第十一話 5界の買い物 その1

「よ、よ~し、みんな。昨日も言ったが、今日は全員で買い物に出るぞ。店で物を買う方法を学ぶのだ!」


「「「「「……」」」」」


 二日連続のドタバタ朝食の後、改めて今日の予定をオレは声高に確認した。しかし皆の反応は鈍い。

「ど、どうした?」

「わーってるっつうの。何度も言うなよ。それよりどこに行くんだよ?」

「エキドナ! どこでそんな口のきき方を覚えた!? こっちでそういう下品な言い方はダメだ。ガラが悪い」

「……ああん? ったりめえだろ。こちとら魔界の者だぞぉ?」

 エキドナはこちらの注意など全く聞く耳もたず、ますます図に乗ってきた。

 そしてそのおかしな江戸弁まがいの言い方とともにやおら立ち上がり、こっちまで近づいてくると今度はオレの顎を手のひらでひょいと持ち上げた。

「……な、何をする?」

 こちらの問いにエキドナは答えず、沈黙しながらオレの目をじっと見ている。

「ち、近いぞ」

 オレとエキドナの顔の距離があまりに接近していたため、彼女の持つ悪魔的(本当に悪魔なのだが)で吸い込まれそうな妖しい瞳に思考が停止しかかったオレは、たまらず目線を外した。

「……冗談だよ。悪かった。話し方も気を付けるよ」

「えっ?」

 エキドナはオレから離れると一方的にプイッと背を向けてしまった。




「まあ、最初はこういう大型スーパーが妥当だろ。色々な物が見られるし」

「確かに、デパートや商店街にはない『安全性』があるかもね」

 オレと麗と5界の王女たちは少し大きめの全国展開しているスーパーマーケットに来た。だが、たかがスーパーと侮るなかれ。実は非常に社会勉強になる空間なのだ。生活に必要な物はこういう場所で一気に学習できるはずだし、お金の授受もする。レジでも最低限の会話のやり取りがある。なかなかの凝縮度じゃないか。

 麗が言う『安全性』とは自由に動き回れることである。そんで自由に動き回れることというのは店員のおせっかいが無いということだ。こっちは世間知らずを大勢抱えた集団だ。やたらめったら話し掛けられてはボロが出かねない。

「さて、どこから回るか……」

「やっぱり食料品じゃない? 毎日のことだし」

 麗の的確な意見。助かる。

「なるほど。それじゃあ、このまま一階を見て回るか。……さっそくで悪いが、麗」

「……わかってるわ。ちゃんと目配りするから」

「ああ、頼む」

 おもむろにカートと買い物かごを取ったオレはこの階の端の売り場から歩き始めた。するとまず目に映ったのは生鮮食料品陳列棚だった。あいにくオレは料理の方はサッパリで、ここで何を見てどうするかというスキルは持ち合わせていない。

「早速交代ね」

 麗はオレ自身が『不得意科目』と気づく前にスタスタと移動して売り場の最前線にやってきてくれた。

「あ、ああ、すまんな」

「いいのよ、部田は後ろから見守っていてちょうだい」

 あれだけエラそうに言っときながら、初っ端から後方支援とはオレも実にショボいヤツだ。

「なんだよ、エロ魔人、まだ何にもしてねえぞ」

「う、うるさいな、あとで本気を見せてやる」

「……フン、どうだかな」

 心の中で反省しているさなかに文句言ってきやがって。ま、エキドナはこういうヤツだ。

「わぁ~、ねえねえ、麗ちゃん! これ何?」

 シルクが目を輝かせながら、早速質問。

「えっ? ……ああ、これはね『パプリカ』って言うの。お野菜よ」

「ふ~ん。……あ、じゃあこれもパプリカ?」

「えっ? あ、これはただの赤ピーマン」

「ええ~、違うの!?」

「え? え、え~とね……違うけど同じって言うか……」

「何、それ、わかんな~い」

 麗がシルクの質問攻めにさっそく苦慮している。麗には悪いがオレは後ろでただニヤついていた。

 麗とシルク、それにその二人のやり取りをじーっと見ているガイアの三人はピーマンの前で止まってしまった。

 一方、メリアとアテナ、それにエキドナの『お姉さんトリオ』は少し先に進んで、さっさと食材を選び始めているように見えた。オレはそっちの方に付くことにした。


「おい、ブタ」

 エキドナはこっそり後ろに付いていたオレに振り向くことなく話しかけた。

「な、なんだ?」

「実際に何か買っていいのか?」

「ああ、晩飯に使えるものを買うつもりだからな、構わないぞ」

「……ふ~ん。で、ヤツはここでシメていいのか?」

「へ?」

 エキドナは握りこぶしに親指だけ立てて、ある方向を指した。だが、オレには何か特別なものは発見できない。『ヤツ』と言ったのだから人もしくは人のようなものなのだろうが、そういう怪しい影も見当たらない。

「ま、ブタじゃあ、エサとメスの匂いくらいしかわからねえか」

「な、なんだと!?」

「まあまあ、エキドナちゃん。ここはやり過ごしましょ。向こうだって今は手を出さないわ。……いえ、そもそも人ごみに紛れているつもりなんだわ、アレ」

 アテナがエキドナを諭す。初めて見たな。

「フン、馬鹿なヤツだな。悪魔の能力をなめんなよ。そんであの野郎の目的は一体何なんだ? ……ま、精霊……いや、妖精のようだし、メリアか」

「そうね~、『一途な想い』ってとこかしらねえ~。好き好きオーラ全開だし」

「そういうのがわかんねえんだよな。魔界ではあり得ん」

「あら、そうかしらエキドナちゃん?」

「なんだよ、アテナだってそうじゃねえのか?」

 オレが何も認知できない間にアテナとエキドナで勝手に話が進んでいた。

「お、おい二人とも」

「なんだよ?」

「なにかしら~?」

 見知らぬ何かが起きているという緊張感に包まれたオレに対して二人の魔女はまったく涼しげだ。

「だ、誰かヤバいヤツが居るんだろ?」

 恐る恐るアテナとエキドナに聞く臆病者のぼくちゃん。

「……大したことねえよ」

「そうね~、でも精霊界の住人みたいだし、メリアちゃんに訊いた方がいいんじゃなくって?」

 エキドナは相手にしてない雰囲気だが、アテナはメリアに相応の気遣いをしている。彼女らが言うようにまだ見ぬ『不審者』はやはり精霊界のヤツなのか?

「どうなんだメリア?」

 オレ達三人から半歩下がったところで黙ってたたずんでいたメリアは少し気まずそうに口を開いた。

「……すみません、部田さん。あの者はアテナさんとエキドナさんが言うとおり精霊界の妖精です」

「え、妖精なのか? 妖精ってあの可愛いちっちゃいの?」

「……そういうのだけではないんです……」

「そ、そうか。それでどうする? お前から言って帰らせるか、それともハガイを呼ぶか?」

「……私が言います」

 俯いていたメリアが顔を上げ、先ほどエキドナが親指で指していた方を睨みつけた。

 それから足を一歩踏み出そうとした時――

「メリアちゃん、揉めそうならここじゃなくて……そうね、屋上に行きましょ? 私達が移動すれば確実に付いて来るだろうし。ね?」

 そう声を掛けたアテナの声に反応したメリアはこちらに振り返り、小さく頷いた。

「お、おいアテナ、何か荒れそうな気配なのか?」

「さあ~? ただの女のカンよ」

 アテナは不敵に笑った。

「ブタは黙ってろ」

「な、なんだと!? おい、エキドナ! オレはお前が言う『不審者』らしきヤツが見えないんだ、警戒しなくちゃいけないのかどうなのかすらわからないんだから仕方ないだろう!?」

 ちょっとでかい声を出したせいで、周りにいる客の数人がこっちを見た。

「あ~、もう、静かにしてちょうだい。子豚ちゃんもアツくならないで。さ、行きましょ」

 アテナは歩を速めた。

「あ、待てよアテナ。麗たちに言っとかないと……」

「……説明は最低限でお願いね」

「わかった」

 詳しい事情はさっぱりわからないが、今はアテナやエキドナの言うとおりにしておいたほうが良さそうだ。

 オレは小走りで麗たちがいる売り場まで戻った。こっちはこっちでまだ野菜のことで騒いでいた。

「おい、麗!」

「あ、部田! ねえ、レタスとキャベツって根本的な違いって何なのかしら?」

「食い物関係でお前がわかんないことをオレが知ってるわけないだろう? それよりちょっとオレ達は屋上に行くけど、すぐ戻ってくるから待っていろよ!」

 オレは本当に必要最小限の情報だけ伝えてすぐにUターンした。背後で麗が何か言っていたが、これ以上話が長くなるとアテナたちに置いていかれそうな感じがしたので無視した。






「どうだエキドナ、ヤツは付いてきているのか?」

「ああ、アホヅラもそのままにな」

「そうか。……なんかそう言われてもこっちは見えないから、今一つピンとこないんだよなあ」

「可視化してあげてもいいわよ~。ついでに言葉だってわかるようにね~」

「な、なんだと!? そんなことができるのか?」

 オレの後ろにいたアテナは悪そうな目とともにオレの耳元で提案した。まさに魔のささやきだ。

「だって、見たいんでしょう~? メリアちゃんのストーカー……」

「ス、ストーカーなのか!?」

 エスカレーターはもうすぐ屋上に着いてしまう。

 幸か不幸かそこは簡素な遊技場から駐車場に用途を変えるために今は工事中で人がまばらだ。

「あら、もう着いちゃったわね~、どうするの~?」

「ぬ、ぬうう……」

 ここはオレの役割として見守るのは当然だ。

 何かあればすぐにハガイを呼ばなくてはならないし、だから見えない状態より見えたほうがいいに決まっている。

 しかしなんと言ったらいいのか、アテナの誘い文句……いや、提案はなんとなくオレの恥部に訴えかけているような気がして、素直に『うん』と言えない『やましさ』を感じてしまう。

「あら、迷うようなことかしら~?」

「えっ!? ……んあ……そ、そんなことないさ~。と、当然じゃないか~。すぐに見えるようにしてくれないか、アテナ?」

「……うふふ」

 また、あの妖艶で人を見下すような薄笑み……

「な、なんだよ?」

「な~んでもな~いわ~」

 とアテナが言ったか言い終わらないかくらいのタイミングで彼女の肩越しに男の顔が見えた。

「うば!」

 不覚。オレはまた驚きのあまり尻餅をついた。そしてエキドナの舌打ちが聞こえた。

「……ったく、ホント使えねえブタだ。向こうにも感付かれたかも知れねえぞ」

「まあ、いいんじゃな~い? もう着いたし」

 アテナはオレより一段低いステップ位置から、さっさと追い抜き、エスカレーターから降りて眼前にある外への扉を開けた。続いてもともとオレより前に居たメリア、エキドナが続いた。当然オレも慌てて追いかけた。得体の知れないヤツと二人だけにされたら、たまったもんじゃない。

 オレの視界に捉えた精霊界からの来訪者。ガリガリに痩せたソイツはなんか暗~い顔の男だった。幽霊かよ! あれじゃあ、ストーカー呼ばわりされるのもなんとなく頷けるな。

 しかも緑色のドレッドヘアーにオレンジ色のスウェットみたいな服。それは例えて言うならアメリカの囚人服だ。もっと俗っぽく言えば『人参ファッション』。だが、その滑稽な格好とは裏腹に言い知れぬ気味悪さと恐怖を感じた。オレは小走りしながらもう一度振り返り、『ソイツ』の人物像を想い浮かべた。(人じゃないけど)


「さ~あ、ちょっとだけお邪魔させてもらうわよ~」

 屋上には少ないとはいえ数人の工事関係者が作業をしていた。そこへアテナの緊張感ゼロの呼びかけで数人の関係者がこちらを見た。


「貴方たちはお帰りなさいな」


 アテナはぼそりと独り言をつぶやいたに過ぎない。だが……


「あれ? オレこんなことしている場合じゃねえや」

「あ、そうだ、オレも帰んなきゃ」

「そうだ、帰ろう」


 黄色のヘルメットをかぶっていそいそと動き回っていた工事の男たちは次々と仕事を放棄して、こちらに向かってきた。

「お、おい、こりゃ一体……」

 本当はなんとなくわかった。

 だが、この『能力』は初めて見た。だからたじろいだのだ。

「だって邪魔でしょ?」

 いちいち聞くなよと言わんばかりのアテナの面倒くさそうな顔。

「あ、ああ……そうだな」

 オレがハンパな返事をしている間に工事のおっさんたちは目の前を通り過ぎてエスカレーターで下りていってしまった。

「すげえな……」

 オレは唾をごくりと飲み込んだ。やっぱり異世界の住民は計り知れない力を持っているのだ。

「ハガイさんには内緒にしといてね」

 アテナはまたあのエロい視線を送りながらオレにウインクした。

「お、おう……」

 そう答えるのがオレには精いっぱいだった。

「ブタのくせにビビってんのか? てっきり『食う・寝る・出す』だけしか頭にねえのかと思っていたのにそんな感情があるとは驚きだな」

「……」

 魔界出身らしい悪辣な笑みを浮かべながら皮肉たっぷりに言うエキドナだったが、これからメリアに起こるかもしれない悪い想像のし過ぎで恐れおののいているところにアテナの『異能の力』を見せつけられたオレには反抗的なリアクションをするだけのMPが残っていなかった。

「チッ、おいブタ! いつもの『なんだと!?』はどうした? あん? …………だめだ、こりゃ」

「……大丈夫です、部田さん。ご迷惑はお掛けしません」

「え!?」

 小さな声だったので聞き返すことしかできなかったが、確かにメリアのそれだった。しかしオレが声の主を目線で追った時に彼女はもう屋上の真ん中あたりまで移動していた。

「メ!! ……メリア」

 無力……オレの脳裏にその言葉がよぎる。

「大丈夫よ~、子豚ちゃんはここで見守っていてあげるだけで十分よ」

 同じ方向を向いたままオレのすぐ横に並び、アテナがそっとつぶやいた。

「……わかってるよ。……ただ、ちょっとな」

「……くやしい?」

 今度はオレの視界を遮るようにひょこっと顔を出してきて聞いてくるアテナにオレは黙っていることしかできなかった。認めるのもシャクだし、否定したらそれはウソをついたことになる。


「ジャック」


 オレが自分のくだらぬプライドについて考えている間に沈痛な面持ちと共に言葉を放っていたメリア。その名はまるで普通の外国人の名前のようだった。

「メリア様」

 さっきの男が応じるように実体を露わにした。メリアとの距離は三~四メートルほどか、その位置で対峙した形になった。

「なんで来たの? ここに来てはいけません。知っているはずです」

 メリアの目が少し恐い。

「あ、あの……」

 人参野郎はメリアの厳しい視線に臆している様子だ。

「なんです?」

「ど、どうしてもお伝えしたきことがありまして……」

「……」

 メリアは相当、怒っているな。

「メ、メリア様……貴方をお慕い……」

 人参はろくでもないことを口走ろうとしている。


「ほああああ!!」


 オレは何か居たたまれなくなり、自分で言うのもなんだが、奇怪な叫び声をあげながら駆け出していた。

「お前、さっさと帰れ! ここは人間の住む場所だ!」

 ダサい台詞だ。わかっている。だけどそれしか出てこなかったのだからしょうがない。

 とにもかくにもオレは目的を達し、あの人参の突拍子もない発言を途中で食い止めることができた。

「な、なんだ貴様は?」

 人参はオレの狂気じみた迫力に押されたのか、かなり慌てている様子だ。オレは二人の間に割って入るような位置まで来ると、立ち止ってからもう一度吠えた。

「お前こそなんだ!? メリアがここに居る理由を知らないわけないだろうが!?」

 オレは話しながら少しずつ移動し、メリアを護衛するかのように彼女の真ん前で背中を向けながら仁王立ちする形をとった。

「部田さん……」

「ごめん、メリア、オレ何をでしゃばっちゃっているんだろうな。あ、でもな、決して邪(よこしま)な気持ちじゃないから……あ、だから、そういうことじゃなくてだな、保護者として……」

「……はい、わかっています」

 オレは警戒のあまりジャックとかいうヤツから目線を外せなかった。

 だからメリアとは肩越しで話すしかなかった。彼女は今、どういう表情をしているのだろうか。

「……もちろん、わかっている。メリア様は仕方なくここにおわす身。だが、精霊界でメリア様に身分の差を超えてお話しすることはできん。だがここなら……」

 人参ストーカーは並々ならぬ覚悟でやってきたようだ。だが、やすやすと同意することはできない。

「異世界なら邪魔も入らず言いたいことが言えるってわけか。ダセぇな、おい」

「お、お前に何がわかる!?」

 人参はオレに抗ってきた。

「わかんねえよ、そんなヘタレの事情なんか! つうか、テメエこそ今、どれだけメリアに迷惑かけているのかわかってねえな? 好きな相手の事情を汲んでやることもできずに自分の一方的なご都合だけでコクっているヤツに誰がなびくと思ってんだよ、このハゲ!」

「な、なに!?」

 ちなみに人参男はハゲどころかとさかのように髪の毛は伸びている。

「それにだ、お前のルール無用の行動のせいでメリアや精霊界全体にどんなお咎(とが)めが来るかわかんねえぞ!?」

 オレは汚く罵った後に脅すようなことまで言ってしまった。勢いとはいえ、ちょっとダーティーなやり方だったかもしれない。

「と、部田さん」

「ん? ……あ……」

 しまった。でしゃばるにも程がある。メリアは口を挟まずにはいられなかったのだろう。ちょっと調子に乗り過ぎた。

「後は私が……」

「あ、ははは、そうだったよな、ごめんなメリア」

「……大丈夫です」

 メリアはスッとオレの前に出た。

 人参男はオレの一喝が少しは堪えたようで、やや俯(うつむ)き加減で突っ立っていた。

「ジャック、帰ってください、お願いです」

 メリアは低音量なれど厳格に言い放った。

「……わかりました」

 人参……いや、ジャックとかいうヤツは俯いたまま後ろ向きになった。良かった。これで済むならハガイに報告しなくても良いだろう。


「あっ!! 部田さん、下がって!!」


「え?」

 メリアの……もしかすると初めて叫んだ声を聞いたかもしれない。

 オレはそれに驚いたせいで彼女の指示に従うのが少し遅れた。

 何が起きたかわからない。ただ、視界が業火に見舞われた。しかもあっという間にここの屋上全てを覆い尽くさんばかりの勢いと大きさになった。

「な、なにコレ!?」

 アホ全開のセリフを放った矢先、オレは振り向いたメリアに思いがけず抱かれ、宙へと飛んだ。

 一瞬のうちに業火を眼下に見ることになった。間違いなく十メートル以上の上空まで来ただろう。

 オレは慌てふためきながらも自分の体をしっかり支えてくれているメリアを気遣おうとして彼女を見た。

 驚いたことに彼女の背中には美しい白い羽が出ていた。あのマントが変形したのか?

 それにしても、これこそが天使の羽と呼ぶにふさわしい美しさだった。

「メ、メリア……」

「お怪我はありませんか?」

「お、おう、大丈夫だ」

「そうですか、良かった……」

 メリアは心の底から安堵したような顔をしている。

「メリア、一体何が起きたんだ?」

「……ジャックです」

 メリアが答えた直後、オレとメリアのすぐ傍に『連れ』が居たことに気付いた。

「どうする? お前が引導を渡すか、メリア?」

 そう言ったエキドナの背にも悪魔らしい真っ黒でコウモリのような翼が生えていた。

「困ったわね~」

 アテナは羽も何もないのに同じように宙に浮いていた。

「た、大変だ! 大火事じゃないか!!」

 ようやくオレは今起きている危機について認識できた。

「……すみませんが、アテナさんには消火をお願いしてもよろしいですか?」

「お安い御用よ~、あまり気を遣わないでね、メリアちゃん」

 アテナは既に周囲に結界を張っていたようだが、その範囲内に台風のような大雨がいきなり降ってきた。いや、こんな芸当は人にもできないし、自然現象でも発生しない。まぎれもなくこれを実行したのはアテナだ。

「ただの大雨だけじゃないのよね~」

 オレの心の中を読んだように語りかけるアテナ。確かに本当の豪雨ならただ上から下への一方通行に降るはずだ。しかしこれは洗濯機の中のように渦を巻きながら何度も循環していた。大雨と竜巻が合体しつつ天地がころころと入れ替わっているイメージだ。

 この建物の屋上とその上空に限定された魔法のウェザーショーは数秒で終了した。水浸しになったその場所にはうつ伏せで倒れている人影がひとつ確認できた。

「あ~あ、アテナは加減というものを知らねえのか?」

「あらあらやりすぎちゃったかしら~。火を消すだけのつもりだったのにね~、うふふ」

「……」

 絶句だ。広大で強大なパワー。それを放ったアテナはもちろんのこと、全く驚いていないエキドナにも恐怖を感じた。

「アイツ、死んだのか?」

 多種多様、盛りだくさんの質問が頭の中を駆け巡ったが、何があってもオレにとっては犠牲者ゼロが望ましかった。

「あの程度じゃ死なねえよ。お前ら人間と一緒にするな」

 当たり前のように言及するエキドナの言葉がにわかには信じがたい。

「そ、そうなのかメリア?」

「ええ、気を失っているだけでしょう」

「そ、そうか」

「おいブタ! なんでメリアの言うことは信じるんだよ!」

 翼を従え、ある意味変貌してしまったエキドナだが、投げかける言葉がいつもどおりであり、それがオレの安心感につながった。

「悪魔の言うことを全面的に信用する人間の方が少ないと思うぞ」

「おっ? やっと軽口が叩けるようになったじゃねえかブタ」

「う、うるさい」

 オレ達はゆっくりと下に降りた。

「さて、どうすんだブタ?」

 エキドナの問いは当然のことであるが、即断は難しい。

「……そうだな、今すぐにでもハガイを呼ぶべきだろうけど……それをやっちゃうとメリアの世界の住人たち全てに何か罰とかあるんじゃないかって……そもそもコイツ、なんで急にこんなことを……」

「自然に発火しちゃったのよ。もともと火の使い手だし」

 いつもどおりクールに言うアテナ。

「火の使い手なら尚のこと自由自在なんじゃないのか?」

「馬鹿だな、ブタは。いや、ブタだな、ブタは」

「な、なんだと!?」

「お前だって感情がコントロールできないことがあるだろ? 例えばさっきみたいによ、一目散に駆け出してナイトぶっちゃってさ。アレって全て計算づくでやったか?」

 よくわかった。エキドナの解説で十分だった。

 確かに人間には激情に任せても走ったり怒鳴ったりあとは攻撃するにしても殴る蹴るとかの反応くらいしかできない。それしか能力として有していないからだ。だが、もしオレに当たり前のように火を操ったり水を操ったりするチカラがあったらどうなるか。

「……なるほどな、理解できたよ。あと問題はアイツの処遇だな……メリアはどうして欲しい?」

「……はい。いえ、あの……部田さんの指示に従います」

 メリアはまた陰鬱な顔に戻ってしまった。

「遠慮しなくていいよ。最終的にはオレが決めるから希望だけでも言ってくれ」

 オレはまるで晩御飯の希望を聞くくらいに努めてサラッと言ってみた。彼女は絶対に責任を感じている。確かに起きたことは明らかに大事(おおごと)だが、メリアだって被害者なのだ。

「……」

 メリアは何も語らない。困った。

「メリアちゃん、お父さん呼べば?」

「はあ!? あのナルシスト野郎をか?」

 まただ……いくらオレが無知だからってアテナとエキドナで見知らぬ方法での事態の打開策が出てしまった。

「おい、なんだよ『お父さん』ってさ」

「拗ねるなブタ」

「なんだと!?」

「こらこら、ケンカしている場合じゃないでしょ~? 早くなんとかしないとハガイさんにも見つかっちゃうし」

「お、おう」

 またアテナになだめられた。いや、正確には注意された。ダメだなオレは。

「……そうですね。止むを得ません、父である精霊王のリラクシーを呼びます。部田さん、ごめんなさい。結局ご迷惑をおかけしてしまいました」

 突然、意を決したかのようにオレにそう宣言するとメリアはその場でゆっくりと目を閉じた。

 短い静寂は能天気ともとれる男の甲高い声で打ち破られた。


「やぁ~、私のかわい~い愛娘メリア~!! こんなに早く再会できると~は、パパは夢にも思わなかった~よ~!!」


 その声の主は突如上空に現れた。まるでスカイダイバーのように降下してきたが、問題は格好だ。ギリシャ神話に出てくるナントカ神のイメージと言ったら良いのか、金髪ロングで一つの布をワンショルダーで掛けただけのいでたちだった。ついでに顔もガタイもらしい感じで、まさに実体化したギリシャ神そのものなのだ。だから空気抵抗で全身の皮膚が高速でプルプルしているし、(特に顔の表面の揺れ方が凄かった。)身に着けているものも布切れみたいなものだから一部マニア生唾モンの半裸ガチムチアニキ状態だった。


「……アレって変態じゃないよな?」

 オレは生唾というより固唾を呑んだ。

「すみません」

 メリアはオレに謝ってはいるものの、視線は刺すように上空へと向けられていた。


「ぷぎ!」

「おや?」

 ギリシャオヤジは着地直前で急停止し直立体勢に戻りつつ、オレの顔を両足でゆっく~り踏みつけるようにして降り立った。

「お父様、踏んでいます」

 オレの窒息死を阻止してくれたのはメリアの一言だった。

「ん? ああ、これ~か」

「ぷはあ!」

「いやぁ、すま~んね。娘に会えた嬉しさ~で周りが目に入らなかった~よ、ははは」

 なんとガサツな男だろうか。いや、知っていて知らぬふりをしただけか。

「あ、アンタがメリアの親父か!? 随分なお出ましだな!」

 あまりの出来事に驚いたのと踏んづけられて顔だけ起こした状態からだったので、大したリアクションができなかったが、よくよく考えれば文字通り泥を塗られたのだ。ここはもっと怒っていいところだ。

「ん~? 君はだ~れだね~?」

 メリアのオヤジは彫の深いイケメンだ。とぼけたセリフと間延びした話し方が実に憎々しい。

「オレは部田だ!! それにハガイから聞いてんだろ!?」

「ハガイ? あ~、あの気取ったメ~ガネか。君はアイツのな~んなんだね? 部下か? 友達か? まさかホモダ~チか?」

「なぬ!? おい! どさくさまぎれにとんでもないこと言ったろ? それに初対面なのに失礼だろ!」

 オレはまた頭に血が上ってしまった。

「……冗談だ~よ! そんなにすぐカーッとなる性格じゃ~、うちの娘を預けるのも心配だ~な。んん!?」

「わぷ! あいたっ!」

 メリアのオヤジはさっきまでのチャラ男のような顔つきから一転して真顔+超至近距離に顔を近づけてきた。よってハガイの時のようにオレはまたしても尻餅。くっそ~。

「さて……メリア、ジャックはとんでもな~い勇み足をしちゃったよ~うだが、あのメガネ野郎には知らせちゃった~のかい?」

「いいえ。それをどうしようかお父様に相談しようと……」

 メリアのオヤジとメリアは勝手に話を進め始めた。

「う~ん、そうだね~。ジャックは私の娘に手を出そうとしたんだ~し、死刑にするとして~もだ、メガネにばれるとちょっと面倒なことにな~るねえ」

 涼しい顔して死刑などと物騒なことをあっさり言いつつも、ハガイには不祥事を知られたくないようだ。精霊王は意外とケツの穴が小さいかもしれない。

「おい、お前!!」

「は!?」

 メリアとの会話に意識を向けているのかと思いきや、オヤジは不意にオレを指差した。

「今、私のことを『ケツの穴の小さ~いヤ~ツ』と思った~な!?」

「ええっ!? なんで!? (わかったの?)」

 思い返せばこのオッサン、精霊王なのだ。もちろん精霊王だから人の心の中が読めると決まったわけではないが、まあ、そういうことしかないだろう。次から次へと起こる超常現象にいちいち長考していたら身が持たない。

「精霊王~の私に対して人間のくせ~に馬鹿にした~ね。君、死刑だよ! しけいだよ……しっけいだよ……オホン……失敬だよ。 ぷっ、ぷぷ……」

 精霊王は笑いをこらえながらオレを何度かチラ見した。オレは反応しなかった。いや、できなかった。

「……」

「あれ、聞こえなかった~?」

「……聞こえた」

「はあ? 聞こえてい~るならちゃんとリアクションしてくんなきゃあ~。黙っていちゃ~わからないだ~ろ?」

 このオッサン、ホントわからない。王なのだから凄いチカラを持っているのは間違いないだろうが、あまりにも会話がテキトー過ぎる。

「あの! そんなことよりですね、お宅のジャックの件、早く結論を出したほうがいいんじゃないですか? お嬢さんも困っているんだし」

 オレは相手のダジャレは一切無視して事態の早急な解決を要求した。

「感じ悪いね、キ~ミ~」

「どっちが!!」

 この時点ではまだ何も解決していないが、少なくとも一つわかったことがある。それは精霊王とオレは最悪の相性だということだ。

「ブタ、いちいち反応すんな。余計に時間が掛かるんだよ。なあ、メリア?」

 エキドナが口を挟んできた。だが、これは正しい対応だった。オレが言えた義理ではないが。

「ほう、魔王の娘~か。それに……ウィッチ~もいるの~か。ふん、ついに同盟関係になった~か? もともとの源流は同じだ~しな」

「あら、ずいぶんとおしゃべりな裸の王様ね~。ダジャレも最低最悪う○こクラスだし、あんな色キチ人参がやってくるのも納得よね~、メリアちゃんが可哀想」

 さすがアテナ、好戦的でドSな悪口は天下一品だ。

「……ぬぬ……ウ、ウィッチめ! 全てが片付いた~らケリをつけてやるか~らな」

 精霊王は初めて真顔になった。濃い顔立ちなのでなかなかの迫力だ。

「いつでもどうぞ~」

 言われたアテナの方は両手をひらひら動かしながらおちょくっている。

「と、とにか~くジャックはすぐに連れ~て帰る。メリア、すまなかった~ね。二度とこんなことは起こさな~いから」

「お父様、ジャックの発した業火で人間界に何の被害も出なかったのはアテナさんのおかげです。ちょっとダジャレを馬鹿にされたくらいで怒らないでください」

 メリアは父親と話すときは流暢だ。いつものように何かしらのためらいみたいなものが感じられない。

「お、おお、そうか。わかったから機嫌を直しておくれ」

 精霊王は親馬鹿らしい。それまでの間延びした話し方から急に普通になった。

「では、ジャックをよろしくお願いします」

「あ、ああ」

 メリアは伝えたい最小限の言葉だけ言い放ち、父親との会話を終わらせた感じだった。精霊界といえどもオヤジと娘の関係は人間の世界とあまり変わらないのかもしれない。

 精霊王リラクシーとジャックは一瞬にして目の前から消えた。異世界住民である彼らが突如姿を消すという離れ技にはオレも少し慣れて来た。


「さて、精霊王もジャックも帰った~し行く~か……オレ達四人だ~けで出てきちゃ~って結構時間が経っている~し、麗~も、気を揉んでいるだろ~し」

「あ、あの部田さん……ハガイさんに報告しなくて大丈夫でしょうか?」

 メリアはいつもの口調に戻った。

「え? ああ、まあ、良いんじゃな~いか? 結果として実害は無かったんだ~しさ」

「……はい」

「心配するな~よ、メリア。オレが責任持つか~らさ」

 オレはまた俯いてしまったメリアの肩を軽くポンと叩いた。

「あ~!! ブタのやつ、ドサクサでメリアに触った~!! お前、今日オカズにするつもりだろ!?」

「な、なんだと!?」

「あ、やっぱり精霊王の口調がうつったのかと思えば、焦ると元通りになるんだ。マヌケ」

 人の善意を踏みにじるようなエキドナの発言。悪魔のようなヤツだ。……あ、悪魔だった。

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