街角で踊る猫たちの剣舞曲

日崎アユム/丹羽夏子

1匹目 まずはお前の母ちゃん紹介しろよ

第1話 魔都マムラカ、武器通りにて

 誰かに力を貸してほしかった。


 エレミヤは無力だ。

 マイノリティであるルーサ人で、成長途中の十五歳で、発言力も腕力もない。

 だから誰かに助けてほしかった。


 ずっと探していた。

 ずっとずっと守ってくれる力をもった誰かを探していた。


 守ってほしい。

 ルーサ使徒教会を。

 エレミヤの家族を。

 エレミヤ自身を。

 自分ではどうにもならないこの世界から自分たちを守ってほしい。


 やっとつかんだ蜘蛛の糸を離したくない。




 駆け込んだのは市場の金物通りだ。

 あの時彼は確かに刀剣商と言った。刀剣といえば鋼だ。その店もきっと金属を扱う店の通りにあるに違いない。


 この街の市場は大陸でもっとも巨大な市場だと言っても過言ではない。何せ帝都の市場である。帝国経済の中心地だ。

 皇帝スルタンのお膝元であるこの都の市場には、東西の品々が集っている。絨毯、宝飾品、香辛料、絹織物から綿織物、猛禽や蛇から他大陸の巨大な猛獣まで、金さえ積めれば何でも手に入れることができる。

 大陸でもっとも欲望が渦巻いている場所――ひとはここを魔都マムラカと呼ぶ。


 市場とは生命体だ。毎日新しい店舗が生まれては古い店舗が死ぬ。あそこにあった店がここに来て、ここにあった店はどこかに消える。行き交う商人たちはさながら血管を流れる血液で、遠くから隊商キャラバンでやって来てはここで風呂敷を広げて、持ってきた商品を売り切るとたたんでまた遠くへ去っていった。


 そんな市場にもルールがある。


 いくつかあるルールのうちで比較的守られているもののひとつが、出店場所だった。


 取り扱う商品によって、どこの通りに面した店舗を使うか、大雑把に決められている。書店は書籍通りに、建具屋は建具通りに。あくまでおおまかな分類ではあったが、売るものによって出店場所が定められていた。


 一人の商人が一生同じものを売るわけではないので、店長も取扱品目もしょっちゅう入れ替わっている。しかし買い物客のほうは、何が欲しいかによってある程度どこに行くかの目星をつけることができた。


 エレミヤは金物通りを走った。


 大通りに面した店舗はランプや調理器具といった無難な生活用品を扱っている。

 エレミヤが探しているのはこんなありふれたものではない。


 武器だ。

 他人を斬るための刃を売る商人を探している。


 そんな危険なものが堂々と大通りに店を構えているはずがない。


 だが、土地勘のないエレミヤには金物通りのどこに行けばいいのかはわからなかった。

 市場の血管は曲がりくねっていて、ある一定の大通りを離れると道に規則性がなくなる。


 通りの真ん中で立ち止まる。


 聞き込みの開始だ。


 待ったのはほんのわずかのことだった。

 周りで客を待ち構えていた商人たちが、のそりのそりとエレミヤに近づいてきた。


「やあ少年。何をお探しかな?」


 三人の男が寄ってくる。年齢はばらばらだが、いずれも白いシャツの上に短いベストを着ている。マシュリク人の商人だ。このあたりで店を構えている連中だろう。


 男たちはいずれも穏やかな笑みを浮かべていた。その目つきは少し値踏みされているようにも感じるが、とりあえず敵意はなさそうだ。


 この市場での商取引は店主との値引き交渉が基本だ。どの店も手ぐすねを引いて話し相手になる客を待っている。


「とりあえず、うちでお茶でも飲むかい?」


 エレミヤは首を横に振った。


「急いでるんです」

「そんなに急いでどこに行く? 人生は長い。ましてお前さんのような若者にとってはなおのこと」

「どうしても行かなきゃいけないところがあるんです」


 ごくりと唾を飲む。


「双子の猫がいる武器屋です。双子の猫を飼っている刀剣商人に会え、と言われてここまで来ました」


 男たちが目を細めた。


 少しのあいだ、間が開いた。


 言ってはいけないことを言ったか。


 こんな反応をするということは、この男たちはその店を知っている。だがエレミヤに教えるべきか考えているに違いない。

 きっと普通の店ではないのだろう。だいたい自分のような一介のルーサ人の若者が武器を求めるなんて普通のことじゃない。しかもあの状況で紹介された店だ。


 エレミヤは拳を握り締めた。


「教会が侠客アイヤールに襲われてるんです。どうしてもあいつらを追い返したいんです。そう言ってあっちこっちの役所を訪ねて回ったら、ある人が、双子の猫の店に行け、と言ってきて」

「ほう」


 一番年かさの男が、白髪の交じった顎ひげを撫でる。


「教会、というのは、ルーサ使徒教会かね」


 無言で頷いた。

 エレミヤは典型的なルーサ人だ。白い肌に癖の強い黒髪をしている。頭にはカラフルなターバンを巻いており、細かい縞の入ったズボンをはいていた。誰がどう見てもルーサ人だろう。


 それは一種の賭けでもあった。


 マジョリティであるマシュリク人の男たちが、マイノリティであるルーサ人の少年に、力を貸してくれるか。


 この金物通りの人々は、信頼できるか。


 この金物通りに店を構えていると思われるその人も、信頼できるか。


 また、少し、間が開いた。


 黒い口ひげの男が、細く長く息を吐いた。


「三つ目の角を曲がって一番奥の店だ」


 男が指したのは細く狭そうな路地だった。


「武器屋のオルハンという男が双子の子猫を飼っている」


 そして片目を閉じる。


「ご武運を」


 エレミヤは胸を撫で下ろした。少なくともこの通りにいる間だけは危険を感じなくても済むということだ。


「ありがとうございます!」


 小走りで教えてもらった路地を急いだ。




 角を曲がると、そこはまた別世界だった。


 高い壁に挟まれた路地は狭い。

 昼間だというのに薄暗い。壁に取り付けられたランプがなければきっともっと暗かっただろう。

 ともすれば背後から精霊ジンが這い寄ってきて驚かされそうだ。


 奥は突き当たりだが、その手前に左右三軒ずつ店舗が軒を連ねている。


 エレミヤは唇を引き結んだ。


 武器通りだ。

 どの店も軒先に武器を並べている。


 ゆっくり足を進める。


 鉄でできた刀剣が並んでいる。金銀の柄、宝石が埋め込まれた柄尻の豪華で実用的ではなさそうな剣もあったが、多くは誰かを斬ったり刺したりするもので、ランプの光を弾いて鈍く光っていた。


 剣だけではない。

 ある店は弓を。ある店は戦斧を。ある店は鎧を。


 戦うためのものを揃える場所。


 表通りもそうだが、ここらの店も看板のたぐいは出さない。一見客にはどこの店が誰の店なのか区別がつかなかった。


 大通りと違って、話しかけてくる商人もいない。


 手が震える。


 魔窟に来てしまった気分だ。


 それでも、自分は例の人物に会わなければならない。


 さて、双子の猫とは――


 と思って目をやったところで、ふと、左側一番奥の店だけ店先に小さな立て看板を出していることに気づいた。

 黒い鉄板で作られた、エレミヤの膝くらいまでの大きさの猫が二匹並んでいる。


 きっとここだ。


 その店の中に足を踏み入れた。


 壁一面に刀剣が並んでいる。刃物を手入れするための油と、刃物を研いだ時に出る鉄の臭いがする。

 取り扱われているのは主に切っ先の湾曲した草原の遊牧民の剣だ。それから砂漠の遊牧民が腰にさげる短剣である。

 いずれも生き物を――人間を解体するための刃物だ。


 ここに、力が、ある。


 緊張で声が出ない。


 さて、どうしたものか。


「にゃーん!」


 突然猫の鳴き声を真似た人間の声を聞いて、エレミヤは飛び上がった。


「お客様ですかぁ?」


 ぎょっとした。


 右からも左からも声が聞こえる。


 右を見た。


 美しい少女だった。年齢はエレミヤより少し下の十二、三歳くらいか。滑らかな肌にはニキビやそばかすもない。大きな杏形の目には長い睫毛がびっしりと生えている。豊かな髪はゆるく孤を描いていて長く伸ばされていた。そして、頭に透ける薄布の後ろ垂れのついた帽子をかぶっていて、くるぶしまで覆う丈のワンピースを着ている。アリアナ人だ。

 少女は大きな瞳をらんらんと光らせ、楽しそうな笑顔を浮かべてエレミヤを見つめていた。


 左を見た。


 美しい少女だった。年齢はエレミヤより少し下の十二、三歳くらいか。滑らかな肌にはニキビやそばかすもない。大きな杏形の目には長い睫毛がびっしりと生えている。豊かな髪はゆるく孤を描いていて長く伸ばされていた。そして、頭に透ける薄布の後ろ垂れのついた帽子をかぶっていて、くるぶしまで覆う丈のワンピースを着ている。アリアナ人だ。

 少女は大きな瞳をらんらんと光らせ、楽しそうな笑顔を浮かべてエレミヤを見つめていた。


 もう一回右を見て、それから左を見る。


 同じだ。

 二人、まったく同じ顔をした女の子がいる。


「何をお求めですかぁ?」


 右側の少女が言う。


「それとも何かご用ですかぁ?」


 左側の少女が言う。


 しなやかな身のこなし、まろやかな声、大きな瞳はいたずらそうに見える。猫っぽい。この子たちが猫と呼ばれているのかもしれない。


「あ、あの」


 エレミヤは声を絞り出した。人間の、それも年下の女の子というのなら恐れることはない。


「僕はエレミヤといいます。ルーサ人で――」

「見ればわかりますぅ」

「僕の育った教会が侠客アイヤールに狙われてて。ここに来たら助けてくれると聞いて来ました」


 双子がそれぞれエレミヤの前に移動してきて横に並んだ。やはり同じ顔だ。こんな状況でなかったら可愛いと思ったかもしれない。


「誰がそんなことを?」


 双子がそれぞれ別の方向に首を傾げる。


 勇気を出す。


「名前は教えてくれませんでしたが、『皇帝の鷹サクル・アッスルタン』の人です」


 双子が「へえ!」と声を揃えた。


「いいですよぉ、お話聞いてあげますぅ! わたしたちに事情をお聞かせくださいな」



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