第11話 転げ落ちる

 ウィリアムは目の前にいる自分の体をゆらゆら揺らしている襲撃者を見据えた。背丈は低く、体の肉が少ない。傷だらけでボロボロな上着を羽織い、下には膝より少し下ぐらいで裾が切れているズボンを履いている。髪が長く、目は細長く、鼻は低い、さらに不敵な笑みを浮かべる口は、快楽を求めているような気がした。

 相手はさっきからあの体勢を維持したままその場から動こうとしない。まるで何かがやってくるのを待っているような感じだ。

 ウィリアムは相手に向かって突進した。そして右手に握っている剣を相手の胴に向かって突き出す。しかし、相手は間一髪、体を捻り攻撃を避けた。相手の後方で方向を転換させ、突き出した剣をそのまま左回転とともに相手を切るように体を左に回した。剣とともに視界も左へと移っていく。しかし、相手の姿を捉えることはできなかった。相手は姿を消し、ウィリアムが周りを見渡してもいない。

 ウィリアムがこの広場に入ったところの近くに大きな岩がいくつも点在していた。その陰に隠れているとウィリアムは考え、一番手前の岩に回り込む。しかし相手の姿はない。すべての岩の影を見たがどこにもいない。その瞬間、上空から何かが落ちてくる甲高い音が聞こえた。ふっと上を見上げるとさっきまで視認できなかった敵が落ちてくる。ウィリアムは咄嗟の判断で前の岩の間に避けようと飛び出したが、一瞬遅かった。相手の短剣がウィリアムの背中を浅く抉った。

 思わず顔をしかめたが、岩の間に隠れ敵からの追撃から免れた。すぐに岩から飛び出し、敵の背後を取るため岩を回り込む。しかし、またもや敵の姿が消えた。どうやら相手は手練れの暗殺者なのだろう。攻撃、隠蔽を繰り返し、確実に相手を弱らせていく戦法だ。実際、ウィリアムは相手を探すことに気を使い、体力の消耗が激しい。このまま相手の戦法に乗っていると、いずれ死ぬのは目に見えている。ウィリアムは相手の策に対する解決の糸口を探そうと頭を回した。

 すると周りの風景が薄い緑色に染まっていった。それは煙のようなもので足元から広がり、徐々に体辺りまで迫ってくる。だが完全には迫ってこず、足元に広がった煙は崖の下に落ちて行っている。ウィリアムが剣で払っても実体はなく、そのまま空を切った。払った勢いで顔の辺りまで来た。思わず顔を覆ったが、少し鼻から煙が侵入した。その瞬間、鼻から大量の血が溢れた。ウィリアムはそのまま膝をついた。すると目の前の緑色の煙が一斉に口と鼻から大量に侵入した。それは地獄の始まりだった。

 口と鼻から侵入した大量の煙は、鼻腔の粘膜を破壊させ、鼻からさっきとは比べようもないほどの血液を噴出させた。鼻から噴出されなかった血が口からもこぼれ出た。ウィリアムは多量出血の最中、この煙について悟った。これは相手を死に陥れる大量殺人兵器だ。吸えば吸うほど体内に侵入し、今は鼻の粘膜だけだが、いずれ肺を蝕み始めるだろう。肺が煙で充満したとき、命を落とす。

 ウィリアムは煙から逃げようと立ち上がり、山の上へと続く道へと歩き始めた。しかし、急に足が脱力しうつ伏せになるように倒れた。倒れた衝撃で緑色の煙が空中に舞うが、それを気にすることなくさらにウィリアムの鼻と口から煙が流れ入る。体が生命維持に必要な量の血液を下回るほどの出血が今から行われる。もう駄目だと思い、目を閉じた瞬間、ウィリアムの来た道から誰かが走ってきた。そのまま闖入者は風の如く目にもとまらぬ速さで、ウィリアムに向かって走ってきた。そのまま謎の人物はウィリアムの体を抱え込み、崖から飛び降りた。

 敵はその様子を山の斜面から見ていた。手を斜面に突っ込み、片手だけで自分の軽い体を支えていた。そして一言だけその場にはいないウィリアムに向かって吐き捨てるように言った。

 「運のいいやつめ・・・」


 ウィリアムは消えゆく意識の中、ひたすらに崖から降りる誰かの声を聴いていた。それは励ましの声だった。ずっと、ずっと地面に着くまでの間、声を聴いているだけだった。しかし、その声を聴いていると何故だか頑張ろうと思えた。滑らかでしっとりとした声は数多の人をまるごと包む、まるで天界の女神のような心から安心できる声だった。それを両耳で聞きながら、ウィリアムはゆっくりと瞼を閉じた。


 「お願い、生きていて・・」

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