第2話 愛猫と、幼馴染。
部屋に帰るとジェームズがいた。薄暗闇の中、きらりと目が光っている。
ジェームズ。我が家で飼っている猫だ。オス。多分三歳。私が中二の時に拾ってきた。拾ってきた時はほぼ生まれたての子猫だったから、年齢はずれてても四歳くらいだと思う。
拾った時は本当に死にそうで、さく姉もすみ姉も私も……ついでにお父さんも……ずっと付きっきりで看病していた。
何でジェームズかっていうと……これが一番気に入らないのだが……お父さんが「ジェームズ」と呼んだ時に反応を示したから。
まだ子猫の時。獣医さんに診せてもエサをあげても体重がなかなか増えなくて、生きていられるか心配していた時に、お父さんが「ジェームズ」と呼ぶと頭を持ち上げてエサを食べた。何でジェームズなのかは知らない。
子猫用のエサを買ってきたのも、ジェームズを温めるための毛布を買ってきたのも私だったのに、何故かジェームズはお父さんの声に反応した。以来、ジェームズはジェームズ。
それからお父さんに懐いているのかというとそうでもなくて、たまに本を読むお父さんの邪魔をしに行くことはあるみたいだけど、基本的には私の部屋にいる。まぁ、私が拾ってきたんだし、当然っちゃ当然。
「やっほ。ジェームズ」
ジェームズは私の足下にすり寄る。撫でてあげる。しっぽがピンと立っている。ふふ。喜んでる。
そんな風にジェームズと遊んでいると、私の視界の端で、何かが光った。あ。私は窓に近寄って、開ける。
「こんばんは」
「こんばんは、円」
円。隣に住んでる女の子だ。同い年。小学生の頃からいつも三つ編み。眼鏡をかけていて、本が好きな女の子。でもちょっとどんくさい。まぁ、そういうところが好きなんだけど。
私の家と円の家は近い。円の部屋の窓がちょっと突き出しているような形になっている関係で、円の部屋から懐中電灯を照らすと私の部屋の中に明かりが差し込む。窓がちらちらと光ったら、密会の合図。逆も然り。小学生の頃からの習慣だ。
円はさく姉やすみ姉の覚えもいい。近所だからよく挨拶している。でも円は年上に対して恐縮してしまうタイプだから、さく姉やすみ姉とは私との間ほど仲良くはない。私と円は親友。多分。
「あのね、相談したいことがあってね」
円は小さい声で話す。ちょっと聞き取りにくいけど、まぁ許す。
「どしたの」
「好きな人ができたんだ」
ふうん。素直な感想はそれ。よく男子は、「女子って恋愛ものとか好きだよなぁ」とかって感心してるけど、私は違う。今のところ恋愛に興味はない。まぁ、彼氏もどきはいるけど。
「どんな人」一応訊く。
「図書委員の先輩なの」
円も私と同じで部活はやっていない。しかし私と決定的に違うところは、円は放課後の時間の多くを学校の図書室で過ごしているということ。本当に本が好きなのだ。
「でね、あなたって、頭がいいでしょ」
円は私のことを「あなた」と呼ぶ。小さい頃からそう。記憶の限りだと、幼稚園の時におままごとをして、私がお父さん役をやったのがきっかけ。私と円は、夫婦なのだ。
「別に」
頭がいいのか、と訊かれれば、まぁいい方なのだろう。神奈川県の公立で一番……二番だと言う人もいるが……の高校に行っている。偏差値七〇代。遥々電車に揺られて一時間くらいかけて藤沢の方に通っている。円は偏差値五〇くらいなんじゃないかな。地元の公立高校に自転車で通っているらしい。
円はもじもじと話す。
「その先輩と、自然に話すいい方法はないかなぁ、って」
「……委員会一緒なんでしょ」
「うん」
「仕事一緒にしないの」
「するよ」
「雑談とかは」
「する」
じゃあ話せてるじゃねーか。しかしそのコメントは飲み込む。
「違うの。もっと先輩の話が聞きたいの」
「先輩の話って」
「どこに住んでるか、とか。お休みの日は何やってるのか、とか」
「聞いたらいいじゃん」
「聞けないよう」
円は頬を赤らめる。
「雑談はするんでしょ」
「うん」
「何話すの」
「住んでるところとか、普段何してるか、とか」
やっぱり話せてるじゃねーか。
「……円は何が聞きたいんだっけ」
「先輩のこと」
「その先輩のことっていうのは、どこに住んでるか、とか、普段、つまり休みの日は何をしているか、って話だよね」
「そう」
「でもそれ話してるんでしょ。雑談で」
「うん、まぁ、そうだけど」
イライラしてきた。多分今日の私は、虫の居所が悪い。
「違うの。雑談以外がしたいの」
「雑談以外の会話って何」
「もっとこう、何ていうか」
うーん……。円は考える。
沈黙。何これ重たいし。
「もっとね、あのね」
「うん」
「もっと、その」
まとまらない会話。時間だけが過ぎていく。
「……何だか知らないけど、好きにすれば」
あ。
しかしそう思った時にはもう遅い。
「え」円は硬直する。「……ごめんね。怒っちゃったの」
「別に怒ってないし」
嘘。半分キレてる。
私は部屋の中に視線を移す。ジェームズはいつの間にかいなくなっている。
「ごめん」
円は謝る。
「ごめんね。つまらないよね、こんな話」
「そういうことじゃない」
「私の好きな人の話とか、いいよね」
「そういうんじゃないって」
何で分かってくれないかなぁ。
「いいって言ってんじゃん。好きな話すれば」
「でもつまらなそうだから」
ここで私はぶちギレる。
「じゃあ最初から話すなよ」
言っちゃった。けど気づいた時はもう遅い。
「何なんだよ。いきなり呼んできたと思ったらこの会話」
「ごめん……ごめん」
泣きそう。でもそれは多分、円も同じ。むしろ円の方が泣きそうなんじゃないだろうか。
「何だよ、ごめんって」
「ごめん」
「謝りゃいいのかよ」
「ごめん……」
「ごめんしか言えねーのかよ」
ああ、もういい。私はいつの間にか怒鳴っていた。
「あんたなんか嫌い」
「え」
「大っ嫌い」
ぴしゃっと窓を閉める。それからカーテンも。外の明かりが差し込まなくなって、部屋は真っ暗になる。
嫌い。大っ嫌い。
私は円にそう言った。言ってしまった。しかし後悔しても遅い。遅すぎる。時間はもう過ぎてしまったのだ。取り戻せない。もう手には入らない。
嫌い、嫌い、嫌い。
胸の奥で、酸っぱい味がしている気がした。
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