魔法のランプ

「もう、もうおしまいだ…。」

 男は頭を抱えながらつぶやいた。手には血のついたガラス製の灰皿。床に転がる一つの死体。

「チクショウ!どうしてこんなことに…。」

 時は数時間前にさかのぼる。


 都心郊外の、とある高級住宅街に目新しい豪華な邸宅があった。その大きな邸宅の、これまた広い玄関の前に一人、男がぽつんと立っている。その邸宅は、男の古くからの友人であるAのものだった。男はAに会うため、ここまで足を運んできたのだ。男は深呼吸をして、インターホンのベルを鳴らした。

『やぁ、君か。どうした、こんな夜遅く。』

「最近景気が良くてね、まとまった金が工面できそうなんだ。借りた分を返そうと思ってね。」

 男はAに金を借りていた。今日は、表向き借金返済というテイで家を訪ねたが、実のところこれは真っ赤な嘘。本当の目的は期日の先延ばしにある。

 Aはある時から急に金回りが良くなり、まわりに気前よく金を貸すようになった。しかし期日には大変うるさい男で、正直に延長を頼み込んでも相手にしてくれない。それで男は、それとなく理由をつけて取り入ろうと考えたのだった。

『それはよかった。さ、中に入ってくれ。』

 そうとも知らずAは、ご機嫌な様子で男を招き入れた。


 Aは男を応接間に通した。貴重な調度品をいたるところにあしらえた豪華な部屋だ。

「適当にかけてくれ。急なもんで、簡単なもてなししかできない。酒でも飲むかい?」

「いや、おかまいなく。金を借りといて、飲むわけにいかないよ。」

「まぁそう言わず、飲んでくれ。金は今日こうして返しに来てくれたんじゃあないか。」

 Aはワインボトルを開け、グラスに注ぎ、差し出した。男はお言葉に甘えることにして、グラスに口をつけた。今思えば、これがいけなかった。酔いがまわり気をよくした男は、洗いざらいAに話してしまったのだ。無論Aは激高し、男と口論になった。言い合いの末、男に背を向けたAは”帰れ”と吐き捨てた。その態度に男はカッとなり、目に入った灰皿を手に取りAの後頭部めがけ……。


 そうして、今に至るというわけである。あまりのことに男の酔いもすっかりさめた。

「このままというわけにもいくまい、とにかく証拠を消さなくては…。」

 男はまず、手に持ったガラス製の灰皿を布でつつみカバンにしまった。指紋がべったりとついているし、現場に凶器を残してはいけないと思ったからだ。次に、調度品に飛び散った血を、テーブルナプキンでふき取ることにした。最初に、古めかしいランプを手に取り、念入りに血痕をこすり取る。キュッキュッキュ。すると、モクモクモクモク……と、たちまち青白い煙が立ち込めた。

「あぁ、久しぶりに出てこれた!」

 男の目の前に、二、三メートルはあろうかという大男が、あくびをしながら現れた。そのあまりに非現実的な光景に、男は唖然としている。それを見た大男はごほん、と咳払いをしてうやうやしくお辞儀した。

「はじめまして、ご主人様。わたくしはランプの魔人でございます。どんな願いでもひとつだけ、叶えて差し上げましょう。」

「これはまずい、俺は思ったより錯乱しているらしい。幻覚が見え始めるなんて。」

 再び頭を抱えた男に向かって、魔人は首を横に振りながら言った。

「幻覚でも妄想でもございません。わたくしは本物の魔人でございます。」

「本物だって?幻覚に本物も偽物もないだろう。」

「今回はひどく疑り深いご主人様のようですね。いいですか、この家にある財産はすべて、わたくしが前のご主人の願いで出したものなのですよ。」

 魔人は誇らしげに、調度品を小突いて見せた。ははぁ、この話が本当であれば、Aの急激な金回りの良さも合点がいく。この大男を心から信じるわけではないが、だめでもともと、願ってみるにこしたことはないだろう。

「なぁ、その願いとやらは、なんでもできるのかい。」

「えぇ、えぇ、なんでもひとつだけ。」

「ふむ、それは、死んだ人間を生き返らせることもできるのかい。」

「もちろんです。ただし一人だけですがね。」

「それなら十分だ。では、このAを生き返らせ──…」


 ここで男は言い淀んだ。待て、本当にAを生き返らせてしまっていいのか。Aが生き返れば事の取り返しはつくが、それこそ借金はそのままだ。またいつ同じてつを踏むかわからないではないか…。黙り込んで考えを巡らせる男の顔を、魔人がのぞき込む。

「…もし、ご主人様。この方を生き返らせればよろしいので?」

「いや!いやいや、待て…。そうだ、Aをいないものにして、俺がAになり替わることはできるのか。」

「もちろん、可能でございますよ。Aさんの今までを、ご主人様に置きかえるということになりますが…。」

「うむ、結構だ。これ以上の願いはない。金を返す心配もなくなり、財産も手に入る。」

「…本当によろしいんですね。」

「いいから、早くやってくれ。」

「かしこまりました。」


 魔人がパチン!と指を鳴らすと、一瞬にしてAの遺体は消え、テーブルや絨毯の血痕もたちどころにきれいになった。男の服は安価なスーツから高級テーラーの一品に変わり、腕時計もハイブランドのものになった。

 それだけではない。応接間に飾られたAの写真すべてが男の顔に変わり、名前もまるきり男のものになっていく。

「これはすごい。本当にAになり替わってしまった。」

「ご満足いただけたようで、結構でございます。わたくしはまた、次のご主人を待つことといたしましょう。」

 そういうとランプの魔人は、青白い煙とともにランプの中へと吸い込まれていった。


「さて、Aには悪いが、この人生を楽しむとしよう。」

 男はAの書斎に向かい、どれだけの資産があるか確認しに行った。そこで、偶然借金の帳簿を見つけた。

「Aはずいぶんと大勢に金を貸していたらしい。いや、今となっては俺の金だ。一銭残らず回収しなくては。」

 帳簿に目を通していると、見知った名前を見つけた。ともにAから金を借りていた友人のKだった。どうやらKの返済期日は今日らしい。

 ピンポーン、インターホンの呼び出しベルがなった。モニターを見るとKが立っていた。男が問いかける。

「どうした、こんな夜更けに。」

『金が工面ができたんだ。借金を返しに来たよ。』

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