第8話 根は、正義感の強い人だ。根は。

「俺、人間と精霊ジンの混血なのよ」


 双子の猫の武器屋、店の奥の従業員休憩スペースにて。


 翌日、エレミヤとエレミヤの父であるルーサ使徒教会の司祭は、オルハンに礼を言うために武器屋を訪れていた。エレミヤの母を奪い返してくれただけではなく、土地の権利書まで手に入れてきたのだ。教会からしたら英雄だ。エレミヤは釈然としないものもあったが。


 エレミヤ、司祭であるエレミヤの父、オルハン、そして双子の五人で、レモン水とひよこ豆の菓子でゆっくり語らう。レモン水は爽やかでおいしく、水分の少ないひよこ豆の菓子とよく合う。


「魔法陣の描かれた金属類、剣とかアクセサリーとか、そういうものを媒介にして瞬間移動できるのね。精霊ジンの母親の影響。混血の俺が使える唯一の魔法よ」

「じゃあ、剣を持たせてくれた時点でもうオルハンさんが来て戦ってくれるつもりだったんですね」

「そういうこと。でも、さすがの俺も何の訓練もしたことのない人間にやみくもに暴力集団の巣窟に突っ込んでいけとは言えねぇからな。普通に考えて死ぬだろ、向こうは殺人なんて何とも思っちゃいねぇんだからよ」


 エレミヤとその父は安堵の息を吐いた。


「悪かったな」


 あぐらをかいた膝の上に肘を置き、背中を丸めて頬杖をつく。


「最初からどうにかしてやろうとは思ってたんだわ。金に困ってる人間からさらに金を巻き上げるって悪人のすることだろ。まして相手は法律も戒律も守らん相手よ。そんなのに振り回されて普通の生活が送れないってんじゃ正義のヒーローである俺様からしたら見過ごせない話だわ」


 司祭が深々と頭を下げる。

 しかし最初すげなく断られた記憶があるエレミヤは素直に感謝できなかった。


「誰が正義のヒーローですか、僕にはあんなこと言ってたのに。ルーサ人が可哀想だからって同情してやる気はないとか、自分が剣を握る気もないくせに人に剣を握らせんなとか」

「あれも本心よ」


 いけしゃあしゃあと言う。


「お前、他力本願なんだわ」


 その言葉が、突き刺さる。


「まあ、わかる。お勉強しかしてこなかった十五のガキができることなんざたかが知れてる。だからって最初から可哀想な僕を助けてくださいみたいなツラすんな」


 腹が立つのは正論だからだろう。


「弱いのはルーサ人ではなくお前自身だ。被害に遭ってんのはルーサ人じゃなくてお前なんだよ。ルーサ人を弱者よわものにして――馬鹿にしてんのはお前だ」

「そんな……」

「ルーサ人であることを理由に被害者ヅラすんな。世の中には強いルーサ人もたくさんいる。ぼろもうけして一財産築いてる奴もごまんといるし、学者になって宮廷お抱えの数学者や建築士をやってる奴もいる。今のこのご時世ルーサ人だからって何もできないなんてことはない。そういう奴らに失礼な言い方すんな」


 エレミヤはうつむいた。


 返事をしたのは父だ。


「ごもっともです。聖職者である我々はつつましく暮らしているつもりですが、それでも私たち親子を養ってもらえるだけの献金はいただいているのです。人頭税ジズヤも払えないほどではありませんし、いざとなったら肩代わりしてくれる商人のツテがあります」


 オルハンが「そら見ろ」と鼻で笑う。


「……でも」


 拳を握り締める。


「実際に、言われたんです」

「何を?」

「ルーサ人は異教徒だから動けない、って」


 オルハンも司祭も一度黙った。


「えっ、誰に?」

「防衛隊の人です」


 オルハンが上体を起こした。


「お前そりゃ、規律違反のはずよ」


 そして「もっと早く言え」と言われた。勝手な人だ。


「防衛隊は戒律を守って暮らしている人を守る存在なんだから、税金を払う被保護民ズィンミーに冷たくしたらダメでしょ」

「そうなんですか?」

「なんだ、嫌な香りがするぞ。防衛隊に何か臭ぇものがあるな」


 自分の顎を撫でる。


「帝都の防衛隊が腐ると帝都の治安が腐るんだよな。帝国軍の治安維持部隊はあくまでテロとか暴動のために存在するからおいておいて、防衛隊のほうは警吏なんだからよ。防衛隊がそういう差別をしてるってんなら懲罰もんのはずだ」

「やっぱりそうなんですね、僕が間違ってたわけじゃないんだ」

「通報するぞ。どこの詰め所にいる誰だかおぼえてる?」

「名前は知りませんが、詰め所の場所はおぼえてます。あと顔も」

「後でシャフィークにチクろうっと。あいつそういうの裏から手を回すの得意だからな」


 エレミヤは胸を撫で下ろした。

 なんだ、やっぱり、不当な扱いを受けていたんじゃないか。


 かといってオルハンの言うことも的外れではないと思う。自分は他人にすがってばかりで自分の力でなんとかしたいと思っていたわけではなかった。最初から同胞を救うために何かしたいと能動的なことを言っていたら何かが変わっていたかもしれない。


「そのシャフィークさんというのはどなたですか」


 父が訊ねたのを聞いて、エレミヤは我に返った。


 オルハンは何のこともなくあっさり答えた。


「『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』の現団長で、俺の後任者」


 エレミヤは驚愕した。


「ちょっ、えっ、待ってください、情報量が多くて混乱が」

「俺何か変なこと言った?」

「あの人『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』の団長だったんですか」

「そうよ。すごく強くて偉いのよ。だからお前ラッキーよ。まあ、直接会えなくても『鷹』の誰かと接触できれば、いずれ何かの形であいつに情報が行ったと思うけど」


 次の言葉が出る前に、オルハンが淡々と説明する。


「だからちょっと吹っかけるようなこと言っちまったけど、今回の仕事の分もお前らが金を払う必要はないから。実は、シャフィークから、つまり皇帝スルタンのふところからなんぼか報酬がまわってくるから」


 司祭が差し出した金貨入りの小袋を司祭のほうに突き返す。同じく謝礼の一環として持ってきたルーサ地方特産の杏の乾物は受け取るつもりなのか双子の膝のほうに押しやった。


 少し間をおいてから、司祭が口を開いた。


「オルハンさんは、『鷹』なんですか」

「元、だけどな」


 頭の中に雷鳴がとどろくのを聞いた。

 またしばらくしてから、エレミヤも口を開いた。


「そういえば、オルハンさん、ガウンの下、体に模様が……」

「あれは精霊ジンの体の模様なんだわ。母親からの遺伝。精霊ジンは一体一体体に浮かび上がる模様があるらしくて、俺の母親はたまたま鳥の羽に見える模様を持ってたわけ」

「それで、『鷹』のマントを身に着けなくても『鷹』でいられる、と」

「だから元だって言ってんだろ」


 オルハンが舌打ちする。


「発想としては逆なんだな。皇帝スルタンは俺からヒントを得て『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』の結成を考えた。『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』自体が俺を中心にできあがった組織で、俺の体の模様を取って『鷹』と名付けたわけだ」


 双子が「懐かしいですぅ」と声を揃える。


「俺は皇帝スルタンの鷹狩りの道具にされてご主人様のためにせっせと狩りをしてたの。やってらんないよな。で、三年前に辞めちゃった。てへっ」

「てへっ、じゃないですよ」

「それからというものシャフィークが仕切ってるらしいけど、もうおさらばした組織なので俺は詳しいことは知らんね。知りたいことがあったらシャフィーク本人までどうぞ。ここに来ればたまに会える」


 そこで、父が言った。


「それなんですが」

「なんだよ」

「エレミヤをここに置いてくださいませんか」


 オルハンが目を見開いた。


 父は真剣な顔をしている。


「今回のことで、息子には勉学させるだけではダメなのではないか、と思ったのです。また教会のために戦わせたいとは思いません――それは本来私の仕事ですので。でもせめて自分の身を守るくらいの武術は身につけさせたいと思ったのですよ」

「えっ無理。俺双子でさえ持て余してんのに」

「そこをなんとか! 我々が知っている中ではオルハンさんが一番武術に長けているものとお見受けしました。お月謝は払います。剣術とか体術とか、この子に護身術になるようなことを教えてください。お願いします!」


 また、金貨の入った小袋を差し出した。


 エレミヤとしては不本意だが、仕方がない。父の言うとおり――そしてオルハンの言うとおり、ある程度までは自分でできたほうがいいのだ。


 剣を握る覚悟のない奴が他人に剣を握らせることなんてできない。


 強くなれなくてもいい。

 弱いままではいたくない。


 オルハンは、間違いなく、強い。

 まして『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』の元団長となれば、帝国最強クラスだ。


「ええーっ!? そんなめんどくさいことになっちゃう!?」


 双子が「いいんじゃないですかぁ?」と微笑む。


「お兄ちゃんが欲しかったですぅ」

「家事も手伝ってくれると助かるですぅ」

「そんなこと言ったってお前ら――」

「ご主人様は最強なのでなんてことはないです!」

「おもしろがってんだろ!」


 エレミヤは、溜息をついた。


「午前中は教会で勉強をするので、午後にはこの店に来ます。よろしくお願いします」


 心にもない上っ面の言葉になってしまったが、自分が大人になるには必要なプロセスだ。


「母からもよろしく頼むと言われました」


 そこで、オルハンの動きが、ぴたっ、と止まった。


「母からも、よろしく頼むと言われました」


 同じ言葉を二回繰り返した。


 オルハンが、ふ、と笑った。


「お前の母ちゃん何て名前だっけ」

「ヘレナです」

「ヘレナさんがこの俺によろしくと……!」


 司祭が「妻がどうかしましたか?」と首を傾げる。オルハンが下唇を噛む。


「まあ、しょうがねぇな。剣を握れとけしかけたのも俺だし、責任は取るか。使えるようになれば仕事の手伝いをさせてもいいしなぁ」


 ちょっと不穏なことを言われたような気もするが、大丈夫だろう。この男は最強なのだ。それに――シャフィークの言葉も思い出す。根は、正義感の強い人だ。根は。


 マムラカの空は今日も明るく晴れている。




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