第二十話 5界と麗その2

「ただいま」

「「おかえりなさ~い」」

 帰宅するとぱたぱたと玄関に走ってきたのはシルクとガイア。

「麗、帰っているんだよな?」

「うん……」

 心なしかシルクの反応が鈍い。

「どうした?」

「気のせいかもしれないですが、麗さん……ちょっと元気がありません」

 シルクの代わりにガイアが返答した。

「疲れているとかじゃないのか?」

「そうですね……」

 ガイアもなんか歯切れの悪い応答だ……

「わかった。二人とも有難う」

 よくわからないが、とにかく自分で確かめてみようじゃないか。百聞は一見に如かずだ。

「麗」

 麗はダイニングの中央で正座していた。

「あ、部田、お帰り」

「おう。それよりみんながお前を探してたんだぞ」

「ごめん。ちょっと道に迷ったみたい」

「……そうか。あ、オレちょっと手を洗ってくる」

 オレは不自然さが出ないように洗面所へと向かった。するとシルクが付いてきた。

「シルクの言うとおりかもしれん。確かにおかしいな」

「そうでしょ? だってブタしゃんと喧嘩してたはずなのに」

 オレとシルクは麗に聞こえないようにヒソヒソ声で話しつつ、そーっとダイニングの方を覗いた。すると麗はまだ正座したまま壁の方をボーっと見ている。

「麗ちゃん、どうしちゃったんだろう?」

 シルクが本気で心配している様子が伝わってくる。

「シルク、麗のことで何かわからないかアテナたちに聞いてきてくれないか? ……あ、そうか、まだ帰ってきてなかったんだな」

「大丈夫だよ」

「え?」

「ブタしゃんと違って頭の中で考えるだけで遠くの相手に伝わるから」

「やっぱりそうなのか。ハガイを呼ぶときと同じ原理が使えるんだな」

「えっへん」

 シルクは得意満面だ。

「あ、シルク」

「な~に?」

「こっそり頼むぞ。麗に悟られないように」

 シルクは返事の代わりにVサインをしてから自分の部屋に向かった。集中するためか?

「私も一緒に行きますね」

 背後から声がしたので振り向くとガイアがいた。

「ああ、頼む。シルクのサポートをしてやってくれ」

「はい」

 ガイアもシルクの部屋に入っていった。

「さて……」

 オレは引き続きこっそりと麗の観察を続けた。やはりあの行動的な麗が何するわけでもなくただ、座っているだけということ自体既におかしいよな。

「ブタしゃん」

 シルクとガイアがもう戻ってきた。

「おう、どうだった? 二人は何か言っていたか?」

「えっとね、直接見るって」

「そうか。じゃあ帰ってくるのを待つか」


「お待たせ」

「あろっ!!」


 最近はちょくちょくあることだが、アテナ、エキドナ、メリア、シーリーは瞬時にオレの目の前に現れた。

「お……おい、ビビらせんな」

「あら、ごめんなさい。ハガイさんの真似をしてみたの」

 状況が状況だけに怒鳴ることも出来ず、ヒソヒソ声での抗議はあまり相手の反省を促すことができないようだ。

「ま、まあいい。そんでアテナ、どう思う?」

「まだ見てないから。もう、ホントせっかちなんだから。そういうのって女の子に嫌われるわよ」

「えっ? あ、わ、悪い」

 

「おい聞け、アテナ。ブタのヤツな、さっきメリアに――」

「わーわーわー!!」

 エキドナはオレがさやか先生にブッ叩かれた件をこの場ですっぱ抜こうとしやがった。咄嗟に大声でもって阻止したが間に合ったのだろうか? ただ、ハッキリ言って小学生レベルの対抗策に過ぎないし、詳しく聞かれたら全く意味がないのだが。

「あ~、もう、うるさい! 気が散って観察できないでしょ!」

「ご、ごめん、アテナ」

 アテナはオレがメリアに××しようとしたことなどどうでも良いみたいで、騒いでいたオレ達を叱責した。こちらもお母さんに怒られた小さい子供みたいになってしまった。……くぅ~情けない。


「部田さん、先ほどはすみませんでした」


 いきなり謝ってきたのは――

「えっ? メリア……?」

「私、どうしたら……」

 メリアはまた俯く。

「い、いや、悪いのはオレだから。あ、あ、あんなこと――」

 気の利いた言葉が続いて出てこず、とりあえず目力にモノを言わせつつプラス頷く仕草でメリアに詫びる。だが、それは余計な行為だった。

「部田さん……」

 彼女も言葉ではなく目で何かを訴えかけてきた。

「メリア?」

 オレは彼女の真意を読み取ろうと同じように目線を合わす。すると心なしかまたメリアの瞳が潤んできているように見える。

「部田さん……」

「メリア……」


「「じーっ」」

「……ハッ!!」


 しまった。オレとメリアのやり取りをシルクとガイアが食いつきそうな目で見ていた。

「部田さん、もしかしてまた発情してしまいましたか?」

「ち、違う! そ、そうじゃなく―― と、とにかく違うんだ。信じてくれ!」

 オレはガイアの両肩をがっしり掴んで何度も揺すって潔白を訴えた。

「お、落ち着いてください、部田さん」

「こわいよ~、ブタしゃんがこわい~」

 シルクが泣き出した。


「うるさ~い!!」


 ついにアテナがキレた。いや、キレたは言い過ぎか。ただ、ちょっと怒って大きな声を出した程度なのだが、それでもアテナのこういう態度は初めて見た。


「あれ、みんな何やっているの?」


 マズイ。余りに騒ぎすぎた。さすがに麗に感づかれてしまい、逆に声をかけられるという失態を演じてしまった。

「ああ、いや、その~、ちょっと晩飯のことでモメちゃってさあ。麗は何か食べたいものあるか?」

「え? ん~、部田に任せる」

 麗は小首を傾げてから笑顔で答えた。

「そうか、わかった」

「じゃあね」

 麗はまたダイニングの奥まで行ってしまった。

 それにしてもやはりいつもの麗じゃないと確信した。こんな『可愛げな女子』ばりの反応……

「いや、ない! 絶対にありえん」

「そりゃ、言い過ぎじゃねえか? 麗が可哀想だろ」

 急にエキドナが突っ込んできた。

「何がだよ?」

「は? だからブタが可愛い女子みたいな反応する麗がありえないと言った事にだよ」

「なぬ!? なぜそれを!!」

「だから今、自分で言っただろうが! お前馬鹿か? いや、ブタか」

 なんということだ。オレは思ったことを口に出していたのか。

「いや、そのショック受けた顔おかしいだろ? 元からちょくちょく頭の中で浮かんだことをそのまま口にする癖があるじゃねえか」

 そうだった。何をエキドナに全部解説されてんだよ、オレ。全部自分のことじゃん。


「子豚ちゃん、説明してもいいかしら?」

 アテナが珍しく真顔でオレに話しかけてきた。

「えっ? もしかして治せるのか?」

 オレは期待をこめて返答した

「いえ、病気ではないから治療は無意味ね」

「じゃあなんだ?」

「そうね、次元が違うというか別世界というか、偽者とかではないけど、もちろん本物でもない……と言ったところかしら~」

「なぬ!? オレはそんなあやふやで『はかない』存在だったのか!? 一体オレは何なんだあああ!!」

 オレはある種の絶望感に苛まれ絶叫した。

「はあ? 子豚ちゃん、何を言っているの?」

「だからオレがはかなくて消え行く存在だって……」

「子豚ちゃんのことなんか一言も触れていないのだけれど。しかも『消え行く存在』って……なんだかキモいわ~、自分がおとぎ話の主人公にでもなったつもりなのかしら~、変態のくせに~」

「な、なんだと!?」

 真顔から蔑みの表情に変わったアテナ。一方でオレの方はと言えば、超ナルシスト系の勘違いをしたまま話を聞いていたことにハンパない恥ずかしさを自覚しつつ、アンド顔から火が出るんじゃないかと思うくらいの熱感覚をこのとき初めて経験したのであった。

「ブタ、お前まさか自分をオカズにしたりとかしているんじゃねえよな? うわ、キモ!! 変態だ、近寄るな」

「な、な、なんだと!? そ、そんなことするわけないだろうが!」

 今度はエキドナだ。勘違いだってわかっているはずなのにここぞとばかりに面白がっている。


「あの……それで麗さんは?」


 おお~、メリア~、貴方はなぜメリアなの? その一言を待っていた。そうだよ、今は麗のことだ。

「メリアちゃんはどう思う?」

 再び真顔になったアテナがメリアに意見を訊いた。これは珍しい。それほど麗の状態は不可解なのだろうか。アテナは魔女の中でも最高ランクの『力』の使い手だ。彼女でもわからないこととは……

「私にもハッキリはわかりません。誰かが化けていることはないですね。操られているのとも違う。確かに麗さんなのですが、でも違う……すみません、やはり詳しくはわかりません」

 メリアでも事実上の白旗か。こうなったらあとはヤツしかいないよな。若干不安は残るが……


「はい、呼びましたか?」


「おう。麗がおかしい。解説しろ」

「は?」

「だから麗がおかしいんだ」

「は? 別に座っているだけのように見えますが何が可笑しいのですか?」

 オレの召喚にいつもどおり迅速に応えたその男は、いつもどおり『なり』だけは司祭様で中身はテキトー、いつもどおり眼鏡のブリッジ部分を押さえ、麗のいる方向を凝視した。

「お前、わざと言っているだろ? そのおかしいじゃなくて様子が変だと言う意味でのおかしいだ」

「いいえ、とぼけてなどおりません。それほど特に麗さんの様子に異変を感じないということです」

 どうやらコイツはふざけてなどいないようだ。


「おい、ハガイ」

 オレは小さく咳払いをしてから改めてヤツに尋ねた。

「は?」

「本当に麗を見て何も感じないのか?」

「可愛いなとは思いますよ」

「は? マジで言ってんのか?」

 駄目だぁ、こりゃ。ハガイは全く役に立たん。


「おい、メガネ」

「ああ、エキドナさん」

「ゼカリヤ呼べよ。アイツならわかるかも知れねえ」

「は、はい?」

「聞こえてんだろ? ゼカリヤだよ」

 エキドナはかなりの圧力をハガイに掛けている。それにしてもゼカリヤか……どこかでオレも聞いた名だ。誰だっけ?

「え、え~っと、セコイヤ?」

「いい加減にしろよ、メガネ。お前が尻を追いかけ回しているゼカリヤだよ。ブタの学校にもいたじゃねえか」

「ほ、ほ~う、そうでしたか? いや~誰だろ」

 ハガイは有り得ないほどの汗のかき方だ。ここはサウナか?

 それにしても『ゼカリヤ』という人がウチの高校に居たって?

「あくまでもシラを切るつもりか。チッ、しょうがねえな。お前が呼ばないなら私が呼ぶ」

「え! あ! ちょ、ちょっと待っ――あうっ!」

 エキドナは瞑目しつつ、すがりつくハガイも軽く蹴り飛ばし……

「ゼカリヤ、エキドナだ」

 小さくそうつぶやくとオレ達の前に瞬時に姿を現したのは……



「だから、隙を作るなと言ったのだ、部田」



「えええええええ!!!!!!」



 自分の目玉が飛び出たかと思った。それほどオレは驚いた。

 ゼカリヤとは――


「さやか先生!?」


「エキドナ、学校では言えなかったが久しぶりだな。お前が部田と一緒にいることになるとは世の中狭いな。ははは」

「うるせえ」

 オレは動転していてイマイチ関係性がわからないが、とにかくエキドナとさやか先生は顔見知りであることは間違いない。そしてどうやらさやか先生はただの人間ではないらしい――ってマジか?

「さやか先生」

「ん?」

 さやか先生はオレの呼びかけに応じ、こちらを向いた。

「先生はゼカリヤという名前なんですか?」

「まあ、そうだが、学校では『伊集院さやか』だし、貴様は私の生徒なんだから今までどおりに呼べ」

「は、はい」

「それはそうとあの白神……」

 今度は麗のほうを向きながらつぶやくさやか先生。彼女の目元が少し険しくなった気がした。

「ゼカリヤ、何かわかるか?」

 エキドナが本題に入る。

「そうだな、アレはたぶん別次元の白神だろう」

「どういうことだ?」

「平行世界か裏側の同一人物か、ちょっと詳しいところまではわからんがな」

「お前でも完全にはわからないのか?」

「うむ。癪に障るがそのとおりだ」

「誰の仕業と思う? それから何が目的だと思う?」

「そうだな、やはり異世界のヤツだろう。案外『裏』のおまえだったりしてな、ははは」

「んなわけあるか。目的は?」

「わからんな」

 ずっとエキドナとさやか先生の会話だけが続いている。オレは二人の話の内容を必死で聞いていたが、それよりも『何でエキドナとさやか先生が知り合いなのか』とか『さやか先生がゼカリヤならばハガイとはどういう関係なのか』とかそもそも『さやか先生は天界に居るのか魔界に居るのかはたまたやっぱり人間なのか』とかそういうことが気になって集中できない。さらに『平行世界』について、以前エキドナはその存在を否定していたはずだ。あ~もう、疑問だらけで訳わかんなくなってきたぞ。


「今は教えてやらん」

 急にオレを見ながらさやか先生が言った。

「え?」

「だから私の正体だ」

「そ、そうですか」

 やはりさやか先生も人の心の中が読めるのだ。――ということは……う~む。これから学校でやりにくいよな。

「さて、どうするか……」

 さやか先生は腕組みを緩め頬杖をつく。

「おい、メガネ!」

「は、はい!」

 急にエキドナがハガイを睨む。

「愛しいゼカリヤが悩んでいるんだ。なんとかしないと嫌われるぞ」

「はい! えっと……う~んとですね……ええっと」

「どうした? 何か良い解決策は無いのか!?」

 エキドナが一歩にじり寄る。ハガイはタジタジだ。

「う~む……、そ、そうだ!!」

 何か思いついたのだろうか、ハガイは右こぶしでポンと左手のひらを叩いた。

「よし、なんだ?」

 エキドナはハガイの顔に自分の顔を近づけた。

「とりあえず私は帰っても良いでしょうか? お役に立てそうもないし」

「……ここで死んでからあの世へ還れ!」

「びむ!」

 エキドナの鮮やかなアッパーカットがハガイの下顎を捉え、その体は背面跳びの選手のように美しい曲線を表現し、天井すれすれまで宙に舞ってから床に落ちた。


「本人に直接聞いてみたらどうですか?」


 ガイアが思わぬことを言った。

 だが、これは意外に良いアイデアかも。誰かが麗に成りすましている訳でもないらしいし、何かしらの薬物、魔法や超能力で操られているわけでもないとウチの5界連合+さやか先生(詳細不明)が統一見解を出している。ならば、いっそ本人にいろいろ尋ねても問題はないのではないか?

「どうだ、みんな。麗に直接訊いてみるか?」

「そうね~、何を質問したらいいのか困るけど」

 アテナは一応同意ということだろう。

「他のみんなは?」

 オレの問いかけに特に明確な返事はなかったが、皆が一様に頷いた。ちなみにこの間、床で大の字になっているハガイは放置されたままだ。

「よし」

 意を決したオレはなるべく自然に麗のもとへ歩み寄った。

「う、麗」

「え?」

 壁に向かって正座をして動かなかった麗がゆっくりと振り向いた。その瞳はどこかうつろだ。

「あ、あのさ、麗はオレ達のこと、知ってる?」

「え?」

「い、いや、だからオレ達がどういう人か知ってる?」

「え? 部田ったら何を言っているの。当たり前じゃない」

 我ながら間抜けな質問をしてしまった。だが、弁解させてもらうと質問が間抜けなのではなくて言葉が足りていないだけだ。

「質問を変える。麗、オレの性格を言ってみろよ」

「え~? どうしちゃったのよ、気持ち悪い」

「いいから」

「う~ん。ワイルドでクール……」

「あ、もういい」

「えー? 何よ、勝手に変なこと聞いておいて」

「悪い、悪い。なんでもないんだ。ごめんな」

 オレは会話を打ち切ると麗以外の皆を先ほどまで居た玄関とダイニングの間の角のところに行くようアイコンタクトで示した。


「やっぱりゼカリヤの言うとおりかもな」

「そうであろう?」


 麗から見えない場所に着くと、オレより先に口を開いたのはエキドナとさやか先生だった。

「なんたってブタのことを『ワイルド』だの『クール』だの……ぷぷっ、ぶわっははははは」

 エキドナがたまらず大笑いしている。オレはその態度にちょっとムッとした。これでもオレは男だ。自分のキャラには全く当てはまらなくとも、ちょっとくらいは危険な香りのする男みたいなやつに憧れてたりするんだよ。それをあそこまで――

「おい、笑いすぎだろ」

「だがな部田、貴様だって白神の返答が変だと思ったから途中で話をやめたのであろう?」

「え、ええまあ」

 エキドナに文句を言ったのだが、さやか先生が言い返してきた。

「じゃあ、仕方ないだろ?」

「は、はあ」

 さやか先生が本当は何者であるか知らないが、ハッキリしているのはオレの担任であることだ。やっぱり先生から何か言われるとなんとなく反論できない。これって何だろうな。授業や学校とは関係ないのに。

「しかし、これでは埒が明かんな」

 さやか先生が腕組みをしながら嘆く。


「私も兄に来てもらおうかしら~」


 急に話の流れを切った発言をしたのはアテナだった。

「えっ!? あのアニキ?」

 エキドナがちょっと迷惑そうな顔になった。まさか面識があるのか?

「う~ん……」

 さやか先生が目を瞑り腕を組みなおして唸り始めた。先生も知っているのか?

「アテナ、私はちょっと苦手だぞ。それにウチのアニキと最悪の関係なのは知ってんだろ?」

「エキドナちゃん、そんなこと言わないで。あれでも良いところあるんだから~」

「……すごいな二人とも」

 思わず口を挟んでしまったが、あのエキドナが苦手意識を持っている上に魔界のアモンと対立するだけの力があるって、アテナの兄とはどんな人物なのだろうか。……あ、人じゃないな。


「確かに『ポセイドン』なら白神に起きていることがわかるかもしれないし、悪くとも元には戻せる。頼んでもいいか?」

 さやか先生は決断したらしく、アテナに彼女の『兄』の召喚を依頼した。それにしてもポセイドンってすげえ名前だよな。やっぱり海的な大物って感じ? でもロボ的な感じもするしなぁ。



「呼んだね?」



「ひゃ!! うご!」

 オレの耳元でダンディな男の声が少し大きめのボリュームで聞こえたため、いつものようにおったまげたのだが、エビみたいに跳ねたせいで壁に衝突した後、床に前のめりに倒れて下腹部をしたたかに打った。

「おっと、これは失礼。驚かせてしまったようだ」

 アソコをさすりながらも目線を上にやるとそこにはちょっとラテン系……と言っても中南米の方だが、そっちの血が混じっているかのような高身長イケメンが純白のスーツとその下からチラ見している赤の開襟シャツに身を包み佇んでいた。

「ホセ・伊藤……って名で転入しようかと思ってるんだが、どうだセニョール?」

「……は!?」

 訳のわからないことをオレに聞いてきたソイツはニヤけつつオレに接触スレスレ(唇が)の距離に近づいて、胸のポケットから一輪の赤いバラを抜き、そっとオレの……鼻の穴に刺した。

「うぎいいいいいい!」

 全く予期せぬ攻撃(?)と痛みにオレは身をよじりながらあえいだ。

「おやおや」

 このラテン野郎は自分でやっておきながらオレの派手なリアクションにいささか驚いた態度をしている。何を考えている!

「お兄様! 悪ふざけはほどほどにお願いします」

「おお、アテナ。久しぶりだな、何か用か? いや、待て! 知っているぞ」

 やはりアテナのアニキのようだ。それにしても初ゼリフに続いて今の言葉もよくわからん。ひとりで問答している。


「ふ~む、ありゃ異次元というか異世界人の仕業か……それとも……」


 アテナのアニキは麗の方を見ながら即答した。

「ポセイドン」

 さやか先生が少しいかついトーンでアテナのアニキ(どうやら『ポセイドン』=『アテナのアニキ』で間違いないようだ)を呼んだ。

「ほう、ゼカリヤじゃないか。なるほど貴様の許可があったから私もここにこれたわけだ」

 なんとポセイドンもさやか先生と知り合いらしい。一体どういう人間関係なんだ? 人間じゃないけど。

「いいか、ポセイドン。ホセ・伊藤って名は絶対におかしいぞ!」

「何!? マジか!?」

「……マジだ。少なくとも私が教鞭をとっている高校ではあり得ん」

「なんということだ……」

 さやか先生にズバリ指摘された後、ポセイドンは膝をガックリとついて頭を抱えた。

「お兄様……名前のことはあとにして、麗ちゃんを何とかしてもらえないかしら?」

 アテナはいつものおっとりした口調が消えてキレのある言い方で兄に語りかける。それにちょっとイラついているのだろうか? 目つきもちょっと怖い。

「……わかったよ、アテナ」

 ポセイドンは今までの顔とは一変し、急にシリアス顔になったかと思うと麗の方を向いてから少しだけ睨んだ。そのわずかの間、彼の瞳が赤く変化したかのようにオレには見えた。

「よし、終わった」

 ポセイドンは小さく息を吐き、首を小さく上下左右に振り、コキコキ鳴らした。

「有難う、お兄様。ところで一体何が起きたのかしら?」

 オレもアテナと同じ疑問を持っていた。これは是非とも知りたい。プリンセスたちでもわからない事象がこのチャラ兄貴によってその謎が明かされるわけか。


「やはり異世界の彼女の意識と入れ替えられていた。しかし……目的がわからない。戯れにしては高度過ぎるし、見返りも少ないだろうしな」

 瞑目しながら語るポセイドンから少し怒気を感じる。それと同時にビリビリと静電気のようなものがオレの体全体で認識できた。これは一体なんだ? 

「とにかく、あのギャルの人間性を変更することによって誰かを困らせるとか何かの邪魔立てとか?」

「それって?」

 アテナは尚も兄に問う。

「遺恨? 私怨? とにかく何か犯人にとって気に入らないことがあるんだろうね~」

 ポセイドンは目を開けると再び涼しげな顔に戻り、何かとんでもないことを言った。

「あ、あのお兄さん、異世界って……」

「ん? 誰だ、君は? オレはお前なんかに兄と呼ばれる筋合いはない!!」

 さっきは文字通り出鼻にオレの鼻の穴へバラを刺したくせに、今度は一転して初めて目にしたかのような態度、一体何が目的だよ! アテナの兄さん不可解すぎ!

「え!? あ、あの……」

「な~んちゃって。キミが部田君だろ? 知ってる、知ってる。オレ、ホセ伊藤」

「……はあ」

 ポセイドンが発する言葉は余りにも奔放で、会話のキャッチボールが成立しない。ったく……

「なんだぁ~、気のない返事だな。ヤル気ある!?」

「は!? やる気って何のやる気でしょうか?」

 オレが当惑していると変人兄貴の妹の助け舟が入った。


「お兄様、子豚ちゃんで遊ばないで」


 とにかく超絶マイペースなアテナの兄……しかし、どっかでこのノリ、既に経験したような……


「似ています」

「え?」


 自分の口を両手の平で押さえながら、メリアはポセイドンを凝視していた。

「いえ、もちろん外見は全く違いますが、あれは若いころの父と全く同じ性格です」

「なるほど、そうか!!」

 メリアのおかげでわかった。ポセイドンという男は精霊王リラクシーとキャラが酷似していた。しかもメリアが父親と話しているときの少しイライラした感じまでが、アテナの今の態度と酷似している。親子と兄妹の違いはあれ、プリンセスたちはああいうタイプが嫌なのかね。

 それはそうとハッキリしておかなくてはならないことがある。


「おい、エキドナ」

「なんだ、ブタ」

「お前、平行世界はないと言ったよな? アテナの兄ちゃんはそれとは違う見解のようだがどうなんだ?」

「うむ。確かにメリアの親父とアテナの兄貴は似ている。だが、メリアの親父は純情馬鹿、アテナの兄貴はスケコマシのタラシだ。そこが大きな違いだ」

「ほう、そうなのか、知らなかった……ってそうじゃない!! オレが聞いているのは平行世界のことだ!!」

「は?」

 エキドナは素っ頓狂な顔をした。

「何をとぼけているんだよ! お前、この高校時代に飛ぶ前に過去はいじってもいいけど未来はダメとかそういう話になったとき、平行世界なんかねえとか言ってたじゃんか!?」

「はあ!?」

 エキドナは一層合点がいかないと言わんばかりの顔つきに変わった。

「だから――」

「いや、言ってねえぞ、そんなこと……」

「え!?」

「本当だ。ブタの記憶違いだろ」

 よほどオレの発言が信じがたかったのか、今度は心配げな目線をオレに向けている。


「まあまあ、エキドナちゃんも子豚ちゃんも。とにかく麗ちゃんが戻ったんだから良いじゃない?」

「確かにそうだ」

 エキドナはアテナの陰に隠れるようにして目をそらした。らしからぬ態度だ。

「う~む、ちょっと納得いかないが、まあこの件は後にしよう」

 そう。麗のこともアテナの兄ちゃんの出現もさやか先生の正体とかもう、いっぱいあり過ぎて頭の中の整理ができん。ここで平行世界のことをエキドナに食って掛かってもいいが、優先順位的に間違っている。


「部田」

「え? あ、はい」


 さやか先生が不意にオレの名を呼んだ。

「わかっているとは思うが、今の貴様の周辺は極めて特殊な状況下にある。すぐにどうこうということはないだろうがさらに面倒なことが絡んでくる可能性は高い。覚悟は必要だろう」

 腕組みしながらハンパない目力で力説するさやか先生。

「え? あ、はい」

 彼女のあまりの迫力に押され、返事が適当……というか呼ばれた時と同じになってしまった。


「なんだ、その生返事は! このうつけ者!! ちっともわかっておらんではないか!!」

「ひいいいいいい」

 恐い。本当に恐い。さやか先生こそ、全ての世界の頂点に君臨する絶対女王なのではないだろうか。


「子豚ちゃん、ビビリ過ぎ」

「いや、ブタだから『ブヒり過ぎ』じゃねえか?」


 またアテナとエキドナがおちょくってきたが、その時のオレはそんなことどうでも良かった。それほどさやか先生はおっかなかった。ド迫力だ。ドデカホーンだ。

「いいか、部田。本当に真剣になってもらわないと困る。それほど大きな問題なのだ」

 今度は一転して諭すように語るさやか先生。ただ、やはり目は真剣そのものだ。

「わ、わかりました!」

 思わず即答。

「よし。じゃあ、今日のところは引き上げるか。お前らもだ」

 さやか先生はポセイドンとハガイに声を掛けたが、ハガイはまだ大の字だ。

「……ったく、使えないヤツだ」

 そう呟いたのち、まるで格闘家が叩いたかのような乾いた重い平手打ちの音が響いた。

「……う、うう」

 弱々しいうめき声と同時にゆっくりと瞼を開けるハガイ。

「よし。コイツも目を覚ましたし、あとは頼む。生徒の家から担任が出てくるのは別におかしくはないが、こういうご時世だからな、念のためこの場で失礼する。じゃあな、部田。さっきのこと、くれぐれも忘れるなよ」

「は、はい!」

「ゼカリヤ! このメガネ野郎はどうすんだ?」

「お前がぶん殴ったせいであろう? ならエキドナが処理しろ。では失礼」

「あ、おい!!」

 さやか先生はエキドナの声掛けにつれない態度をとりつつこの場を去った。もちろん消えちゃう方の帰り方で。

「チッ、アイツ……」

 エキドナは舌打ちしつつ、未だ這いつくばっているハガイの頭を右足でゴリゴリ踏みつけていた。絵ズラは例えて言うならSMクラブの一コマである。


「それでは私も失礼する。アテナ、行儀よくするのだぞ。あまりこちらの人たちに迷惑をかけないように」

「……え? お兄様?」

 こちらの兄妹の会話も片方が一方的にしゃべって本人はさっさと消えてしまった。それにしてもホセ兄さん、なんか常識人っぽい去り際だったな。人じゃないけど。

「……」

「どうしたアテナ?」

「お兄様が普通の態度で別れの挨拶をするなんて、今後一万年くらい無いことじゃないかしら~」

「ええ~!? そんなスーパーミニマムな回数しか真面目な態度しないの!?」

 ホセさんはかなり風変わりだということは十二分に理解したつもりだったが、実妹のアテナが言うにはもっと途方もないスケールで変わり者らしい。

「え、じゃ、じゃあそれってつまりどういうこと?」

 一万年に一回くらいしかマジにならん人がマジになったということはどういうことなのか。いや、人じゃないのはわかってるし。人なら一万年とか生きられないし。それは些末なことであってね……


「そうね~、銀河の終わりかしら~?」

「……え?」

「だから銀河の終わりかもね~」

「ええええええ――ばう!!」


 銀河の終わりと言われて衝撃を受けたオレはよろめき、壁に思いっきり後頭部をぶつけた。そしてそこから記憶が無い。

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それは小さな5界です 大宗仙人 @oomune

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