第26話:桜木冬威は美容室に行く

 俺は夏休み中毎日トレーニングを続け、とうとう夏休み最終日を迎えた。


 明日から学校が始まるし、今日は昼過ぎから散髪に行くことになっている。

 花恋姉も一緒に行ってくれるということで、昼食を食べた後、俺は出かける準備をした。

 もうすぐ待ち合わせの一時だ。


 せっかくだから、この前ヒデさんのアドバイスで買った服を着ていこう。

 そう思って、クローゼットから服を引っ張り出す。


 白いTシャツの上に、少し短めの濃い色のティーシャツを重ね着する。

 黒くてスリムなパンツに脚を通す。

 そしてシンプルで長めのネックレスを首からかける。黒くて長い紐の先にリングが付いてるやつ。


 ──うん、完璧だ。


 この前買った一式を、ひと通り着ただけだけど。


 そして玄関で、これもこの前買った靴を履く。

 黒でずんぐりしたデザインの紐靴。

 足元のお洒落も大切だと言って、ヒデさんが選んでくれたもの。


 そしてドアを開けて表に出る。

 その時ちょうど、隣の家のドアが開いて花恋姉も出てきた。


 黒いノースリーブのサマーニットに、白いミニスカート。小さなショルダーバッグを斜めがけにしている。

 そして俺と同じように黒いずんぐりした靴。


 急ごしらえの俺と違って、さすが超絶美少女。綺麗に整った髪から足元まで、雑誌から飛び出したようにバッチリ決まってる。


 俺が花恋姉の服装に感心していたら、花恋姉も感心したような声を出した。


「ほぉぉっ、へぇぇぇっ! いいねトーイ。カッコいいよ! バッチリ日焼けもして、精悍な感じになってるし」

「ああ。ほぼ毎日ウォーキングしてたから、めっちゃ日焼けした」


 花恋姉は、そりゃもう大げさすぎるくらいに褒めてくれた。


 褒め殺しかよ。

 そんな褒められ方をされたことがないから、恥ずかしすぎて死にそうだ。


 でもこんなに褒めてもらったら、やっぱりお返しって言うか、俺も思ったことをちゃんと言わないとな。

 もちろん今まで鍛えに鍛えた笑顔と爽やかな声を意識して、ちゃんと『ありがとう』も添えてな。


「ありがとう。うれしいよ。でも花恋姉こそさすがだよ。すっごく可愛いよ」


 『夏の爽やか誉め言葉、ありがとう添え』のできあがりだ。

 なんだそれ。料理名かよ。


 なんてバカなツッコミを心の中でしてたら、花恋姉は「ふぇ?」とか素っ頓狂な声を上げた。

 そしてみるみる顔が真っ赤になっていく。


「こ、こらトーイ。大人をからかうな……」


 は?

 また子供扱い?


「いや別に。からかってなんかないけど」

「だ、だってトーイがそんなこと言うなんて、初めてじゃない」

「ああ。俺もコミュニケーションのトレーニングをしてきたし。思ったことを素直に口にしてみた」

「あ。今のは素直に思ったことなんだ…… お世辞じゃなくて?」

「え? ああ。お世辞じゃない。素直に思った」

「へ、へぇ~。ふぅーん。そうなんだぁ……」


 花恋姉は両手を後ろ手に組んで、なぜか恥ずかしそうに肩を左右に回すように振っている。


 あれ?

 花恋姉が照れてる?


 いやまさか。俺に褒められたくらいで、そんなことはないだろう。可愛いなんて、いつも言われ慣れてるだろうし。


 でもまあ、俺が今まで言わないことを言ったからな。花恋姉も慣れなくて恥ずかしいかったのかも。


 いや、俺だって照れる花恋姉を見てたら、段々恥ずかしくなってきたよ。


 その時、花恋姉はハッと笑に返るような顔をした。


「あ、トーイ。そろそろ行かなきゃ。予約の時間に遅れちゃうよ」

「あっ、そうだな」


 俺も我に返った。美容院を予約してあるって、花恋姉が言ってたな。

 それを思い出して、二人で駅に向かって歩き出した。




***


「これでいいですか?」


 お目当ての美容室はターミナル駅の駅前にあった。

 電車に乗ってそこまで行き、カットをしてもらった。


 そして今カットが終わり、男性の美容師さんが鏡を手に持って、俺の頭の後ろを写してくれている。


「あ、はい。大丈夫です」


 俺がそう答えると、「じゃあ後はセットしときますねぇ」と美容師さんはワックスを取り出した。


「トーイ。ワックスの使い方をちゃんとよく見て、自分でもできるようにするんだよ」


 俺の後ろに立っている花恋姉が、鏡越しに俺の顔を見てそんなことを言う。


 花恋姉のヤツ。

 美容師さんに頼み込んで、髪を切ってる間中、鏡越しにずっと俺の姿を見ていた。


 子供の散髪に付き添う母親かよ。

 ずっと見られてる俺の身にもなってくれ。

 恥ずかしくて仕方がない。


 でもそんな拷問のような時間もようやく終わりだ。髪のセットが終わると、ようやく解放される。


 それにしても美容師さんの手わざは鮮やかだ。

 べたっと寝ていた髪が、ワックスによって生き物のように命が吹き込まれていく。

 軽やかにふわふわと髪が立ち、見違えるようなルックスになる。


 まるで俺じゃないみたいだ。

 顔はフツメンの俺のまんまだけどな、あはは。

 それでも眉剃りもしてもらったおかげで、いつもよりもキリリとして見える。


「はい、完成です」


 男性美容師さんはニコリと笑った。


「ありがとうございます」


 男の人相手でも、爽やかを意識した笑顔と声でちゃんと礼を言う。


 座席から立ち上がって振り向くと、花恋姉が目を丸くして俺を見ていた。

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