終章
終章
ある日、蘭は久々に、アリスと一緒に富士駅前のショッピングセンターへ買い物にいった。その中に入っている洋服屋が閉店することになったので、最後に顔を出してやりたくなったという理由からだった。
とりあえず、アリスが着るものを買って、お会計を済ませると、12時を告げる鐘がどこからか聞こえてきた。二人は、何処か飲食店でご飯でも食べて帰るか、と言いながら、ショッピングセンターを出た。ショッピングセンターの周りは、相変わらず、人がたくさんいて、絶えず出る人と入る人でごった返している。ショッピングセンターの中のレストランは、もう待っている人で行列ができているので、蘭たちは、ほかの店に行くことにした。すると、ひとりのかわいらしい女性が、蘭に尋ねてきた。
「失礼いたしますが、この辺りに、花園という飲食店はありませんか?店で、姉夫婦と待ち合わせをしていたんですが、どこなのかわからなくなってしまいまして。」
という彼女。
「ああ、花園ですか?あのラーメンの花園ですね。ちょうどここから直ぐですよ。あの道をまっすぐ行って、その突き当りを右に曲がってください。」
と、蘭が言うと、
「ちょうどいいわ。あたしたちも、ご飯をたべていなかったから、そこでお食事していきましょうか。じゃあ、一緒に行きましょう。」
アリスがそう言ったので、蘭たちもラーメンの花園へ行くことにした。ラーメンの花園は、直ぐ近くだった。でも、確かに、狭い道を通っていかなけばならないので、富士市の土地勘がない人であれば、間違ってしまう可能性もあった。
「ありがとうございます。おかげで助かりました。」
女性はそういって、店の中に入った。蘭たちも、まだご飯をたべてないからここで食べていこうと言って、店の中に入った。店には何人かのお客さんがいた。その中で、一番手前の席に座っていた中年の夫婦が、
「美栄子さん、こちらです。」
と彼女を呼んでいるのがみえた。彼女はありがとうございましたと言って、急いでその中年の夫婦がいる席へ行った。蘭は、その夫婦の男性のほうに見覚えがあった。
「あれれ?野田じゃないか?」
思わず彼がそういうと、
「伊能君じゃないか!」
と相手の男性もわかったらしい。
「二人とも知り合いだったの?」
アリスは、蘭たちの顔を見て、思わず言った。彼と知り合いだったなんて、前代未聞だったから、三人の女性たちは、大いに驚いたようだ。
「知り合いというか、小学校で同級生だったんだよ。確か名前は野田真矢君だね?」
と、蘭が言うと、
「まあ確かに野田と名乗っていた時期もあったが、今は、馬場真矢だよ。15年前にきみのところに、はがきを送ったはずなんだが、忘れているのかな?」
と、その席の男性が言った。
「そ、そうなのか。野田君が、結婚したとは考えてもみなかった。申しわけない。」
蘭は、小学校時代の野田君、今は馬場と名乗っている野田君の事を思いだしながら、急いでそういった。野田君と言えば、成績はパッとするほどでもない、目立たない生徒だった。でも、いまここにいる男性、つまり馬場という新しい姓を名乗っている野田君は、小学校のころの面影はあるが、もっと強そうな感じの男性になっている。
「あの、お二人お知り合いだったら、一緒に座って下さい。主人とお知り合いだったら、ぜひ、何か食べていただきたいです。」
と、奥さんの女性が、そういった。美栄子さんと言われた女性が、どうぞといったため、蘭たちはお言葉に甘えてテーブルに座った。
「いやあ、それはそれはびっくりした。野田君が、結婚して馬場と改姓したとは、、、。」
と蘭は改めて不思議な顔をしてそう言った。
「だから、野田君とは言わないでくれ。もう僕たちは、馬場と言われているんだから。ああ、紹介します。妻の馬場和子と、妻の妹の、馬場美栄子です。」
そう馬場と名乗った野田君が、蘭に言うと、奥さんの女性と、美栄子さんと呼ばれた女性が、にこやかに頭を下げる。
「そうなのか。野田君が、結婚したなんて、信じられなかったよ。学校に言ってた時は、あまり目立たないで、ヌーボーとしていたはずなのに。」
と、蘭が思わず言うと、
「まあ、結婚したことは、君にもハガキを出したはずなんだがね。君が多分気が付かなかったんだと思うよ。相変わらず伊能君は、世間知らずだねえ。クラスの皆にはがきを送ったんだけど。之からは、馬場と呼んでね。もう野田という姓は名乗らないよ。」
と、馬場と名乗った野田君は、にこやかに笑って言った。
「そうかそうか。でも、野田から馬場と名字を変えているということは、君は、奥さんの姓を名乗っているのかい?」
と蘭は思わずそう聞いてしまったのであるが、それを見て、奥さんの馬場和子さんが、一寸悲しそうな顔をした。
「まあ蘭。それは言わないほうがいいわよ。あたしの国ではどっちが改姓するなんて、問題にならないんだけど、日本ではまだ女性のほうが圧倒的に多いでしょうからね。そういう結婚は珍しいわねえ。」
アリスが、欧米人らしく、そういうのであった。
「ああ、ああ、すみません。思わず、政略結婚と思ってしまいまして。」
「もういやねえ蘭は。直ぐそういうこと言うんだから。」
蘭はそういわれて、急いで訂正したが、アリスはそう注意した。
「しかし、伊能さんでしたっけ。主人と同級生だったとは初めて知りました。しかも、国政結婚されたなんて。そのほうがよっぽど珍しいんじゃありませんか?」
馬場和子さんにそういわれて、蘭は答えるのに困ってしまった。
「まあ、そう言われても、あたしたちも、馬場さんも、なんだか訳ありの結婚をしたことは共通するようね。」
アリスは、にこやかに言った。
「まあそうですね。それでいいじゃありませんか。誰でも、どんな家でも訳ありじゃないという家は、ないと思いますよ。」
真矢さんに言われて蘭は、そうだなあといった。
「あの、すみません。ご注文は何にいたしますか?」
と、ウエイトレスが、伝票をもってやってきた。
「ああ、ごめんなさい。まだ決まってなかったわね。」
と、美栄子さんと言われた女性が、そういったため、蘭たちは、そうだったといった。
「伊能君、今日は好きなものを食べてください。今日は、僕たちが奢ります。」
と、真矢さんがいった。
「いいんですか?」
蘭が聞くと、
「ええ。是非食べていただきたいです。なんでも奢りますから、好きなものを食べて行ってください。」
和子さんに言われて、蘭は困ってしまった。こういう風に、奢ってもらうとなると、何をたべたらいいのかわからなくなってしまうのが蘭というものである。一方アリスのほうは、あら、それならラッキーだわと言って、チャーハンセットと紅茶とプリンを頼んでしまったくらいだ。ほら、蘭も何か食べてよと言われて蘭は、チャーシュー麺だけ注文した。真矢さんと和子さんは、ネギラーメン、美栄子さんは、唐揚げラーメンを注文する。
「全く、蘭ときたら、こういう時になると遠慮しちゃうのよね。そうじゃなくて、もっとおいしいものをたべればいいじゃない。せっかくおごってもらうだから、こういう時は、思いっきり食べなくちゃ、失礼に当たるというものだわ。」
アリスは、そういっているが、蘭は食べる気にならなかった。
「それにしても、結婚して、何年になるの?」
とアリスは、馬場さんに聞いている。
「そうですね。もう15年になります。まあ平凡な見合い結婚ですけどね。時々けんかもしますけど、15年続いていますよ。」
そう和子さんが答えた。
「そうなのか。もう15年か。そんなに立つのかあ。」
と蘭は思わず言った。
「15年って、蘭も自分の歳考えなさいよ。そのくらい結婚している子がいてもおかしくない年だわ。」
とアリスはにこやかに笑った。
「ええ。人生山あり谷ありとはこのことで、まったく、15年間ぶつかってばっかりいましたけれど、何とか仲良くなりました。」
と、真矢さんが言った。
「そうなんですか。それで、野田から馬場に改姓したようだけど、商売でもやっているのですか?」
蘭が聞くと、
「ええ、うちは、弁当屋をやっています。男の跡取りがどうしても必要だということで、馬場さんのお宅は、女性二人しかいませんでしたから、それで僕が。」
と、真矢さんは答える。
「そうか。やっぱり商売をやっていたんだね。そういう家じゃなければ、男性が改姓することはないもんな。でも僕はちょっと気になることが在るんですが。」
蘭は、心配そうに言った。
「心配ってなんですか?」
と、和子さんが言うと、
「いえ、そんな大したことではないんですけどね。僕たちを、ここへ連れてきて、こうしてラーメンを食べさせてくれるなんて、何かわけがあるんではないですかね?」
「もういやねえ蘭は。細かいところ気にしすぎよ。ただ、ここへ連れてきてくれたから、お礼にラーメンを御馳走する。其れは、あまり気にしないほうがいいわ。」
蘭は思わず考えていることをいった。アリスが急いで訂正するが、
「いえ、大したことはないんですよ。奥さんの言う通りです。ただ、美栄子をここに連れてきてくださったので、御礼したいだけですよ。」
と、真矢さんは言った。
「そうなんですか?でも、何か悩んでいるように見えるんですが。僕は、こう見えても、社会的に弱い立場の人を相手にしている職業なので、なんとなく何か隠しているなってのが、わかるんですよね。」
「まあ、蘭の言葉を借りて言えば、野生の勘かしらね。」
アリスが一寸冗談めかしく言うが、
「もしかして、僕たちに、ラーメンを奢ってくれたのは、なんだか口止め料を払ったような気がしてしまうんですが。」
と蘭は言った。
「ええ。そうなんです。」
と、和子さんが言った。美栄子さんはそれが自分のせいであるとわかっていたのだろうか、一寸恥ずかしそうな顔をしている。
「よろしかったら、なにが在ったか、話してみてくれませんか?僕は、医者でもカウンセラーでもありませんが、そういう問題がある人を沢山見ていますので。」
と、蘭は優しくそういうと、
「ええ。本人のいる前で一寸言うのはかわいそうです。伊能さん、今日の事は、だれにも他言しない事をお誓い願いませんでしょうか?」
と、和子さんは言った。
「わかったわ。私はそのままにしておくから、今日は楽しく、ラーメンをたべましょう。」
アリスは明るくそういった。其れと同時に、ウエイトレスがワゴンを持ってきて、お待ちどうさまでしたと、みんなの前にラーメンを持ってきた。おいしそうなラーメンだったので、皆、急いでラーメンを食べ始めた。女というのは、こういう時に社交的になってしまうらしい。アリスは楽しそうに、和子さんや美栄子さんと天気の事から始まって、楽しそうに話をしている。一方蘭たちは、ラーメンを黙って食べて、彼女たちの話についていけないという顔をしていた。
「伊能さん。外へ出ましょうか。」
と、真矢さんが言った。蘭は、そうですね、と、真矢さんに言われて、二人でラーメン屋の外に出させてもらった。
「どうしたの。弁当屋をやっているって言っていたけど、何かトラブルでもあった?」
蘭はそう彼に尋ねると、
「いやあねえ。弁当屋の商売は、ちゃんとやっているんだ。それは、従業員もいるし、それにもうすぐ、別の街に新店舗を構える予定でもある。でも、困ったことが在ってね。それは、後継者がないことなんだ。」
と、真矢さんはやっと本音を漏らしたのであった。
「そうなんだね。誰か、有力な人物を芸養子のような感じで後継者にすることはできないんだろうか?」
と蘭が言うと、
「芸養子か。其れを言ってくれるなんて、ありがたいよ。親戚とか、ほかの誰かに相談しても、血縁者でなければどうしてもだめだって言って、聞いてくれようともしないんだ。おかげで、僕たちは、どうしたらいいのかわからなくなってしまったんだよ。」
と、真矢さんは言った。
「でも事実はその通りなんだから、それに何とかするようにしなきゃだめだろう?」
と蘭が聞くと、
「そうだねえ。でも、そういうことを知っている人は、誰もいないよ。会社がうまくいけばいくほど、後継者がない、後継者が無いってそればかり言うようになるんだよ。」
と、真矢さんはそういった。それはまるで、後継者がないことを突かれてしまった、豊臣政権みたいだった。きっと、周りの事は不自由していないから、そういう事が気になってしまうのだろうと蘭は思った。
「伊能君は、外国人の奥さんをもらったとなると、きっと後継者がいなくても、困らない仕事についているからそういうことになるんだろうが、うちの会社は、誰かが継いでくれないと、従業員たちを統制するものがいなくなってしまうので、、、。」
そう深刻な顔をして悩んでいる真矢さんに、蘭は、なにを言って励ましたらいいのかわからなくなってしまったが、
「でも、とりあえず、妹さんだっているじゃないか。あの美栄子さんという女性が、何溶かしてくれるとは考えられないかな?」
と言ってみると、
「いや、それは無理だ!」
と、真矢さんはしっかり言った。
「ああ、ご、ごめん。つい、大きな声になってしまった。」
そういう真矢さんに、蘭はそうしなければいけない事情があるんだなということを、初めて知った。そういうことは、なかなか口に出すことはしないけれど、きっと、馬場家にとっては大事な問題なのだろう。
「いいよ。何も言わなくても。僕はそういう事情がある人をたくさん見てるからね。其れは、気にしないし、責めることもしないから。何か解決の糸口が見つかるといいね。もし、その手伝いが必要だったら、僕もアリスもいるから、なんとでも言ってくれ。」
蘭はにこやかにそういうことを言った。
「そうか。ありがとう。人にはなかなか言えないことだったから、一寸助かったような気がしたよ。きみは幸せだな。そうやって、出口が見つからない人を相手にできるんだから。」
と、真矢さんは、蘭に向ってそういうのであるが、その顔はどうして俺がという感じの顔をしている。其れは、何か不条理というか、悲しい気持ちを自分で背負っている感じがするのだった。
「まあ確かに、誰かと一緒に暮らしていれば、必ずなんでこうなるのっていうときもあるよ。そして、本人が何も出来なくなって、あらかじめ用意していたことが全部できなくなるっていう事もあるだろう。君が、野田から馬場になったのも、それは、妹さんのためにでもあるんだろう?」
「そうだよ。」
蘭の問いかけに、真矢さんは小さい声で答えた。
「どうしても、美栄子さんを統制するため、男の跡取りが欲しいということだった。和子さんと結婚する前、仲人さんから聞かされた。それで、弁当屋の仕事をしながら、彼女と一緒に暮らすことになったが、そういう女性と暮らすのは、なかなか大変だよ。今でこそ落ち着いているが、美栄子さんはまだ、大勢の人が集まるところには一人で行けなくてね。今日は、怖くないから、一緒に行ってみようと、彼女をだまして無理やり外へ出したところ何だ。」
「そうか。」
蘭は、真矢さんに向けて、一言だけ言った。
「そうしたら、美栄子さんが君たちを連れてきてくれて、一瞬君の顔を見て全身が凍り付いたよ。なんでこんなところで、君に会ってしまったのか。まったく知らない人なら、良かったのに。」
そのために、口止め料として、蘭たちにラーメンを奢ってくれたのだ。
「もう、暇があれば美栄子さんの世話をしなければならないし、そうかといって、会社を継いでくれる後継者をつくろうとしてもだめだった。和子が何回も産婦人科に行ってくれたが、ついに15年たってしまったよ。もう僕の人生、何のためにあるのか、わからなくなってしまった。結局、思い描いていた、人生とは違ってきちゃった。其れでも、僕たちは、生きてかなきゃならないんだな。」
「そうか。そうなんだね。馬場君、君はそういうところがすごく男らしい。其れこそ、日本男児という感じがする。」
蘭は、真矢さんが言った言葉をできるだけ肯定してやるようにして、そういった。
「きっと、何とかなると思うよ。いや、そう思うしかないだろう。男にできることは、そのくらいだよ。ただ、金の製造マシーンでしか生きられない男もいるんだし、そういう事からしてみれば、馬場君はすごいことをやっているんじゃないか。きっとそういう姿勢を繰り返していれば、誰か後継者に立候補してくれる人が出るかもしれないよ。まあ、妹さんの事や、奥さんのことについて、悩むことも多いかもしれないが、そうやって、一生懸命やることが大事なんじゃないのかな。」
「そうだね。其れはわかっているんだけど、なんだか伊能君がここに来てくれたら、いわずにはいられなくなってしまった。きみはきっと、そういう才能があるんだろうね。きみの奥さんも、あんなに明るい人で、とても楽しそうな女性じゃないか。あんな奥さんもらえるとは羨ましいよ。」
真矢さんは、文字通りうらやましそうに、そういうのであるが、
「いやいや、誰でも人の家というのは楽しそうに見えるんだ。誰かと苦しみを共有出来たらいいけれど、そういうことは日本ではなかなかできないからさ。まあ、頑張って生きていこう。」
蘭は、そう真矢さんに言った。
「野田君が馬場君になって、奥さんと妹さんの問題で悩んでいるってことは、僕らは誰にも言わないから、安心してね。」
最後に蘭は、にこやかにそういってやった。
「多分アリスたちも、楽しんでいることだろう。僕らも、彼女たちに負けないように、頑張らなきゃ。」
「女ってすごいよな。なんかああしてしゃべることによって、世の中に対応できてしまいそう。僕たちは、それもできないよ。」
真矢さんはそういっている。蘭も確かにそういうことはあるなと思ったが、それは女だけにしかできないだろうなと思った。
「いいさ、彼女たちは、それでやっているんだから。」
蘭は、改めて真矢さんに言った。
「戻ろう。」
桂女アリス 増田朋美 @masubuchi4996
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