第3話 長女と、次女。

「あんたまだ起きてたの」


 円と喧嘩して、気晴らしにゲームでもしようと思ってリビングに降りると、さく姉がいた。髪を下ろして部屋着に着替えている。堂々と下着姿。自分の部屋でやれっつーの。


 テレビがついている。面白くなさそうなニュースをやっている。ソファの上に誰かいる。お父さんか。と思って行ったらすみ姉だった。ジェームズみたいに丸くなってテレビを見ている。


「それ、面白いの」

 私は訊く。

「高校生と違ってね」すみ姉はこちらも見ずに続ける。「社会人は情報収集が必要なんだよ」


「『学生』という広い言葉を使わなかったね」

 部屋着に着替え終わったさく姉が冷蔵庫からビールを取り出す。

「こんな時間に飲んだら太るかなぁ」


「太る」すみ姉はテレビから目を離さず口だけ動かす。「やめときな」

「やめとこ」さく姉が冷蔵庫にビールを戻す。


「えー、でも口寂しい」

「するめでもしゃぶれば」

「あったっけ」

「キッチンの上の棚。右から二番目」

「お、あった」


 棚に手を伸ばす時。さく姉の胸が揺れる。さく姉もすみ姉もスタイルがいい。それは、細いという意味ではない。女性的なラインがしっかりしている、いわゆるネットスラングで言うところの恵体というやつだ。ソファの上で丸まるすみ姉も胸のところが窮屈そう。でも私はそんなことない。


 さく姉が言うには、さく姉とすみ姉はお母さんに似たらしい。お母さんも女性的な体つきの人だったのだとか。私の記憶の中のお母さんは頬がげっそりこけている。体も、布団に包まれていたので分からない。


「あ、そうだ。さく姉」すみ姉が目線をキッチンに投げ、声を飛ばす。

「今度の土曜日夕食作るの変わってくんない」


 うちはお父さんを含めた家族全員で持ちまわって夕飯を作る。私が作る時もある。今日はお父さん……だったっぽい。


「えー、何でよぉ」さく姉も声を飛ばす。

「オ、ト、コ」すみ姉は悪びれもせずに告げる。


 するとさく姉がワクワクした様子でソファに寄ってくる。

「なになに、デートなの」

「ん。どうだろ。大学の時の同期と飲みに行く」

「二人で行くの」

「四人。男子二人女子二人。仲良しグループ」

「いいなぁ。私そういう付き合いもうないからなぁ」


「私もないよ。そんなには」すみ姉はつまらなそうにしている。

「むしろさく姉の方がさ、若い男漁れそうじゃん。周り大学生だらけでしょ」

「年下は嫌ぁ」

「贅沢言える歳か」

「何だとぉ」


 さく姉は大学で国文学を研究している。お母さんと同じ分野なのだとか。博士課程卒業。二九歳。今は講師として、時に研究員として大学で働いている。さく姉は長いことお母さんの代わりをしていたこともあって、少しおっとり。話す調子もどこか間延びしている。料理が得意。さく姉の作るミートローフは絶品。あれだけで落ちる男いそう。


 一方すみ姉はある有名出版社の雑誌編集者。お父さんと同じ心理学部を卒業後、就職している。二五歳。すみ姉は賢い。姉妹で大富豪とかすると……まぁ、三人でやって面白いのかって話はあるけど……いつも一人勝ち。他にも豆を育てるカードゲームとかやらせても一人勝ち。テレビゲームも。すみ姉はゲームに強い。家事も効率的にこなす。


 さて、残った私はというと、何もない。お姉ちゃんたちほどスタイルもよくないし、お姉ちゃんたちほど頭もよくないし、本当に駄目。勝ってるのは歳くらい。一七歳。この若さ……というか、持っている時間の量かな……に価値があることは、さすがの私も分かっている。時間は資本なのだ。お金と同等に価値があるかもしれない。もっともこの価値は、文字通り時間経過で劣化していくのだけれど。


 姉妹の性格で言うと、さく姉はナンパされるとついて行きかけるタイプ。すみ姉はガン無視。私は蹴り飛ばす。多分、姉妹の中で下に行くほど攻撃的になっている。さく姉は社会的、すみ姉はちょっと反抗的、私は反社会的。多分。


「でもさ、さっきあんた『オトコ』って言ったってことは」

 さく姉がすみ姉に詰め寄る。

「気になっている男子がいるな」

 すみ姉は顔色一つ変えない。

「まぁね」

 テレビを見たまま続ける。

「いいな、って思ってる人はいる」

「ひゅー」

 さく姉、何だか嬉しそう。


「さく姉はどうなのさ。オトコいねーの」すみ姉が訊く。

「いない」即答。

「おじいちゃんばっか。まぁ、かわいがってはもらえるけど……孫みたいに」

「それはそれで楽しそうじゃん」

「まぁねぇ」

 するめをしゃぶる。うら若き……もう若くもないのか……乙女が。


「あんたは」

 不意に、さく姉が私に話を振る。

「気になっている男の子とか、いないの」


 何故か、心がささくれ立つ。


「いねーし」

 言葉も冷たい。


「そっかぁ」

 さく姉はおっとり応える。

「私、あんたぐらいの歳の時、先輩に恋してたけどなぁ」


「さく姉その辺でやめときな」

 すみ姉が口を挟む。

「あんたのかわいい末妹の、地雷踏んでるっぽいよ」


 ちくり。ささくれが痛みに変わる。

「何だしそれ」

 ついつい、言葉が荒くなる。


「私にだって彼氏くらいいるし」


「お」さく姉が嬉しそうな顔をする。「だれだれ、どんな人」

 私が返す言葉に困っていると、さく姉がどんどん続ける。

「デートしたの。キスしたの。恋バナしよ」


「やめとけって」すみ姉。

「複雑なお年頃なんだよ。なぁ」


 ムカついた。お前らに何が分かるんだよ。何がデートだよ。何がキスだよ。何が恋バナだよ。何がやめとけだよ。何が複雑なお年頃だよ。

 拳を握っていた。爪が掌に食い込む。


「あら、ごめんねぇ」さく姉が謝る。

「そうだよね、高校生だもんね」

「高校生だったら何だよ」

 荒い言葉が出る。

「何だっつーんだよ。高校生だから甘いって言いてえのかよ。高校生だから未熟だって言いてえのかよ。高校生だから……」

 言葉に詰まる。するとすみ姉が口を挟む。

「まだまだ成長できるってことだよ」

 静かな調子。全然ペースが乱れていない。そのことも、ムカつく。

「何なんだよ、さっきからっ」


 怒鳴る。怒鳴った。私は自分が怒鳴ったことに驚いた。


「おめーらだって何の取柄もねーだろうがっ。体だけか」

 するとすみ姉が鼻で笑う。

「そっちもまだまだ成長するから安心しな」

「そうだよ、私なんて二二過ぎてからもまだ成長したんだから」

「そういうことじゃねーよっ」

 この牛どもっ。悪口。でもちょっとうらやましい気持ちはあった。

「うっせー鶏ガラ」すみ姉。すみ姉はいつも的確に悪口を言ってくる。

「まぁまぁ、二人ともその辺で」

「さく姉が始めたんじゃん」すみ姉と私。声が揃う。

「何で被るんだよっ」


 だんだん頭の中がごちゃごちゃになってくる。何言ってるんだろう私。


「あんた細い脚してるじゃん」すみ姉。

「さく姉もすみ姉もスタイルいいじゃん」私。

「スタイルいいなんて言ったら、あんた背高いでしょ。服何でも似合うじゃん」さく姉。

「さく姉もすみ姉も私と変わらないくらいだし」私。

「こんな体してるとね」すみ姉。「似合う服と似合わない服とあるんだよ」

 うらやましいか。すみ姉がこちらを見てくる。

「私はあんたがうらやましいけどね」すみ姉。

「えー、私もぉ」さく姉。

「何これ。喧嘩してんの」私。


 すみ姉が噴き出す。


「喧嘩なんじゃん。あんた怒ってんでしょ」

「怒ってねーし」

「怒鳴ったくせに」

「まぁまぁ」

「うっせーな。ばーか」

 私の怒りはピークに達する。


「さく姉もすみ姉も大っ嫌いっ」


「あっそ」すみ姉。

「困ったねぇ」さく姉。いつまでするめしゃぶってんだよ。


「部屋に来ないでよ。私もう寝るから」


 リビングを去ろうとすると、さく姉が声を飛ばす。


「あらあら、お風呂入りなさい」

「言っても無駄だよ、さく姉」


 暗い廊下に出る。足音は荒い。ジェームズが聞いたら逃げていきそう。でも私はドスドスと階段を上る。風呂、明日でいいか。そんなことを思う。


 部屋に帰るとベッドに飛び込んだ。自分の汗のにおいがする。枕カバーを洗いたい。そんなことを思うと、すぐに小さい頃から家事をやってくれたさく姉の姿が浮かぶ。シーツやカバーもちゃんと洗いな。そんなことを教えてくれたすみ姉の姿も浮かぶ。


「ふざけんなよ」

 私はつぶやく。その声は枕に吸収されて、何もなかったことになる。

 孤独。私には、何もない。


 ジェームズは、どこに行ったのだろう。

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