第十五話 5界のクラス

「なあ、ブタ。お前、担任のオモチャみたいだな?」

 休み時間になり、エキドナがオレの席までやってきた。

「さあな」

 まだ、プリンセスたちとの高校生活は始まったばかりだというのに、オレは既に疲労困憊だった。

「顔を上げろ、ブタ。心配しなくても皆、既に溶け込んでいるようだぞ」

 エキドナに促されて周りを見ると、オレの傍に居るエキドナを除いて、プリンセス一人一人に小さな人だかりができていた。


「アテナさんの髪の毛って綺麗ね~。どうしているの?」

「メ、メ、メリアさん。か、可愛がってって言っていたけど、あ、あれ、どういう意味?」

「ガ、ガイアちゃんて、可愛いね。友達になってよ」

「シルクちゃん、『スケベ』の意味を教えてあげるから放課後にボクと二人で遊ぼうか?」


 アテナは女子に囲まれている。

 問題は他の三人だ。ウチの男子はここまで変態揃いだったっけ?

 いや、違う。他のクラスだか学年の違うヤツらが紛れ込んでいる――?

 んんん?

 良く見ると私服で禿げているヤツとかいるぞ?

「ありゃあ、部外者だろ!? まずいだろ!?」

 オレは慌てて立ち上がった。

「いや~、モテる女は辛いねえ~。既に私達は学校中で評判らしい。ははは」

 エキドナは呑気なことを言っている。

 確かにウチのプリンセスたちは5界の王の娘だ。変態がちょっかい出したぐらいでは、どうってことにはならないだろう。だが、看過するわけにもいかない。彼女達はオレの親戚という設定なのだから。


「おい! お前ら、やめろ。その娘たちはウチの親戚だ。……あ、アテナの周りに居る皆さんはそのままどうぞ。ただし、スケベ根性丸出しのヤツはとっとと離れろ!」


 よし、ビシッと決まった。やっと公衆の面前でクール且つ常識人なオレをプリンセスたちに見せられた。人間界の指南役はこうでなくてはいかん。


「なんだぁ~? 可愛い娘に囲まれているからっていい気になりやがって!」

「エラそうに! この娘たちはお前の所有物じゃねえだろ?」

「クラスメイトに話しかけて何が悪い!? 」

「若い娘のパンツが見たいだけだ! 文句を言うな!」


 プリンセスたちに集っていた連中は激しく抗議しながら、あっという間にオレの周りに近づいてきた。しかも飛び掛かって来るヤツまでもいた。

「うわ! やめろ!!」

 危険を察知したオレは反射的にその場で頭を抱えてしゃがみこんでしまった。

「うわぁぁ~!!」

 悲鳴を上げたのはオレではない。飛び掛かってきたヤツらだった。

 連中は弧を描きながら教室の端まで吹っ飛ばされた。

「な、何が起きた?」

 オレは何の抵抗もできなかったはずなのに、まるで爆破でもあったかのようにアイツらは蹴散らされた。文字通り何があったかオレには認識できなかった。

 だが、その疑問はすぐに凍解氷釈した。


「部田さんに危害を加えないでください……」


 オレの傍らには『正装』のメリアが片膝をついた格好でたたずんでいた。言葉は悪いが、それはまるで番犬のように見えた。

「メ、メリア……」

「部田さん、大丈夫ですか?」

「ああ、お蔭様でなんともない」

「良かった……」

 メリアは安堵の表情を浮かべながら胸に手を当て、小さく一息ついた。

 彼女は一体何をしたのだろうか。もちろん異能の力だというのはわかっている。だって大の男を何人も一度に放り投げられる女なんていないだろう?

「精霊界の風を呼びました」

「えっ?」

 メリアはまだ周囲への警戒を解いていない。だが、頭の中に彼女の声が伝わってきた。

「説明がうまく出来ませんが、簡単に言うと強風を空間転移させて、使いました」

 やはりメリアは声を発することなく話している。

「ああ、そうなんだ」

 オレは適切な返答がわからず、納得したことにしてしまった。

 目線を上げるとメリア以外のプリンセスたちも全員オレの周りに集まっていた。臨戦態勢というわけでもなく、突っ立っているだけだったが。

「お!? みんなどうした?」

「あ、いいえ、部田さんが無事ならそれで……」

 ガイアが真っ先に返答した。

「そ、そうか。いや、すまなかったな、心配かけて」

「……いいえ」

 ガイアとメリア以外のプリンセスたちは特に言葉を発することなく、チラリとオレの方を見た後にそれぞれの席に戻って行った。


 その時オレは複数の視線……のようなものを感じ、咄嗟に教室内を見回した。


 確かに多くの目がオレを見つめていた。

 だがそれは、一瞬にしてオレの傍に近づき守ろうとしたプリンセスたちへの好奇と驚異に満ちたものであって、オレが感じたそれではない。

 もっと……何か冷徹な感じだった。

 しばらくしてひとりは担任の伊集院先生だとわかった。向こうがちょうど廊下を歩いている時、ドアの隙間越しに目が合ったからだ。しかしそれ以外は結局わからなかった。

「部田さん」

 メリアはオレをまだ心配してくれているようだ。

「え? あ、ああ、大丈夫。何でもない、有難うメリア。ほれ、おかげでこのとおり無傷だ」

 オレはこれ以上メリアに不安を与えてはいけないとその場で軽く跳ねて見せた。

「はい……」

 メリアは小さく微笑んで、瞬く間に制服に戻り、席に戻った。

「さあ、ガイアも戻ろう」

「はい!」

 オレとガイアも着席した。

 だが、気まずくて、まだこちらを遠目に見ている伊集院先生の顔を見られなかった。そして麗もチラチラこちらを見ているのもわかっていたが、なんとなく気付いていないフリをしてしまった。悪いがまずオレの頭の中の整理が優先だ。さっきのメリアは初めて見せた『攻撃』だった。それはまだ良い。ちゃんと加減もしていたし。むしろその後の声ではない声はもっとたまげた。恐らくこれは他のプリンセス達も標準装備している機能なんだろうな。でもこれは使えたら便利だろう。人間では不可能なんだろうか?

 何れにせよ今さらそれほど騒ぎ立てるほどのものでもないか。





「ねえ、部田」

「ん?」

 昼休みになって、突っ伏して寝ていたオレに声を掛けてきたのは麗だった。

「大丈夫?」

「ん? ああ」

「でも……」

「疲れただけだ、問題ない。ところでお前、改めて見ると可愛いな」

「え、え、え!? な、何を言ってんのよ!? 寝ぼけているんじゃないの!?」

 麗は発火したかのように顔を真っ赤にして激しく動揺していた。まあ、確かにオレも何の脈絡もなく突拍子の無いことを言ったとは思う。

 だけど、見た目……いや、雰囲気がやっぱり卒業した後とちょっと違うのだ。高校時代の麗は何かが今と違う。良い意味で。

「麗、ちょっと耳を貸せ」

「な、何?」

 麗は女子らしい警戒心を見せながらオレに近づいた。

「プリンセスたち、大丈夫かな? メリアなんかいきなり大技を見せちゃったしさ」

「う、うん……」

 やはり麗も一抹の不安を感じていたのか、返事にも歯切れが悪い。

「でも、いざとなったらハガイさんに何とかしてもらえば……」

 麗は思い出したように手をぽんと叩いた。

「まあ、そりゃあそうだけどさ、それを言ったら何やったって良いってことになっちゃうじゃんか」

「まずい?」

「つまりだな、何か超能力的なものを見せるたびに周囲の連中の記憶を消したり、時間を戻したり――とかって、どうかと思うんだよ」

「まあ、そうだけど、今までだってそうだったじゃない?」

「だから、乱発するのは気が進まないってことだよ。オレ達人間は何かに失敗したときには相応の報いがある。やり直しなんかできないだろ?」

「う~ん、確かにそれはそうかも知れないわね」

「彼女達は人間界の勉強をしなくちゃいけないわけだし、異能力はTPOを考えてというか……基本的に使用は駄目だろ。そもそも最初、ウチに来たときハガイはそう言っていたんだ」

「……そうね」

 麗と話をしながらオレはプリンセスたちの様子を見ていたが、朝と違って今は5人が固まって何やら話しこんでいる。取り巻きのような連中は見当たらないが……


「あれ? 居ないのかと思ったら……なんだ、遠巻きに見物して群がっていやがる」


「え?」

 話題からかけ離れたオレの発言に、麗が少し驚いた表情でこちらを見た。

「ああ、ごめん。メリアのことがあったから周りが引いているのかと思ったけど、そうでもないようだから」

「そうね、男ってホント……」

「なんだよ?」

「いいえ、別に」

「……ま、いいけどさ、それはそうとやっぱりおかしいよ。メリアは一瞬にして衣装チェンジもしたし、人が何人も吹っ飛んだし、普通もっと大騒ぎにならないか?」

 そこまで麗に話を振ったとき――


「そりゃ、そうです。そういう風に細工しましたから!」


「うび!!」

 自分の後頭部付近から高音量の誰かの声が発せられたせいで、オレはまたしても奇声を発してしまった。

「こんにちは。ハガイでございます。麗さん、JK姿も実に良い!」

 なんと、この場にハガイが現れた。

「お、おい! こんなところに出てきて大丈夫なのか? ……あ、普通のヤツらには見えないんだっけ?」

「まあ、そうですが、今はバッチリ可視化しております」

「なんでだ!?」

 ハガイにまたしても驚かされた不満と恥ずかしさも手伝って、オレは過剰反応気味に問い正した。

「だって、空間に向かって話し掛けていたら、部田さんが危ない人に見えちゃいますでしょ?」

 ハガイは当然と言いたげな顔だ。

「いやいや、ドヤ顔おかしいだろ!? 人が急に出現したんだし、お前の出で立ちも派手だし、そもそも部外者だろうが?」

「私は人間ではありません」

「そこはどうでもいいんだよ!!」

「麗さん、部田さんは怒りっぽくて困りものですね?」

 ハガイはオレのツッコミを無視して麗に話し掛けた。

「おい、ハガイ! オレの質問に答えろよ!」

「わかりましたよ、面倒くさいなあ」

「あ! お前、面倒くさいって言ったな? 自分で出てきたくせに」

「もう、部田も大人げないわよ」

 たまらず麗が口を挟んできた。

「……わかったよ。ハガイ様、お願いします」

「えーでは、ご説明させていただきます。ま、プリンセスたちが多少は伸び伸びできるようにSFチックなこともたまにはあるセカイにしたということです」

 ハガイは得意げだが……

「だからドヤ顔おかしいって。説明が雑すぎだし!」

「ま、良いじゃないですか。とにかく、多少のことは大丈夫ですから。ただ、設定を超えるような出来事の場合は対処が必要になるでしょうから、その時は呼んでください」

 ハガイは消えた。

「あ! お、おい!」

 オレの呼びかけは空間の彼方へ消えた。

「ま、いいんじゃない?」

 麗は意外な反応を見せた。

「え、そうか?」

「最初から学校生活なんて、そもそもハードル高過ぎだし、これくらいのハンディキャップあってもいいんじゃない? それに消せる過去なんだし……って気がしてきた」

「……そうか。うん、まあ、いいっか」

 オレもなんだか考えるのが億劫になってきたこともあり、最終的には麗に同意した。それにしてもなあ、最初ハガイが来たときは何度も絶対5界の娘だってバレないようにしろとか、『能力』の使用は攻撃を受けない限り絶対ダメとか言ってたくせにえらい適当になったよな。天界も忙しいのかねぇ。

 ふっとプリンセスたちを見ると誰も居ない。

「麗、プリンセスたちはどこ行った!?」

「え? 居ないの?」

 何かものすご~く嫌な予感がした。

「購買かな? オレ、ちょっと見てくる」

「あ、部田」

「大丈夫、すぐ戻る。行き違いで彼女達が戻ってきたら、頼むわ」





 購買に着くと、パンが宙を飛んでいた。比喩ではない。


 昼時の購買は確かにちょっとした戦争状態だ。モタモタしているとお目当ての物はとっとと売り切れてしまう。

 だからと言って、空中に飛ばすとか……何というか卑怯?

「わーい、わーい」

 シルクが空飛ぶ焼きそばパンにぴょんぴょんとジャンプしながらというか少し空中浮遊しながらパクついていた。さしずめ空中のパン食い競争のようだ。

 「シルク……」

 オレが落胆して肩をガックリと落とすと視線の先に例の「ヒョウ柄ビキニ」に戻ったガイアが四足でメロンパンをイヌ食いしていた。

「ガイア、どうした!! 何があった!?」

 多少のことでは驚かなくなりつつあったオレだが、ガイアのこの姿には驚愕した。

「あ、部田さん!」

「ガイア、その姿は!?」

「人間も大変ですね! 餌の取り合いは慣れていますが、負けられません!!」

「あ、が、ガイア」

 ガイアは足元のパンを食べ終えると、さすが人間離れした華麗なジャンプをして、次のお目当てのチョココロネパンの前に着地した。

「おぶぁふぁん(おばちゃん)、これもくらさい」

 ガイアはそれを口で咥えながら、購買のおばちゃんに要求した。

「あいよ、八〇万円」

 ハガイの『設定』のおかげなのか、おばちゃんの肝が据わっているのか知らんが、売り買いのやり取りは整然と済んでしまった。ありえん! あと、ちゃんと並びましょうよ。

 にしてもあのお行儀の良いガイアが何でこんなことになったのだ?


「ガイアさんは血が騒いでしまったのだと思います」


「えっ!?」

 ハガイのようにオレの背後からいきなり声を掛けてきたのはメリアだった。

「ガイアさんは獣人です。戦闘のように食欲を満たそうとするこの場の雰囲気に本能が蘇ったのでしょう」

「そ、そうか。それで治るのか?」

「全く問題ありません。一時的でしょうし、慣れればあのようなことは無くなりますよ」

 落ち着き払ったメリアの態度はオレを納得させてくれた……ということにしておこう。

「ところで!」

 オレは最初にここで見た光景を思い出した。

「パンを飛ばしたのは誰だ?」

 メリアに対して語気を強めるのは筋違いだ。ただ、彼女ならすぐに回答が得られることも事実だ。悪いとはわかっているが、オレはあえてこの精霊王女の度量にすがるつもりで聞いてみた。

「シルク自身ですよ、多分」

「えっ?」

 杞憂だった。メリアは小さく微笑んだ。

「シルクもああいうことができるのか?」

「もちろんです。むしろ人間の方が著しく能力が制限されているようですから、少なくとも私はそちらの方が珍しいことだと感じています」

「……そうなんだ」

 異世界の住人の感覚では、オレ達人類は随分と不自由に見えるらしい。


「ブタしゃ~ん、あぶな~い!」


「え?」

 頭上から声が聞こえたのはわかった。だが、視認する暇はなかった。

 目の前が真っ暗になったかと思った瞬間、次に顔全体を覆うほどの表面積を持つ何か重量物がぶち当たった。

「おぶ!!」

 オレは体のバランスを崩し、真後ろにバッタリと倒れてしまった。

「うう、いてて。……あれ?」

 体全体をしたたか打ち、すぐには体を起こせないのだが、それよりなぜかオレの視界がゼロになってしまった。

「えへへ、ごめんね」

「うん? その声はシルクだな? 何をした? 前が見えん」


「あれって部田君? 何してんの? やだ、キモい」

「誰だ? あの変態」

「あんな小さい娘に……」

「オレも●騎してもらっていいでつか?」

「ブヒブヒ」


 野次馬と思しき連中の声が聞こえるが、何が起きているのかがオレにはわからん。

「大丈夫ですか? 部田さん」

「メリアか? 一体どうなっている? 見えないうえに起き上れん。目と鼻がふさがれている」

「シルクが部田さんの顔面に乗っています」

「なぬ!?」

「わーい、お馬さんだ、お馬さん」

「こ、こら、そこでおかしな動きをするな!」

 シルクはオレの顔の上で乗馬の真似事を始めた。これがホントの騎乗●……などとアホなことを言っている場合ではない!

「あ、部田さん、また発情してしまいましたか? どうどう!! しっ、しっ!!」

 ガイアまでやってきたようだ。

「どうどう!! しっ!」

「どうどう!! しっ!」

 シルクがガイアのまねを始めた。

「こらっ! オレは馬じゃないぞ、早くどきなさい!」


「馬じゃなくてブタだもんな、このエロブタ」

「あらあらいやだわ~、子豚ちゃんたら、どこでもいいのね、いやらしいわ~」


 エキドナとアテナの声だ。マズイぞ、これは。いつもの収拾がつかなくなるパターンだ。


「ふがふが」


 シルクが動くせいで変な声が出てしまう。

「シルク、これを貸してやる。騎手はこれを使って馬をコントロールするんだ」

「わーい、ありがと、エキドナちゃん。えい、えい!」

「いてっ! いてっ! や、やめろ! 何をしている!?」

 横っ腹の周辺に何度も強い痛みが走った。そのせいで反射的に足をばたつかせてしまう。よって同時に腰もリズミカルに上下に動くという何とも変態的な体の動きを止められない。


「せっかくだから~、もうちょと面白くしてみましょうか~」


 あの間延びした話し方……アテナだ。悪い予感しかしない。

「えい、えい」

 シルクはまだムチでオレを叩き続けている。たまらず声が出る。


「ブヒ~!! ……ブヒ?」


「あら、どうしたのかしら~? もしかしたら喜んでいるのかも~。変態だわ~、ここに変態がいるわ~」

「ブヒ!! ブヒ!!」

 どうしたことだ!? 何を喋ろうとしても『ブヒ』としか声が出ない!!


「アイツ、少女にまたがられて、歓喜しているぞ! 完全な変態だ」

「こんなところで……よっぽど変態プレイが好きなんだな、可哀想に」

「超キモ!!」

「うじ虫!!」

「オレもブヒりたい!」


 また見物人どもが騒ぎ出した。

「ブヒ! ブヒ! ブヒー!! ……ブ……ヒ~(ガクッ)」

 何度か弁解しようと口を開いたものの、やっぱり『ブヒ』しか言えず、挙句、騒ぎ過ぎたせいか過呼吸になったようでオレは意識を失っていった。


「アイツ、イったのか?」

「あ~あ、校内でしかも公衆の面前で……退学だな」

「イヤッ! キモ過ぎ!」

「変態!!」

「いいなあ、うらやましいや」


 薄れゆく意識の中で、かすかにオーディエンスの声が聞こえた。





「……た」

「……」

「……りた!」

 誰かがオレを呼ぶ声がした……気がする。

「……あ?」

「部田!!」

「え!?」

 視界には白い天井。

「部田、私」

 声の主はオレの視界には見当たらなかった。

「ここよ」

「あ、麗」

 麗は自分から身を乗り出してオレに認知させた。

 なんだ、オレは寝ているのか?

「保健室」

声の主は愛想のない言い方でこの場所を教えてくれた。だが、オレはまだ正しい反応ができない。

「え?」

「だから、ここは保健室。部田は気を失ってベッドで寝ていたの」

「……そうか。……あれ、何でオレはこんなことになっているんだっけ?」

「えっと……ごめん、ちょっと恥ずかしくて言えないかも……」

 麗は伏し目がちに……というか、もじもじしている。

「でも……ああ……少し思い出してきたかも。それはそうと誰がオレを運んでくれたんだ?」

「……竹原」

「そうか。……タケにはあとでお詫びと礼を言っておく」

 麗はなぜか口が重い。

「麗、今何時だ?」

「もう、放課後。4時半くらい」

「えっ!? そんなにオレは寝ていたのか?」

「まあね。あと他に質問ある? ないなら帰ろうと思うけど、歩ける?」

「え? ……ああ、まあ大丈夫だ」

 目覚めたばかりだというのに麗は随分とせっかちなヤツだ。だが、よくよく考えてみれば、それはあくまでもこっちの見方であって、放課後ずっと付き添ってくれていたであろうと思われる麗にしてみればそりゃあ待ちくたびれたに違いない。 それにオレが倒れた理由も理由だし。

 あ~あ、全くカッコ悪いったらありゃしない――





「麗」

「なあに?」

「久しぶりだよな、こうやって二人で帰るの」

「……そうね」

 オレと麗は既に学校を出て、家路を急いでいた。

「オレと麗が付き合う前に二人で帰ったことってあったっけ?」

「……あったよ、何度か」

「そうだっけ?」

「忘れたの?」

「おい、そんな恐い顔すんなよ。付き合う前のことだったら忘れていたって仕方ないだろ?」

「……ふ~ん」

「なんだよ、不満そうだな?」

「別に……」

 麗に限らず女子ってこういうところが理解できないんだよな。言いたいことがあればハッキリ言えばいいのに、言わない。そのくせ不満をため込んで、一定量溜まると一気にマグマのように噴き出す……

「それはそうと、久しぶりに高校生に戻ってみて、どうだった?」

 麗が話題を変えてきた。

「ん? ……そうだな、結構楽しかったぞオレは」

「ふ~ん、どんなところが?」

「やっぱさ、刺激的だよ、同い年が沢山いるってことがさ」

「部田は今、孤独だもんね」

「悪かったな。そんで麗はどうなんだ?」

「何が?」

「今日楽しかったか?」

「う~ん……でもプリンセスたちのことが気になって、あまりそういうことを考える余裕がなかったかな」

「まあ、そうだろうな。すまん」

「何が?」

「だって、麗は関係ないのにオレと一緒に『過去の世界』まで来てプリンセスたちの世話までしてもらっているしな」

「今さら何を言ってんのよ。そんなことを気にしているなんて部田も余裕よね」

「そうか?」

「今日だって色々なことがあったんだし、そもそもアンタ、気絶させられてんのよ?」

 なぜか麗の鼻息が荒くなってきた。

「ま、まあな。帰ったら…ちょっと言わないと」

「随分、穏やかね……あー!! アンタちょっとラッキースケベ的な気分だったんじゃないの!?」

「ち、違う、そんなわけないだろ! どれだけ大勢に醜態さらしたと思ってんだ?」

「……うん、わかってんじゃない」

 怒りかけた麗が今度はニヤリと笑った。こちらの一言でコロコロと表情がよく変わるのも女子特有だ。

 つうか、今日のオレ、何か愚痴っぽい。周囲に女子が増えたからか?

 その晩。

 オレはプリンセスたちに『はしゃぎすぎ』をビシッと注意するつもりだった。が、叱っている最中に後ろからド突かれてまた麗に馬乗りになってしまったり、風呂場の前で裸で待ち伏せしていたアテナにわざとらしい悲鳴をあげられて麗にビンタを食らったりで、教育係の使命を果たすことは全くできなかった。

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