第25話:花恋姉は「もう、オトナだもんねぇ」なんて言う

 さっきから花恋姉は、ずっと俺のほっぺをぷにぷにし続けている。


 いや、ホントやめてほしい。

 そう思って俺は花恋姉を睨んだ。


 だけど花恋姉は、性懲りもなくニコニコしている。


「だってトーイのほっぺ、触ると気持ちいいんだもーん」

「やめれ。子供じゃないんだから」

「子供のくせに~」

「そんなことし続ける花恋姉の方がガキだ」

「ふふふ。トーイはもう、オトナだもんねぇ」


 うお。花恋姉はなんだか意味深なことを言ったよな。

 まさか今朝見られた、股間のことを言ってるんじゃないだろうな。


 でもこんな電車の中で、そんなことを確かめるわけにもいかない。


 まあいずれにしても──


 今日は貴重な経験をさせてくれた花恋姉には感謝だ。


「花恋姉、ありがとうな」


 デジタル紙芝居でのトレーニングを思い出しながら、俺は満面の爽やかな笑みで礼を言った。


「お、おう。どどど、どういたしまして」


 なぜだか花恋姉は急にキョドって、ぷいっと横を向いてしまった。

 そのまま車窓から外を眺めてる。後ろから見える耳が赤く染まっている。


 きっと花恋姉は、俺が急にこんな素直に礼を言うなんて、予想外だったんだろうな。だから戸惑ってるんだろう。


 でもそんな花恋姉を見て、俺は不覚にも可愛いと思ってしまった。


 しばらく俺が後ろ姿を眺めてたら、急に花恋姉がくるりと振り返った。

 赤い髪とフレアのミニスカートが、身体の回転から少し遅れて渦巻くように揺れる。


 振り返ったその顔は、もういつものような──いや、いつも以上に楽しそうな、花恋姉の笑顔になっていた。


 さすが学校一の美少女。

 そんな動作や表情も様になってて、映画から飛び出してきたヒロインみたいだ。


「ねえ、トーイ」


 目を細めた美しい笑顔。

 その少し濡れたような唇から放たれた俺の名前に、なぜかドキッとした。


「なかなかいい感じだよ。まだ夏休みはしばらくあるから、ちゃんと続けること」


 花恋姉……ホントに嬉しそうだ。

 その笑顔を見ると、いつものウザさをつい忘れて、俺も嬉しくなる。


「うん、わかった。ちゃんとやるよ」

「よし。よろしい」


 花恋姉は人差し指を立てて、さらにニコリと微笑んだ。


「まあ、今日みたいな機会はなかなか作ってあげられないけどね。できるだけ外に出て、知らない人にでも声をかけて、コミュニケーション取る練習したらいいよ」

「あ、ああ。そうだね」


 知らない人に声をかけるなんて。

 今までの俺なら、やる前から「そんなの無理!」って言うと思う。


 だけど俺も一歩ずつ成長できてる実感があるし。

 それに花恋姉の笑顔を見てたら、やればできるような、そんな気がした。


 だから──


「わかった。やるよ。見とけよ花恋姉。俺の本気を見せてやる」

「おおっ、言うねぇ。トーイがそんなカッコいいセリフを言うなんて。成長したものだ」

「あはは。デジタル紙芝居のセリフを拝借してみた」

「あ、そっか。確かにそんなセリフもあったね」


 嫌と言うほど練習したからなぁ。

 色んなセリフを覚えちゃったよ。


「じゃあ期待しとくよ。これからも時々、覗きに行くからね」

「おう。望むところだ」


 自分を鼓舞する意味もあって、偉そうに言ってみた。

 すると花恋姉はクスリと笑った。


「うんうん頼もしいよ。うん、キミならできる!」

「あ、うん。ありがと」


 キミならできる、か。

 嬉しいことを言ってくれるよな。


「だってトーイは『褒めれば伸びるタイプ』だからね」


 ありゃ?

 花恋姉は俺のティーシャツを指差してる。

 なんだ、今のはネタかよ?


 せっかくマジに受け取って喜びを噛みしめてたのに。

 俺の純情な気持ちを返してくれ。

 さあ返せっ。今すぐ返せ。


「なんだよ。これに引っかけて言っただけか。喜んで損した」

「違うよ。ホントにトーイならできると思ってるし」

「ホントかよ?」

「ホントだって。私を信じろ、トーイ」


 ニコニコと楽しそうな花恋姉。


 まあ最初から花恋姉は、ちゃんと努力したら俺にも彼女ができるって言ってくれてたし。

 本当にできると思ってくれてるって信じよう。


 ──あ、そう言えば。


 前に俺が寝入った時、耳元で花恋姉が囁いたセリフ。それを思い出した。


『キミは素敵だ。男らしい。女の子はキュンときちゃうよ』


 あれはいったい、なんだったんだろう?


 もしかして──花恋姉は、実は元々俺に男としての魅力を感じてたとか?

 むふふ。そうかもしれないな。


 ちょっとこの機会に確かめてみよう。


 そう考えたところで、電車は最寄り駅に到着した。だから訊くのは一旦やめて、電車を降りる。

 そして駅から家への道すがら、並んで歩きながら花恋姉に尋ねた。


「あのさ、花恋姉」

「ん? なに?」

「この前、俺が寝てる時にさ。なんか耳元で囁いてなかった? キミは素敵だ、とか」

「え? もしかしてトーイ、起きてたの?」

「えっと……まあ、夢うつつだったっていうか」

「そうなんだ。聞かれてたんだ」


 おっ?

 実は私は前からトーイを素敵な男だって思ってた、なんてカミングアウトしてもいいんだよ。

 いつもお姉さんぶってごめんね。トーイは素敵な大人の男性だよ、なんて言ってもいいんだぞ、へへへ。


 もちろんそんなセリフを言う時は、花恋姉はもじもじして恥ずかしがって……


 なんて考えながら、横の花恋姉の顔を見た。


「そっか。あれはね」


 ──ん?


 普通に笑ってる。

 全然恥ずかしがってなんかないな。

 なんで?


「暗示をかけるために、うとうとしてる時に潜在意識に語り掛けたのよ」

「暗示?」

「うん。本人は記憶がなくても、潜在意識に刷り込まれたら自信がつくからね。全部で五回くらいやったかな」


 へっ? そ、そうなのか!?

 俺が記憶にあるのは一回だけど、他の日にもやってたってことか。


 なんだよ。

 元々俺のことを素敵だって思ってたわけじゃないのか。

 ぬか喜びってやつだよ。シクシク。


 まあよくよく冷静に考えたら。

 俺をとことん子供扱いする花恋姉が、俺を男として素敵だなんて本気で思うはずもないか。


「あ、もしかして花恋姉。じゃあさっき言った、『キミならできる』ってのも暗示をかけただけ?」

「あ、いや。違うよ。以前のは暗示のためだけど、さっきのはホントにそう思ってそう言った」

「ホントか?」

「うん、そうよ。それだけトーイは、この短い期間で成長したってこと。自信を持ちなさいって」

「イテっ!」


 ニコリと笑顔で背中をバシンと叩かれた。


 まあそう言ってくれるのはホントに自信になるし、ありがたいことだけど。

 手荒いのはやめてくれよ。


「まあ元がガキの分、成長もしやすいもんね」

「は? 誰がガキだよ?」

「トーイに決まってるじゃない。アンタなんか大人の私からしたら、まだまだガキなのよ」


 くそっ。

 ニヒ、なんて笑ってやがる。

 こりゃマジで言ってるな。


 ちょっと良いふうに言ってくれたと思ったらこれだ。


 俺は横を歩く花恋姉から顔をそらして前を向いた。


「ほらほら。そうやってすぐ拗ねるところがやっぱりガキ」


 横から花恋姉の意地悪な口調が聞こえてくる。

 いくらなんでも、ガキガキってしつこいよな。ちょっとバシっと言ってやるか。


「うっせえ。花恋姉の方こそ……」


 横を歩く花恋姉の方に顔を向けたら、なぜか頬の位置に、花恋姉の人差し指があった。


 俺が顔を向けたもんだから、ほっぺにプニと花恋姉の人差し指が突き刺さる。


「あ、引っかかった!」

「は?」

「イシシ」

「なんだよ。そっちの方がガキだろ!」

「ううん。ガキのトーイが喜ぶかと思って、してみた」


 花恋姉はニヤリと笑う。


 こんな綺麗な顔して、学校一の人気女子のくせして、ホントガキだよな。

 俺のことをガキガキ言うなってんだ。


 よし。反撃してやる。


 ──なんて考えたところで家の前に着いた。


 道路から見て左側が俺んち。右側が花恋姉の家。


「花恋姉の方こそガキ……」


 俺が反撃の口撃をしかけたところで、花恋姉は跳ねるようにして自宅の玄関の方に行ってしまった。


 ──ありゃ、タイミング逃した……


 なんて思いながら花恋姉の背中を眺めていたら、玄関ドアの前でくるりと振り返った。


「じゃあね。また引き続きがんばるのよ!」


 こちらに向けた花恋姉の顔は、既に優しいお姉さんの顔になっていた。

 目を細めて微笑んでいる。


 ああくそっ。


 そんな顔をされたら、言い返せる言葉はひとつしかない。


「あ、うん。わかった」


 ああ……また花恋姉に、思うように手玉に取られたような気がして悔しい。


 だけど──


 引き続きがんばろう。

 改めてそんなふうに思えた。



 そして俺は──


 その日の夜も、もはや習慣になったトレーニングを欠かさず行なった。

 そして次の日も。そのまた次の日も。


 それからも毎日トレーニングを続けた。


 花恋姉も何度か俺の部屋まで覗きに来た。

 励ましに来たというのか、おちょくりにきたというのか。

 その両方だったように思う。


 そして──とうとう夏休み最終日を迎えた。

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