第3話 さりげなく年齢を確認したぞ

 マムラカ広しといえども土地は無限に余っているわけではない。市壁の中はぎゅうぎゅうで、人々は土地を有効活用するために建物を上へ上へと伸ばした。

 その上層階が道路側にせり出しているので、道路は建物に日差しを遮られて日陰になる。

 日陰ができれば、子供が駆け回ったり老人が将棋シャトランジをしたりするくらいの憩いの空間もできる。


 ただし、普通の通りなら、の話だ。


 ここは武器通りだ。今日もここにはエレミヤ以外の人間の姿はない。


 本日現在、エレミヤはそんな日陰で双子の猫の店の前をほうきで掃いていた。溜まった砂ぼこりを集めて捨てるためだ。


 どうしてこんなことをしてるんだろう、とちょっと考える。確か武術を習うんじゃなかったか。これじゃただの小間使いだ。


 しかし双子に頼まれると弱い。性格は微妙にゆがんでいるが、双子は基本的に可愛いのである。二人ともエレミヤよりふたつも年下のお子様だが、猫のように愛くるしい二人を見ているといろいろ考えてしまう。


 双子は今夕飯の準備の最中だ。この夕飯自体はエレミヤの口に入るものではないのだが、一緒におやつも用意してくれると言うのだから仕方がない。双子は料理がうまい。


 このままなし崩し的に掃除担当になりませんように。


 そんなことを考えていた時だった。


 金物通りのほうから、一人こちらに小走りで寄ってくる人間が現れた。


 顔を上げる。


 マシュリク系の若い女性だった。黒一色の全身を覆う服を着ており、頭にも布を巻いている。貞淑で禁欲的で信心深い若奥様の姿である。年齢は二十歳前後だと思われる。

 その表情が険しい。どことなく蒼ざめて見える。


 彼女はエレミヤの姿を見つけると鬼気迫る表情で詰め寄ってきた。


「ちょっとそこのあなた」


 なんとなく怖くなってエレミヤはほうきの柄を握り締めながら一歩下がった。


「は、はい」

「双子の猫の店ってどちらかしら」

「ここです」


 エレミヤは目の前の店先を指した。そこには黒い鉄板でできた二匹の猫の看板が出ている。


 彼女は看板とエレミヤを交互に見た。


「あなたここのお店の人?」

「たぶん」


 これはなし崩し的に店員にされてしまう予感。


 女性の右手がエレミヤの左の二の腕を、左手がエレミヤの右の二の腕をつかんだ。


「昨日うちの主人がここに来ませんでしたか」


 すぐに思い出した。


「料理人のアービド氏ですか?」


 そう問いかけた途端だった。


 彼女の大きな褐色の瞳からぼろぼろと涙がこぼれ始めた。


「やっぱり……!」


 子供のように声を上げて泣きじゃくる。


 泣き声が聞こえてきたのか、隣の店と、向かいの店、斜め向かいの店から人が顔を見せた。なんだ、どの店もちゃんと商売人がいるんじゃないか。営業しろ。と思ったがエレミヤと目が合うとみんな店の奥に引っ込んでいった。嫌な連中だ。


「ちょっと、あの、奥さん、大丈夫ですか? どうかしたんですか?」


 彼女は嗚咽の合間にこんなことを言い出した。


「わ、私にも、武器を売ってください……! 私もあの男を殺してやりたい……! あいつを殺して私も死ぬ!」


 がくがくとエレミヤの体を揺さぶる。


「わーっ、落ち着いてください!」


 エレミヤと女性のやり取りが聞こえたらしい。


「どうかしましたか?」


 双子の片割れの声が聞こえてきた。

 見ると、双子が揃って店の中から顔を見せていた。


「助けて双子」

「エレミヤさんが年上のお姉さんを泣かしているです」

「これはご主人様に言いつけなければ」

「絶対違うってわかってて言ってるでしょ」


 双子が店から出てくる。左右から女性を挟む。


「まあまあ、とりあえず店の中にお入りください」

「わたしたちがお話を伺います」

「よっぽどのご事情がおありなんでしょうから」

「ゆっくり聞かせてくださいー!」


 すると彼女は首を横に振った。


「ゆっくりしていられないんです。今すぐ剣をください」

「あらら」

「そんなに急いでどうかしちゃったんですか?」

「主人が処刑されそうなんです。明日首を刎ねると言われて今牢屋に入れられているんです」


 エレミヤは、正直、そりゃそうだろうな、と思ってしまったが、言わなかった。


「悔しい……! 自分は好き勝手しておきながら他人にはこんな仕打ちをするだなんて。自分の戒律違反は無視させてひとの戒律違反は許さないなんて……私は絶対に権力に屈しないわ……!」

「おおっと……」

「これはこれは……」

「神は私の味方をしてくださるに決まってる! 公正公明な神はこんなむちゃくちゃ望まれない!」


 彼女がその場にわっと泣き崩れた。


 エレミヤと双子は三人で顔を見合わせた。


「えーっと、奥さん、お名前は?」

「マイと申します」

「マイさん、ちょっとお聞きしたいんですけど――」

「昨日アービドさんはマイさんを守るために雇い主をなんちゃらかんちゃらっておっしゃってたんですけど――」

「アービドさんを牢屋に入れたって人はその人なんですか?」

「はい」


 彼女――マイの悲壮感を前にしてさすがの双子もふざけていられないらしい。真面目な顔をしてマイのそばにしゃがみ込んだ。


「ちょっと教えてほしいんですけど――」

「その雇い主っていうのは――」

「どなたなんです?」


 アービドとは違って、彼女はすぐに答えた。


「イブン・ワハシュです……! 帝都防衛隊二番隊隊長、イブン・ワハシュです!」


 悪寒が走った。


 帝都防衛隊――千人からなる官僚組織で、帝国の法律と聖典の戒律を守る者を守る、『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』に次ぐ巨大な権限をもった武装集団だ。


 その二番隊隊長ということは、防衛隊隊長、一番隊隊長に次ぐナンバー3である。


 防衛隊幹部が戒律違反を犯して人妻に姦淫をそそのかしながら正当な理由で復讐しようとする善良な青年を私的に処刑しようとする――目眩のする話だった。


「ということは、アービドさん、殺せなかったんですね」


 双子のどちらかが確認のために言った。マイは頷いた。


「詳しい状況はわかりませんが、すぐに剣を取り上げられ、防衛隊の男たちに殴る蹴るの暴行を受けた後地下牢に連れていかれたと」


 嗚咽が漏れる。


「野菜や果物を刻むあの優しい手を踏み潰したと……!」

「わかりました」


 双子がエレミヤに「ご主人様を呼んできます」「ちょっとここでマイさんと待っててください」と言う。エレミヤはすぐ頷いた。


 双子の背中が店の奥、階段のほうへ消える。


 きっとオルハンに状況を説明しているのだろう、少し時間がかかった。


 ややして、オルハンが珍しく少し慌てた様子で階段を下りてきた。


「ちょっと奥さん、俺が店長でアービドくんに剣を売った者だけど」

「お世話になります」

「話はわかった。とりあえず泣き止んで、落ち着いてくれ」


 マイの目からはまだはらはらと涙がこぼれている。双子が戻ってきて、左右から彼女の背を撫でた。


「深呼吸、深呼吸。そんな焦ってたらできることもできねぇぞ」

「はい……、すみません」

「とりあえず武器は用意する。女のあんたでも扱える軽くて短い剣を渡すから」


 エレミヤは自分の時のことを思い出した。オルハンはどうも殺意を剥き出しにする人間には優しいらしい。殺す気でいる人には同じく殺す気で挑んでくれるということだろうか。


 オルハンが手を伸ばした。

 その手に短剣が握られていた。


 黒い鞘の、鉄の柄にルビーの飾りが埋め込まれた剣だった。刃渡りは短く、エレミヤの手首から二の腕くらいの長さだろう。華奢な剣だ。

 だが、先端が二つに分かれている。あの、猛禽のくちばしの剣だ。


 マイはすぐにそれを受け取った。


「おいくらですか」

「お代はいい。あんたが本懐を遂げられることを祈る。あんたの行いは防衛隊を糾弾する正義だ」

「ありがとうございます……! まことに神は偉大であらせられる! あなたにも神のお慈悲がありますように」

「はいはい、神は偉大なり」


 マイがぺこぺこと頭を下げる。


「あ、ちなみにあんた何歳?」

「私ですか?」

「そうそう」

「二十歳です。夫のアービドは二十二です」

「あらそう」

「何か意味があるんですか?」

「いや、若い身空で大変だな、と思っただけ。じゃ、行ってらっしゃい」

「はい!」


 彼女は走り去っていった。嵐のようだった。


 その姿が完全に路地の向こうに消えてから、双子の片割れが言った。


「さりげなく年齢を確認しましたね?」

「いやあ……若い身空で大変だな、と思っただけ……」

「人妻には弱いんですから」

「雰囲気は好きなんだけどちょっと若すぎるんだよな。二十歳じゃまだ子供みたいなもんだ。俺が今二十九だから射程範囲は前後五歳の二十四から三十四くらいだな」


 双子が両サイドからオルハンの後頭部を叩いた。


「おい、そんな能天気なこと言ってる場合じゃねぇよ」


 能天気である自覚はあったらしい。


「防衛隊の二番隊隊長ってヤバいだろ。そんな大物が私利私欲で権力振り回しちゃったら帝都の治安がどうこうなんて次元じゃないだろ、人妻に手ぇ出した挙句その旦那に暗殺されかけて逆にリンチして殺そうとしてるって、汚職というか不祥事というか、それこそ宮廷に上げる案件だわ」


 エレミヤは頷いた。この人にもそんな真面目なところがあったのか、ほっとした。


「やっぱり防衛隊が腐ってやがる」


 そう言われて、自分自身の事件のことを思い出す。


「ご主人様」


 双子がオルハンを見上げる。


「さっきの剣、ご主人様の剣ですよね?」

「召喚されたら行くんですか?」

「悩む。一応そのつもりで渡したんだが俺が出ていってちゃんばらしてもいいもんか。なんだかんだ言って俺今『鷹』じゃないし、『鷹』も本来は皇帝スルタンの親衛隊だから皇帝スルタンの命令なしにあれこれやるわけいかない」


 そして手を叩いた。


「おい、ロス、お前ちょっと行ってこいよ」


 双子の片割れ――ロスタムだと思われるほうが口を尖らせた。


「お前が様子を見てこい。ヤバくなったら呼べ」

「ひょええ」

「ミッションだ。マイちゃんの暴走を食い止めつつアービドくんを救出して逃がしてこい。できる限りバレないように」

「ええーそんなのロス一人で?」

「エレミヤを連れていっていい」


 エレミヤが「待ってなんで僕を巻き込んで――」と抗議しようとしたが無視された。


「殺さないように。いいな」


 ロスタムはちょっと悩むそぶりを見せたが、ややして「はーい」といいお返事をした。


「じゃ、行きましょエレミヤさん」

「嫌だよ!」

「ロスをひとりにするんですか?」


 タハミーネまで目を真ん丸にして「ロスをひとりにするんですか!?」と言ってきた。それもロスタムより大袈裟に、だ。


「じゃあミーネが行けばいいんじゃない?」

「ミーネは俺と待機だ。ロスに何かあった時にこっちで魔法が使えねぇと困るんだわ」


 そう言えば双子も精霊ジンとの混血だった。ただ双子がどんな魔法を使えるかまでは確認していない。

 教えてほしいと言う前に、ロスタムの強い力に引きずられた。想像の一万倍くらい握力、腕力が強い。エレミヤは歩き出さざるを得なかった。



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