第3話 一言もタダで助けてやるとは言ってねぇ
エレミヤは宮殿に向かった。
自分はただのルーサ人だ。文官でも武官でもない。したがって、正々堂々と中に入ることはできなかった。厳重な警備の宮殿の中に忍び込む技術や度胸もなかった。
一昼夜正門の前の椰子の木の陰に隠れて、『鷹』の人間が出てくるのを、ただただ待ち続けた。
睡魔と疲労に襲われながらも待ち続けた結果、そのうち朝が来た。
『鷹』は見ればすぐにわかる。独特な刺繍のマントを身に着けているからだ。あのマントの着用を許されているのは『鷹』だけで、『鷹』以外の人間が触れたら殺されても文句を言えないらしい。
ようやく、数人の『鷹』が出てきた。
みんな整った顔立ちで背の高い青年たちだった。革のベルトに長剣と短剣の二振りを差し、翼の模様の入ったマントをはためかせて歩いている。その姿は、エレミヤの目には希望の象徴に見えた。
彼らの前に転がり出て、地面に両手をついた。
「すみません!」
青年たちが立ち止まる。
「僕の話を聞いてくださいませんか!?」
「どうしたのかな」
「僕の教会が
彼らはしばらくの間黙っていた。
エレミヤは地面に額をこすりつけたまま黙って待った。
助けて、助けて、助けて――
その祈りもむなしく、『鷹』のうちの一人が言った。
「申し訳ないけれど」
胸の奥底が冷える。
「僕たちは、
終わりだ。
「
涙がしたたり落ちた。
誰も助けてくれない。
この世界は、そういう世界なのだ。
エレミヤはその場でうずくまったまましばらく泣いた。
その様子を、『鷹』たちは見守っていた。
それでも、戦ってくれるわけじゃない。
「――少年」
どれくらい経った頃だろうか。
「顔を上げて」
言われたとおり顔を上げると、『鷹』のうちの一人が目の前にしゃがみ込んで苦笑していた。
「どうしても、どうしてもどうにかしてほしいと思っているのなら。ひとつだけ、手段はなくもないよ」
とりわけ端整な顔立ちの青年だった。年齢は二十代半ばくらいだろうか。長く伸びた緩やかに波打つ髪を軽く一つに束ねている。肌が滑らかで睫毛が長い。アリアナ系に見える。
ちなみにアリアナ人というのは、東方のアリアナ高原から出てきた人々のことだ。
はるかかなた昔には拝火教という多神教を国教としたアリアナ帝国なる国をもっていたが、マシュリク人たちに攻め込まれて炎を祀る信仰を捨てて寝返った。
改宗したらマシュリク人と同等の扱いを受けられる。異民族ながら官僚として登用され、今は帝国政府の中で幅を利かせている。ルーサ使徒教会の信仰を熱心に守っているルーサ人からしたらちょっとずるい。
容姿端麗な者が多いと言われる『
彼は、優雅な手つきでエレミヤの頬をつたう涙を拭うと、こんなことを言った。
「もしかしたら助けてくれるかもしれない人を一人知っているよ」
エレミヤは目を丸く見開いた。
「助けてもらえるんですか」
「たぶんね。普段はふらふらしているけれど根は正義感の強い人だから、弱い者いじめを黙って見過ごすことはしない――と信じたい。まあ、本当に、普段はふらふらしている人なので、断言はできないけれど」
「何ていう人ですか? どこに行けば会えますか」
「市場の金物通りに行きなさい」
そう言いながら、彼は立ち上がった。
「双子の猫のいる刀剣商だよ。お店の近くまで行けばきっとわかるよ」
「――ということがあったんだ」
話は戻って双子の猫の武器屋である。
店のカウンターの裏に座って、エレミヤは双子が出してくれたミントティーを飲みながら一連の流れを話した。
冷たいお茶を飲むと走り回って火照った体が冷めて生き返った心地がする。
双子の猫のような真ん丸おめめがエレミヤを見つめている。
「シャフィーク様かな」
「きっとシャフィーク様よ」
「例の『鷹』の人? 知り合い?」
「ナイショですぅ!」
双子が店の奥のほうを見る。
「ですって! どうします?」
エレミヤはぎょっとした。
いつの間にか、すぐそこに男が一人立っていた。
長い黒髪を細かい三つ編みにした上で一つに束ねている。白い筒状のズボンをはき、襟の詰まった黒い服の上に臙脂色のガウンを羽織っている。エレミヤを見下ろす目つきはよいとはいえない、どちらかといえば人相が悪い。
三つ編み、切れ長の目、襟の詰まった民族服――カムガイ人だ。
カムガイ人とは、北方の草原に起源をもつ遊牧民のことである。
戦闘民族カムガイ。
馬に乗ったまま矢を射かけることを得意としており、騎馬の戦闘では右に出る民族はない。マシュリク帝国はもちろん、各国の王侯貴族がこぞって自国の軍隊や護衛に欲しがり、多くの戦士が金銭を媒介にして大陸各地へ進出していく。
きっと彼も戦士だ。
頼もしい。
双子が甲高い声で言う。
「治安部隊も防衛隊も、『
「ここはきっとご主人様の出番ですぅ」
「お仕事ですぅ!」
男がのそりと腰を下ろした。
「俺がオルハンだ。シャフィークとかいういけ好かねぇイケメンが言ってた双子の猫の飼い主ってのは俺のことだと思う」
エレミヤは自分の顔に笑みが浮かんでいくのがわかった。
「話は奥で聞き耳を立てたんでおおかたわかった」
だが次の時、崖から突き落とされた気分になった。
「なんでわざわざそんなめんどくせぇ案件俺がやってやらなきゃならねぇんだ」
双子が「いやーん」「ひどいですぅ」と声を上げたが、その声にも緊迫感、悲壮感はない。むしろからかわれているように感じられて、エレミヤは双子に苛立った。
「俺もヒマじゃねぇんだわ」
男――オルハンが言う。
「可哀想なルーサ人が何だってんだ。同情してもらえると思ったら大間違いだぜ」
「そんな」
「シャフィークの紹介だか何だか知らねぇが、慈善事業じゃねぇんだよ。金あんの? 金」
下唇を噛み締めた。
「ないから困ってるんじゃないですか」
「じゃあ金のかわりになるもんは?」
「何も……うちは貧乏なんで……」
「ダメダメだ。話にならねぇ」
双子が左右から男に抱きついた。オルハンが、右腕で片割れを、左腕でもう一方の片割れを抱いた。
「僕はあなたが助けてくださると信じてここまで来たんです」
「俺は一言もタダで助けてやるとは言ってねぇ。責任の追及はシャフィークまでどうぞ」
「どうしたら助けてくださるんですか」
「そもそも一介の武器屋の俺に何ができるって?」
言われてからはっとした。助けてくれるとは聞いていたが、どういう手段で、とは言っていなかった。
確かにカムガイ人は戦闘民族として名を馳せているが、百人が百人戦士というわけではないだろう。オルハンも、市場の片隅のこんな小さな店で剣を売るより帝国軍に身を置いて俸給を貰うほうが大金になるはずだ。きっと訳アリに違いない。
「ほら、帰った帰った」
それでも手ぶらで帰りたくなくて、エレミヤはうつむいて黙った。
どうしたらいいのだろう。
どうもこうもない。何もできない。
そんなエレミヤを見かねたのだろうか。
ややして、オルハンが口を開いた。
「――お前、剣を握る覚悟はあるか?」
「えっ?」
顔を上げる。
オルハンがエレミヤの顔を真正面から見据えている。
「お前、人を斬る覚悟はあるのか、と聞いている」
ごくりと息を飲んだ。
周囲を見回す。
刀剣がずらりと並んでいる。
ルーサ人には草原の遊牧民のカムガイ人や砂漠の遊牧民にルーツをもつマシュリク人のように祝祭で羊を屠る習慣がない。マシュリク人の肉屋が屠殺したものを買って食べるだけだ。人間どころか動物を殺すことすらエレミヤにはできなかった。
「……ないです」
「そんな奴が他人に剣を握らせようなんて思い上がんなよな」
言い返せない。
結局エレミヤは何もできないまま店を後にした。
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