第14話:花恋姉が泣いている

 瞼は腫れてるし目は真っ赤で、せっかくの美人がボロボロだ。だけどそんなボロボロの顔に似つかわしくない目力の強さで、花恋姉はじっと俺を見つめた。


「なんで……」

「え?」

「なんでトーイは、やってもみないで自信がないとか、そんなウジウジしたこと言ってんの?」


 どすの利いた声──って言うんだろうか。

 俺の心の奥底をぐりっとえぐるような、低くて鋭い声。


「あ、いや。俺だってやってもみないって言うか、取りあえず十分だけはトレーニングもしてみたって言うか……別に諦めたわけじゃなくて、明日からはまたやろうと思ってるって言うか……」

「──で、結局口だけは達者だけど、そのじつなんにも行動できてないってわけね。ふぅーん……ダッサ」


 ──グサッときた。


 俺が口先だけで誤魔化してるってこと。

 本気でやる気があったなら、既にちゃんと行動できてたはずだってこと。

 全部花恋姉には見透かされている。


 花恋姉が言うように、俺ってダサい。


「あ、花恋姉。それは違う……」


 また言い訳をしようとした俺に、花恋姉はさらにギンと鋭い目つきを向ける。

 ダメだ。しょうもない嘘をついたって、花恋姉にはすべてお見通しだ。


「……ことはない。違うことないよ。花恋姉の言うとおりだよ。いや、俺にもやらなきゃいけないって気はあるよ。それは嘘じゃない。だけどなんとしてでもやり通そうっていう気が……そこまではなかなか出ないんだよ。ホントにごめん! 花恋姉の期待に応えられなくてごめん!!」


 俺は床に座り込んで、両手を前に出して、床のカーペットにおでこをこすりつけて土下座した。

 本気で花恋姉に申し訳ないと思った。だからしばらくそのままの態勢でじっとしていた。


 すると頭の前で床が鳴る音がして、花恋姉が俺の前に座る気配がした。

 ゆっくりと顔を上げると、目の前には花恋姉の両足の膝がある。

 白くてつるつるして、綺麗な膝頭だ。


 花恋姉はすぐ前に、正座をして座っている。


「トーイ、頭を上げて」


 俺は花恋姉の言うとおり頭を上げた。

 花恋姉と同じく正座をする形になったから、部屋の真ん中で正座の男女が向かい合う図のできあがり。


 花恋姉は、ふぅーっと息を吐いて、両肩をすくめた。

 そして首をゆっくりと左右に振る。


「もういい。私が間違ってたわ。私の方こそ逆上してごめん」

「え?」

「トーイが前みたいに明るくいて欲しいとか、卑屈にならずに友達付き合いしてほしいとか。そんなのはぜーんぶ単なる私のワガママな願いだって。トーイが望むことじゃなかったんだって……今さらながらに気づいた」

「あ、いや……」


 そんなことはない。

 俺は彼女が欲しい。

 それはオスとしての欲求みたいなものもあるけど、楽しく過ごしたいって気持ちもある。


 それに今までリア充たちに卑屈な想いを持っていたのは確かだ。

 彼女ができれば、そんな気持ちも少しは薄らぐんだろうって前から思っていた。


 つまり花恋姉が言うことは、決して花恋姉のワガママな願いなんかじゃない。


「だからもういいよ。トレーニングなんかしなくていい。あれは単なる私の押し付けだから。今のトーイみたいに中途半端な気持ちでやったって、成功なんかしないから。成功確率ゼロパーセントよ……」

「あ、でも花恋姉。本気でやったって、絶対に成功するとは限らないよな」

「そうよ。だからなに? 成功確率百パーセントじゃなければやる価値はないって?」

「いや、そうは言ってないけど……」


 そうは言ってないけど、でも成功確率が低そうだからイマイチやる気が出ないって部分もある。


 いかん。また自己正当化するために言い訳みたいなことを言ってしまった。

 花恋姉にはホントに申し訳ないと思っているんだけど、つい本音で思ってることが出ちまった。


「あのねトーイ。そりゃそうよ。世の中には百パーセントなんてものはないよ。当たり前じゃない。敢えて言うなら、人は必ず死ぬ。これだけは百パーセントだけどね」

「そりゃそうだけど……」

「だからこそ逆に、いつかは必ず死ぬんだから、悔いのない人生を生きようよ。可能性があることはできるだけ可能性を高める努力をしようよ。これが私の考え方よ。アンタと違って」

「花恋姉……」

「もう別に、アンタに押し付けようって気はないけどね」


 花恋姉は、自嘲するようにふっと鼻から息を吐いた。


「人は必ず死ぬ。これだけは百パーセント……」


 俺は思わず呟いた。それを聞いて、花恋姉はちょっとふふんって感じのどや顔になった。


「そうよ。いいこと言うでしょ、私」

「いや。花恋姉すげえババ臭いことを言うよな」

「くぉらぁぁー! 誰がババ臭いだってぇ!? せめて大人っぽいって言えー!」


 花恋姉はすっくと立ちあがって、上から俺の頭をぽかすかと拳で殴ってくる。


「いてててて! やめてくれっ、花恋姉!」


 俺は両手で頭を防御する。

 花恋姉はその手の上から拳の腹で叩いてくる。全力で殴ってるわけじゃないけど、結構痛い。


「やめないっ! アンタみたいなバカ弟は、こうやって成敗してくれるわ!」

「あいたたたたた」

「このバカ弟! バカバカバカバカっ!!」


 いつもの単なるお節介焼きだと思っていたけど。ウザいお姉さんぶりっ子だと決めつけてたけど。

 花恋姉が実は俺のことを、こんなに本気で心配してくれてるってことを初めて知った。


 ここまで思ってくれている花恋姉を安心させるためにも、俺はもっと真剣に取り組まきゃいけないよな。


 だけどなんて言うか──照れ臭くって、やっぱ俺がんばるよって素直に言えなかった。

 だからババ臭いなんて、からかうように言ってしまったんだ。


 きっと花恋姉も、口ではもう俺に押しつけないなんて言いながら、本音では俺に本気になって欲しいんだろうと思う。

 だから人が死ぬことだけは百パーセントだなんて臭いことを言ったに違いない。


 そして俺を一心不乱に殴っているのも──きっと俺に「私の気持ちをわかってよ」っていう意思表示のような気がする。


 確信はないけど、長年一緒にいる花恋姉のことだ。

 たぶん間違ってないような気がする。


 ──にしても花恋姉。


 「いい加減殴るのをやめてくれい!」


 いくらなんでも、手の痛みが酷くなってきた。手の甲が真っ赤になってる。


 俺は立ち上がった。そして俺の頭を殴る花恋姉の両手首をガッシと握った。


「へっ……?」


 立ち上がると俺の方が背が高い。

 俺に両手を握られているせいで、花恋姉は万歳する形で固まっている。

 目の下にはぽかんと口を開けた花恋姉の顔がある。


 さっきまで泣いてボロボロになって、その上ぽかんと口を開けた間抜けな顏なのに。


 元々の美形のせいだろうか。

 それとも、花恋姉は俺を本気で心配してくれているんだ、という想いが俺にあるからだろうか。


 なんだか花恋姉の顔が、今まで見たことがないくらい──可愛く見えた。

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