第7話 スルタンは偉大なり

 オルハンが例の両開きの大きな扉を蹴り開けた。


 天蓋付きのベッドの上にイブン・ワハシュがいる。布団の中に下半身を突っ込んで座り、上半身は裸で、腹に包帯を巻いていて肩に上着を羽織っていた。

 返り血が飛び散っているオルハンの顔を見て、歯ぎしりをする。


「俺の部下たちを殺したのか」

「殺しちゃいない。ちょっと骨とか歯とかを貰っただけだ。殺しをしてない人を殺すのは俺の主義に反するんでな」


 オルハンがいけしゃあしゃあと言う。イブン・ワハシュがそんなオルハンをにらみつける。


「凶悪犯め。しょっぴいてやる」


 おっかなびっくりオルハンの後ろについてきたエレミヤは、男の眼光の鋭さにひるんだ。

 相手は帝都防衛隊の幹部だ。彼が逮捕すると言えば今すぐ彼の部下に拘束されてもおかしくない。オルハンが暴力をためらわないのも事実である。

 しかしオルハンは動じなかった。


「そろそろだ」


 彼がそう呟いた、次の時だ。


 廊下を大勢の人間が駆けてくる足音がした。


「おいでなすったぞ」


 オルハンが笑った。


「イブン・ワハシュ!」


 背後から複数の男が踏み込んでくる。


皇帝スルタンの命により貴様を捕縛する!」

「今すぐ投降せよ!」


 振り向いた。


 すぐそこで、黒地に赤い鷹の翼の刺繍をしたマントが翻った。


皇帝の鷹サクル・アッスルタン』だ。

『鷹』にだけ許されたマントの青年たちが、軍靴を踏みならして部屋に突入しrwきた。


 彼らのその統率の取れた動きに、エレミヤは感嘆の息を吐いた。

 理屈はない。ただ揃いのマント、揃いの動き、それらのすべてがかっこいい。帝国のすべての少年少女のあこがれだ。


 イブン・ワハシュが立ち上がる。


「なぜこの俺が皇帝スルタンに捕まらなければならぬ」

「とぼけても無駄だ」


『鷹』たちの中から一人、とりわけ端麗な容貌の男が歩み出てきた。アリアナ系のはっきりした目鼻立ちに緩く波打つ長髪は、エレミヤも見覚えがあった。『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』の現団長シャフィークだ。


「調べはついている」

「何のだ」

「私利私欲に走って気に入らない使用人たちを秘密裏に処刑している。これは慈悲深き神の望まれないところである。預言者の代理人たる皇帝スルタンはこれを認めない。皇帝スルタンの命は絶対である」


 彼が「神は偉大なり」と宣誓すると、ほかの『鷹』たちも唱和した。


「神は偉大なり! 預言者の代理人たる皇帝スルタンは偉大なり!」


 帝国のすべての法律を超越する存在、戒律の執行人である皇帝スルタンが『鷹』を遣わしてここに踏み入れたのだ。

 皇帝スルタンの介入があればただの警吏に過ぎない防衛隊にはなすすべもない。イブン・ワハシュはもうおしまいだ。


 イブン・ワハシュが蒼い顔をする。


「どうしてこんなことに……」


 シャフィークが目を細める。


「女性たちを泣かせた天罰だね。預言者はご自身の妻を愛したお方だから」


 市井の一般人だったらこれでごまかせたのかもしれない。

 イブン・ワハシュが周囲を見回す。

 オルハンの顔に目を留める。


「思い出したぞ」


 男は往生際悪くオルハンの顔を指さした。


「どこかで見たことがあると思ったら貴様あの時の『鷹』ではないか」

「あの時? どの時? 俺モテモテだし悪い奴らといっぱい戦ってきたから忘れちゃったな」

「忘れるわけがなかろう」


 乱杭歯を剥き出しにして怒鳴る。


「ポリュカルポス蜂起事件の時の鷹狩り団団長は貴様であった」


 オルハンが、す、と表情を消した。


 ポリュカルポス、というのは聖人の名前だ。ルーサ使徒教会も属する、いわゆる東方正教会という宗教組織の殉教者である。千年ほど前の司教で、邪教を広めたという言いがかりをつけられて火刑に処された。司祭候補として勉強しているエレミヤにとってはなじみのある名だ。


 けれど、蜂起事件、といわれると、ぴんと来なかった。

 繰り返すが、ポリュカルポスは千年前の人間だ。

 オルハンが『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』の団長だった時の事件となると、数年前に起こった事件に違いない。

 いったい何がどう結びついているのだろう。エレミヤは聞いたことがなかった。


 イブン・ワハシュは鬼の首を取ったように笑った。


「鷹狩りのマントはどうした。取り上げられたのか。わかるぞ、貴様はあれだけの『鷹』を死なせたのだ、責任を取らされたのだろう。首を刎ねられなくてよかったな」


 オルハンが沈黙している。何を考えているのだろう。


精霊憑きマジュヌーン精霊ジンの合いの子め。バケモノだ」


 シャフィークが溜息をつく。


「言葉遣いが汚いな。僕はそういうのは好きじゃない」


 そして剣を抜く。

 彼の剣も切っ先が二つに分かれていた。オルハンを召喚する時に使う、エレミヤも握ったことのあるあの剣だ。他の面々も似たような剣を腰にさげているから、ひょっとしたら『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』に支給されている剣なのかもしれない。言われてみればふたつに割れた切っ先は鷹のくちばしを連想する。


 イブン・ワハシュが「ひっ」と喉を詰まらせる。


「防衛隊幹部である俺を殺してタダで済むと思っているのか」

「防衛隊幹部と『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』幹部のどちらがより皇帝スルタンの寵愛を受けていると思う?」


 シャフィークの言葉にイブン・ワハシュが息を飲む。


 ふたつに分かれた切っ先が、男の首筋に突きつけられた。


「それ以上余計なことは言わないほうがよろしい。あまりにも口汚いことを言うようならば僕は陛下にあなたに関してさらなる罪状を告げ口しないといけなくなる。陛下のお気に入りを侮辱した不敬罪だ」

「そ……それだけは……」

「黙ってお縄につきなさい」

「うむ……」


 イブン・ワハシュがうつむくと、他の『鷹』たちがその周囲を囲み、イブン・ワハシュの両手を拘束し始めた。シャフィークは剣を鞘に納めた。


「ではね、後はよろしく」


『鷹』のうちの一人が「団長は?」と尋ねてくる。シャフィークがにっこりと人の良さそうな顔で微笑む。


「元団長と少しおしゃべりをしてから行くよ」

「了解」


『鷹』たちがイブン・ワハシュを連れて部屋を出ていった。

 部屋の中に、オルハン、エレミヤ、ロスタム、そしてシャフィークの四人が残された。


「やあロスタム、お久しぶり」


 シャフィークの声だけが妙に明るい。


 ロスタムは今オルハンの臙脂色のガウンを羽織っていた。服を引き裂いてしまったせいでほぼ下着同然の恰好だったからだ。服はちゃんと回収して後で縫って直すとのことである。

 ちなみに体の精霊ジンの模様は戦闘時など興奮している時に浮かび上がってくるものらしい。今は跡形もなく消えていて、外見だけならただの美少女だった。


「少し背が伸びたかな。相変わらず可愛いね」


 ロスタムが「はい」と笑顔を見せる。


「ロスはいつもいつまでもずーっと可愛いです!」

「よしよし、いい子だね。お母上によく似ている」


 そう言いつつ、彼はロスタムの頭を撫でた。


 オルハンのほうを向く。


「今日もお疲れ様。タハミーネから聞いたよ、最近なんだかんだ言ってほぼ毎日稼働するようになったそうだね」


 オルハンがいつもの邪悪な笑みを取り戻す。


「そうなんだよな、だからお前ももうちょっと気をつかって俺に振る仕事の量を減らしたらいいんじゃねぇかな」

「兄さんほど優秀な人なら一日二件三件こなしても大丈夫だと思うんだよねぇ。『鷹』だった頃はもっと陛下にこき使われていたじゃない?」

「言ってくれるぜ」


 エレミヤは眉間にしわを寄せた。

 また何か聞き捨てならない台詞を聞いた気がする。


「地下牢にいたのはほぼみんなイブン・ワハシュが私怨で閉じ込めた人みたいだ。衰弱している人が多いのでこちらで病院を手配するよ。くだんのアービドくんも確認した。右手の骨が砕けているけれど命には別条はないと思う」

「右手の骨か」


 オルハンが溜息をつく。


「あいつは料理人なんだ」


 シャフィークが苦笑して首を横に振った。


「それでは、現地解散ということで。片付けが終わったらまた後日店に挨拶に行くね。僕は兄さんと違ってヒマではないので」

「俺もヒマじゃねぇよ」


 ロスタムが「嘘ですヒマです」と告げ口した。


「あの、シャフィークさん……?」


 おそるおそる声をかける。シャフィークが笑顔で振り返る。


「やあ少年、お久しぶり。話は聞いているよ、兄さんのところに弟子入りしたそうだね。それでこんなむちゃくちゃに付き合わされて君も大変だねぇ」

「いや本当に心からそうなんですけど、その前にひとつ確認したいことが」

「何だい?」

「兄さんって、何ですか?」


 彼は笑顔のまま「え?」と小首を傾げた。


「あれ、聞いていない? 僕、彼の異母弟なんだ」

「まったく聞いてないです」

「僕らの父親の正妻のほう、人間の息子が僕。愛人で精霊ジンのほう、混血の息子が彼」


 エレミヤは思わず「似てない」と呟いてしまった。シャフィークが声を漏らして笑う。


「僕が母親似の絶世の美青年だからでは」

「普通自分では言わないものですよ」


 オルハンが「このへんの人間関係はおぼえなくていいから」と言っているが、おぼえておかないと後で大変なことになるのだ。


「では、またねー! まっすぐおうちに帰るんだよ、お外はもう暗いからねー」


 ロスタムが素直に「はぁい」と可愛く返事をした。


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