第4話 秋の、読書会。
学校。別に嫌いじゃない。色んな奴がいるから。
多分、神奈川県の高校生の上澄みだと思う。学力的に。頭のいい奴が集まる。それこそ、中学時代に学年トップをとっていた奴とか。かく言う私もそうだし。まぁ、社会は苦手だったけど。
広辞苑を丸暗記している奴がいる。瞬時に四桁×四桁の掛け算ができる奴がいる。世界が数式に見える奴、些細な情景を短歌に読める奴がいる。本当に、色んな才能が集まる。じゃあ、私は、と訊かれたら、何もない、と答えるしかない。
成績は中くらい。可もなく不可もなし。やっぱり日本史とか世界史とか地理とか、社会科は苦手。代わりに物理とか化学とか数学とかが得意。うちの高校は変わっていて、二年までの間に高校生が習う全科目を勉強する。理系だろうが文系の勉強もやらされるし、文系だろうが理系の勉強もやらされる。だからだろうか。大学受験の時に理転文転が多い。
「文系に俺の敵はいない」そう言って理系から文系に行く人がいる。「彼氏が理系だから」そう言って文系から理系に行く人がいる。多分私は理系。国語は嫌いじゃないけど社会が嫌いだし。暗記って面倒くさい。努力がいるイメージ。その点、数学や物理はひらめきで勝てる。楽ちん。
そんな文系も理系も関係ない科目に、総合、という科目がある。言ってしまえば道徳教育や地域教育だ。一年の頃は神奈川県について調べて模造紙一枚にまとめて発表、なんてことをやった。二年次は何をやるのだろう、と思っていると、先生が黒板に「読書発表会」と書いた。
「本を最低二冊、最大五冊、読んでください」
ジャンルは問いません。先生はそうも続ける。
「そして本を読んだ結果の考察を、まとめてください。それを皆さんの前で発表してください」
これもうちの高校の特徴だろう。
抽象的な課題が多い。「何とかについて語ってください」とか、「本来なら大学で習うこの数式を自由に証明してください」とか。「英語で三分間スピーチ」とかいう課題もあったな。
「例えば、小説を読んで文学史について語ってくれても構いません。歴史書を読んで偉人について語っても構いません。数学の本を読んで、そのアプローチに対する見解を述べても構いません。科学の本を読んで、そこで得た知識を発表しても構いません」
自由です。先生は笑う。その自由、が一番難しいのだが。
「もう一度言いますが、最低で二冊、最大で五冊読んでください。ジャンルは問いません。二冊から五冊、全て一貫する必要もありません。つまり小説と数学の本を読んで共通点を見つけた、なんて発表も、ありですね」
何だよそれ。学者かよ。そんなことを思う。
学者。思い出す。あいつのことを。
うちの父、名木橋明は学者だ。後、さく姉も。父はある大学で心理学教授を務めている。確か学部長。心理学って言うと多くの大学では文学部に所属させているが、父の大学では理系……なのかな。とにかく専門の学部がある。父はそこで、人の脳みそを弄る研究をしている。
心理学は嫌いだ。あの学問はひどい。人間を眺めて、統計にかけて、「こういう人にはこういう傾向がある」と宣う。あのねぇ、人間なんて例外が多い生き物でしょ。こういう傾向があるっつったって、物理や化学みたいに精密な結果にならなくないか。第一、人間が人間観察するって何よ。自と他はどこで区別するわけ。そう思う。
そういう意味じゃ、私はすみ姉と分かり合えない。すみ姉は分かりきっていたかのように心理学部に行った。父と同じ大学の。父がいる中で父のところじゃない研究室に所属し、父の目の前で卒論発表をし、父がいるところで多分父から卒業証書をもらって大学を出た。意味が分からない。パパ大好きか。
さく姉は優秀。国内でも有数の大学に行って文学を学んだ。あのさく姉だから大学に行ったら色んな男にたぶらかされるんじゃないかと心配したけど、よく出来た友達がいてさく姉を守った。まぁ、守り過ぎて男日照りな感じはあるけど、さく姉は人間的にはパッパラパーだから変な男に騙されるよりはいいと私は思う。
さて、私は、という話になると、私は逃げたくなる。
私はきっと、何者にもなれない。
私はきっと、何の才能もない。
この高校に来てから特に、そう思う。
さっきも言った。百科事典を絵付きで完全に覚えている奴がいる。日仏英独露、五か国語を話せる奴がいる。一発聴いただけで音楽を完全再現できる奴がいる。高校に入ってから始めたテニスで、全国大会三位まで行く奴がいる。
私にはそういう能力は、何もない。
すみ姉も私と同じ高校だった。成績は優秀。特に英語が。
さく姉も私と同じ高校。成績はトップ。もちろん、文系で、の話だが。
うちは三姉妹揃ってこの高校に通っている。だから、勝手も多少知っている。私が他の子たちより優れているのなんてそこくらいだ。経験値。さく姉やすみ姉の時の経験を活かして学校生活を送れる。
私は、すみ姉の影響でこの高校で英語のスピーチがあることを知っていた。だから、オーラルコミュニケーションに力を入れた。
私は、さく姉が苦労した体育で縄跳びが必修であることを知っていた。だから、中学卒業と同時にいい縄跳びを買ってもらった。
そのおかげで人並みの生活を送れている。私がさく姉と同じ長子だったら多分落ちこぼれているだろう。髪の毛を金や赤に染めたり、ピアスや指輪だらけにしていたかもしれない。実際、そういう子はいる。チャラい見た目の割に意外と頭が良かったりするのだが。あ、うちの高校は服装髪型自由だ。
「発表日は、一〇月三〇日です」
先生が黒板に書く。
「発表内容は事前に登録する形式です。何を読むか決めたら、メッセージアプリで先生まで報告してください。登録の期限は発表の一週間前。一〇月の二三日です」
「はい」
私のクラスメイト、高屋弓子が手を挙げる。
「登録内容の変更は可能ですか。例えば六冊読んで一冊余裕を持たせておいて、実際に発表に使うものを後日入れ替えるとか」
「可能です。事前に連絡してください」
先生は頷く。
「登録内容の変更は発表直前まで受け付けます。当日先生に直接言ってくれても構いません」
他に質問は。みんな黙る。私も特に訊きたいことはない。
読書。これが問題だった。
父は読書家だ。それは話した。さく姉も読書家。国文学者が読書家じゃなかったら誰が本読むのって感じ。さく姉は五冊同時並行で読める。頭の中がごっちゃにならないらしい。すみ姉も字を読む。もっとも、すみ姉の場合は論文や学術本が多い。Google Scholarとかで論文を探して読んでいる。英語が得意だから外国の論文を原文ままで読んでいる。どいつもこいつも頭がおかしいとしか思えない。
私は本が嫌いだ。
まずにおい。黴臭いイメージ。ページを繰るのがだるい。もっともこれは電子書籍で解決できるが、金を払ってまで当たり外れのあるデータを買いたくない。重い。時代遅れ感が半端ない。本は古の端末みたいなものなのだ。つまり時代遅れのデバイス。あんたアンテナ立てるような携帯電話もう持たないでしょ。そういうことよ。
記憶の限り、私が本を読んだのは三歳の時。母に読んでもらった。絵本。『きつねのおきゃくさま』。あまんきみこ作。
「むかーしむかし、あったとさ」
母の声が蘇る。
「はらぺこきつねがあるいていると、やせたひよこがやってきた」
鶏ガラ。すみ姉の声だ。
私はやせたひよこなのかもしれない。そう、思う。無力で弱い、世間知らずなひよこ。悪意ある狐に「きつねおにいちゃん」なんて言う。私がひよこと違うところは、私は死んでも「お兄ちゃん」なんて言わないこと。死ねロリコン。
「読書なんか大っ嫌い」
机に突っ伏し、そうつぶやく。何で私が本なんか。課されたものが重すぎる。
仕方ない。最低限の二冊で済まそう。そう思って、総合の時間を過ごした。
チャイム。放課後だ。
今日は藤沢のデパートでもうろつくか。金ねぇけどな。
そんなことを思って教室から出ようとした時だった。
「ね、ねぇ」
急に声をかけられた。振り返る。そこには、眼鏡をかけたひょろい男子がいた。
「き、君は、高木彬光とか、読まないの」
眼鏡をかけたヒョロガリ。だっせぇ鞄を斜めにかけて、震える声で私に話しかけてくる。初対面ではないが、ちゃんと会話をしたのは初めてだった。
そいつの名前は、三好拓也といった。
「たかぎ、あきみつ」
私は三好拓也の言葉を繰り返す。
誰だそいつ。そんな言葉が、喉まで出かかる。
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