第4話 この手であいつらを殺してやる

 誰の力も借りられなかった。


 エレミヤは一人肩を落としたままとぼとぼと教会に戻っていった。


 誰かは助けてくれると思っていた。帝国の人たちはそこまで冷たくないと信じていたかった。ちゃんと人頭税ジズヤを払っている自分たちを被保護民ズィンミーとして大切に扱ってくれるんじゃないかと思い込んでいたのだ。


 世界はそんなに甘くなかった。


 しょせん自分たちはマイノリティのルーサ人。ここぞという時には見捨てられ、切り捨てられる。


 ルーサ使徒教会の信仰を守ろうとしているだけなのに、誰も愛してくれない。


 教会の扉が半開きになっていた。


 教会の玄関口は基本的に鍵をかけない。信者がいつでも好きな時に入れるようにという配慮のためだ。

 祈りたい時に、守られたい時に、救われたい時に。

 ルーサ人は教会を中心にそうやって支え合い、助け合って生きてきた。


 ルーサ人はルーサ人だけで生きていかなければならないのか。


 扉をもう少し開けようとした。


 その時だった。


「ふざけんなコラ」


 男たちの下品な怒声が聞こえてきた。


 心臓を握り締められたような恐怖を覚えた。


 罵声、悲鳴、床を踏みならす音、椅子を蹴り飛ばす音。


 中にいる人間に気づかれないよう、音を立てずにゆっくり扉を開けた。


 エレミヤは目を丸くした。


 そこにいたのは、つい数日前にみかじめ料を取りに来たばかりの侠客アイヤールたちだった。

 侠客アイヤールたちが、青筋の浮いた顔で、礼拝堂の奥、祭壇のほうをにらんでいる。


 おかしい。今まで彼らが金を奪いに来るのは一ヵ月に一回程度の頻度だった。間隔を開けて、定期的に通うようにしていたのだ。そうでないとこちら側も払える金を貯められないことを知っているためだ。彼らは彼らなりのルールでちゃんと生かさず殺さず狙ってやって来ていたのだ。


 祭壇の前には、司祭と数名の信徒の女性がいた。


 白い服に赤い肩掛けの司祭は、痩せたその体を一生懸命張って女性たちを守ろうとしていた。だが、暴力沙汰に慣れない彼の足は震えている。


 エレミヤは息を殺して成り行きを見守った。


 侠客アイヤールが椅子を蹴る。木製の椅子の割れる音がする。


「ナメた真似してくれてんじゃねェかエエ!?」


 先頭の男が一歩踏み出す。

 司祭が一歩下がる。女性たちもともに祭壇の真ん前まで追い詰められていく。


「きっ、貴様らにやる金はない!」


 彼はせいいっぱいの虚勢を張って声を上げた。


「あれは少年たちに勉学をさせてやるための金だ!」


 エレミヤは思わず「あ」と呟いた。


「あの子たちの将来を潰すわけにはいかない! 貴様らなんぞに渡していい金ではないんだ!」


 男が唾を吐く。


「だからってショバ代ケチっちゃダメよ」


 腕を伸ばし、司祭の胸倉をつかむ。


「中身煉瓦に入れ替えてるヒマがあったら畑でも耕せ」


 驚いた。司祭は献金箱に金銭ではなく煉瓦を詰めていたのだ。彼にそんな度胸があるとは思っていなかった。


 しかも――胸が熱くなる。


 彼は、エレミヤたちを育てるために侠客アイヤールを欺こうとしたのだ。


 そんなことをしてもすぐにバレる。今後はもっと酷い扱いを受けるかもしれない。


 それでも、大事な信徒を傷つけられてきた司祭は、彼らに一矢報いたいと思ったのか。


 拳を握り締めた。


 あいつらを一発殴り返したい。


 力が欲しい。


 でなければ、せめて、司祭のような度胸が欲しい。


「ダボが!」


 侠客アイヤールたちが罵り声を上げながらさらに詰め寄ってくる。


「金出せやコラァ!」

「ぶっ殺すぞ!」

「死にてェのか!」


 司祭の胸倉をつかんでいた男が腕を振り上げた。

 拳が風を切る。

 司祭の頬にめり込む。


 細くて筋力の足りない司祭の体は壁のほうに吹っ飛んだ。


 女性たちの悲鳴が礼拝堂のドームに反響した。


「情けねェ。弱いってのはそれだけで罪だなァ、エエ? おっさんよ」


 司祭はうめき声を漏らしながらも起き上がろうとした。口の中を切ったのか、彼の唇の端からは血が漏れている。


「か……彼女たちには手を出すな……」


 その顎をまた別の男が蹴った。

 司祭の体があおむけに引っくり返った。


「なんだ、ババアばっかりじゃねェか」


 男たちのいやらしい目が女性たちを舐めるように眺める。


「払えないってんなら体で払ってもらおうかと思ってたが――んん?」


 そんな中、ある女性が、先ほど司祭がしていたように男たちの眼前に立ちはだかった。


「やめなさい」


 エレミヤは目をみはった。


「どうしてもと言うなら私を連れていきなさい」


 エレミヤの母だった。


「私が行くわ。他の人たちには手を出さないで」


 叫び出しそうになる。


 男の手が伸びる。

 エレミヤの母の顎をつかむ。


「ふうん? ちょっととうが立ってるみたいだが、そこそこ見れる顔だな」


 彼女は気丈にも無言で男をにらみつけた。


 助けなければ、と思った。


「母さんっ」


 叫びながら礼拝堂の中に入った。


 ようやく起き上がれたらしい司祭が「エレミヤ!」と叫んだ。


「来るな!」

「母さん!」


 侠客アイヤールたちが一斉に振り返った。


 鋭い目つきで射かけるように見られる。


 でも負けちゃダメだ。ここで屈したら母さんが連れていかれる。なんとしてでも止めなきゃいけない。


「母さんを離せ!」


 ある男の太い腕が母の肩を抱いた。


「あんなでけェ息子がいるのか。なんだかがっかりだ」


 別の男が言った。


「女の子だったらなァ、親子どんぶりが楽しめたのになァ」


 あまりにも下品な物言いにカッとなる。


「殺してやる!!」


 思わず叫んだ。


 男たちが嗤った。


「やってみろ」


 次の時だ。


 拳を振りかぶったエレミヤのふところに、男が潜るように飛び込んできた。


 男の拳がまっすぐ腹に向かってくる。


 腹に拳がめり込んだ。


 声を上げることすらできない。


 エレミヤの体も司祭同様吹っ飛んだ。


 吐きそうだ。息ができない。


「エレミヤ!!」


 強すぎる。

 勝てない。


 それでも諦めない。


 這いずって男の靴をつかんだ。


「母さんを離せ……」


 下から蹴り飛ばされた。


「汚ェ手で触んなクソガキが」


 全身が石の床に叩きつけられて痛い。


「せいぜいお勉強してろや」


 唾を吐きかけられた。


「次歯向かったら奴隷として売ってやっからな。調子ノってんじゃねェぞ」


 母のか細く切ない声がこだまする。


「エレミヤ、エレミヤ――」

「オラッ、とっとと歩け!」

「エレミヤ!」


 男たちは彼女を引きずって出ていった。

 エレミヤが起き上がるのも待ってくれなかった。


 手を握り締めた。

 怒りで震えた。


 こんなに誰かを憎んだのは生まれて初めてだ。


 殺してやる。


 力が欲しい。

 誰かの、じゃない。

 エレミヤ自身であの男たちに報復するための力を手に入れたい。


 あいつらを殺してやる。

 この手で。




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