第2話 誰か僕たちを助けて

 ルーサ人は、もともとは北方の山岳地帯に住む民族だ。

 数百年前からほそぼそとルーサ使徒教会という宗教を信じてきた。


 使徒教会では、数々の預言者がこの世に現れては世界の理不尽と戦い続け、最後に神の子が遣わされて、罪深い人間たちのかわりに罪を背負って磔刑にされた、という言い伝えを信じている。神の子の使徒である弟子たちがルーサ人の地に伝道した結果根付いたから、ルーサ使徒教会を名乗った。


 もともとは砂漠の遊牧民だったマシュリク人は、聖典の民、とも呼ばれている。

 彼らが信仰する宗教とルーサ使徒教会は、もともとは同じ神を奉ずる宗教だったらしい。だが、神が認めたとされる預言者が異なるため、教義が相容れない。


 この大陸には無数の民族がいる。しかしその多くが聖典の民となりマシュリク人に吸収合併された。今となっては、聖典の民は世界の至るところにいる。

 対するルーサ使徒教会はルーサ人しか信仰していないため、規模はあまり大きくない。まして、もともとは山岳地帯でてんでばらばらに暮らしていた民だ。聖典のもと一致団結して改宗を迫ってくるマシュリク帝国軍を前にして、なすすべもなかった。


 ルーサ王国がマシュリク帝国に吸収され、ルーサ人が帝国各地に散らばったのは、今から三十年ほど前のことである。


 それでも、ルーサ人はルーサ使徒教会の信仰を守り続けた。最後の使徒を遣わせた神の子だけを、一途に信じた。

 我々は彼を信じる限り救われるのだ。


 そんなルーサ人でも、マシュリク人はそこまで苛烈に弾圧したわけではなかった。

 何せ一神教を信じる者同士だ。もとをたどれば同じ神を信仰している。彼らはルーサ人に人頭税ジズヤという異教徒への罰金のような税金を課したが、かといって、使徒教会の施設を建てることやルーサ人コミュニティを作ることまで禁止したわけではなかった。


 エレミヤが誕生したのは、そんな社会が完成した時代だ。


 帝国はルーサ人の存在を認めている。金さえ払えば往来を堂々と歩くこともできたし、商業にも農業にも好きなように転職できる。


 ただし、金さえ払えば、の話である。


 清貧をモットーとする使徒教会の施設はあまり裕福ではない。


 エレミヤは教会で育てられていたが、生活はけして豊かであるとは言えなかった。信徒たちから寄付された服を着、同じく寄付された食材の食事を食べ、つつましく暮らしていた。

 それでも信仰を守るためになんとか税金を納めて暮らしていた。

 ルーサ使徒教会があってこそのルーサ人だ。自分たちのアイデンティティを守るために帝国に税を納めるのだ。


 その弱みに付け込んで、侠客アイヤールと呼ばれる無頼集団が入ってきた。


 侠客アイヤールは帝国の法律や宗教の戒律を守らない。


 帝国の上層部は貧しい教会の状況を把握して税を軽減する政策を取ってくれたが、侠客アイヤールたちは献金から税を差し引いた少ない活動費をみかじめ料としてよこせと言ってきた。


 いわく、お前らが教会を建てた土地は自分たちが買収した土地である。たとえ帝国の役所が認めても、自分たち本来の持ち主が認めない。

 だが、みかじめ料を払うのなら、認めてやってもいい。


 今から五年ほど前の話である。


 エレミヤたち親子は、定期的に訪れる侠客アイヤールの暴力におびえながら暮らすことになってしまった。


 今回もそうだ。


 先日、奴らは礼拝で大勢の人間が集まっているところにやって来て、信徒の子供たちを人質にとって献金をよこせと言ってきた。


 子供たちを盾にされてはかなわない。司祭はそこにあった金を献金箱ごと侠客アイヤールに提供した。

 その中には、エレミヤの生活費やエレミヤが司祭になるための勉強代も含まれていた。


 侠客アイヤールたちが高笑いをして去っていった後、エレミヤは悔しさのあまり床を殴った。頭がおかしくなりそうだった。


 彼らは彼らなりのルールに則って生きているらしい。法律も戒律も守らないくせに、ちゃんとみかじめ料を払う資金源は生かさず殺さず手の平の上で踊らせて生きている。


 人質に取られた子供たちは生きて解放された。金さえ払えば許してくれるのだそうだ。


 だが、きっと時間の問題だ。


 奴らはいつか、子供たちに手をつけるだろう。


 この状況はいつかどこかで打ち破らなければ終わらない。


 今人質になった子供らは、こうして搾取されることを当たり前だと思って生きていかねばならないのか。

 エレミヤが子供の頃は、貧しいながらも平和に暮らしていた。この子たちはそんな時代を知らずに育っていくのか。


 そんなこと、絶対に許せない。


 なんとかしなければならない。


 ただ、ここで壁にぶち当たる。


 エレミヤのそんな気持ちを、誰も肯定してくれなかった。


「お金さえ払えばなんとかなるから」「信仰を守るためには静かにしていなくちゃ」「どうせマシュリク人のお役人たちは守ってくれない」「契約こそがすべて。彼らの手にこの土地の所有権の契約書がある限り、何を言ったって無駄よ」。


 悔しい。


 誰も立ち上がらない。


 なんとかしたい。


 でも、エレミヤもわかっていた。


 自分には何の力もない。


 刃物を突きつけ、大声で怒鳴りつける、そんな侠客アイヤール集団を前にして、エレミヤも足がすくんでいた。言い返すこと、やり返すこと、何にもできなかった。大事な子供たちが泣き叫んでいるのに、司祭が震える手で献金箱を渡すところを黙って見ていた。


 自分はただの十五歳の少年だ。何の後ろ盾もない。


 それでも諦めきれなくて、助けてくれる誰かを求めた。


 まずは帝国軍の治安部隊だ。


 帝国軍の治安部隊は帝都の見回りもしている。帝都で治安の悪化しているところがあれば武力をもって解決してくれる――はずだった。


 街角に立っている治安部隊のマントを身に着けた男に相談した。


「でも、金を渡せば誰も怪我はしないんだろう」


 愕然とした。


侠客アイヤールは叩いても叩いても出てくる、いちいち相手をしていたらきりがない。それに契約がすべてだ。ルーサ使徒教会のほうで侠客アイヤールたちと土地についての契約書を交わしてもらわないと、どちらが正しいかと言ったら、残念だけど侠客アイヤールたちなんだよ」


 こいつらはあてにならない。


 次に、エレミヤは帝国防衛隊に相談した。


 防衛隊は帝国の制度を守るために作られた組織だ。帝国の法律を守らない人間を取り締まり、犯罪者を牢獄に入れる権限を持っていた。聖典の戒律についても人々がきちんと守って暮らしているか彼らが見張っていた。


 帝国の法律どおり人頭税ジズヤを払っている自分たちを守ってくれる――はずだった。


 防衛隊隊員の詰め所に行くと、またもや追い払われた。


「申し訳ないが、ルーサ人は異教徒だ。自分たちの仕事は聖典を守る人々を守ることであって、異教徒、それも使徒教会の施設や土地を守ってくれと言われても、なかなか動けないんだよね。申し訳ない。可哀想だけど、帰ってくれないか」


 絶望した。


 自分たちはちゃんと帝国に貢献しているはずなのに、彼らには帝国の民として認められていない。


 最後にエレミヤが思いついたのは、『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』だった。


皇帝の鷹サクル・アッスルタン』――皇帝スルタンの親衛隊。皇帝スルタンのために生き、皇帝スルタンのために戦う、近衛兵団である。


 単に『鷹』とも呼ばれる彼らは、エレミヤの目から見てもかっこよかった。武人の中でもとりわけ優秀な若者だけが集められ、揃いの隊服を着せられて、皇帝スルタンのそばに侍る。鷹の翼の刺繍の入ったマントを翻して、皇帝スルタンの敵と戦う。帝国において最強の存在だ。


 侠客アイヤールたちは皇帝スルタンの定めた法に背いて動いている。皇帝スルタンに反逆する悪人だ。


『鷹』が、戦ってくれるかもしれない。



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