本当にありがとうございました」

「どうぞお元気で」


 双子が大きく手を振った。


「お達者でー!」


 二人の姿が金物通りのほうに進む。金物通りの雑踏に紛れる。

 どこにでもいる真面目で平凡なマシュリク人夫婦だ。こんな事件がなかったらマムラカで平穏な一生を過ごすはずだった。市場に溶け込む二人の姿にエレミヤはまた悔しくなる。


「権力を振りかざす奴らが嫌いだ」


 そう呟くエレミヤに、三人は何も言わなかった。


「あー、いいなぁ」


 オルハンが頭の後ろで両手を組む。


「俺も結婚したいなぁ。あんな可愛い奥さんがいたら生活に張り合いも出て仕事をする気になるかもしれねぇな」


 双子が肩をすくめる。


「ご主人様の趣味じゃあそうそう結婚できませんよ。まず人妻には旦那さんがいるんですよ」

「俺は他の男が好きな女が好きでな」


 呆れた。


「どうして自らそんな茨の道を行くんですか」


 そんなエレミヤの問いかけには答えず、「あーあ」と大きな声を出す。


「どこかに夫を亡くして途方に暮れているシングルマザーいないかなぁ。できれば年上で。俺が新しい愛を与えるんだ」

「他人の不幸を願わないでほしいですぅ」

「クズが極まってますぅ」


 エレミヤは溜息をついた。これは永遠に結婚できないな。


「とりあえず、アービドくんとマイちゃんの話はおしまい――と言いたいところだが」


 少しだけ真剣な顔をする。


「防衛隊、大丈夫なんだろうな」


 言われてから、エレミヤも眉間のしわを深くした。


「三年前にいっぱい死んだせいで人材不足と見た。年々ヤバくなってる気がすんぞ」


 何せナンバー3のイブン・ワハシュが皇帝スルタンの命で捕縛されたのだ。これから法官カーディによる裁判が行われ戒律に背いたことを糾弾されるはずだが、最終的には斬首刑だろう。

 その後釜を誰が埋めるのか。

 決めるのは防衛隊隊長だ。当然皇帝スルタンも口を出すだろうが、イブン・ワハシュのような失敗もある。


 というより、そもそも防衛隊隊長が大丈夫なんだろうか。

 いったいどんな男なんだろう。


 エレミヤは先日の苦い記憶を思い出した。


 ――申し訳ないが、ルーサ人は異教徒だ。自分たちの仕事は聖典を守る人々を守ることであって、異教徒、それも使徒教会の施設や土地を守ってくれと言われても、なかなか動けないんだよね。


 あれは嘘だ。そんなことはあってはいけないのだ。


 この街には、不正義がはびこっている。


「ま、何かあったところでただの人妻大好きマンで善良な一般市民の俺にはどうもできねぇし」

「そんなこと言ってるとシャフィーク様から防衛隊の偉い人の暗殺の依頼が来るですよ」

「不穏なこと言うなよ、現実味があるから怖ぇよ……」


 オルハンが踵を返して店の中に入っていく。


「考えてもどうにもならないことはやめやめ。茶でも飲もうぜ」


 双子が「はーい」と明るく返事をした。


「準備します!」

「おー、よろしく頼むわ」


 オルハンの後を追いかけていく。


 その、片方の服の襟首を後ろからつかんだ。


「ぐえっ」

「ロスタム」

「つかんだほうがミーネだったらどうする気だったんですか」


 さっき胸を眺めていたので間違いない、とはさすがにひどすぎるので口には出さなかった。


「ねえ、なんで女装してるの?」

「えっ」


 ロスタムが振り向く。猫のように大きく真ん丸な瞳で見つめられる。


「可愛いからです」

「……」

「可愛くないですか? 可愛いでしょ」

「…………」

「ほら! 無言の肯定!」

「君たち本当に無理」


 マムラカの空は今日も明るく晴れている。




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