エピローグ
「先輩、今どこら辺ですか? 今から出る感じですか?」
「いや、もうそろそろ仙台着くわ。雪降ってたから混むと思って早めに出たんだが……道路、全然混んでなかったわ。多分早めに着く」
「あー、それは災難でしたね。迎えに行ってあげたいところですが、お生憎様仕事中でしてね。まぁ、夕方まで時間潰しててくださいよ。久しぶりの仙台を堪能してください」
「そーすっかぁ……」
冬、年末年始。
第二の故郷・宮城県に帰省するために走らせていた車をコンビニの駐車場に停め、タバコとコーヒーの匂いが充満した車内の中で、俺は東からかかってきた電話に応答していた。
「というか、もう正月休みですか? いいなぁホワイト企業勤めは」
「何言ってんだ。俺も昨日まで奴隷のように働かされてたよ。てか、お前仕事中だろ? いいのかよ? 俺と電話なんかして」
「営業車でサボってるところだったので大丈夫です」
「えぇ……お前、相変わらずだな……」
「ははは、褒めないでくださいよ」
「褒めてねぇよ」
「先輩も相変わらずですね……あ、やば、課長から電話だ……先輩、また折り返しますね!」
「お、おぅ……」
慌て気味に電話を切る東の声を聞いて、こいつ大丈夫か……と溜息をつく。
あれから、三年の月日が経った。
相も変わらず、俺と東はお互いをナメ腐ったような関係性を続けていた。
しかし、関係性は変わらずとも、大きく変わったことが一つある。
それは、俺が転職をし、東京へと越したことだ。
接し方は変わらなくとも、社会的な立場は変わってしまった。
今はもう、東は俺の後輩ではなくなってしまったのだ。
けれど、それでも俺の事を先輩と呼び、こうして年末年始には顔を合わせて酒を酌み交わそうと誘ってくれるのは正直嬉しかった。
まぁ、わざわざ東京から車で来させ、「飲み屋には先輩の車で行きましょう! 帰りは代行で!」とか言ってくるところは今も変わらずぶっ飛ばしたくなるけど、それでも、碌に友達がいない自分にとって、気を遣わずに付き合える人間の存在は大きかった。
まぁ、いいけどね、どうせ実家にも車で帰省するし。
けど、困ったな。
時刻は丁度午後の三時。
雪や年末年始の帰省ラッシュの影響を鑑みて早く出てきたのはいいが、自分が思ったよりも早く着き過ぎてしまった。
東の仕事が定時に終わると仮定しても、三時間くらいの空き時間が発生してしまう。
どこで時間を潰そうかと、割と本気で迷ってしまう。
……まぁ、適当に流しながら考えるかと深く考える事を止め、ラジオから流れる昔懐かしいバラードに身を委ねながら、俺は運転を再開した。
車窓から流れる景色を眺めていると、所々、自分が知らない宮城の姿が目に映った。
三年の月日はこうもあらゆる事を変えるのかと、何だか感慨深くなる。
“変わる”というその言葉を頭の中に思い浮かべた時、ふと、ある人物の事を思い出した。
景色や物事の意味は時間が変えるのかもしれない。
けれど、人は違う。
人を変えるのは人だと、俺はそう思う。
どうしてそう思うのか。
それは、俺がこの身を持って経験した事だから。
今の俺が自分のために生き、“大人”であろうと振る舞うようになったのは、ほぼ間違いなくその人物のおかげなのだから。
だから、俺は自信を持って言えた。
アイツのおかげで、変わることができたのだと。
アイツが、俺を変えてくれたのだと。
正直、アイツの顔はもうあまり覚えていなかった。
いや、覚えていたところで、三年もの時間が経ってしまえば、俺の知っているアイツは跡形もなく消え、面影もなく成長してしまっているのだろう。
でも、それでも、アイツから貰った言葉や考え方は、今も俺の中に生きていた。
あれから三年……というと、アイツは今年で二十歳になったということだろう。
アイツは、どんな大人になったのだろうか。
そんな想いが、心の奥底に湧いた。
ふと、懐かしくなって、車の進路を変える。
今の自分の原点とも言える、とある場所に想いを馳せた。
ここからなら、そう遠くない。
少しだけ、過去を省みて、寄り道したくなった。
大丈夫、時間はある。
まるでタイムカプセルを掘り起こすような気持ちで、俺はその場所を目指した。
× × × × ×
「さむ……」
車から降りると、塩の香りを含んだ冷え切った海の風が容赦なく俺に襲い掛かってきた。
一年振りに宮城の地に舞い戻ってきた人間に対する仕打ちではないだろうと、そんな恨み言を言いたくなるくらいに冷たい風だった。
でも、それが何だか懐かしくて、何も変わらなくて少し安心する。
この場所には思い入れがあった。
ここは、俺が大人になろうと決意した場所であり、アイツが初めて子供らしい姿を見せた場所でもあったからだ。
この三年間、本当に色々な事があったと思う。
自分のために変化を促す事に、“大人”であるために変化を促す事に後悔した事はない。
けれど、そうする事は、そうある事は想像以上にしんどくて大変だった。
自分の選択が間違いだったのではないかと迷ってしまう時だってある。
何もかもを諦めて、自分勝手に、自分本位に生きてしまおうかと悩んでしまう時だってある。
今だってそうだ。
いつ崩壊するかも分からない、そんな不安定な理想と現実の狭間で、“大人”であろうとする、“大人”でありたい俺は、毎日を必死に生きている。
けれど、そんな迷いを、そんな弱気な気持ちを、この場所は否定してくれるように感じた。
自分がこの場所で決意した事は、そうあろうと願った事は決して間違いなんかじゃないと、そう肯定してくれるように思えた。
その時の気持ちを、必死に、大切な何かを守ろうと足掻いた青さを思い出させてくれた。
思わず笑みを溢してしまう。
あぁ……アイツに久しぶりに会いてぇなぁ……
なんて、柄にもなく感傷に浸ってしまう。
その願いが決して叶わないのは知っている。
そもそも、アイツが俺の事を覚えているのかすら怪しかった。
思春期の記憶など、時間が経てば忘れてしまうものだ。
人格の定まっていない時期の想いなど、若さと青さによる過ちだと多くの人間が年を取ってから気づいて、そっと蓋をして目を背けるものだ。
誰もがみんなそうなのだ。
だから、今現在のアイツの中に俺が存在していなくても、悲しんだりはしない。
ただ、幸せに生きてくれているのであればそれでよかった。
そう思うくらいに、それで満足してしまうくらいに、俺はアイツから大切なものをもらった。
アイツはどんな大人になったのだろうか。
きっと、誰からも好かれ、誰からも尊敬され、誰からも大切にされる大人になったのだろう。
そうに違いない。
確信があった。
アイツは、そういうヤツなのだ。
だから、俺もアイツみたいになれるようにと。
この世界のどこかで生きるアイツに笑われないようにと。
アイツに負けないように頑張ろうと、そう思って…………
「あの……」
不意に、背後から声を掛けられた。
振り返ると、そこにいたのは若い女性。
恐らく女子大生ぐらいの年齢の、長い黒髪が特徴的な女の人だ。
何故か、バニラの香りが鼻についた。
この匂い、何故か懐かしい……
何だろうと、首を傾げながら返事する。
「はい?」
「お兄さん、さっきからきょろきょろと挙動不審ですごく怪しいですね」
「……は?」
その女の子が放った言葉の意味をイマイチ理解できずに、俺は少しだけ考える素振りを見せた後、威嚇にも似た声をあげた。
なんだ、この女。
初対面の人間になんて失礼な事を。
いや、もしかしたら本当に俺が怪しく見えたのかもしれないけど、それにしたって言い方ってもんが……
「もしかして、未成年の女の子と待ち合わせでもしてるんですか? もしそうだったら……」
続く言葉の意味もよく理解できず、俺はさらに目を細めて、その女を睨みつけた。
新手の宗教勧誘か何かと疑ってみる。
けれど、その次に紡がれた言葉。
「通報しますよ」
その一言を聞いた瞬間、眠っていた記憶が体の底から蘇り、すごく懐かしい気分になった。
俺にこんな生意気な態度を取る女を、俺は一人しか知らない。
髪も身長も伸びたけれど、たれ目で面影のある整った顔。
人をおちょくるような高い声。
それに加えて、冗談なのか本気なのか分からない、口癖のようなその言葉。
それは、そんな事を言うのは……
「……お前、里奈か!?」
「もう、気づくのが遅いですよ!」
そう、肯定された瞬間。
俺は驚き過ぎて、思わず泣きそうになってしまった。
「おまっ……えっと、ひ、久しぶりだな……」
「どうしたんですか、よそよそしい。あ、もしかして美人になった私を前に照れてます?」
「……精神的には子供のままだな」
「うっ……でも、本田さんはほんの少しだけ老けましたね」
「うっ……」
見た目や立場が変わっても、多くの時間が経っても変わらない言葉の応酬に、俺達二人はほんの少しだけ傷ついた。
けれど、数秒経った後。
「プッ、ハハハハハハ」
俺達は、笑っていた。
嘘をつき、己を偽り、間違い続けたあの日のように。
「変わんないな、お前」
「本田さんこそ」
俺も里奈も、お互いに何の遠慮もない言葉を投げ交わしていた。
まるで、時間が過去に巻き戻ったみたいに。
まるで、あの日の続きみたいに。
昔と何も変わらない、ありのままの言葉を紡ぎ合っていた。
「あっ、でも、一つだけ変わりました」
「……何だ」
不意に、里奈がそんな事を言った。
流れるままに、俺は聞き返す。
「私、今年の春に20歳になりました」
里奈は、そう言った。
自分は大人になったのだと、そう言った。
俺は、その言葉が何となく、いや、心臓が一度大きく跳ね上がるくらい、それくらいに嬉しかった。
感慨深かった。
あんなに小さく不安定だったアイツが、立派に成長したんだなと。
まるで父親のような、そんな気分になっていた。
けれど、それを表に出すと何を言われるか分からないので、努めて冷静な態度を装って言葉を返した。
「おぉ、そうか。それはめでたいな。おめでとう」
「…………いや、そうじゃなくて」
「は?」
すると、里奈は不満げに頬を膨らませた。
覚えていないのかと、そう伝えたそうな目でこちらを覗いている。
里奈のその表情がどのような意味を持つのか、それが本気で分からずに、俺は困惑してしまう。
「私、一応大人になったんです」
「お、おぅ、知ってる」
「だから……その……」
突然もじもじと、顔を赤らめながら言葉に詰まりだす里奈。
けれど、少しの時間が経った後、吹っ切れたように、覚悟を決めたように言う。
「約束通り、結婚してください」
「………………は?」
………………は?
里奈のその言葉が理解できなくて、俺はもっと混乱してしまう。
こいつ、マジで何言ってんだ!?
三年会わないうちに、頭がおかしくなってしまったんじゃないのだろうか。
大人になったどころか、幼児に退化してるまである。
「お前……まじで何言ってんだ?」
「い、言ったじゃないですか! 私が大人だったら結婚してたって!」
「い、言ってねえ! いや、それらしい冗談は言ったかもしれないけど……結婚なんて一言も言ってねぇ!」
「言いましたよ! だから私、ずっと我慢して……それなのに……本田さんの嘘つき! ロリコン!」
「ロリ……お前……ほんとっ……」
両手を振り回しながら、プンプンと憤る里奈を宥める。
まるで何も変わらない。
あの春の続きのような口喧嘩が、降り積もる雪の隙間を抜けて曇り空へと消えていく。
俺達は、本当に“大人”になれたのだろうか。
分からなかった。
そもそも、俺が選んだ選択は、里奈に掛けた言葉は正しかったのだろうか。
時が経ち、こうして再会を果たした今でも迷ってしまう。
きっと、正解なんてどこにもないのだろう。
この世の中は不確かな事だらけだ。
不都合で、不明細で、不平等で。
そんな間違いだらけの世界の中で、今日も俺達は“大人”であろうともがき苦しむのだろう。
大切な誰かのために、大切な何かのために。
完璧であろうと、答えを知ろうと足掻くのだろう。
たとえそれが不可能な事であったとしても、存在しないものであったとしても。
探して、縋って、間違えて、迷い続けるのだろう。
自分が、自分のために生きるために。
あ、でも一つだけ。
そんな理不尽で不条理で不確かな世界の中でも、ただ一つだけハッキリとしている事がある。
とてもくだらない事だけれど、それは、その事実だけは揺るがなかった。
この先どんな事があっても、決して変わる事はないのだと思う。
それは……それは。
俺達二人の間に、タバコの匂いはもう香らない。
了
バニラと灰煙~マッチングアプリで恋人を探していたら、女子高生に恐喝された~ 村木友静 @mura1420
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