第十九話 5界の兄

 翌朝。

 球技大会中で夏休み直前に転入というのもおかしな話(もちろんハガイに頼めばなんとかなっちゃうのだろうが)だし、オレ達も構ってあげられない。シーリーには今日のところは冥界で待機するよう伝えた。

 さて、昨日は途中で気絶したのにMVPというありえない離れ技をやってのけたオレだが、言うまでもなく達成感ゼロなので、今日こそ自分の意識を保持したまま全うするとの決意を胸に秘めての登校となった。

 昨晩オレをいやらしいと罵った麗とは会話をしていない。さすがのオレもちょっとムカついたからだ。

 昔、付き合っているときはこういうことがたまにあったが、別れてからは初めてだ。そういう意味ではプリンセス達が来てからオレと麗の関係も今さらながら再び濃密になってきている証であると言えるのかもしれない。


「と、部田さん」

 学校へ向かう街路樹。無言で歩くオレにガイアが声をかけてきた。

「ん?」

「ちょっといいですか?」

「ああ」

 ガイアは歩調を緩め、他の皆より2~3メートル後方に下がった。仕方ないのでオレも彼女に合わせる。

「あ、あの……麗さんとはまだ……ですか?」

「え?」

「えっと……まだ仲直りしていないのですか?」

「ん~、ま、そうかな」

「部田さんはこのままで良いとは思ってませんよね?」

 ガイアの目はいつになくマジだ。

「あ、ああ……」

「じゃ、じゃあ――」

「ガイアちゃ~ん。夫婦喧嘩は犬も食わないって言うの。放っておきなさいな」

 アテナがこちらに振り返りながらわざとデカイ声で言い放った。

「「……」」

 オレと麗は聞こえないフリするをするしかない。反応したら通行人に『当事者は私達です』って言っていることになる。

「アテナさん、もともと犬族の方は喧嘩している夫婦を狙って食べたりしませんよ!」

 思いっきり的外れ且つ物騒な発言を純な笑顔と共に答えるガイア。

 一体、オレ達って周りからどう思われているんだろうな?




 球技大会二日目。

 オレが出場する種目は昨日でほとんど日程を消化してしまった。なので、今日はもっぱらただのギャラリー(監視役)として、ただただ平穏無事にイベントが終わるよう、祈り続けるのがオレのメインのノルマである。

 オレの心配をよそに意外にもアテナとエキドナは昨日とは打って変わって特異な行動もとらず、普通の元気な高校生を演じている。理由はわからん。

 ガイアとシルクもやんちゃな感じがしただけで、やはり正攻法(?)で人間界の球技を楽しんでいる。

 どうしたのかね、うちの子たちは。

 あとはメリアなんだが――

「君も参加しておいで」

「……はい。でも……」

 今日のメリアは学校に着いて以降、オレの傍を離れようとしない。と言ってもピッタリ寄り添うほどでもなく、微妙な距離を保ちつつ――いわゆる『付かず離れず』の状態を維持している。

「何か言いたいことでもあるのかい?」

「……いいえ、すみませんでした。競技に参加してきます」

 うつむき加減のまま、オレからゆっくりと離れるメリア。表情もやや硬い。


「おい、トリ」

 オレがぼんやりとメリアの後姿を眺めていると不意に声をかけてきたのは――

「おお、タケ。昨日はすまなかった。オレを保健室まで運んでくれたんだって?」

「ああ、まあな。それは別に気にするな。それよりお前の親戚の子達、みんな今日は元気が無いけど一体どうした?」

「え?」

「だから、あの子達みんな元気が無いと言っているんだ」

「そ、そうか?」

 確かにメリアは明らかに様子がおかしいが、他のプリンセス達は少なくとも元気が無いという印象は受けない。

「何をとぼけている? 明らかにおかしいだろ? 誰でも気づく。お前なんかしたのか?」

「いや……」

「そうか。だとしたらお前は相当な鈍感ということになる」

「な、なんだと?」

「みんな様子がおかしいというのは、お前が原因以外にあり得んだろう? 簡単な理屈だ」

 タケの言うとおりプリンセス達全員の様子がおかしいならそれもわかる。だが、メリア以外はやっぱり特段様子が変とは思えない。

「いや、やはりわからん」

「じゃあ、白神のことはどう説明する? アイツが一番、元気がない。疑う余地は無いぞ」

「う! そ、それは……」

 タケはマイペースのように見えて、人を良く観察している。ありがたいときもあるがこういう時は正直困る。

「何があったか知らんが、周りにあまり心配を掛けるな。ほら、知床もずっと見てるぞ」

「え?」

 タケが指差す方を見ると、サッカーのギャラリーの中でも一人だけコートではなく、こちらをじっと睨んでいる女子生徒が確かに居た。向こうもオレが視線を送っていることに気づいたようだが、なぜかありえない速さで逃げるように走り去っていった。

「あ、ホントだ。何やってんだアイツ、実行委員長のくせに」

「……まったく。お前こそ何をやっているんだ。それどころではないはずだろう?」

 タケは大きなため息をつくと背中を向けてしまい、その姿はいつの間にかジャージの集団の中に消えていた。

「あ、タケ……」

 『それどころではない』とは一体どういう意味だ? よくわからないが、とにかくタケからあそこまで言われちゃうと、さすがに放置できないか。しかし、麗に何て切り出せばいい? 『麗、悪かったな。ちょっとオレも過剰に反応しすぎた』とか? いやいや、何の根拠もなしに勝手な思い込みで『いやらしい』と罵られたんだ。なぜ謝らなければならない。

 う~ん。困ったな。


「うぼ!!」


 あれこれと脳内堂々巡りをしているときにまるで力士に張り手を食らったか雷の直撃を受けたかと錯覚するほどの重く激しい痛みが左側頭部に走った。

「……うう」

 オレはしばらくその激痛を耐えていた。

「おい、部田、大丈夫か?」

 顔を上げるとそこにはいたわりの言葉とは裏腹に薄笑みを浮かべた我が女性担任教師の顔があった。

「うむ、どうやら大したことはないようだな。だが、目の前で球技を行っているのに間抜け面というかボケっとしている貴様も貴様だぞ」

「は、はあ」

 オレは足元に転がっている物言わぬ加害者であるサッカーボールを睨むしかなかった。

「部田」

 さやか先生の口調が少し変わった。

「は、はい」

「内輪もめなどしている場合ではない。気を引き締めろ。ここも安全地帯ではないのだからな」

「え?」

「さっさと白神と和解しろ。隙を作るなと言ったんだ。わかったな?」

「え? それってどういう……」

 さやか先生はオレの質問に返答することなく首からぶら下がっていたホイッスルを口にくわえてから踵を返すと小走りでサッカーコートのレフェリング任務に戻った。。

 なんだ、まったく。

 タケも先生も警告だけしてこっちが詳しく尋ねるタイミングをくれない。

 顔面の肉体的苦痛に耐えながら麗との一件を思案し、さらにプリンセス達の監視もしなくてはならない。その上、また今度は担任と友人が意味深なメッセージまで残してくれるものだからその意味まで考えねばならんとは。

 全くオレってどんだけ忙しいヤツなんだと一人ぼやきつつ、ちょうど木陰となっているグラウンドが見渡せる階段に移動してから腰を下ろした。

 日陰のコンクリは思った以上にひんやりしていて心地よく、見知らぬ上級生同士のサッカーの試合を観戦していても苦にはならなかった。

 

「ここは意外と涼しいですね」

「え?」


 オレが腰掛けた周辺には誰もいなかった。後から来たにしてもオレだって一応人並みの五感は有しているつもりなので、必ず気づくはずだ。だが、オレに話しかけてきた声の主は既にいわゆるパーソナルスペース内にいた。

「おっと、これは失礼。驚かせてしまいましたか?」

「い、いや。まあ、少し」

 実際は仰天するレベルだったが、見栄を張って平静を装った。なぜそんなことができたかというと、その男子生徒が女子の髪のようなサラサラの前髪を少しキザにかき上げながら、あまりにも爽やかな微笑とともに詫びやがったからだ。そんなすかした野郎にいつものような間抜けな驚き方をしてしまったらオレが哀れすぎだ。だからクールに決めた――ということにしておこう。ホントは単にボーっとしていただけだったとしてもだ。

「貴方が部田さんですね?」

 突如出現したその少女マンガに出てきそうなちょっと中性的な雰囲気の色白北欧系イケメンはやはり涼しげなスマイルとともにオレに問いかけた。

「あ、ああ。そうだけど、君は?」

 ジャージの色を見る限りオレと同学年のようだが。

「重ね重ね失礼。私はつい先週こちらへ転校してきたものでしてね、ご存じないのも無理はありません。実は同じクラスなのですよ」

「え、そうなの!?」

「ええ」

 おかしい。先週からならオレは既にこの仮の過去で日々を送っている。転校生ならちゃんとさやか先生から紹介があるはず。

「う~ん……覚えてないな」

 オレは腕を組んだまま宙を見上げた。全く記憶が無い。

「ああ、そういえば私が教室に初めて来た時、貴方はちょうど席を外されていたようでした。何でも気絶して保健室で寝ていると聞かされましたが」

 イケメンは右手の人差し指を立てながら立会い演説のように流暢に指摘した。それはそうと――あの時か。昼休みに購買の前で恥ずかしい動きとともに気を失ってしまうという大失態を演じたときのアレだ。

「あ~、そのときね。はいはいわかりました。大丈夫、大丈夫」

 何が大丈夫なのかは自分で言っておいてよくわからないが、とにかくこの男が深く追求してくる前に軽やかにあの事件のことはスルーしたかった。その結果ちょっとだけ返答が少しおかしくなっただけなのだ。――ま、これも言い訳になっていないか。

「……ええっと、そうだったんですか」

「そうそう。それで? (オレのことはいいから)」

「その後は私の家の都合で登校できず、この球技大会からようやく毎日通えるようになったのです」

「ほう、それで君の名は?」

 どっかの中小企業の社長のような物言いになってしまったが、イケメンがいつまでも名乗らないせいだと弁解しておく。

「亜門明と申します」

「あもんあきら?」

「ええ、以後お見知りおきを」

「わかった。よろしく」

「それでは私は参加競技があるので失礼」

「ああ、またな」

 オレは亜門と軽く握手をしてから別れた。


「おい、ブタ」

「ひっ!」


 亜門の後姿が体育館に消えたとき、急に聞き覚えのある声が背後からした。驚きのあまり、少女の悲鳴のようなおかしな声が出てしまった。

「ちっ、相変わらず情けねえヤツ。いい加減に私らの声ぐらい覚えろよ」

「なんだ、エキドナか」

「なんだじゃねえよ。お前兄貴と何を話していたんだ?」

「ああ、ええとだな自己紹介……なんだと!?」

 そんなつもりはなかったが、ノリツッコミと同じ返答をしてしまった。

「いや、遠くて最初はよくわからなかったが、魔界のオーラを感じた。限界まで抑えているようだったが、さすがに私は気づいた」

「なぬ!? 兄だと!?」

「そうだよ!」

「そ、そんなバナナ!!」

「……今すぐ魔界の最深部に封印してやろうか」

「冗談だ。つうか、ハガイのせいだ。それより本当に兄さんなのか? オレには信じられん。あんなシュッとしたイケメンが魔界の男だなんて。言葉遣いだって馬鹿丁寧だったぞ?」

「間違いない。それがウチの兄貴の特徴だ」

 ううむ、にわかには信じがたいがエキドナがそう言っているのだから間違いないのだろう。


 その時、オレの頭上から風を切るような金属音が近づいてきた。

「ん? ――うぱぁ!!」

 直後、すぐ横に何かが墜落した。凄まじい地響きと衝撃音だった。オレは地面にはじかれるように上空へと飛んだ。人が自力で跳躍できる高さをはるかに超えていたと断言できる。そしてこの時のオレはムササビ(モモンガでも可)のように四肢を広げながら地面に落下した。

「げえっ」

 踏みつけられた蛙はこう鳴くのだろうか。自分で発した声とはいえ、人らしからぬ声音に悲しくなった。


「部田さん!!」


 地べたに這いつくばった体勢から顔だけ持ち上げるとそこにはメリアが立っていた。あの美しい翼を広げたままで。

「メリアじゃない……か? ど、どうした?」

 小型隕石の衝突かと思わせる速さと衝撃で現れたのだ。これはただ事ではない。

「部田さんこそお変わりありませんか?」

「え? オレは別に」

「で、でも今何かに吹っ飛ばされたのではないですか?」


「わははは。おい、メリア」


「あっ、エキドナさん」

「ブタが吹っ飛んだのはお前の着地が超ド級だったせいだ」

「えっ!?」

 エキドナとオレの顔を交互に見るメリア。その顔は見る見るうちに紅潮していった。

「……わ、私」

 メリアは両手で顔を覆った。

「事情がよくわからないが、とにかくオレは平気だ、メリア」

 オレはゆっくりと立ち上がり、メリアに近づいて彼女の左肩をポンと叩いた。羽がわずかに動いた。


「あー!!、お前、またメリアにドサクサで触ったな、このドスケベ大魔神」

「な、なんだと!?」

 エキドナは笑っていた。そんなにオレの反応が面白いか?





「そうだったのか……」

「すみませんでした、部田さん」

 先ほど亜門と話していた場所で今はオレとエキドナ・メリアで並んで腰掛けている。そこでメリアがなぜ慌てて飛んできたのかを質問したわけだが、何でも物凄く強烈な邪気を感じ取ったということだった。

「メリア、それはウチの兄貴のせいだ。すまなかったな」

 エキドナが軽く頭を下げる。

「い、いえ。しかしエキドナさんの兄ということは……」

 メリアはすぐピンと来たようだった。またエキドナもそれを予測してようだが、オレはボーっとしていた。

「そうだ、アモンだ」

「なぬ? アーモンド?」

「アホは今は黙っとけ」

「な、なんだと!?」

「部田さん、魔界にいるサタンの息子の名前がアモンです」

「なぬ!?」

「ブタ、お前のリアクション、おかしいぞ。私が魔界のプリンセスなんだ。その兄貴は当然魔界のプリンスだってわかるよな?」

「当たり前だ」

「いや、わかってねえぞ。魔界のプリンスって魔王の息子ってことだ。つまりサタンの子」

「おお!! なるほど。そういえばさっき『亜門明』と名乗っていたぞ」

「……はぁ、お前、馬鹿すぎ」

「なんだと!?」

「本当にお前、大丈夫か? さっきから反応が異様に単純だぞ。それより兄貴と何を話していたんだ?」

「ああ……ええっとだな、転校してきたのでよろしく! みたいな?」

「ふ~ん、転校ねえ。ウチのクラスにか?」

 エキドナは何やら不満顔だ。しかし亜門との実際のやり取りがそういう内容だったわけだから仕方ない。

「そうだ。実質今日から登校らしいがな」

「う~ん……」

 エキドナは腕組みをして唸った。

「何か問題でもあるのか?」

「兄貴がここに来た理由がよくわからなくてな」

「単純にオレに挨拶に来たんじゃないのか?」

「ブタに挨拶してどうする? ブタ挨拶か?」

「なんだ、そりゃ。舞台挨拶と掛けているつもりか?」

「何でもねえよ。あまり掘り下げんなよ。じゃあな、ブタ」

 エキドナは少しだけ恥ずかしそうな顔を見せ、その後、スタスタと体育館の方へ歩いていった。亜門を探しに行ったのだろうか。


「メリア」

「はい」

「メリア……というか精霊界から見ると亜門、いや魔界のアモンは敵なのか?」

 メリアは返事と同時に学校のジャージ姿に戻った。ちょっと残念。

「……難しい質問です。例えばアテナさんのような魔法界の妖魔・魔女ですと、精霊界とは敵対もしているし、相互依存の関係でもあります」

「ん?」

「具体的に言うと私の父は魔女が大嫌いです。でも私はアテナさんのことが好きですよ」

 メリアの父、つまりあのチャラいギリシャ神ヅラの親父である。しかも初めて会ったとき、オレの顔を踏みつけながら現れたオッサンだ。

「メリアの親父は何で魔女が嫌いなんだ?」

「以前、聞いたときは『いいように利用されそうな気がしてしまう』と言っていました」

「何でだろう?」

「魔女と精霊は決して相性は悪くないはずです。ただ、力を合わせるなら、イニシアティブは魔女にあった方がより効果的です。つまり精霊の力は魔女によってより大きな力が出せる場合があるということです」

「へえ~」

「話が逸れましたね。しかし魔界についても精霊は似たような立場です。共闘も敵対もあります。個人的にはエキドナさんとは良いパートナーになれるでしょうが、他の方はやはり邪悪な気が私とは合わないことが多いです」

「アモンは?」

「強烈な邪気を感じました。しかしまだわかりません。エキドナさんだってかなりの邪気を持っていますから」

「え、そうなの?」

「はい」

「そんな感じしないな~」

「ほぼ完璧に封じていますから。人間並み……いえ、悪い人間より邪気は出していないと思います」

「ほえ~」

「普通の人間が邪気に当たると見る見るうちに心身の調子が悪くなります。頭痛がしたり、気分が悪くなったり、おなかが痛くなったり。急に怒りっぽくなったり、自棄になったりするときも邪気が影響していることがあるんですよ」

「……こええな」

「邪気は自分で呼び込むんです。いつも健やかな気持ちでいればそんな心配は要りません」

「ふ~ん。マイナス思考をやめるとか人を恨んだりしなければ良いってこと?」

「そうです。変な意地を張って謝らないとかも駄目ですよ」

「え?」

 初めてだろう。ここまでメリアが多くを語るなんて一体どういう風の吹き回しか。話の内容にメッセージ的な要素はあったっけ? いや、最初はオレが質問したはずであり、メリアはそれに答えただけだ。勘ぐり過ぎか。

「いいえ、早く麗さんと仲直りしてくださいということです」

「げっ! 読まれた」

「はい、読みました」

 やられた。心をメリアに読まれた。

「わ、わかったよ」

「本当ですか?」

「ああ、ほ、本当……」

 メリアはわずかに怒った感情を見せつつ、オレに顔を近づけてきた。潤んだ瞳と艶やかな唇、そしてほのかな甘い芳香のせいで少しだけクラッとした。立ちくらみと違ってこういう感じは実に心地いい。

「!!」

 メリアは何かに驚いたかのようにスッとオレから離れ、目線を斜め下に移して黙り込んだ。

「す、す、すみません。読心モードを解除していませんでした……」

「え?」

 彼女が何を言っているのか、すぐにはわからなかった。だが直後、オレがメリアに対して女性であることを瞬間的に強く意識したことが知られたのだとわかった。

「あ、あ、あ、い、いや、こちらこそ、すまない」

 露骨にエロいことは考えなかったはずだが、それでも相手に知られては気まずいレベルのことは妄想したかも知れない。いや、した。

「い、いえ……」

 メリアは俯いてしまった。これはちょっとマズイか? そうだな、もっとちゃんと謝っておこう。

「メ、メ、メリア」

 オレは動揺を隠せないまでもハッキリした口調で声をかけた。……つもりだった。

「は、はい」

 オレの呼びかけに顔を上げ、じっとオレを上目遣いで見つめるメリア。何かの術にかかったかのようにオレも視線を外すことが出来ず、見つめ合ったまま固まった。するとオレの口は勝手に……そう勝手にすぼめた形状へと変化、『ある』目的を達成せんと徐々に彼女との距離を詰めていった。メリアは既に目を閉じている。


「メ……メリ……げぅ!!」


 後頭部から右側頭部にかけてバットで殴られたかのような強烈な衝撃と痛みがオレを襲った。そして猛烈な勢いで体ごと階段に叩き付けられた。

「さ、さ……やかセン……セ」

 オレの目には世界が横向きになっており、そこには担任がやはり横向きに映っていた。だがそれはオレが上体を寝かせたまま物を見たせいであることによる誤認識だった。

「部田、球技大会の最中に何をやっておるのだ?」

 さやか先生は凍りつきそうなくらいの冷たい双眸で静かにオレを叱責した。右手には木製バットが硬く握り締められている。

 ―――フッ、なんだ、本当にバットで殴られたのか。

 よくわからないがオレは口元が少し緩んだ。そして徐々に視界が暗くなっていった。




「……た」

「……」

「……た!」

 誰かがオレを呼ぶ声がした……気がする。

「……あ?」

「ブタ!!」

「え!?」

 視界には白い天井。

「ブタ、私だ」

 声の主はオレの眼前には見当たらなかった。

「ここだ」

「あ、麗?」

「麗じゃねえ」

 ソイツは自分から身を乗り出してオレの視界に侵入、認知させた。

 なんだ、オレは寝ているのか?

「保健室」

声の主は愛想のない言い方でこの場所を教えてくれた。だが、オレはまだ正しい反応ができない。

「え?」

「だから、ここは保健室だ。ブタは気を失ってベッドで寝ていたんだよ」

「……そうか。……あれ、何でオレはこんなことになっているんだっけ?」

「あのな、お前は担任の持つバットで制裁されたんだよ。メリアに……悪いことをしようとしてな」

 詳しく説明をしてくれたヤツの瞳はオレへの侮蔑に満ちている。

「でも……ああ……少し思い出してきたかも。それはそうと誰がオレを運んでくれたんだ?」

「竹原」

「そうか、またしてもか。……タケにはあとで毎回すまないと言っておく。麗、今何時だ?」

「だから麗じゃねえっつうの。もう、放課後だ。4時半くらい」

「えっ!? そんなにオレは寝ていたのか?」

「そうだよ。他に質問あるか?」

「え? ……ああ、まあ大丈夫だと言いたいところだが、他の皆はどうしている?」

「アテナと私以外は帰ったよ。だが、ご所望の麗様は行方不明だ」

「は!? どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。本当に行方不明なんだ。今、アテナが探している」

「なぬ!?」

 オレはようやく完全覚醒し、上半身を勢いよく起こした。それとともに少しだけ嫌な予感もした。タケやさやか先生がオレに意味深な警告をしたことが引っかかる。

「心配するなブタ。アテナに任せておけ」

「あ、ああ」

 確かにアテナなら一般人1000人の捜索隊より人探しは早いかも。


「トリニータ様~!!」

「ん? ……うがっ!!」


 オレが寝ていたこの保健室の扉が廊下側から豪快に開け放たれ、何か白くてすばしっこい忍者のようなヤツが入ってきたことはわかった。だがその正体がわかったのはソイツがオレの顔にしがみついてからだった。

「こ、こら、離れなさい。シーリーなんだろ?」

 オレの顔面はエイリアンの幼生が張り付いたかのように何か柔らかくて温かいものが密着している。ただ、その程よい弾力性に富んだ二つの椀状物には隙間があり、おかげで呼吸は確保できていた。


「お邪魔します。部田君、だいじょ――」


 また誰かが入ってきた。

「その声は知床か?」

 オレの質問に答えはなく、代わりに陶器かガラスのような物が派手に割れた音がした。

「あれ、どうした? ……見えん! シーリー、離れなさい」

「はいでござる」

 ようやくシーリーがオレから離れるとそこにはやはり知床が立っていた。

「おお、やっぱり知床か」

「あ……あ……」

「ど、どうした?」

 知床はこちらを凝視し、口をあけたまま固まっているかのようだった。

「ハッ! お、お取り込み中ごめん……なさーい!!」

 目が覚めたかのような反応をした後、意味のわからない台詞とお詫びの言葉を絶叫するとまたもや全力疾走で部屋を出て行く知床。アイツはああいう支離滅裂なキャラクターではなかったよな。


「ありゃあ、重症だ」


 知床が飛び出していったドアの方向を見ながらエキドナは呆れた顔でつぶやいた。

「何がだ? 知床はどうしたんだ? さっきの何かが割れた音は?」

「超ウルトラ鈍感ブタ野郎に三つの質問のうち最後だけ答えてやる。あの女は何かお前に食い物を調達してきたんだ。それを載せていた皿を落としたんだよ」

「なに?」

 床を見ると確かに割れた茶碗のような皿のような食器の破片とご飯粒、それと手のひらサイズの海苔が落っこちていた。

「おむすびだな。自分で握ろうとしたんじゃねえの? それを……全く罪ブタきことだ」

「だから何がだ!? それと『つみぶたき』じゃなくて『罪深き』の間違いだぞ」

「知ってるわ!」

「なぬ!?」

「トリニータ様」

 エキドナへの追求はこれからだというのにシーリーがオレのシャツの裾をクイクイ引っ張った。

「どうした?」

「妹から麗様が見つかったでぇって通信が来やがりました」

「シルクから? そんで麗はどこに?」

「貴様のアパートさ、普通に帰ってきたそうですねん」

「おお、なんだそうか」

 麗が行方不明だなんてエキドナが脅かすもんだから、まさか誘拐されたんじゃないかと心配したが、ただの取り越し苦労だったようだ。

「良かったでやんすね、トリニータ様」

「お、おう。じゃあ帰るか」

 シーリー、事情は知っているが改めて言う(心の中でだけど)。君の言葉使いはおかしいぞ。つうか、なぜここにいる!?


「あら、皆おそろい? 麗ちゃんが見つかったって聞いたけど」

 忍術使いのごとく姿を現したのはアテナだった。いや、忍術じゃなくて魔法使いだから魔術か。

「おい、あまり露骨に魔法を使うな」

「あら、ごめんなさい」

 出現位置から二~三メートルはあった距離をあっという間に詰め、アテナはオレに近づき体を寄せてきた。既にオレの左腕と彼女の右腕は密着している。それから左手の人差し指でオレのわき腹をツンツンとつついてきた。

「あ、ちょ、ちょっとやめろ。そ、それはやったら駄目なヤツだ」

 恥ずかしながらオレはわき腹が弱点だ。

「ご・め・ん・ね」

「うっ・うっ・うっ・うっ」

 アテナがつつく度にへっぴり腰になるオレ。

「ほれ、ほれ」

「うっ、うっ」


「……さっきはごめんなさい。代わりの食事を持ってきたのと割れたお皿を片付けに――」


 また誰かがドアから入ってきて何か喋ったようだが、これまた何かパリンと割れた音がしてよく聞こえなかった。

「ん? おお、知床。戻ってきたのか? オレのためにすまなかったな。それとこれ、もったいないことしちゃ――ってあれ!? また落っことしたのか?」

「……」

 確かに知床はそこにいた。ただ、今度は無言のままうつむき加減で悲しげな顔をしている。

 オレは床に落ちたままになっていた知床手製のおにぎり(の残骸)を少しずつ拾いながら――

「知床、どうした?」

「……」

知床は少し目が赤い。泣いているのだろうか? そしてオレの問いかけに答えない。

「知床……」

 


「委員長さん、ちょっとおいでなさいな」

 知床に声をかけたのはアテナだった。彼女はそっと知床の肩を抱き、廊下の方へと歩み始めた。

「お、おいアテナ」

「子豚ちゃんは後片付けしておいてくれるかしら?」

「え? あ、ああ」

 こちらに振り向いたアテナの表情と言葉のトーンは『付いてくるな』と言っているかのようだった。


 数分後、アテナ一人が戻ってきた。

「さあ、帰りましょ。片付けは終わったかしら~?」

「あ、ああ、このとおりだ」

 オレは割れた皿とご飯をそれぞれ分別してから封をした二つのビニール袋を掲げてアテナに見せた。

「あの子はもう、大丈夫だから」

「……そうか」

 なんとなく深く追求しない方がいい気がしたので、知床のことは触れずにオレは皆と学校を後にした。その後帰路の途中に、シーリーのためにアテナ・エキドナ・メリアの三人がスーパーで買い物の極意を教えるとかで途中で別れて一人で帰宅した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る