第十三話 5界・心にうずまく過去
それから三日経った。朝食が済んだ後、エキドナがオレの部屋(と言ってもダイニング)に入ってきた。
昨日今日と他のプリンセスたちは近隣を自分たちで散歩するようになった。(オレが勧めたからなのだが)よって今、ここにはエキドナしか居ない。
「え? 学校? 学校って言ったのか?」
「そうだよ。ブタのくせに耳も遠いのか?」
「うるさい! お前がとんでもないことを言うからだ。それでどうしてだ? あ、いやとにかく座れ」
「ああ」
エキドナはどういうわけかオレの前で正座した。いつもはあぐらか横座りだったはずだ。これはマジなやつか?
「あのな、やっぱり学校に行ってみてえよ。楽しそうじゃん」
なるほど、学校か。なかなか可愛いところがあるじゃないか、悪魔のくせに。
「いや、まあ……気持ちはわかるけどな」
「そうだろ? じゃあ、さっそく……」
エキドナは片膝立ちになりオレに掴みかかる勢いだ。すげえやる気じゃんか。
「簡単に言うなよ。幾つもの問題をクリアしなきゃあ実現しないぞ」
「手続き的なことなら問題ねえぞ。それくらいは造作もない」
「そういうことの前にだなぁ……」
「ハガイか?」
「そうだ。それにアイツに言うにしたってそれなりに説得力のある理由が必要だ」
「そんなの『人間の文化・慣習を学び、より良く人間界で生活するため』とかなんとか言えば大丈夫だろ?」
「一般的にはそれでいいとオレも思うよ。だが、それだったらオレにキミたち5界のプリンセスを預けた意味がよくわからなくなるだろ? その理屈だったら教師の家とかで暮らせば良いということになる」
「それはブタの理屈だろ? ハガイにはお前に託した理由が他にあったはずだ。そうだろ?」
「……う~む」
確かにエキドナの言うとおりかも。
「それは良しとしてあと人間の学校は小学校・中学校・高校、その先に専門学校とか大学もある。君らは見た目で言うとシルクは小学生、ガイアが中学生、他の三人は高校生といったところだ」
「ふん、それがどうした?」
エキドナは再び座ったが今度はあぐらだった。
「本気で人間の学問を習得するわけじゃないんだろ? 体験学習的に行くなら、全員同じ学校に行ってくれ。オレ個人の願いだが」
「いいだろう。他は?」
「オレも一緒に行くからな。なんとかしろ」
「そりゃそうだな、お安い御用だ」
「あ、いや、ちょっと待て」
「なんだよ~?」
「お前はともかく、他の四人も同じく学校に行きたがっているのか?」
「ブタは馬鹿か? いや、ブタは馬と鹿とは違うか……」
「ふざけるな」
「冗談だよ。そんなのあたりめえだろう? 勝手に決めたりしねえよ」
「ああ、まあ……そうだよな。なんか知らんけどみんなチームワークいいもんな」
「そういうことだ」
「わがまま言っといてエラそうな態度をするな」
「うるせえ。とにかくブタは了解したな?」
「ああ。しかしハガイは何と言うか知らんぞ」
「わかっている」
ま、みんなこの狭い空間に押しこめられていることに飽きてきたんだろう。そりゃそうだ。
全員摩訶不思議な世界の王女だ。途方もない広さ(時空を超えた)の中で君臨している王様の娘だ。こんな一人六畳間の部屋の中で淡々と生活しろというほうが酷な話だ。人間で言えば罪人で服役中みたいなものだろう。いや、囚人だってもう少し行動範囲が広いはずだ。
……そうだ!
今オレが感じたことをそのままハガイに伝えるというのはどうだ? 何よりオレ自身の本音だ。わざとらしい理由を考えてもどうせすぐ見抜かれるんだったら、正面からいくべきだろう。
「こりゃまた唐突ですね!!」
「わひ!! いたっ!!」
「これは失礼しました」
ハガイは『いつもどおり』急にオレの眼前に現れた。よってこっちも『いつもどおり』ビックリ仰天して後ろにひっくり返って後頭部を床面にしたたかに打ち付けた。
「お、お、お前なあ、確信犯にもほどがあるぞ! 普通に現れてくれ。そんでもって勝手に人の心を読むな!」
「いえいえ、『これは聞き捨てならぬ』と思い、急ぎ馳せ参じた次第でして……」
殊勝な顔してコイツ……絶対ウソだ。天界の役人のくせに、何が『急ぎ馳せ参じた』だ。お前は武士か!?
「まあ、いい。説明する手間が省けたと言えばそのとおりだし……で、どうなんだ?」
「は?」
「とぼけるなよ。プリンセスたちの学校の件だよ」
「ああ、それですか。学校ねえ……まあ、無理ですね」
ハガイは初めて家に来た時のように金縁メガネのブリッジ部分の位置を中指でクイッと直しながら上目使いでクールに答えた。
「なんでだ?」
「彼女達の正体がバレるリスクが高すぎます」
「……う~ん」
ハガイの言うことはもっともだ。反論しようにも何も思いつかない。
「おい、メガネ!」
「ん? ああ、エキドナさん。お元気ですか?」
「ああ。つうか最初からここに居たじゃねえか。ところでお前、天界では真面目に働いているのか?」
なぜかエキドナはニヤニヤしている。
「え? ええ、そりゃもちろんです。私はそれなりの要職に就いていますからね。これでも結構忙しいのですよ」
ハガイは胸を張った。
「ほ~う?」
「な、なんですか?」
エキドナの笑みは魔界らしいというか時代劇に出てくる悪代官のようだった。
「お前のオフィスにゼカリヤっていう女が居たよな?」
「……え?」
理由はわからないが、ハガイの目は見開いている。
「ゼカリヤだよ」
「は、はあ? ゼカリヤさん……そういう方は……あ、あ~あ、いらっしゃった……かなあ?」
今度はハガイの額からひとすじの汗が流れ落ちた。
「くっくっく。何を焦ってんだよ天界のお偉いさん?」
やはり詳しくはわからないが、どうやらハガイにとってゼカリヤという女性の存在は何かしらの弱みであることは理解できる。
「ふふん……ということで学校の件は了解したな? お役人さんよ」
エキドナは肘でハガイを軽く小突きながら同意を求めた。
「し、仕方ないですねえ。特別に許可いたしますか」
「いいのか?」
事情は知らないが、ハガイの手のひら返しのような回答に思わずオレは再確認してしまった。
「こ、今回は特別です。よくよく考えてみれば何かと学べるいい機会になるでしょうしね」
「ふ~ん?」
オレはこの時さぞかし猜疑心のかたまりのような目をしていたのではないだろうか?
「な、何です?」
「いや、別に。……あ、それとオレも彼女達と一緒に行くつもりだが何とかならないか?」
「え、部田さんも行くのですか?」
「ああ、やっぱり心配だしな……って、お前の発言おかしくないか? オレにお目付け役を言い渡したのはハガイだろ? オレが付いていくほうがむしろ条件にならなきゃおかしいと思うんだがな」
「まあ……あまり変わらない気もしますけど」
ハガイはまたつれない態度に変わった。コイツもホント適当なんだよな。
「おいメガネ、細かいことでガタガタ言うな。そういう態度だと~、ゼカリヤのこと言うぞ~?」
ここでまたエキドナが割り込んできた。
「え!? そ、それはご勘弁下さい。わかりましたから。あ、あとは?」
哀願するような目と言うべきかハガイはもはや泣きそうだ。少し可哀想な気もしたが、今なら何でも希望を聞いてくれそうなのでオレは便乗することにした。
「えっとだな……どこの学校にするかだけどさ――」
「ああ、それだったら部田さんが通っていた高校がいいのではないかと思います。さらに時間の調整を行っても構いませんよ。学校に居る期間限定で」
「……ん? どういうことだ」
「つまり、部田さんは現役時代に戻って学校に行くということです」
「ほえ!? 過去に行くことができるのか?」
「仰るとおりです」
「そ、そんなことをして大丈夫なのか!?」
「他の選択肢よりは安全です。既に終了している時間は一時的に差し替えてあとで元に戻せばよいのです。しかしこれからのことと申しますか未来については終わってからでないと一時的でも書き換えることが禁じられていますのでできません。あしからず」
「え、え、え?」
ハガイの言っていることがオレには良くわからなかった。
「あのなあ、ブタ。つまりだな、お前にとって既に過去にあたる部分は必ずあとで元通りにすれば一時的に少しいじくってもいいんだよ。だけど未来のことは何が起きてもやり直しは許されない。やれることは今回のように仮の過去を形成してかりそめの時を味わうだけ。未来時間はノンストップの一発勝負っていうルールがあるんだよ」
「ええ~!? そんな決まりがあるのか!?」
エキドナが補足説明してくれたおかげでようやく少しわかってきたが、それでもまだ今一つピンとこない。そりゃそうだ。たくさんの『時間』に関するSFがあるが、初めて聞いた秩序だ。
「まあ、お前ら人間も色々な空想をしてきたようだが、どれもハズレだな。真実はこのとおりだ。人生は選択で変えることが醍醐味なのだからズルは絶対に許されねえ」
「そ、そうなのか?」
オレは混乱する頭を必死で整理しながらエキドナに確認を求めた。彼女はオレの動揺を楽しむかのように話を続けた。
「過去を変えて元に戻さねえヤツ、未来に乗り込んで状況確認してから元に戻って既定路線を変えたヤツ、両方とも存在を抹消されたな」
「だ、だけど宇宙人とかはどうなんだ?」
「おっ、いい質問だねえ。確かに高度に文明が発達した人間は空間を一気に移動するために光速を超え、時間を歪める場合がある。これは果たして罪になるのか否か……」
自分で質問しておいてなんだが、オレの頭ではもはや理解不能な領域に入ってきた。だが、エキドナは世間話のように続けた。
「結論から申し上げるとセーフです」
回答したのはハガイだった。
「……だな。移動のために時間を超えることはOKらしいぜ。あくまで天界の判断だけどな」
「じゃあ、じゃあ、宇宙人が時空を超えて地球人に接触を試みるのはどうなんだ?」
もはやプリンセスたちを学校に行かせることと何の関係もないがオレは少年時代からの謎を解くまたとない機会に興奮していた。
「それは接触の内容いかんで異なるでしょうねえ」
ハガイは涼しい顔で答えた。
「どういうことだ?」
「つまり、地球人の未来を予め知っていて、それを踏まえて大きく変えるような表立った言動があればアウト。今のようにただチラチラ現れているような……いないような感じならセーフ……といったところでしょうか」
「でも、テレビで極秘に宇宙人と接触している国もあるって言っていたぞ」
「しつこいですねぇ、部田さんは」
「うるさい、天界の見解を知りたいんだ。答えろ」
「現状、地球の未来に影響を及ぼしていると断定できないのでセーフです」
「あっそうなんだ」
「よろしいですか? 部田さん」
「う~ん……あ、もうひとつ。未来を見に行ってきて状況を確認後、現在に戻って未来を変えるために何らかの策謀を練った場合は?」
「そりゃあ、アウトですよ。先ほどエキドナさんもおっしゃっていましたでしょ? これから起きる結果は変えてはいけない。そのルール自体を無視しているじゃないですか。未来を閲覧することは許されていますが、あくまでも見るだけです。ですが、やっぱり欲が出るんですかねえ、なかなか守れない方が多くて」
「……う~ん、ハガイの言っていることはなんだかわかりにくいなあ」
「部田さんは理屈で考えすぎなのですよ。未来がわかっていたらどうなります? ただそれだけのことです。総じて人間界の倫理に反しているようなことは基本的にダメです」
「なるほどね」
「倫理だってぇ~? お前、そんなこと言えた義理か~?」
オレがようやく超科学とルールについて理解しつつあったところにエキドナが茶々を入れてきた。
「は?」
ハガイはとぼけた感がアリアリだ。
「フン、まあ、いい。……んでブタが通っていた高校にはいつから行ける?」
「え、え~とですね。ま、三日もあれば……」
「遅ぇ。明日からにしろ」
「い、いやちょっと待ってくださいよエキドナさん。こっちも手続きやらなんやら……それに上の決済も取らないといけませんし……」
「なんだよ、人間の役所みたいなこと言ってんじゃねえよ。なんとかしろ。でないと……」
「わ、わ、わかりました。なんとか二日でやります。……明後日の午後までには何とかしますから……」
オレとエキドナそれぞれに対するハガイの態度の違いがちょっとムカつく。
「よ~し、わかった。それで手を打とう。それじゃあ、あとの諸準備っつうか手配は全部やっとけよ。こっちは明々後日の朝になったら勝手に登校するからな」
「……わかりました」
ハガイは蚊の鳴くような声で返事をすると音もなく消えた。
「ワハハ、メガネ野郎は当分私の言いなりだな」
エキドナは高笑いしながらうそぶいた。
「カナリア……じゃないな、ナントカっていう女はハガイの何なんだ?」
「ゼカリヤか? まあ、それは追々だ。それはそうと色々と手間が省けたぞ。ブタも安心していい」
「そうか。……それにしても現役に戻るだなんて考えてもみなかったなあ」
マイ・オンボロ部屋で再びエキドナと二人になって、オレは座り直しつつ頭の後ろで両手を組んだ形で宙を見つめた。
「想定外か、ブタ?」
「そりゃそうだろ……って、あっ!!」
オレはある重大なことに気付き、思わず立ち上がった。
「な、なんだよ、ビックリすんじゃねえか! お前なあ、そういうのが多すぎるぞ!」
「高校時代はまだ麗と付き合っていたんだ。それはどう調整するんだ?」
「知るか。大したことじゃねえだろうが」
「過去の麗と今のオレってことだろ? オレが付き合っている風に演技するわけか……」
「それでいいじゃんか」
「簡単に言うな、オレは役者じゃない」
「じゃあ、行くのをやめろよ。私達だけで学校に行ってくる」
「関係ないからって邪険にするなよ、君らを放ったらかしにはできないからオレも行くんだよ」
「お前の考えは知らね。だが、私は今のお前が一緒に来るより過去のブタに会う方が一興だと思うぞ、ははは」
「くっそ~」
エキドナは自分の希望が既に通ったことでオレの悩みなどまともに取り合う気はないようだ。さすがの薄情さだな、悪魔さんよ
「じゃあ、白神麗さんも連れて行きますか!?」
「あぶ! うげ!!」
「こりゃ、失礼」
麗も一緒に過去に連れていくという思わぬ提案をしてきたのはいきなりの出現を性懲りもなく繰り返すハガイだった。
「……いちち……い、いいのか?」
オレはいつものハガイのやり口で転倒して頭を打った。しかし痛がっている場合ではない。そのなかなかの提案を再度確認した。
「ええ、グッドアイデアじゃありませんか?」
「自分で言うな」
「まあまあ、でもそう思いませんか?」
「まあな」
ハガイはついさっきグッタリした顔で消えたばかりだというのにもう元のエラそうな態度に戻っていた。コイツの人格が分からん。それはともかくこの案を実行するには大前提が必要だ。
「問題は麗が了承するかどうかだ!」
オレはこの良案の不安な点を指摘した。しかも無意識に指差しポーズで。多分、この前来た『タカタ』の印象が強かったせいで、知らぬ間にどこか感化されてしまっていたのかもしれない。
「……ブタ、そのポーズじゃあ、まるでガイアの執事……って、あ! いけね!」
エキドナはうっかりガイアの執事であるタカタのことをハガイの前で口にしてしまった。
「……」
意外にもハガイは何も言わなかった。
「と、とにかくだ、ブタは早くこの件について麗にあたった方がいいんじゃねえのか?」
エキドナは自分の失言をなかったことにしようと誤魔化している。
「あ、ああ、そうだな」
「では、こちらは部田さんと白神麗さんのお二方がご同行ということで手続きを進めますので。……それでは」
ハガイはまた急にスッと消えた。
オレはさっそく麗に電話した。
「お、麗! 今大丈夫か?」
『あ、部田? うん』
「あのさ、オレと一緒に高校時代に戻ってくんない?」
『えっ、えっ、ええっ!? そ、それって、ど、ど、どういう……』
「え?」
『……』
「おい、麗」
『わ、わ、私だって……こ、心の準備が必要だし……』
「まあ、そうかも知れないな」
『そ、そうよ。電話でいきなりなんて……』
「悪ぃ。ちょっと急いでいるんでな。明後日からでも大丈夫か? 過去に戻っている間はあとでなかったことにできる。現在の時間に存在している自分たちは……ん? どうなっちゃうんだっけ?」
『え!? どういうこと?』
「いや、オレもまだ完全には理解できていないんだよ。過去に行くことで肉体は当時の自分たちのままなんだけど意識は今の自分ってわけだ。そんで問題はこっちだよな。こっちはどうなんだ? 抜け殻になって時間を過ごすのかなぁ」
『部田……話が全然みえないんだけど……』
「そうか、確かにややこしいもんな。オレもこんがらかっている」
『いや、そういうことじゃなくて……』
「え? お前こそよくわかんないぞ」
『……』
「あれ? もしもし? もしもし? ……切れたぞ?」
オレは電話が切れた理由が本当にわからなかった。
「お前、馬鹿だ。救いようのない馬鹿だ。死んでも治らない馬鹿だな」
オレとは対照的にエキドナは全てを理解しているかのようだった。
「な、なんだと!? オレの何が馬鹿なんだ!?」
「ふぅ~。……まずだな、説明が雑すぎるんだよ。だから相手へ正確に伝わらない。それどころか変な勘違いをさせ、女のプライドを傷つけた。よって最低の馬鹿だ。以上」
「説明が雑だってことは認める。だがな、麗のプライドを傷つけるようなことは言っていないぞ!」
「あ~もう、うるせえなあ。じゃあアテナかメリアにでも聞けよ、じゃあな」
エキドナは勝手に会話を打ち切り、さっさと部屋に戻ってしまった。
「なんだよ、エキドナのヤツ……」
だが、これはマズイ。
麗を一緒に連れて行けなければオレも過去に行くことはできない。本当にアテナかメリアに聞くか? しかしなんとなくだが、これはおかしい気がする。
その時、オレの携帯が鳴った。
「もしもし?」
『あたし』
「あ、う、麗か?」
『なに動揺してんのよ?』
「い、いや別に」
やっぱり怒ってんだろうな、麗のヤツ。
『ハガイさんが来た。事情は分かったから』
「え? ハガイが?」
『そう』
「そ、それじゃあ……」
『一緒に行ってあげるわよ。そうじゃないと困るんでしょ?』
「あ、ああ」
『あ、それでね、私達が過去に行っている間に現代の自分たちがどうなるかって話だけど……』
「え? ああ、さっきオレが自分で言ってわからなかったやつか」
『そう。それってね、時間の進行に合わせて戻って来るから大丈夫だって』
「え? どういう意味だ?」
『だからね、例えば今この瞬間に過去に戻って一週間過ごしたとするじゃない? そして戻って来るときに今の時間に帰ってくるんだって』
「こっちの時間を止めるとかじゃないんだ……」
『そういうことはできないらしいわ。割り込みとかショートカットとかが許されるのはあくまでも過去の時間、しかも必ず事後に元通りにするという条件付きらしいわよ』
「ふ~ん。でもアレだな、その……何というか時間の概念がオレにはイマイチよくわかんないんだよな。だってさ、仮に一週間という時間を過去で過ごしている間は過去とはいえ時間が流れているわけだろ? 戻って来るときには一週間さかのぼった『今』なんじゃないのか?」
『アンタの言っていることもイマイチよくわかんないけど、過去は既に終わった時間だからってことで納得しない? 私はこう考えたわ、一冊の本があって、どんどん読み進めているんだけど、一旦しおりを挟んで既に読み終えたところを遡って読み返す。つまりこれが過去に行くってこと。そしてしおりを挟んだところからまた読み始める。これが現在に戻って来る』
「……う~ん、やっぱりよくわかんねえや。でも過去も未来も書き換えちゃいけない理由の例え話としては分かりやすかったかも」
『じゃ、とりあえずいいわね? あとは明後日に行くってことだから明日の夜はアンタの家に泊まることにするわ、いいでしょ?』
「ああ、それで構わない」
『じゃ』
「あ、待てよ! 麗」
『何?』
「お前、本当にいいのか? 結構面倒臭いことになるぞ。高校の時っていったらまず実家暮らしなわけだし、それ以外にも……」
『実家なら今だってちょくちょく行っているから別に平気よ。それと何?』
「オ、オレとも……つ、付き合っていたわけだし……」
『……そういうフリしていればいいじゃない、別に……』
「い、いいのか?」
『別に……』
「そうか……」
『……』
「じゃ、じゃあそういうことでお願いします」
『……はい』
「それじゃあ、また明日」
『うん』
麗とはここで電話を切った。
「何なんだ、お前ら」
エキドナがいきなり突っかかってきた。
「何がだ!?」
「いつまでゴチャゴチャやってんだっつうの!」
「ゴチャゴチャってどういう意味だよ? 過去に行くってことは色々と覚悟しておかなきゃいけないことがあるだろ?」
「そんなこと言ってんじゃねえ! ったく……まあ、いい。他の連中には私から言っておく。ブタは準備とかあるんだろうし、こっちのことは気にするな」
「え? あ、ああ、わかった」
エキドナは一旦部屋に戻ってから、また出てきた。
「じゃ、私も出てくる」
そう言って外出してしまった。
さて……
高校時代に戻るとなるとどんな準備が要るんだ?
まず制服だな。これはハガイに頼もう。
それと教科書とか?
鞄とか上履きも無いぞ。
電車の定期とかもだ。
持ち物だけじゃないよな。記憶があいまいなことだってたくさんある。クラスメイトの名前だってちょっと自信ない。担任のあの先生は何ていう名前だったっけ? ……ん~、これはチトまずいかもだな。
「仕方ない。もう一回ハガイを呼ぶか」
「ハイ! ……あれ?」
オレはハガイが急に現れることを予測し、構えながら待っていたため初めて驚かずに出迎える形になった。
「おう、さすがに早いな」
その時のオレはきっとニヤけていたに違いない。
「チッ……さて部田さん、御用の旨は?」
「あっ! 今、お前舌打ちしたろ!?」
「えっ? い、いいえ、とんでもございません」
人が普通のリアクションで出迎えたからって舌打ちするとか失礼にも程があるだろ。しかも天界人だし。
「……ま、いいや。明後日の件だけどな、高校に行くとなると何かと準備というか物も必要だし、環境条件的なものも揃えなくてはいけない。なんとかならないか?」
「環境条件とは?」
ハガイはメガネの位置を直しながらオレに尋ねた。
「先生とかクラスとか……そもそもプリンセスたちはどうやって潜り込ませようと考えているんだ?」
「彼女達は転校生として部田さんのクラスに行きます」
「5人いっぺんにか?」
「それ以外に何か妙案でも?」
「いや、無い!」
「でしょう?」
「でも、5人とか不自然と思われないか?」
「その辺は上手くやりますよ」
「どうやって?」
オレは身を乗り出してハガイに迫るように問うた。
「はぁ~、どうして部田さんは色々とそうしつこいんですか?」
ハガイはため息とともにものすごく嫌な顔をしながらオレにぼやいた。
「だって、転校生が同じクラスに5人なんてありえないからな。天界はどういう手法でこれを実現させるのか知りたい」
「……ん~、そこまで期待されちゃうと申し上げにくいのですが、チョコチョコっとそこらあたりの非常識を常識にしてしまうだけです」
「やっぱりそういう卑怯な手を使うわけだ」
思えば最初からハガイには神々しさというか崇高さというか気高さというか、とにかく品格みたいなものは全く感じなかった。
いちいちビックリさせながら登場したり、平気でウソをついたり、麗にノックアウトされたり、カナリアだかゼカリヤだか何か女のことでやましいことがあるみたいだし……
そうだな……むしろ『ペテン師』と呼ぶにふさわしい。
「な、何をおっしゃいますか。私はれっきとした天界の者です。決してペテン師なんかじゃありません!」
「あ! また勝手に人の心を読んだな? だから、そういうところなんだよ。イマイチ信用できないっていうか……」
「あ~、部田さん! 天界人に対して何と大胆な発言を! 前代未聞ですよ」
ハガイらしからぬリアクションだった。目を見開いて人を指差す姿はまるで子供だ。
「……なんだよお前、動揺してんのか?」
「べ、別にそんなことはございません」
ハガイは慌ててメガネのブリッジ部を右手の中指で触りながら平静を装った。
「ま、それもいいや。そんなことよりあと鞄とか教科書とか頼む。それとさ、オレはもちろんこのアパートから通えると思うんだが、プリンセスたちの家の設定とかどうすんの?」
「それも先ほど申しましたとおりです。外見も同い年にはとても見えないわけですし、家だって同じなんてことは通常あり得ません。ならば『調整』させて頂くほかないということです」
「……ま、そうだよな」
「そうです」
「じゃあ、オレと彼女達はどういう関係にするつもりだ?」
「ご希望があれば検討しますよ。どうにでもなりますから」
「家族……とか?」
「……ええ、それでも」
「ふ~ん……じゃ、エキドナだったら『部田エキドナ』とかなるのか?」
「ええ、それでもいいですし、普通にエキドナさんでも設定できます」
「お手軽だな」
「まあ、天界ですから」
ハガイはどうだと言わんばかりの態度のデカさだ。ドデカホーンだ。
「オレの外見はどうなる? 高校時代の感じか?」
「それも自由です。途中で変更だって……でも部田さん、実際のところそれほど年月が経っていないのですから気にしなくても良いのでは?」
「ん~、じゃあ髪型だけ高校時代で」
「はいはい」
そうは言ったものの、今と大して変わらん。あの頃の方がマメに切ってたというだけだ。
「あとはな~」
「部田さん、そういう細かいことだったらその都度設定できますから大丈夫ですよ」
「そうか……じゃ例えば、急遽その『設定』とやらの変更を頼むときはどうしたらいいんだ?」
「いつもどおりに頭の中で呼んでいただければ結構です」
「ふ~ん。よし、わかった。じゃあ、とりあえず必要なものだけを今は頼む」
「制服とかですね? わかりました。あとはよろしいですか?」
「ああ、お前が言うとおり随時呼ぶことにしたから」
「そうですか。では……」
ハガイは消えた。
帰るときと同じように出てくるときもこういう風に静かに上品にすりゃあいいのに……
一時間ほどすると5界の娘たちが帰ってきた。
「ブタ、帰ったぞ」
「あら、一人ぼっちで何かいやらしいことをしていたんじゃないの~?」
「ブタしゃん、ただいま」
「ただいま戻りました」
「部田さん、帰りましたー!」
『ただいま』の挨拶もこの娘たちは実に個性的だ。
だから、一人ひとり適切な返答をしていると5回言わなくてはいけないので――
「おう、お帰り」
……と、シンプルにオレは言う。さすがにその辺りはちょっとわかってきた。
「聞いたわよ~、卒業しちゃったから高校時代の女子のミニスカートが恋しくなったんでしょ~? いやらしいわ~」
「な、なんだと!? 誰がそんなことを言ったんだ?」
帰って早々とんでもないことを言うヤツは当然アテナだ。
「そうやってすぐ犯人探しをしたがるねちっこい性格が、変態性欲の源泉なのよね~」
「な、なんだと!?」
オレが怒るのは当然のことだろう?
学校に行きたいと言って来たのは5界のプリンセスたちだ。(エキドナが言うには)それなのにまるでオレがスケベ心で過去に行きたいとわがままを言ったかのような言い草。ふざけた話だ。
「もう、そうやってすぐ怒るんだから。その短気なところも麗ちゃんと復縁できない理由じゃないの~?」
「な、なんだと!?」
「いやらしい話が絡むと冗談として全く受け付けない。そうでしょ?」
「んむむむ……」
悔しいがアテナの言うとおりだ。落ち着いて考えれば今のはジョーク以外ナニものでもない。オレが勝手にムキになっているだけじゃないか。
「高校生のときはどうだったのかしら~?」
「なに!?」
「今がそんな調子なんだから、前はもっとひどかったんじゃないの~?」
「……ん~、どうだったかな?」
思い返せばあの頃は今のようなことは無かった気はする。
「たぶん、幸せだったから癇癪を起こすことも無かった……とか~?」
「えっ!?」
オレはなぜかドキッとさせられた。
「図星かしら~?」
「……」
「おい、アテナ、そろそろ勘弁してやれよ。ブタも今回のことではいろいろと気を揉んでくれているからよ」
答えに窮しているオレに助け舟を出してくれたのは意外にもエキドナだった。
「そうね~、でもあと一言。子豚ちゃんは『独りよがり』になりやすい傾向があるからお気をつけなさい」
「えっ!? どういう意味だ?」
「……だから言葉どおりよ~」
表情としては微笑んでいるのだが、目は全く笑っていないアテナ。ますますもって気になるが、あえて核心を避けているような気もしたので、それ以上は聞かなかった。
「と、とにかくだ、明後日から学校に行けるぞ。こっちでいうところの高等学校と言ってだな、十五歳くらいから十八歳くらいまでの若いヤツが……」
「んなこたあ、知ってるよ」
エキドナがオレの話を妨げつつカットインしてきた。
「そうなのか?」
「ここに来る前に習ったからな」
「じゃあ、制服を着なくちゃいけないこととか……」
「もちろん」
「じゃあ、特に説明することとか……」
「ねえよ。ブタの方こそ大丈夫なのか? 何かと忘れちまっていることとかあるんじゃねえの?」
「え!? ……う~ん、確かに。正直なところ、いくつか既に不安な点がある」
「部田さん」
いきなり会話に参加してきたのはメリアだった。
「ん?」
「何かお困りの時は力になります」
「ああ、有難う、メリア」
メリアの一言で何か不安感が軽くなった気がした。人の言葉って大事だなあ。……人じゃないけど。
「よし、あとは麗と打ち合わせしておけば大丈夫だな」
……とは言ったものの、前代未聞のことをやろうとしているわけだし、やっぱり大丈夫どころか考え始めると際限なく心配なことだらけである。
タイムトラベルなど空想の世界だけのことだと思っていた。まさか自分が当事者になるなど夢にも思わなかった。
現代の人間世界では偉そうなことをプリンセスたちに散々言ってきたオレだが、さすがに今回は時空を越えた世界で生きている彼女達にすがるケースも多々あるだろう。
もちろんかつて自分が通っていた高校に行くわけだから勝手知ったる状況ではあるだろう。
だが待てよ。それってオレの人生の中で、既に終わった出来事を初めての経験としてやり直すってことでもあるんだよな? つまり知っているのに知らないふりしたり、わかっていて敢えて災難に飛び込んだりすることもあるってことだろ?
例えばだ、誰でもびっくりするようなシーンに出くわしたときに、結果を知っているのにどのツラ下げて対応すればいいんだ? わざとらしく『うおおお! びっくりさせんなよ~!!』とか言いながら驚いた顔をすんのか? そんなの無理だ、絶対ムリ!
「そうだ!! オレは俳優じゃない!」
「おおう! びっくりさせんな、ブタ!!」
「あ……」
また、やってしまった。今度はエキドナの至近距離でかましてしまった。
「ああ、すまん、すまん。本当にすまない」
「……まったくだ! いい加減にしろよ。つうかだな、私らずっと玄関で話し続けているんだが、そのことについてもお前はどう思っているんだ?」
「か、考え事をしていたんだ……」
「……あのなあ、ブタ。お前の性格からしてあれこれと考えすぎるのはわかる。だが、何があってもあとで元通りにする『かりそめ』の時間旅行なんだから、もっと気楽になってもいいんじゃないか?」
「お……おう、そ、そうだな」
「じゃあ、部屋に行くからな」
エキドナのヤツ、カッコイイこと言う。『かりそめ』なんて言葉まで知っていることも驚きだ。
だが、確かにそうだ。
オレが行くのは『消せる過去』なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます