第6話 よくやったな、エレミヤ

 奴らの事務所は知っている。市壁の北西の門を曲がってすぐの礼拝所の近くにアジトを構えていた。堂々と、人目もはばからず、だ。

 それもまたエレミヤの神経を逆撫でする。

 きちんと税金を納めている自分たちが帝都の片隅に小さな教会を建ててつつましくやっているというのに、奴らは他人から巻き上げた金で豪遊していながら誰にも文句を言わせない。


 皆殺しにしてやる。


 腰に下げた剣の柄に触れた。


 事務所の中にいる連中を、全員、今手にある剣で斬り裂いてやるのだ。

 そうすれば、自分たち一族の暮らしはずっと楽になる。


 みんなを守るために――母さんを守るために。

 自分の手で、やってやる。


 少しの間、通りの角の壁際で事務所の門を見つめていた。

 常に人の出入りがある。どいつもこいつも侠客アイヤール特有の半ズボンをはいていた。

 あいつも、あいつも、あいつも、敵だ。


 待っていてもチャンスは来ない。


 思い切れた今、行く。


 エレミヤは剣を抜いた。


 角から出た。


 叫び声を上げた。


 門の近くにいた男たちが異変に気づいて振り返った。


「何だテメエ」


 ひるまなかった。

 剣を上から下に振り下ろした。


 ある男の腕を切り裂いた。


 皮膚が切れた。腕から血が溢れ出た。

 やった。一撃くれてやった。この調子だ。


「このクソガキ!」


 周りを男たちに囲まれる。


 門の周りにいた男たちだけでなく、事務所の中からもわらわらと湧いてきた。


 だが興奮しているエレミヤの目には入らなかった。


 とにかく斬れ、絶対に斬れ、一人でも多くの男を斬れ。


 がむしゃらに剣を振るった。上下左右に振り回しまくった。雄叫びを上げながら無我夢中で剣を動かした。


 まったく当たらなかったわけではない。何人か、何ヵ所かにはかすった。手応えはなかったわけではない。


 それでも――息が上がってきたところで、気がついた。


 誰にも致命傷を与えられていない。


 少しずつ焦りが募っていく。


 早く、一人でも多くの人間を斬らないといけない。


 でも、当たらない。


 いったいどうすれば――と思って立ち止まったところで、だった。


 後ろから蹴りを入れられた。


「もう終わりか」


 男の下卑た笑いが響いた。


 エレミヤが前に転びそうになったところで、左側からも蹴られた。


「ウゼェんだよこのガキ」


 地面に横に倒れた。

 砂ぼこりが起こって煙い。


 倒れた衝撃で剣を手放してしまった。

 本当はこんなに重い剣を握り続けていたこと自体火事場の馬鹿力だったのだ。エレミヤの握力が足りなくて、遠心力で吹っ飛んでいきそうだったのをなんとか怒りと根性で耐え抜いて振り回していたところだった。ちょっとの刺激でもうダメだ。


 男のうち一人が屈み込み、剣に手を伸ばす。

 とられる。


 戦うための武器を奪われてはいけない。

 もう何も奪われたくない。


 エレミヤは地面を這って男の足にしがみついた。驚いた男が「うおっ」と叫んで動きを止めた。


 剣の柄を握り、引き寄せる。


 刃にわずかに血が滲んでいる。


 でもきっともうこれが限界だ。


 諦めようとする頭と、諦めたくない心が、せめぎ合う。


 とにかく、武器を奪われないように、と思い、腰の鞘を手に取った。そしてそこに剣を押し込んだ。それから文字どおり抱き締めてうずくまった。


「お前らにはもう何もやらない!」


 これで母さんに触れた人間を斬る――そう心身が叫ぶ。

 けれど声にはならなかった。

 男たちが嗤いながら左右から蹴りを入れてきたからだ。


 必死で痛みをこらえる。

 痛みを感じていることを知られたくない。


「可哀想なボク」


 ある男に髪をつかまれる。上に引っ張られ、むりやり顔を上げさせられる。


「そんなご立派な得物を抱えてえっちらおっちらここまで来たのに、一人もれずに囲まれちまって」


 男たちの声が頭上で飛び交う。


「こりゃどこのどいつだ」

「あれだ、ラフマン通りのルーサ使徒教会の司祭候補の」

「ああ、思い出した。あの息子か」

「言われてみりゃ顔が似てるな」


 そして嘲笑う。


「ママが恋しくてここまで来たんだろ」


 悔しさで奥歯を噛み潰しそうだ。


「どれ、せっかくここまで来たんだから会わせてやろうか」


 エレミヤの髪をつかんでいた男が言う。


「まとめて倉庫で保管しとけ。明日の朝奴隷商人が来るから、その時査定してもらう」

「へぇ、承知しやした」

「おら、立て」


 さらに頭を引っ張られた。髪がぶちぶちと切れる痛みを感じつつ、エレミヤは嫌々立ち上がった。


「剣をよこせ」


 腕をつかまれた。

 けれどエレミヤは絶対に嫌だった。

 奴らの言うことが本当なら、もうすぐ母さんに会える。

 その時にもう一度剣を抜く。

 今は呼吸を整える時だ。

 緊張で胸が爆発しそうだが、オルハンが怒りをコントロールするために息をしろと言っていた。整ったらもう一度戦うのだ。


 抵抗していると、向こうも諦めたらしい。


「まあいい。後で腕を切り落として取れ」

「いや、それはまずいでしょ。できる限り傷のない状態で売らないと値がつかねぇ」

「それもそうか」


 男たちがまた笑った。

 また怒りが膨れ上がってくる。


 腰をつかまれ、歩かされる。


「来い。まずはママと会おう」


 望むところだ。


 エレミヤは歩き出した。




 たどりついたのは納戸のようなところだった。事務所の中にあるいくつかの階段の下、粗末な木戸の小さな部屋だ。


 男が戸を開ける。


 中は真っ暗だった。


「火」


 戸を開けた男がそう言うと、下っ端が駆けつけて火のついたランプを差し出した。


 部屋の中が照らし出される。


 エレミヤは両目を見開いた。


 狭い部屋に二十人ほどの人間が押し込まれていた。


 いずれも女性のようだ。中には十歳くらいと思われる小さな女の子もいる。出自はさまざまのようで、瞳の色は青から黒までいろんなタイプの女性がいた。


 この女性たちをみんな売り払う気か。


「入れ」


 後ろから蹴り飛ばされ、エレミヤは前につんのめった。

 部屋の中に倒れる。ほこりが舞う。


「エレミヤ!」


 名を呼ばれた。

 顔を上げると、母がすぐそこにいた。腕を縛られているようだが、怪我はなさそうだ。


「母さん」

「どうしてここに」

「感動のご対面のところ悪いが――」


 男が「よっこらせ」と言いながら近くに腰を下ろす。


「さて、今度こそ、その剣を渡してもらおうか。お前さんも縛っておかないと俺が上の人間に怒られるんでね」


 今だ、と思った。きっとこれが最後のチャンスだ。


 エレミヤは座ったまま剣を抜いた。

 下から上へ、刃を振り上げた。


 切っ先が男の手に触れた。


 切れた。

 男の中指と人差し指の第一関節が切れ、ぽん、と転がった。


 男の叫び声が上がった。女性たちの悲鳴も響いた。


「殺してやる!!」


 だがエレミヤはもう満足してしまった。

 やった。切れた。自分がこいつの指を落としたのだ。

 それで、もう、十分だった。


 これからどうなるかわからない。自分は死ぬかもしれない。母も酷い目に遭うかもしれない――それを思うと申し訳なさもある。

 けれど、最期に会えてよかった。


 男が腰の短剣を抜いた。


 エレミヤは両手で剣の柄を握ったまま、次の攻撃を待った。


 後はもう、どうにでもなれ。


 そう思った、その時だった。


 突然だった。


 エレミヤの握っている剣の刃が、光り出した。


「何だ!?」


 エレミヤも目を真ん丸にした。


 幅広の刀身の真ん中、湾曲して弧を描く刃から剣の背の間に、丸い模様、綺麗な円形の何かが浮かび上がってきた。

 円の中には八角形の図形が描かれている。そしてその周りに次々と細かな文字が刻まれていく。小さな文字なので全部は読み取れないが、何かの呪文のようだった。

 呪文から線が伸び、円の周りを囲む。いくつもの小さな円が生まれ、さらなる呪文を生み、同じく八角形の小さな星を散らす。


 魔法陣だ。

 この剣には、魔法が込められている。


 魔法陣から放たれた光が、床を明るく照らし出す。床にまったく同じ魔法陣が浮かび上がる。


 エレミヤは硬直したままその様子を見守った。


 魔法陣からまばゆい光が溢れた。

 そしてその中から、一人の人間が生えるように姿を現した。


 否、人間だろうか。


 誰かが、魔法陣の中から出てきた。


「――よし。ここが例の侠客アイヤールたちのアジトなんだな」


 声が、する。


「よくやったな、エレミヤ」


 出てきた誰かの、広い背中を見る。


 ひとつにまとめられた細かな三つ編み、臙脂色のガウン、白いズボンに乗馬用のブーツ――

 あの、双子の猫の店の主人だ。




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