第12話:花恋姉はそこまでする!?

冬威とうい~! 晩ご飯よぉ~ 降りといでぇ~」


 階下から母親の声が聞こえた。

 ハッとしてスマホの時計を見ると、もう夕飯の時間だ。


 やべ。すっかりイラストに集中して、トレーニングしてなかった。

 まあいっか。また夜にやれば。


 そう思って階段を降り、リビングに入る。


「今日の晩飯はなに?」

「鶏肉よ」

「おっ、唐揚げ?」


 俺、唐揚げ大好きなんだよなぁ。


「ううん。蒸し鶏」

「蒸し鶏? 唐揚げの方が良かったなぁ」

「昨日可憐ちゃんにね。しばらく食事は、できるだけ高タンパク低カロリーのものにしてくれって言われたのよ。だから揚げ物じゃなくて蒸し物」

「は?」


 なんと。花恋姉のヤツ、そんなことまで手回ししてたとは。


 ガチすぎないか?

 俺の目指してるのは、プロスポーツ選手になること!?


 ……じゃないよな。彼女を作るってことだよな。


「なんか花恋ちゃん。冬威とういを鍛えてくれるんだって?」

「え? ああ、まあな」

「冬威に彼女ができたら、お母さんも嬉しいわぁ」


 なに?

 そんなことまで母さんに言っちゃったのか?

 いやそれ、恥ずすぎるだろ。


 母は嬉々として、楽しそうにおかずをテーブルに並べてる。

 先にテーブルに座っている父は新聞を読んで知らんぷり。


 そう。この父が、俺がイケメンではない諸悪の根源だ。


 母と花恋姉のお母さんは、二人とも客観的に見て美人。

 そして花恋姉のお父さんであるジェームズ伯父さんはイケメン。だから花恋姉は美女。


 だけど俺の父親は至って地味なフツメン。だから、俺はイケメンに生まれてこなかった。


 まあそんなこと言っても、父は穏やかだし、人が良い人だ。だから仕方ないかと、いつも自分に言い聞かせてる。


 そう。無理矢理にでも言い聞かせないと悲しくなるからな。


 俺は母の言葉を聞こえないふりをして、黙って椅子を引いてテーブルに座った。


「でも花恋ちゃん。そこまで冬威のために一生懸命になってくれるなら、花恋ちゃんが冬威の彼女になってくれたらいいのにね。ねえお父さん」

「え? ああ、そうだな」


 一瞬新聞から目を離した父だが、興味なさ気にまた新聞に視線を戻す。


「なに言ってんだ。俺たち従姉弟いとこだろ」

「冬威こそなに言ってんの。従姉弟同士は結婚だってできるし」

「いや、そういう法律論じゃなくて。ずっと姉弟きょうだいみたいに育ってきたから、そういう感じじゃないだろって」

「そうかな? 子供の頃はそうでも、大人になったらまたお互いの関係も変わるし。私はアリだと思うけどなぁ」


 母親は、相変わらずニコニコしてる。


「それに花恋ちゃんって美人だし、優しいし、控えめだし。すっごく可愛くていい子だからね」

「は?」


 まあ美人は全面的に認めよう。まったく異論はございません。

 優しいってのは……確かに優しいところもあるけど、お節介焼きな部分が大きいだろ。でもまあそこは百歩譲って、優しいというのも認めようじゃないか。


 だけど……控えめ!?

 どこが?

 胸がか?


 俺をガキ扱いして、ぐいぐい押してくるようなヤツだぞ?

 どこが控えめなんだ?

 母さんは完全に騙されてるぞ。


 花恋姉は、俺の両親の前では俺をディスったりしないし、爽やかないいお姉さんを演じてるからな。


「まあでもあんな素敵な女の子には、冬威は似合わないか。こっちから花恋ちゃんに、冬威のお嫁さんになってくださいってお願いしても、向こうがお断りするわね。あはは」


 あはは、じゃねえ。

 しかも彼女だったはずが、もはやお嫁さんになってるし。


 言ってることは間違ってるとは思わないけど、そこまで実の息子をディスるなよ。


 ああ、もう!

 蒸し鶏って、唐揚げに比べてあっさりし過ぎてて全然パンチがないし!

 なんでこんなことになるんだよ!


 俺はやっぱ唐揚げラブだぁ!

 蒸し鶏なんて殲滅せんめつしてやる! 駆逐してやる!


 心で叫びながら、俺はばくばくと蒸し鶏を口に放り込む。


 …………


 あ、いや。鶏肉に八つ当たりするのはやめとこう。

 大人げないな。鶏肉さんにはなんの罪もないんだし。


 なんだかんだ言いながらも、それしかメインのおかずがない。だから蒸し鶏を大量に食っちゃった。

 腹が膨れた俺は、すぐに自室に引きこもった。


「さあ、トレーニングしなきゃな」


 でもお腹がいっぱいで、ちょっと苦しい。

 腹具合がこなれるのを待ってからトレーニングするか。


 そう考えて、またパソコンに向かってイラストを描き始めた。


 そしたら──


 気が付いたらそろそろ寝る時間になっていた。

 結局この日はあまりトレーニングすることなく、一日が終わってしまった。


 マズい。ついつい先延ばしをしてしまう。


 それはきっと、こんなことをしてホントにモテるようになるんだろうか、っていう気持ちがまだ心のどこかにあるからだろう。


 俺は花恋姉の言うことを、ある程度は信じちゃいる。


 信じちゃいるけど、たとえ理論が正しくても、うまくいかないことってあるよな……なんてことが頭に浮かんできたりする。

 それに、他の人がやったらうまくいくことでも、俺にはできないってこともあるし。


 花恋姉と話した時には意地になって、やってやろうじゃないかと思ったのは確かだ。


 だけど時間を置いて少し冷静になると、俺には無理なんじゃないか、やっても無駄じゃないかって気持ちも湧いてくる。


 そんな気持ちがついつい出るから、なかなかトレーニングに取り組もうという気持ちが大きくならないんだと思う。


 こんなこっちゃダメなのはわかってる。 

 花恋姉に『やっぱ口だけだね』なんて言われるのは悔しいし、彼女を作るためには努力しないといけないのもわかってる。


 やっぱ頑張らなきゃダメだよな……


 でもまあいっか。明日から夏休みだ。

 時間はたっぷりある。

 明日からトレーニングをしたらなんの問題もない。


 そう自分に言い聞かせながら俺は眠りに落ちた。




***


 夏休みに入って三日が経った。

 夜も九時ごろになって、ようやく有償依頼のイラストが完成し、依頼主にメールで送り終わった。


「ふう、終わった……」


 約束していた納期にギリギリ間に合った。


 このイラスト。思ったよりもうまくいかずに、何度も描き直しをした。

 細部にもこだわったし、そのせいでいつもの三倍くらい時間がかかってしまった。


 しかもそれ以外の時間もダラダラと過ごしてしまった。


 その結果──


 初日に十分ほどやって以降、【見た目改善基礎トレーニング】は一切やっていない。


 花恋姉と約束したのに──と、少し後ろめたさはある。

 だけど夏休みは、これからまだ三十七日もあるんだ。余裕だ。


 うん、そうだ。明日から頑張ろう。


 そう思って、俺はごろんとベッドの上に寝転んだ。


 その時ドアがコンコンとノックする音が響いた。

 母さんだろうか。


「なに? どうぞ」


 カチャリと開いたドアから顔を覗かせたのは──花恋姉だった。

 いつものようにラフなティーシャツとショートパンツスタイル。


 俺は慌ててベッドから立ち上がった。


 赤みがかった髪を揺らして、花恋姉が部屋に入ってきた。花恋姉は少し首を傾け、にこやかな笑顔で俺の顔を覗き込む。


「どうトーイ。がんばってる?」


 ──ヤバ。


 俺は──背筋がぞくりと凍った。

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