第5話 人を斬る覚悟ができた

 エレミヤは走った。


 目指すは双子の猫の武器屋だ。


 武器が欲しかった。戦うための剣が欲しかった。


 金物通りに駆け込む。先日教えてもらった角を曲がり、左側一番奥に目をやる。


 双子が店先に絨毯を敷いて座り込んでいた。何か手遊びをしているらしく、両手を広げて紐を引っ張り合ったりなどしている。


「双子!」


 声をかけると、二人が顔を上げ、こちらを向いた。同じタイミング、同じ仕草、同じ顔だ。


 双子に恨みはない。けれど、腹の中に渦巻く怒りを抑えられないエレミヤは、双子をにらみつけて大きな声を出した。


「あらら、エレミヤさんじゃないですか」

「そんなに急いでどうしたんですか?」


 半ば怒鳴られたような形なのに、双子には動じたところがない。能天気な声で訊ねてきた。

 それでまた苛立ちが増幅して、エレミヤは、右手で片割れの二の腕を、左手でもう片方の二の腕をつかんだ。


「きゃあ」


 さすがに痛かったのか双子が顔をしかめた。

 けれど、止められない。加減なんかできない。


「剣をくれ」


 低い声で言った。


「切れ味のいいやつを」


 双子が顔を見合わせる。


「エレミヤさんが使うんですか?」

「そうだよ。僕が使う」

「剣を握る覚悟ができたということですか?」

「そう」


 奥歯を噛み締める。


「僕がこの手で殺してやる」

「物騒だな」


 店の奥から声がした。

 顔を向けると、オルハンが立っていた。さっきと何ら変わらぬ目つきの悪い顔で臙脂色のガウンを羽織っている。


「とりあえず、双子を離せ。お前より小さい子供だぞ」


 双子が口を尖らせて「小さくなんかないですぅ」「もう十三歳ですぅ」と訴える。


 エレミヤは息を吐きながら双子を離した。双子自身はおもしろくないようだったが、オルハンの言うとおり、自分より年少の人間に当たり散らすのは良くない。ましてこんな華奢な女の子だ。


「まあ、深呼吸しろ」


 オルハンが言う。


「何事も呼吸だ。息を止めてると体に余計な力が入る。本気で戦いたいんなら息を吸ったり吐いたりするタイミングを勉強しろ」


 言われるがまま、吸い、吐いた。


「落ち着け。冷静にな。殺したいんならなおのこと、感覚を研ぎ澄ませ」


 こんなことをしている場合じゃない、という気持ちと、オルハンに従うべきだ、という気持ちがせめぎ合う。


 ややして後者が勝った。

 なにせオルハンは強そうだ。

 彼はきっと自分よりは強い。戦闘民族の男だ。加えて、『鷹』に紹介された人だから、きっとただ者ではない。戦うことについて経験が豊富な人間にアドバイスを貰うというのは大事なことだ。


 本気で戦いたい。

 殺したい。

 感覚を研ぎ澄ませ。


 エレミヤはまだ人を殺したことがない。

 オルハンはもう人を殺したことがあるのだろう。

 直感でそれを嗅ぎ取った。


「どうしてうちに来た」


 オルハンが問いかけてくる。


「刀剣商はいくらでもいるだろ。なんで俺の店を選んだ。さっきあんなに冷たくしてやったばっかりだろ」

「さっき事情を説明したばかりだからだ」


 肩で息をしながら、一音一音確かめるように声を出す。


「今一から話をする余裕はない。精神的にも時間的にも。ほんの少しでも早く剣を売ってくれる人なら誰だっていいんだ」

「言ってくれるじゃねぇか」


 オルハンは鼻で笑った。


「あんたを信用してるわけじゃない」

「いやいい。お前のその判断は間違ってない。俺がお前の立場ならそうするだろうな。目的は剣を手に入れることであって優しいお兄さんとの馴れ合いじゃねぇんだからよ」


 エレミヤは頷いた。


「剣を売ってほしい」


 双子が黙ってエレミヤとオルハンを見ている。


「金は?」

「ない」


 拳を握り締める。


「後払いでお願いしたい」

「どこで作ってくるって?」

侠客アイヤールたちから奪い返してやる」


 献金箱に煉瓦を詰めた司祭のことを思い出す。


「あいつらさんざんうちから持っていったんだ。母さんを取り戻すついでにいくらかぶんどってきてやる」

「母さんを取り戻す?」

「母さんがさらわれたんだ。あのクソ野郎ども、母さんを売って金を作ると言いやがった」

「なるほど」


 はらわたが煮えくり返る。


「あいつらを皆殺しにして母さんを取り戻すんだ」

「皆殺しか」


 オルハンが溜息をつく。


「自分でやんのか?」

「そうだ」


 さっき言われたことを回想した。


 ――お前、人を斬る覚悟はあるのか、と聞いている。


「人を斬る覚悟ができた」


 オルハンをまっすぐ見据えた。


「母さんを助けるために。僕はあいつらを斬る」


 そして吐き捨てる。


「あんたの力は借りない。……あんたから剣を買おうとしてるのに矛盾してるかもしれないけど」


 次の時だ。

 オルハンがにやりと笑った。

 不思議と馬鹿にされている気はしなかった。


「いいぜ」


 少しだけ視界が晴れた気がした。


「お前に剣をやろう」


 楽しそうに笑っている。


「いい顔だ。俺はそういうのが大好きなんだわ」

「どんな顔だよ。悪趣味な奴」

「まあまあ、減らず口を叩けるなら十分だ」


 押さえつけるようなジェスチャーをする。


「何度でも言うが、とりあえず深呼吸しろや。感情的になると隙ができる。怒りってのは戦う上でいいエネルギーだがコントロールするのにコツがいるのよ。ただ、このコツさえ身につければお前も強くなれる」


 そして、黙ってオルハンとエレミヤを見上げていた双子に声をかけた。


「あの剣を持ってこい」


 双子が「いいんですか?」と聞き返す。


「本気でやるんですか?」

「ああ。本気には本気を返してやらないとな」

「承知しましたっ」


 少女たちが一度店の中に駆けていった。


 戻ってくるまでさほど時間はかからなかった。


 片方が剣を抱えて持ってきた。


 長剣だった。長さはエレミヤの手首から肩くらいまであるだろう。しかも黒い鞘に納められた刀身は幅広だ。

 切っ先が二つに分かれている。口をうっすら開けた猛禽のくちばしのようだった。不思議な形状だ。


 少女が剣を差し出した。


「受け取れ」


 本物の剣を手に取るとなると、エレミヤはいまさら少し緊張した。

 だが、もう後戻りはできない。

 この剣は強そうだ。

 戦うための武器だ。


 手に取った。

 少女が手を離した。


 重い。鉄の重さだ。


「ちょっと抜いてみな」


 言われるがまま、鞘から刀身を引き抜いた。

 黒光りする鉄の刀身は磨き抜かれていて、覗き込むとエレミヤの顔が映った。


 これで戦うのか。これで人を斬るのか。


 斬るのだ。


「持っていけ」


 エレミヤは頷いた。


「お代はカケにしてやる。事が済んでからここに戻ってくればいい」

「わかりました」


 気持ちが落ち着いたからか、自然といつも年上に相対している時の丁寧な口調が戻ってきた。理性を取り戻しつつある自分に安心した。そしてそれでいて怒りを失ったわけではないことも自信につながった。


 きっとなんとかなる。


「行ってこい」

「はい! ありがとうございます」




「いいですかぁ? ご主人様ぁ」

「またむちゃくちゃなことになりますよぅ」

「まあ、いいんじゃね? 俺、ヒマだし」

「ですよねー!」




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