第4話 ロスタムとエレミヤのドキドキ潜入大作戦

 日が徐々に傾いていく。灼熱の日中を避けて昼休みを取っていた人々が動き出す時間だ。


 黄昏たそがれ時には人間だけでなく精霊ジンも活動を始めると聞く。


 目の前にいる四分の一精霊ジンとの話の少女も活動的だ。


 エレミヤは店の中にいる双子しか知らなかったので、ロスタムの足が速いことにも驚いた。

 エレミヤを置いていくのではないかというくらいのスピードで街の中を駆ける。エレミヤのほうが背が高く足が長いはずだが、二人で競走をしたら負けてしまうかもしれない。


 マイはマシュリク人女性にはありがちな服装だ。エレミヤは見失ってしまうのではないかと不安になったが、ロスタムが見逃さなかった。


「ご主人様が渡した剣の魔法陣が光ってます」


 そう言いつつ、ロスタムが自分の襟を開いた。女の子がこんな往来でと慌てたが、ロスタムは気にしているそぶりはない。

 平らな胸元に金の円盤のついた首飾りが揺れる。円盤には見覚えのある魔法陣が描かれていた。オルハンの魔法陣だ。


「ご主人様が迷子札がわりにロスにくださったものです。これを、ぎゅっと握り締めると――」


 人混みの中で何か丸いものが光った。マイは、黒いマントの下、自分の腰元に短剣を隠しているようだ。ともすれば人混みに埋もれてしまいそうだったが、特徴的な円陣がロスタムの握ったり緩めたりに従って輝くのでわからなくなることはない。


「なるほど」


 小走りでマイを追いかける。

 歩幅を保ったまま話を続ける。


「話が途中になっちゃったから、今聞いてもいい?」

「何をです?」

「君とミーネが使えるっていう魔法はどんなもの?」


 ロスタムが振り向く。猫のような大きく丸い瞳にじっと見つめられる。

 エレミヤは慌てて手を振った。


「いや、話したくないならいいんだけどっ。無理して聞き出したりはしないよ」

「いえ隠してるわけじゃないんですけど。筒抜けですよ」

「何が?」

「ロスとミーネはお互いに見聞きしているものを共有することができるんです」


 この双子らしい、と思った。何もかもお揃いの双子だ。感覚までお揃いだと言われてもあまり違和感はない。


「ロスが見たものはミーネにも見える。ロスが聞いたことはミーネにも聞こえる。だから今エレミヤさんがここでロスとしゃべってる内容はミーネが全部聞き耳を立ててます」

「へえ」

「ミーネの悪口を言うと聞かれます」

「言わないよ」


 興味を惹かれて掘り下げる。


「つまり今ロスが見ている状況はミーネにも見えてるってことなんだ」

「そうです。ロスが今どの道を通っているのか全部見てるはずです」

「だからオルハンさんはミーネを手元に置いておきたいのか。ロスが動き回って情報収集して、それをミーネが受け取ってオルハンさんに流す、と」

「呑み込みが早くて、説明の手間を省けて助かります」


 マイが門をくぐる。市場を出たのだ。

 彼女の足はまっすぐ東へ向かっている。

 東は住宅街だ。それも官僚や皇帝スルタンの家臣たちが住まう高級住宅街である。このままイブン・ワハシュの屋敷に行くつもりなのだろう。


「それって四六時中つながってるの?」

「というわけでもないんですけど。見られるほうは嫌なら拒否できますから。逆に見たくなくても見せられちゃうことがあるのでたまに不便なんですが」


 エレミヤはふと笑った。


「君たちの間でも見られたくないとか聞かれたくないとかあるんだ」


 何もかも一緒の仲良し双子ちゃんだというのに。


 ロスタムが、ちら、とエレミヤの顔を見た。

 その目がいつもと少し雰囲気が違ったような気がして、エレミヤは驚いた。自分は何か失言をしただろうか。


「ま、そんなに頻繁にはないです」


 ふい、と顔を背ける。


「というか、そもそも別行動することがあんまりないです」

「だよね」


 そこまで言うと、ロスタムは足を速めて門を出ていった。エレミヤは慌ててその後を追いかけた。




 案の定、マイは高級住宅街に進んだ。

 一軒の大きな屋敷の前にたどりつく。


 エレミヤは不安を覚えた。

 屋敷の前にはいかつい門兵が並んでいた。彼らの目をあざむいて中に入るのは無理だ。

 そう思っていたところ、マイは玄関を通り過ぎ、屋敷をぐるりと迂回した。


 さらに追いかける。


 マイは屋敷の裏に来た。

 どうやら裏口のようだ。屋敷の周囲を囲む塀に切れ目が入っていて、そこを使用人と思われる人々が出入りしていた。


 門のすぐそばにやはり門兵と思われる男が二人立っている。

 マイは彼らに何かを話しかけた。

 特に長い問答をすることなく、マイはすんなり屋敷の中に入ることができた。


「マイさん、もともと屋敷の中で働いてた人なのかもしれないですね」


 アービドとは職場恋愛か、と思うとちょっとうらやましいが、それで雇い主に顔も名前も家族構成も知られているのだ、と思うとつらいものがある。

 仕事中に雇い主に呼び出されてあれこれされたのだろうか。自分の立場を利用した悪質な犯罪であり戒律違反だ。二重三重に罪深い。


 壁の陰に隠れる。角から少しだけ顔を出して門の様子を窺う。


「さて、どうやって入りましょうか」


 ロスタムに言われて唾を飲む。

 マイの尾行を続けるには、自分たちも屋敷の中に入らなければならない。


 人はひっきりなしに出入りしている。だが誰も彼も急いでいて話しかけられる感じではない。まして自分たちを中に入れてくれなど簡単には言えない。入りたい理由を説明できない。マイがイブン・ワハシュを刺すためにうちで剣を買ったから、なんて話になったら大騒ぎになる。

 うちで? エレミヤはあの店の従業員ではないのだが。


「エレミヤさん」


 ロスタムに服の裾を引っ張られた。


「ちょっと話を考えました」

「何の?」

「ロスとエレミヤさんの関係の設定です」


 彼女の大きな真ん丸おめめが、エレミヤを見ている。


「エレミヤさんはルーサ人なので商人になりすますことができます」


 ルーサ人には商人が多い。帝国に併呑されてから大陸各地に離散したので、ルーサ人ネットワークがあちこちに広がったからだ。皮肉なことに、逆に大規模な交易をしやすくなったのである。国際的に活動する隊商キャラバンにはルーサ人が多かった。


「エレミヤさんはとある大商人の丁稚でっちということで」

「わかった。で、ロスは?」

「ロスは商品役ですよ」


 エレミヤも両目を見開いた。

 ロスタムは、いつもよりちょっと真剣な顔のような気もするが、そんなに緊張しているわけでもなさそうに見える。


「エレミヤさんはイブン・ワハシュに奴隷を納めに来た奴隷商人。いいですね?」

「え……、そんなの――」

「ほら、早く。エレミヤさんはロスの肩を抱いて、率先して歩いて」


 一時しのぎの嘘とはいえ、ロスタムを奴隷として扱うのか。

 ルーサ人にも奴隷にされた人間が大勢いる。それを思うとおもしろくはない。


「気持ち悪くはないの?」


 しかしロスタムは平気な顔をしてエレミヤの腕をつかんで自分の肩に回させた。


「エレミヤさんにならちょっとぐらい触られてもいいですよ。どう考えてもロスのほうが強いので」

「いやそういう意味じゃなくてね」

「アービドさんとマイさんの命には替えられないでしょ」


 何も言い返せなかった。


 ところで、エレミヤよりロスタムのほうが強いというのも何なんだろう。十五歳の男である自分と十三歳の少女であるロスタムが力比べをしてロスタムが勝つなどということがあるだろうか。

 そんなことを考えているうちにロスタムが歩き出したので、慌ててその斜め前を行った。


 門に近づく。

 門兵の二人の目に留まる。


「お前たち何をしている」


 息を飲む。

 ロスタムを見る。しおらしく斜め下を見ている。

 彼女は売られてきた商品だ。売りに来た自分が話さなければならない。気分はあまり良くないが、ここまで来たら手段は選んでいられない。


「ご当主様に奴隷を納めに来ました」


 思い切って言った。


 門兵の一人が手を伸ばした。

 ロスタムの顎をつかむ。顔を上げさせられる。

 ロスタムの表情に感情はない。その真意はわからない。

 門兵が舐めるように眺め回す。


「今度はアリアナ系か」


 その言葉にちょっとほっとした。イブン・ワハシュが奴隷を買うのは初めてではないのだ。つまりこうして奴隷商人が出入りするのは違和感はないということになる。


 安心しなければならないのも複雑だ。

 過去にはここに売られてきた人間がいる。


 考えてはいけない。今は屋敷の中に入るのが優先だ。アービドとマイを救うにはそれしかないのだ。


「入れ」


 内心、やった、と思ったが、顔に出さぬように努めて「はい」と頷いた。


 二人で門の中に入る。裏庭を抜け、邸宅の後ろにある扉を開けて進む。


「やりましたね」


 ロスタムがそう言って笑顔を見せた。エレミヤは体から力を抜きつつロスタムの肩から手を離した。


 それにしても、思っていたより硬くて骨っぽい肩だった。だが女の子の肩を抱いたのなんて初めてで比較対象がない。こんなものかもしれない。

 先ほどの胸元といい、今の肩といい、何か違和感があるのだが、たぶん気のせいだ。


「あー、どうなることかと思った」

「でも本番はここからです」


 廊下の奥から騒ぎ声が聞こえてきた。正確には、複数の女性の悲鳴と、複数の男性の怒鳴り声だ。


「血が! 血が!」

「貴様旦那様になんてことを!」


 ロスタムが頬をひきつらせた。


「ほら、もう始まってますよ」



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