かぐや姫の娘

鴫宮

かぐや姫の娘


 いいかい? 決して、見知らぬ人と接してはなりませんよ。

 お前はこの、かぐやの娘なのだからね。



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 母は二度、天上から堕とされたと言います。一度は、天上で犯した罪の為に。二度目は、地上で犯した罪の為に。

 天上へ戻ったとき、母の腹には既に子が宿っていました。天上に於ける新たな命というのは、血や痛みなどの穢れとは一切関わり無しに、いつの間にか現れ出るものなのです。つまり、天女のその腹の中に命が宿るということは、本来ならば、有り得ない。──あるとすれば、本来交わってはならぬ地上のものに思慕したときだけ。

 ひた隠しにしていた腹の子のことが露見したために、母は地上での記憶をそのまま戻されて、穢れ多き人間の世界へと再び下ろされました。

 そんな中、母が真っ先に頼りにしたのは、かの帝でした。戻された記憶を辿れば、《なよ竹のかぐや姫》がかつて慕った人物はただ一人、当代の帝だけだったからです。這う這うの体で宮中へ忍び入った母の姿を再び認めた帝は、直ちに譲位なされました。そうして中宮であった人を連れ、母をその侍女のように仕立てて、新築した一条の院へお移りになられました。

 この中宮という方は一切後宮の争いに加わることのなかった気の優しいお方でしたが、それでも中宮という立場を得たのは、一族の力に拠るところと、帝と折り合いが大変宜しかったのが大きかったようです。帝とは兄妹のようなお付き合いをなされていて、病弱なことから子を儲けられることもありませんでした。

 中宮──姉様は、我が母を妹のように慈しんでくださいました。出産の際も姉さま自ら、産婆やら産屋やらを手配して下さったそうです。

 無事かぐやには私という娘が生まれ、健やかに育ち、院での生活は何もかも満ち足りたものになろうとしていました──




     × × ×




 異変が起きたのは、私が九つの時のことです。

「……これ、なぁに?」

 幼い私が興味を示したのは、黒い泥のような何かでした。偶々、母や侍女が全員出払っていた折のことですから、それに触れようとする私を止める人間は一人も居なかったのです。

「──いたっ!」

 正体の知れぬ黒い泥は、私に痛みを与えました。

 見れば、指先が土気色になっていた光景を今でも覚えています。

 直ぐに屋敷を駆け回って母を探しました。姉様のお部屋にいらっしゃるのを見つけて、

「か、母さま、これ、……」

 途端、血相を変えた母。

「──姉様、何でも構いませんので刃をくださいませ」

「え、……はい、これ」

 姉様から渡された匕首を、母は──

 御自分の腕に、突き立てました。血が飛び散ります。

「かぐや、貴女何を」

 そう叫んだ姉様には目もくれず、母はだくだくと流れ出る血を私の指に塗り付けます。困惑する周りが見えていないのでしょう、母はその行為を続けました。


 少しして、単衣で血を拭い取られた私の指は、治っていました。


「姉様、御前をお呼びくださいませ」




     × × ×




 古来より、悪鬼羅刹、魑魅魍魎の類というものは存在致します。

 奴らが人の肉を喰らい、その血を啜り生きているのはご存知のことでしょう。

 その内でも、怪異が喜んで贄とするは美貌の人間でございます。聞くところによれば、贄の味は、美しさに比例するとか。

 さて、わたくしの前身たる天女は、誰も彼も、嫋々たる女の形をしております。しかしながら、奴らが我々を喰らわぬのは何故か。

 ──それは、その体に不浄のものを祓う清めの力があるからに他なりませぬ。

 姉さまには先ほどお見せしましたね、この子の指先に宿った穢れを祓ったのは、わたくしの血です。御覧なさいませ──、先ほど斬った傷、今はもう癒えていましょう。これもわたくしが、かつて天女であった名残でございます。


 ──もうお判りになられましたか?


 この娘は、天女の力を受け継いでおりませぬ。

 そして異形のものにしてみれば、謂わば極上の獲物なのでございます。




     × × ×




 この一件以来、私には必ず護衛と侍女がそれぞれ三人以上付き添うようになりました。しかしそれは根本的な解決とはなっておりませんから、私は度々に《わるいもの》と遭遇するのでした。

 考えてみれば、時が過ぎれば過ぎるほど、魑魅魍魎に往き遭う数が増えています。母にそのことを問えば、目を伏せて宿命だと呟かれては押し黙ってしまうのでした。

 そして。

「……また、ですか」

 わたしが通ろうとした渡殿に、黒いものがうねうねと蠢いていました。異様な光景ではありますが、いつものことです。

 母や祈祷師によれば、大方はさして力のないものなので、碌々動けないと言います。放置して、その場から速やかに離れるのが良いと仰せでした。今は姉様の元に行くだけだからと護衛も侍女も置いてきたのですから、尚更、直ぐに立ち去るべきです。


 ──しかし。


 これは、動いている。

 見れば明確に、此方へ寄ってきています。恐らく此の度は、不味い。今は距離がありますから如何にかなっているだけで、立ち止まっていれば、孰れ追いつかれてしまうでしょう。

 重い衣装を引きずって、駆けだしました。

「──え」

 わたしが逃げたと見るや否や──、あれは素早く、わたしを追いかけ始めました。

(駄目だ、此の儘では、追いつかれてしまう)

 袿を一枚、脱ぎます。──まだ重い。単衣を一枚、また一枚と床に落としました。そっと後ろを伺い見れば、鮮やかな着物は次々と呑み込まれていきます。不浄のそれは、わたしの衣を腹に収めて大きくなったようでした。もしかしたら、身に纏うものを捨てるというのは失敗だったのやも知れません。

 少しずつ、縮まっていく距離。

 もう、駄目かもしれない、付き人を置いてきたのが不味かったのだと、諦めかけたその時でした。

「──お退き下さい!」

 横から、男の人が、わたしの前に立ち塞がりました。

「──、────、──」

 突き飛ばされて驚くわたしには目もくれず、一心に何かを唱え続けます。


 そうして──、すぅっと、わたしを付け狙っていたものが消えていきました。


「──お兄さま!」

 突然、御簾の向こうから飛び出した娘、──わたし付きの侍女です。

「一寸、ひいさまに何を為さっているの」

「えっ、その……」

 どうにも口下手な方のようでした。

 此の儘、目の前で尋問され続けるのも、きまりの悪いものです。こういう局面では、庇うのが道理だと思われます。

「助けて頂いたのよ」

 かたじけなく存じますと、口頭で簡単な謝辞を申し上げました。──直ぐに侍女に引き離されたので、碌なお礼も出来なかったのですけれど。

「あの方は、御前の兄君なのよね?」

「えぇ、同腹の兄でございます。父に倣って、もう一人の兄と陰陽寮へ仕えております」

 聞けば、今日は父院を伺われたのだとか。相談事をお持ちの様で、また折々いらっしゃるようです。

(次は、きちんとお礼をせねば)




     × × ×




 二度目の邂逅はそう待つこともありませんでした。十日ほどした頃です。彼の来訪を耳にしたので、侍女を伝ってお呼びしました。

「先日の件については、実以て感謝しております。改めて、ささやかなものですが、こちらをお納めくださいませ」

「いえ、そんな!」

「そう大したものではございませんし」

 用意したのは菓子の、餅餤です。珍しいものではありますが、衣など身に付けるものを差し上げるのは馴れ馴れしいかと思って餅餤にしたという経緯があります。

 ──幾らかお話をして、外のご様子や身の上などをお聞きしました。

 そもそも相談事というのも、陰陽寮を辞すというお話だとか。何時か訪ねた大江山で同行者の大方が、鬼に喰われて亡くなられたのだそうです。それを、心の底から深く悔やんでいると仰いました。自分の不甲斐無さを見せつけられた上に、この儘陰陽寮に属していても、兄を越えて出世することは出来ないだろうからとお悩みの様です。彼の妹の侍女からも、余りに傷ついたからか、直後は別人のような有り様だったと後に聞きました。

「世籠る日々を過ごすようなわたしには申し訳ないことに御意見できかねますけれど、良ければまた、御相談の序でにわたしの元へお越しになられて、世間のお話をして下さいませ」

 御簾の向こうで、彼が微笑んでいるのが見えました。




     × × ×




 再び御代が変わりました折に、わたしは裳着を致しました。これでわたしは、もう一人前の娘です。

 あの方とは変わらず、未だ御簾越しにお話しする関係の儘です。侍女がひっそり手引きしているのですから、密会とも言えましょうけれど、それでも、世に言うものとは大きく異なっているのでした。

 することも限られていて、取り留めの無い話をしたりだとか、凡そはそんなところです。変化と言えば君が大変、わたしの髪をお褒めになりますから、手入れに気を遣うようになった位でしょうか。時には世にも珍しい、極彩色の絵巻物を携えて君がお越しになることもあれば、ふつうの恋人のような後朝の別れになぞらえて、衣を取り交わすこともありました。

 不浄のものが逢瀬の折に現れることもありましたけれど、その度ごとに君が倒して下さいました。そんなところも、わたしが彼に心を預ける訳のひとつです。

 自身の身の上を鑑みて、そう軽々しいことをしてはならないとかねがね慎んでおりますし、彼方も恐れ多いのでしょう、一線を越えることはありませんでした。世がとやかく騒ぐようなことは何もありません。もどかしいものですけれど、本来この逢瀬そのものが相応しくないことなのですから、他に仕様が無いのも事実なのでした。



『貴女、入内なさい』

 切り出したのは、母でした。

『帝も大層な良い扱いをお約束してくださることだし、御前の美しさなら一番に寵を得られるだろう。中宮の御位へ昇るのも夢ではないよ。──悪くない話だと思うがね』

 父は、随分と熱心な御様子でした。

『主上が、悪いものから貴女を守ってくださいますよ』

 姉様は、身の安全こそが神髄だと仰います。



 君がお越しになられましたよと、侍女が囁きます。如何にも心が乱れて、額髪が目に掛かっているのにさえ気が付かない有り様です。何時迄も決めあぐねるわたしを見咎めて、父院は決定の期限を下されました。

 それが、明後日。──入内をするならば、これが最後の逢瀬になるでしょう。

「風の噂で、入内すると聞いたけれど」

「……まだ、定まってはおりませんの」

「《なかなかに黙もあらまし何すとか 相見そめけむ遂げざらまくに》、──と云いましょう」その先なんて判りきっている。「──結ばれぬ恋は苦しいから、もう止めに──」

(いわないでほしい)

「──駆け落ちしませんか」

 口を衝いて出たのは、そんな言葉でした。

 ぽたりぽたりと、涙が零れ落ちます。 侍女はいません。彼は御簾越しです。

 ──誰も見ていないのだから、最後くらい、泣いたって。

「貴方が本当にわたしを愛しているのなら、ここから連れ出して」

 自我を失ったわたしは、御簾が上げられたことに直ぐ反応できませんでした。

「私とどうか、逃げて欲しい」

 わたしを抱きしめて、彼は言います。──この世のものならざるものからも、貴女を必ず守るから、一緒になってくれませんか、と。

「──えぇ」

 胸を切るような切なさが甘い優しさに変わっても、わたしは泣き続けました。



 二人を見るのは金色に輝く、夜半の月だけ。











==============




「矢張り、若い娘こそ上等ってモンだねェ」

 一人、鬼は微笑む。


 ──足元に、艶やかな女の黒髪を散らばして。

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