第十二話 5界の執事




 ようやく家に戻ると部屋にはなぜか巨大な一頭の虎がダイニングに寝ていた。

「……」

 最初に部屋へ入ったのはオレなので、当然第一発見者もオレだ。

 結果として絶句したわけだが、正確に言うと無言……いや、見て見ぬフリをしたというのが正直なところだ。

 もちろん、本当にどういう理由でここに肉食獣(メガサイズ)が寝そべっているのかなど知らん。それとハガイが言う『結界』は言葉だけだったようだ。ホント、いい加減なヤツ。

 だが、プリンセス絡みだということは明白だ。そりゃそうだろう、人が住んでいる部屋に大虎。あり得ん。だが、オレはこの短期間で相応の経験をしてきた。この程度では驚かん。まあ自慢にもならないが。

「……さ、食料品はキッチンのテーブルに一旦置こうか」

 オレは疲れもあって、虎のことより片付けの方を終わらせたかった。さもないと晩飯の準備も始まらない。

「ね、ねえ……」

 麗がオレの背中を人差し指でちょいちょい突く。

「……ああ、とりあえずこっちの整理をしてからにしようぜ。どうせ寝ているみたいだしな……」

 麗には悪いが、言葉通りだ。もちろん彼女もオレ同様にこういう事態に慣れてきているだろうという目算があってのリアクションだ。

 アテナやメリア、それにエキドナも虎のことには触れない。理由はよくわからないが、オレへの気遣いだとしておこう。

 シルクでさえ、生鮮食料品の分別を手伝ってくれたが、たった一人、虎を凝視しながら小刻みに震えている人物が居た。

 想像は、まあ……ついていた。

 帰宅直後からガイアだけは虎に対して控え目ながらも明らかに不機嫌そうな顔を見せていたからだ。

「……ふぅ~」

 オレは天井を見つめながら大きなため息をついた。やはり虎は獣人界絡みだ。

「部田さん……」

 オレはよほど陰鬱な顔をしていたのかもしれない。だから見かねてメリアがオレに声を掛けたのだろう。

「メリア、麗と一緒に晩飯の支度を始めてくれないか? オレはこっちの対処があるからさ……」

 オレは虎に目線を移しながら力なく答えた。

「……はい」

 オレは何にも悪いことをしていないが、メリアまでもが悲しげな表情を見せながら背を向けたことになぜか罪悪感が芽生えた。

「……ふぅ……よし……」

 オレは両手で顔をパンッと叩いて気合を入れた。

「さて、ガイア! コイツは何者だ?」

「……執事です」

「は?」

「執事のタカタです」

「……たかた?」

「名前です。私の家で働いている執事なのです」

「はあ!? 獣人なのに『たかた』?」

「そうです」

 いや、おかしいだろ(可笑しいでも可)。虎なのに『たかた』。

「それはそうと見てくれも普段はもう少し人っぽいんでしょ?」

「……そうですね。これでは執事の仕事はできませんし」

「ああ、そうだよね」

「ええ」

「……」

「……」

 オレ同様、ガイアも会話をしながら虎(タカタ)の処遇について思案し続けていた。だが、お互いに遠慮があって意見の提案ができない。これはつまりガイアはガイアでオレがどれだけ迷惑だと思っているか推し量っている気がするし、オレもガイアの知り合いというか執事に対してどういう態度で臨めば良いのか考えあぐねていた。


「オラ!」

「ぐぇ!」


 業を煮やしたのかどうか知らないが、エキドナが虎(タカタ)の頭を軽く蹴った。小突かれた巨大野生動物はその風貌に似あわぬマヌケな声を発した。

「お……おまえなあ!」

 エキドナのとんでもない行動に思わずツッコんだオレだったが、胸の内は『良いキッカケになるかも』と実は少し感謝していた。


 案の定、突破口が開けた。

 虎は巨大な体をむっくりと起こした。

「誰が蹴った? ……食うぞ!」

 虎……じゃなくてタカタはぎろりとこちらを睨んだ。

 ちょっと前のオレだったら簡単に腰を抜かしていただろうが、日本語を話す大虎に凄まれたくらいではなんとも思わない。……なんて言うと大変な度胸を身に付けたようだが、ガイアの知り合いだとわかっているし、それに名前が……

「ぷっ……くくく」

 オレは耐え切れずに失笑してしまった。意識しないように気を付けていたが、疲れのせいもあって抑えが利かない。やっぱり変だよ、タカタなんてさ。

「な、何がおかしい、人間!!」

 タカタはよほど腹が立ったのか、ついに二本足で立ち上がった。だが、このアパートの天井ではヤツの体長を収めることはできなかった。

「おわいた!!」

 寺の鐘を突いたかのような重々しくて鈍い音とともにタカタの威厳ゼロの声が室内に響いた。

 タカタは再び四つん這いになり、両手というか両前足で頭を抱えるようにして痛みに耐えていた。かなり勢い良く頭をぶつけたからな、相当痛いはずだ。

「あの~……く、くくく、だ、大丈夫ですか?」

 オレは必死で笑いをこらえつつ、一方でタカタを気遣ったつもりだった。

「ブタ、いくら取り繕っても顔は大笑いしているぞ」

「そ、そうか? ……ぷぷ、ぷはあ! もうだめだ! はっははは!! ひいひひひひひ!!」

 オレのわざとらしい演技があっさりとエキドナに暴かれたことが変なスイッチになってしまったようだ。

 オレは腹を抱えて足をばたつかせながら笑い続けた。

「と、部田さん?」

 ガイアがオレの異常なウケっぷりに驚いたようで心配そうに呼びかけた。

 そうだ、笑い転げている場合ではない。

 オレはすぐに立ち上がってタカタを凝視しながらこう言った。

「タ……タカ……ぶはあ! わははああははああ!」

 どうしても笑ってしまう。何度考えても獣人なのに『タカタ』なんてありえない。

「部田さん、私が話しても良いですか?」

 生真面目なガイアも今のオレには少し呆れてしまったのか、自らタカタへの事情聴取を買って出た。

「あ、ああ、ごめんなガイア」

「いいえ、大丈夫です」

 ガイアはタカタの真正面に出て、至近距離で話し始めた。

「タカタ! 一体どういうことですか!?」

「ははあ!」

 タカタは猛スピードで巨大な体を目いっぱい小さく折りたたんでひれ伏した。

「いいから、まずはもう少しここの世界に見合う外見に直してください!」

「は! ははあ!」

 タカタは大慌てで人間に近い形に変化した。ただしガイアと同じく虎耳だけは残っている。服は意外にも人間の執事と同じに見える。そして年の頃は四十代くらいか。ちょっと年を取った、いわゆるセバスチャン的高身長なイケメン中年になった。

「改めて聞きますけど、どうしてここに居るんですか!?」

 ガイアはずっと不機嫌な口調である。

「はっ! 実は災いが近づいておりますゆえ」

「災い?」

「はい。この度の時空震による混乱から再区画整備が行われている最中ですが、やはり天界の指示に背き、自らの領域を拡張せんと水面下で活動を行っている界があるようです。そうであるならば、獣人界と致しましてもこれを看過することはできません。つきましてはご旅行中の姫様に万一のことがあってはならぬと、この不肖タカタめが小汚い人間界にボディーガードとして参上した次第です。私、アクマで執事ですから」

 タカタは土下座しつつも満足げだ。だがアンタ、獣人だろ?

「……」

 ほんの少しの間、オレ達全員が固まってしまった。タカタはガイアがここに居る本当の理由を知らないのだ。

「タカタ、顔を上げてここに居る人たちをよ~く見てください!」

 赤っ恥なのはガイアかも知れない。それがよく伝わる声だった。

「は?」

 タカタはまだ気づいていない。ガイアがなぜ顔を真っ赤にしているのか。オレと麗以外の人物が誰であるか。

「……おい、マヌケ! 私は魔界のエキドナだ。それとこっちは魔法使いでこっちは精霊、それと冥界王の娘もいるぞ」

 エキドナはニヤつきながらヒントを与えた。

「……あっ!!」

 ここでようやくプリンセスたちが居ることにタカタは気づいた。そしてすぐさま再び大虎の姿になり臨戦態勢をとったのだが――

 ばちーんと大きく乾いた音とともにタカタはもんどりうって倒れ、そんでまた人の姿にも戻った。

「うげっ!! あうう……なぜですか、姫!?」

 タカタはうっすらと目に涙を浮かべていた。

「弱ぇ~」

 ガイアの張り手一発で倒れたタカタにエキドナも呆れ顔だ。

「タカタはお父様の許可なくここに来たのですね!? よくわかりました。今すぐに帰ってください!」

「え!? な、なぜですか?」

 真っ赤になって怒っているガイアにタカタは戸惑いの色を隠せない。

「おい、馬鹿執事! とっとと帰れ。ガイアが可哀想だろ?」

「な、何ぃ? 魔界の娘にそんな口の利き方をされる筋合いはないぞ!」

 今度はタカタが顔を赤くして怒った。

「……おい、ブタ! お前が何とかしろ」

 エキドナのヤツ、ため息交じりで事態の収拾をオレに丸投げしてきやがった。お前が煽ったんだろ!?

「おじさん、勝手に来ちゃったのは実にマズイとオレも思うよ。ちゃんと獣人界の偉い人というか、そもそもガイアの執事だったら王様だってすぐ傍に居たはずでしょ? 理由を聞けばこんなことにならなかったんじゃないのかなあ」

「お、おじさん!?」

 このタカタという獣人、呼称にも素早く反応するあたり、想像以上に小さい男かも知れない。

「タカタ! 今はそんなことなどどうでもいいんです! ちゃんと部田さんの話を聞いてください!」

「ははあ!」

 こんな感じでガイアには奴隷のようだし……

「えっと、じゃあタカタさん。あの……ガイアがここに居るのはね、遊びで来ているわけじゃなくて、各界の覇権争いをさせないための天界の悪知恵みたいなもんでさ……ひどい言い方だけど人質のようなことになっているわけで……その証拠に獣人界だけでなくその他の世界のプリンセスも全部ここに居るってわけなんだけど……」

「なに!? なぜ人間のお前がそんなことを知っている!?」

 タカタは肘や手首を直角に曲げ指差しポーズをしつつ下半身はやや半身になりモデルばりに足のラインを強調するポーズを決めながらオレに向かって叫んだ。お前はジョジ●か!? あ、黒執○の方を意識しているんだっけ。

「……えっとですね……それも話さないといけないのかなあ。めんどくせえなあ」

 オレがそう愚痴るとタカタはまたポーズを作りながら――

「面倒くさいとは何を偉そうに! この人間風情(ふぜい)が!! ……あふっ!!」

 自分こそ偉そうにオレを罵ったタカタだったが、再びガイアにグーで殴られて女々しい声を漏らす羽目になった。

「タカタ! 何も知らないくせにどうしていつもいつもそうやって偉そうにするんですか!? お父様からも何度となく言われているはずですよ! いい加減に少しは反省してください! さもないとクビになりますよ!?」

「ええ!? そ、そんな……ちょっと待ってください、お嬢様!」

 両手を合わせて半泣きになりながら膝立ちで懇願するタカタ。

 それはそうとさっきはガイアのことを『姫』って呼んでいたはずだけど……

 このオッサン、実は結構テキトーなヤツでもあるんだな。むしろさっさとクビにした方がいいんじゃないのか?

「まあまあガイア、タカタさんはガイアが心配でやったことだし、それくらいで……」

 オレはガイアに近づいてなだめた。だが、本当はタカタという執事をかばったのではなくガイアが身内の失態を恥じている様子が伺えたからだ。プリンセスらしい感情と言えるが、まだそんなことを気にする年齢ではなかろう。(ホントの年齢、知らんけど)

「部田さんがそう仰るなら……」

 彼女はまだ怒り心頭といった状態だったが、なんとか矛を収めた。

 一方、タカタは自分が何を言っても怒らせてばかりだったガイアがオレのちょっとした一言に従っている様子にひどく落胆したようで、以降はすっかり大人しくなった。

「あの、タカタさん?」

「……」

 タカタは正座して俯いたまま何の返事もしない。ついさっきジョジ●立ちしてたくせに。

「タカタさん、勝手に話しますけどね、オレもいきなり天界のハガイとかいうヤツが現れて、事態をよく呑み込めないままこうなっているんですよ。だからどうしても納得がいかないなら獣人界に戻って王様なり誰か偉い人に事情を聞いた方が良いと思います。それにこのまま居座られるとオレもハガイに連絡しなきゃいけないことになるし」

「……はい」

「おっ、わかってくれますか?」

 消え入りそうな声で返事をしたタカタであったが、確かに『はい』と言った声をオレは聞き逃さなかった。


「ごはん、できた~」


 台所の方から遠慮がちにシルクがオレ達に声を掛けてきた。

「……ん? お、おう! わかった。……ん~と、タカタさんもメシ食ってけば?」

「と、部田~」

 しばらく黙って動向を伺っていた麗だが、どうやらこのオレの発言に物申さずにはいられなかったらしい。こんなヘンテコ虎オヤジと飯なんか食いたくねえというのは至極当然だ。正直オレだって本当は嫌だわ。だが、ここは人として礼儀と器量が問われる局面だとオレは思う。

「まあまあ、いいじゃないか。手順を踏まなかったとはいえ事情を知らないで来たんだし。そもそも悪気があったわけじゃない。ガイアが心配だったからじゃないか」

「……ん~、ま、部田がそう言うなら」

「悪ぃな、麗。それとガイアもいい加減に機嫌直して、少し話しでもしてやれよ。せっかく来てくれたんだし」

「……はい。部田さんがそう仰るなら!」

 麗もガイアも晴れやかに反応してくれた。

「じゃあ、おじさ……タカタさん、スーパーで買った食材だけど人間の庶民の食事も土産話くらいにはなるだろうと思うしさ、一緒に晩飯食べましょう!」

 オレはできるだけ元気よくタカタに声を掛け、彼の肩をポンと叩いた。






 タカタは夕食を取った後、背中を丸めてペコペコしながら帰っていった。そもそも来るときはどうやって入ってきたのかは知らないが、とにかく帰りはちゃんと玄関から出て行った。

「部田、お疲れ様」

 オレがダイニングの椅子にどっかと腰かけて大きなため息をついたのと同時に麗が寄ってきてやにわに肩をもみ始めた。

「おい、なんだよ? いいって」

 オレは麗の労いの言葉が照れ臭いのとオッサン扱いされていることで素直に礼が言えなかった。だけど本当はとても心地よかった。実際に肩がバリバリに凝っていたし。

 オレは麗に肩を揉まれたままの状態でプリンセスたちに話し掛けた。

「今日もいろいろあったけど、ハガイには言わない。面倒くさいしな。ま、バレてるかも知れないけどみんなが上手く対処してくれたからオレ達当事者以外に実質的な混乱は何も起きていない。だからいいんじゃないかと思うんだ」

「「「「「……」」」」」

 なぜか皆一様に押し黙っている。

「あれ? オレおかしなことを言ったか?」

「……そうじゃねえよ。いろいろとすまねえな」

 沈黙を破ったのはエキドナだった。

「え? そうか? そんなことは気にしなくていいぞ。むしろ君たちの方こそ『招かれざる客』が多くてよっぽど大変だったと思うけどな。もちろんこれからも予期せぬことが起きるだろうけども、オレなんかより慣れない生活で苦労が多いのはみんなの方だろうし。だから少なくともこんなオレなんかでもやれることがあれば可能な限り支援をしていくつもりだから。……あ~、えっと、とにかくこれからもよろしく」

「「「「「……」」」」」

「……あれ? また?」

 やはりオレの発言はトンチンカンだったのか、またしても沈黙を生み出してしまった。

「気にしなくていいんじゃ……ないの!!」

「いてぇ!!」

 麗が力いっぱいオレの肩を揉んだ。いや、鷲づかみにした。

 皆が微笑んでいた。

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