第5話 愛の、告白。

「あっ、あのさっ」

 三好拓也は挙動不審な感じで私に話しかけてきた。何だよこいつ。気持ち悪い奴だな。


「高木彬光、神津恭介、知らないかな」

「知らない」私は即答する。「誰それ。歴史の偉人かよ」

「う、ううん」

 すると三好拓也はだっせえ鞄に手を突っ込んでから続ける。


「本、本だよ。ミステリー」

 と、一冊の文庫本を取り出してくる。家に本が大量にあるから私には分かる。この本はボロボロ。装丁も傷んでるし多分ページの端も折れてる。鞄同様だっせえ本。そんなことを思っていると三好拓也が言葉を続ける。


「神津恭介は、日本三大名探偵の一人なんだ」

「ふうん」興味がない。

「江戸川乱歩の明智小五郎、横溝正史の金田一耕助、それに続く三人目が高木彬光の神津恭介なんだ」


 ちくり。「江戸川乱歩」と聞いた瞬間胸の奥で何かが痛む。

 ムカつく。私は冷たい言葉を吐く。


「それが何。私に関係あんの」

「ほ、ほら、さっき先生が、本を読んで発表しろって」


 言ったね。あれ死ぬほど面倒くさい。そうつぶやく。

 すると三好拓也が口を馬鹿みたいにパクパクさせた。


「ぼっ、僕と一緒に発表しませんかっ」

 ……は。

「僕と一緒に、高木彬光を研究しませんかっ」

「お前ちょっと来い」


 私は三好拓也の肩の辺りをつかんで引っ張る。教室じゃ悪目立ちする。こいつぶん殴るにしても人目につかないところに行く必要がある。


「で、もう一回要件言ってみ」

 アルコープ。というか、ロッカー置き場。私は三好拓也を引っ張り込んでそこに立たせる。


「僕と一緒に高木彬光を研究しませんか」

 さすがに二回目だと落ち着いて言えるらしい。私は腕を組む。

「意味分かんない」


 第一そいつ知らねぇし。そんな言葉を続けると、三好拓也が私の方にあのだっせえ本を押しつける。


「よっ、よかったらこれっ、読んでくださいっ。きっと、面白いから」

『刺青殺人事件』。

 そう書かれている。何。刺青か。やくざな感じのタイトルにちょっと引く。


「何で私がこんなもん読まねぇといけねぇんだよ」

「だ、だって、みんな何かしらの本を読んで発表しなきゃだし」

「私にだって選ぶ自由があんだろうよ」

 第一共同発表なんて許されるのかよ。私がそう文句を垂れると三好拓也が口を開く。

「ぼっ、僕が確認を取ります」

「ふざけんな。最低でも確認取ってから来い」

「かっ、確認を取ったら一緒にやってくれますかっ」

 

 あまりの熱意に一瞬、折れそうになる。だがすぐに自分を取り戻す。こんなの誠意のあるナンパみたいなものだ。


「やんねーよ。何で私がそんなもん読まないといけないんだよ」

 私がその場を立ち去ろうとすると、三好拓也が私の腕をとる。

「きっ、きっと楽しいから」

 や、約束する。そうも続ける。

「この本は、きっと君の人生で輝く一冊になるから」

「は。何だしそれ気持ちわりーんだけど」

 第一、触んなよ。私は自分の腕をひったくる。


「ごっ、ごめん。でも、一緒にやってほしいから」

「そういうのも気持ち悪いんだよ」

「ぼっ、僕っ」

 今度こそ立ち去ろうとした私の背中に三好拓也が叫ぶ。

「君のこと、好きなんだ。あ、愛してる」

 大声。廊下にいた人の視線が集まる。

 

 なになに。告白か。色んな人の囁き声が聞こえる。

 

 やばい。そう思った時にはもう遅かった。

「ぼっ、僕と付き合ってほしい」

 そして僕とっ、と言いかけた三好拓也の口を、振り返った私は片手で塞いだ。

「お前殺す」

 どかん、とロッカーに押し付ける。

 静かにする。廊下からは囁き声が聞こえる。


 今好きって言ったよね。熱いねぇ、廊下で。


 ふざけんなよ。何でこんな目に遭わないといけないんだ。

 しかし私が口から手を離すと、三好拓也はずり落ちた眼鏡を直し、ハッキリ告げてきた。

「好きなんだ。君のことが」

 私はその頬を引っ叩く。眼鏡が飛ぶ。

「死ね」吐き捨てる。

「死ね。二度と顔見せるな」


 なになに。失恋だな。囁き声が耳に入ってくる。しかし三好拓也は諦めない。


「君のこと、幸せにするから」

「ふざけんなっ。何で私がおめーみてーなキモい奴と付き合わなきゃいけねーんだよっ」

 脛を蹴り飛ばす。三好拓也は「痛いっ」とうずくまる。

「だいたい私、彼氏いるし。三年生の金岡大介」


 そう吐き捨てても三好拓也は諦めなかった。うずくまりながら、消え入りそうな声でこう続ける。

「金岡先輩は、色んな女の子に手を出している。色んな女の子を泣かせている」

 見上げてくる。真っ直ぐなまなざし。下からのくせに、強いまなざし。


「あの人は女の子をおもちゃか道具だと思ってる。僕は違う」

「だったら何だよ」私はうずくまっている三好拓也の背中を何度も踏みつける。

「大介の方がイケメンだろうが。大介の方が頭いいだろうが。大介の方が金持ちだろうが。大介の方が有望だろうが。大介の方が先輩だろうが」

「君はっ、金岡先輩がっ、好きなのかっ」

 蹴られながら三好拓也が問うてくる。その言葉に一瞬、蹴る足が止まる。

「好きなのか。愛しているのか。だったら僕は身を引く。君に幸せになってほしいから」

 好きなのか。愛しているのか。その質問が頭の中でぐるぐる回る。


「キモいんだよっ」

 私は再び三好拓也の背中を踏みつける。三好拓也は私に蹴られるたびに「ぐっ、ぐっ」と呻く。

「お前なんか大っ嫌いっ」

 そう、吐き捨てる。ずり落ちたスクールバッグを肩にかけ直し、その場を立ち去ろうとする。


「答えられないってことは」三好拓也は床にうずくまりながら続ける。

「好きじゃないんだ。君は金岡先輩のことを愛していない。だったら、僕を見てほしい。君を必ず幸せにする」

 何なんだよさっきから。私は振り返ってもう一度三好拓也の方に行く。


「死ねよっ」

 怒りを込めて、三好拓也の鼻っ面を踏みつける。ぶっ、という、短い悲鳴。今度こそ三好拓也の口が止まる。

「ゴキブリ野郎。クズ。生ゴミ」


 息が荒い。蹴ること自体にはそんなにエネルギーを使っていないはずなのに、何故か、呼吸が荒い。


「ゴキブリでも、クズでも、生ゴミでもいい」

 三好拓也が私の上履きの下から顔を覗かせる。鼻血が出ている。靴の跡が顔の真ん中について、赤くなっている。それでも三好拓也は続けた。

「絶対に君を幸せにする。僕にできることは何でもする。命だって賭けられる。今ここで死んでもいい」

「じゃあ死ねっ」

 今度は横っ面を蹴飛ばす。三好拓也の頭が吹っ飛んで、体が大きく転がっていく。

 ぐぅ。豚みたいな声。背中には私の靴跡。廊下の埃だらけになった制服。醜い姿。私は三好拓也を見下ろす。


 気づけば、胸の奥が針山になっていた。ちくちくと痛い。ずきずきと痛い。心から血が出ている。蹴っているのは私なのに、蹴られているような気分になる。三好拓也は、床に手をつきながら続ける。

「君には、何をされてもいい」

 口元を拭う。赤い血が出ていた。

「大好きなんだ」

 その言葉がまた、心臓の辺りに細い針を一本、刺す。

 がしゃん。

 私は床に落ちていた眼鏡を踏みつける。ワイヤーが曲がる感触があり、レンズが割れる。


「二度と私に近づくな。二度と私に話しかけるな。二度と私の視界に入るな。二度と私と同じ空気を吸うな。二度と、二度と……」

「それで君が幸せになるならそうする」

「高木彬光なんてだっせーんだよっ。そんな気持ち悪いもの私に押し付けるなっ」

「いや、君はきっと彼を気に入る」

「襲われたって言ってやる。レイプされかけたって、痴漢にあったって言ってやる」

「僕は君を傷つけない。君がもしそんな被害を訴えるなら、僕は一生かけてそのことを証明する。僕は君を大事にする。君をこの世のどんなものより大切に扱う」


 くそ。返す言葉が見つからない。この馬鹿に、このクズに、この変態に、この底辺に、何と言ったらいいか分からない。


 踏みつけて粉々になった眼鏡を三好拓也の方に蹴りつける。


「大っ嫌い……大っ嫌いっ」


 そう叫んで立ち去る。上履きの裏がリノリウムの床できゅっきゅっと鳴った。気づけば廊下の目線を独り占めだ。私は頬が熱を持つのを感じた。多分、赤くなってる。


 でもそれは、あいつに告白されたからじゃない。


 そう、言い聞かせる。必死だった。あいつのせいじゃない。あいつのせいじゃない。あいつのせいじゃない。あいつのせいじゃない。あいつのせいじゃない。あいつの、あいつのせいじゃ……。


 駅。電車に乗る。一定のリズムで揺られながら、ふと私は思う。


 男子に告白されたの、初めてだ。


 ……くそっ。ふざけんなよ。何であんな奴に。


 唇を嚙みしめる。何故か、もうほとんど、泣きそうだった。

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