第6話 ふうん……男の子だったんだ……

 階段をおりると、そこは窓のない真っ暗な空間だった。壁に取り付けられた松明の炎と、男たちが持っておりたランプの火が頼りだ。

 下から複数の人間の悲痛な声が聞こえる。


「殺してくれ、いっそ死なせてくれ」


 すえた臭いがする。


 ぎぃ、と金属の蝶番ちょうつがいが動く音がした。そして男の怒鳴り声が響いた。


「おらっ、中に入れ!」


 それから倒れる音だ。たぶんマイが突き飛ばされたか何かして倒れたのだろう。


 真っ暗な中なので陰になる部分は多い。エレミヤとロスタムは見つからないよう壁際に身を寄せながら階段の下に移動した。


 また、蝶番の動く音が響く。がちゃん、と閉まった音がする。それから、複数の小さな金属がこすれ合う、じゃらじゃら、という音。おそらく鍵の束の音だ。


「今晩ご主人様がおいでになる。それまで見張ってろ」

「へえ」


 奥に誰かがいる。きっと牢番だろう。私兵たちは牢番に鍵の束を渡したようだ。


 足音が近づいてくる。

 ロスタムがかがみ込む。

 エレミヤもロスタムにならって身をかがめた。

 すると階段から死角になるらしい、私兵の男たちは二人に気づかずに階段を上がっていった。


「さて、マイさんの様子を見に行きますか」


 ロスタムが言う。


「どうやって? たぶん見張りがいると思うんだけど」


 階段の途中に取り付けられた松明の炎で、ロスタムの滑らかな頬が照らし出される。


「ぶっ飛ばします」


 一瞬頼もしく思ってしまったが、エレミヤは慌てて「物騒なこと言うのやめて」と言うはめになった。ロスタムほどの華奢でかわいらしい女の子にそんなことができるはずがない。エレミヤにもできない。自分たちは無力な存在なのだ。


 ロスタムが階段の陰から出てまっすぐ地下牢の奥を目指す。


 地下牢の奥には小さな炎が揺れている。おそらくランプが置かれているのだろう。


 ロスタムとタハミーネを通じて、オルハンがこの状況を見ている。先ほどの剣はイブン・ワハシュの手下がどこかに片づけてしまったが、ロスタムが首に同じ魔法陣の描かれた首飾りを下げているので、おそらくその魔法陣を通じて移動できるはずだ。

 オルハンさえ来てくれればなんとかなる。

 そうは思っていても怖いものは怖い。


 しかしロスタムの足取りに迷いはない。


「……あァ?」


 牢番がロスタムとエレミヤに気づいたようだ。


 通路の一番奥、壁際に、机と椅子が置かれていた。その机の上にランプが置かれていて、小さな炎が揺れている。

 炎に、今椅子から立ち上がった人物の姿が照らし出された。

 見上げるほどの巨躯の男だった。頭は剃り上げているらしく毛がない。肌の張りからしてそんなに年寄りではないだろうが、天井に頭がつきそうだからか背中を丸めている。


「どうした、お前ら」


 ロスタムはまったく臆することなく言った。


「さっきの鍵が欲しいんですけど」


 牢番が笑う。


「無理なお願いなのわかってんだろ、お嬢ちゃん」


 太い腕の先、筋張った指が伸びる。


「どこから来たんだい? 誰のおつかいだい?」


 指先がロスタムの顔に触れそうになる。


 そのぎりぎりで、ロスタムが動いた。


 一瞬のことだった。


 ロスタムの右足が男の腹にめり込んだ。


 男の汚い唾が飛んだ。


 男が腹を押さえてかがみ込む。

 頭が床に近づく。


 その頭に、ロスタムは回し蹴りをした。


 男が倒れた。

 男の体と床がぶつかる音、そして鍵の束が落ちる金属音が響いた。


「まずいな」


 ロスタムが呟く。


「エレミヤさん」

「はい」

「たぶん今の音でさっきの男たちが帰ってくると思います。お気をつけて」

「気をつけるって!? 何をどこでどうやって!?」


 震えるエレミヤをよそに、ロスタムは鍵の束を拾った。

 すぐそこの牢に取り付けられた錠に鍵を突っ込む。


 ひとつめ。はずれ。

 ふたつめ。これもはずれ。

 みっつめ。

 あたりだ。


 錠が落ちた。


「マイさん!」


 名を呼ぶと、声が返ってきた。


「猫のお店の……!?」


 大丈夫だ。まだ正気だ。


「エレミヤさん、明かり」


 言われるがまま机の上のランプを手に取ってロスタムに近づいた。


 牢の中が照らし出される。

 炎の光に照らされて、ねずみが逃げていった。


 マイは床に尻をつく形で座り込んでいた。左頬が腫れ上がり、唇は流れた血が乾いてこびりついているが、大きな怪我ではなさそうだ。


「よかった、立てますか?」

「あなたたち、どうしてここに」

「状況の説明は後で。まずは一緒にアービドさんを探しましょう」


 ロスタムの言葉に、マイが何度も頷く。


「ありがとう、ありがとう」


 彼女の華奢な手がロスタムの腕をつかむ。

 その様子が痛々しくてエレミヤは軽く目を伏せた。


 アービドを捜すのにはそんなに時間はかからなかった。


 通路を歩くと、向こうのほうがこちらを呼び止めたからだ。


「マイ……?」


 かすれた弱々しい声だったが、彼の妻であるマイは聞き逃さない。


「あなた!?」


 ちょうどその時、階段の上から足音と怒鳴り声が聞こえてきた。


「何かあったのか!?」


 ロスタムがエレミヤに鍵の束を押しつける。


「じゃ、エレミヤさん、あたりの鍵を探してくださいね」

「えっ」


 男たちがばらばらとおりてくる。


「子供!?」

「どこから入ってきた!?」

「何をしている!?」


 次の時だ。


 松明の炎に照らされて、ロスタムの動きが見えた。


 階段を駆け上がる。

 最初におりてきた男と相対する。


 男の顔面に右の拳を叩き込む。


 男が「がっ」とうめいて倒れる。

 自然と階段の下に落ちていく。


「何だこのガキ!?」


 二人目の男が慌てた様子でおりてこようとする。


 その男の腹に蹴りを入れる。


 男は踏みとどまった。


「ぐっ」


 うめきながらも、ロスタムに右腕を伸ばした。

 ロスタムはその手首をつかんだ。

 自分の右肩の上に持ち上げる。

 手が肩の上まで来たところで肘を横から殴った。

 ばき、というすさまじい音がして、肘があらぬ方向に曲がった。


 絶叫が地下空間に反響した。


 二人目の男を階下に放り投げた。起き上がろうとしていた最初の男の上に落ちた。


「エレミヤさん早く!」


 はっと我に返った。鍵を握り締める。持ち上げる。松明の炎を頼りに鍵の形を確認する。


「マイ……逃げろ……」


 怪我をしているのだろうか、アービドの声はかすれていて頼りない。だが明かりが足りなくて中の様子を確認することはできない。

 マイが鉄格子にすがりつく。


「あなたっ」

「ちょっと、もうちょっと待ってくださいね」


 背後で光が走った。

 そのまぶしさにつられて、エレミヤは思わず振り返ってしまった。


 ロスタムが自分の服の前を開き、首にさげていた首飾りを宙に放っていた。

 首飾りの魔法陣がまばゆい光を放っている。


 その光で、ロスタムの姿が見えた。


 滑らかな肌に赤褐色の模様が浮かび上がっている。

 その首、胸元、手首に巻きついている模様はいばらだ。

 左頬に一輪、丸い花が咲いている。

 美しい少年――少年? にふさわしい、耽美な模様だった。


 少年?


「ああんもうっ、邪魔っ!」


 言いつつ、ロスタムはそのまま自分の服の前を引き裂いた。

 くるぶし丈の民族服を捨てる。

 平らな胸、蹴りを入れるたびに持ち上がる腿の付け根のふくらみ――直視したくない現実がそこにあった。


 魔法陣の中からオルハンが姿を現した。

 オルハンが怒鳴った。


「おい、ロス! お前また服そんなにして、可愛い妹がお兄ちゃんのためだからって言って夜なべして手縫いしたものを!」

「ぼくにはぼくなりの事情があるんですぅ!」


 呆然としているエレミヤに、オルハンが「おい早くしろ!」と怒鳴った。


 可愛い子猫の女の子……。


 もう何も考えたくない。



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