第十話 5界の生活 その2

 食事中に明日の予定を聞かされた皆は、食べ終わるとすぐに洗い物を始めた。一方でオレの方はというとテレビを見ながら居眠りをしてしまった。

 だが、無理もない。オレの日常は劇的に変わったのだ。

 生きる目的も目標もない男が、常に未来のことを短期的にも長期的にも考えなくてはいけなくなった。いや、考えるだけではなくて具体的行動だって求められている。今日だって手探りのまま試しに出かけたらやっぱり予測できないことが実際に起きた。これからもそうだろう。

 頭も体も疲れて当然じゃないか。

 だが、このまま寝てしまっては昨日と同じだ。オレにはまだプリンセスたちに教えなくてはいけないことがある。

 確かに彼女達は部屋と寝具はハガイから与えられた。だが、床に就くまでの生活習慣を教えていない。


「風呂もあるし、歯磨きもある! ……お!」


 情けないが、自分の声に驚いて目が覚めた。慌てて時計を見ると、まだ九時前だ。恐らく一時間も眠っていないだろう。


「う、麗は? 麗はまだ居るか?」

 オレはまだ半分寝ぼけた状態で上体を起こしキョロキョロと辺りを見回した。

「……麗さんなら……一番奥の部屋に居ます」

「え?」

 声の主はメリアだった。彼女はオレのすぐ脇で正座をしていた。そして落ち着いた口調。すごく良い。心の何かを満たしてくれる所作だが、それはともかく――

「あ……そ、そう、わかった。……あ、あの……もしやメリアは……」

「はい……こうすることによって人間の男性は喜ぶと聞きました」

 なんてこった。オレはメリアに膝枕をされてのんきに眠りこけていたのか。

「そ、そんなことを誰が言ったんだ?」

「ハガイさんです」

「なぬ!?」

 アイツ……どこまで俗物なんだ。

「メリア、麗は何をやっているんだ?」

「部田さんと同じで疲れて寝てしまったようです」

「……そうか」

 悪いことをした。完全に麗を巻き込んでしまったことを今さらだが、少し後悔した。

 だが、彼女が居ないと風呂の入り方をちゃんと教えられない。ウチの風呂じゃ狭くて二人同時に湯船には入れないし……かと言って、銭湯に連れて行くとなるともっと絶対的に麗が一緒に居ないとダメだしな。どっちがいい?

いや、待てよ……こんなに大勢を麗ひとりで面倒見きれるか? 無理だろ。じゃあ、やっぱりウチの風呂しかないな……

 あれ?

 昨日はどうしたんだ?


「おい、みんな」


オレが声をかけたとき、臨時同居人たちは台所で片づけをしている者や、テレビを見ている者、追いかけっこをしている者など様々な行動をしていたが、幸いなことにひと声でこちらへ一斉に振り向いた。


「昨日は風呂に入ったのか?」

「「「「「……」」」」」


「なぜ、黙る!?」

「ブタが異常性欲の持ち主だからな、仕方あるまい」

「な、なんだと!?」

 意味がわからん、エキドナめ。なんでも言えば良いってものじゃないだろう。


「そんなに私達の裸が見たいのかしら~? 発情期って本当に困ったものね~」

「な、なんだと!? アテナ、そうやって面白がって会話に乗っかるな!」

「いやだわ~、ますますどう猛になってきているわ~。襲われたらどうしましょう~」

「ば、馬鹿なことを言うんじゃない! オレはみんなに風呂の入り方をだな――」

 どいつもこいつも人が心配してやっているのに、いつもふざけたことばかり言いやがって、どういうつもりなんだ。一向に話が進まない。毎回だ!


「大丈夫です、部田さん。こちらに来る前に学習してきました。昨日も勝手にお風呂を使わせてもらいました」


「え? お、おお、そ、そうか。じゃあ、問題ないな。……あ~、みんな。オレは……仕舞い風呂で構わない。先に入れよ、人数も多いし、順番は相談して決めなさい」

 メリアのおかげで指示? は完璧にできた。こうでなくちゃいかんだろ。

「……昨日と同じでいいんじゃねえか? なあ」

「じゃあ、ガイアちゃん、行こう」

「うん」

 ガイアとシルクはエキドナの言葉に促され、さっさと行ってしまった。なんだ、余計な心配だったか。

 確かに昨日はオレが勝手に寝てしまっただけであって、彼女達にしてみれば今日は二晩めだ。既に段取りができているなら、オレがガタガタ言うまでもなかったのだ。

 アホらし――


「部田さん、お気遣い有難うございます。みんな感謝していますよ」

「……そうかな?」

「そうです、絶対――」

「でも、ガミガミ言い過ぎなのかも……」

 勢い余ってメリアの言葉を遮ってしまった。

「いいえ、もっとかまって下さってもいいくらいだと思います」

「え? そうか?」

「……はい」

「う~ん」

 オレはメリアが言う『もっとかまってもいい』という意味を考えた。なぜなら毎度、何を言ってもおちょくってエロに結び付けてキャーキャー騒ぐというパターンが定番化している。だが、きっとその原因はオレが『ああしろこうしろ』と言い過ぎるせいなのかと勘ぐっていたからだ。

 それなのにメリアはもっと色々と口出ししろと言う。そんなことになったら、彼女達はもっと反発しやしないか? それともメリアはそういう意味で言ったんじゃないのか?

「部田さん」

「ん? え?」

「それほど考え込むようなことではありませんよ。今までどおり人間界のことを教えてください」

「あ、ああ。それはもちろんだけど……」

 結局オレは今一つピンとこないままメリアに押し切られたような形になってしまった。

「お嫌ですか?」

「そ、そんなことあるわけない!」

 オレと違ってメリアは落ち着いた口調と柔らかな微笑。なんか器の差を感じる。

 背後に人の気配がしたので、見上げるとアテナが少し視線を下げながら穏やかな笑みを浮かべながら佇んでいた。

「アテナ?」

 なんとなくその意味が知りたくてオレはメリアに待ってもらって先にアテナへ声を掛けた。

「……えっ?」

 アテナの返答はなんか変だった。うわの空というか、心ここに非ずというか……

「どうした? ボーっとして」

「いいえ、別に。……あ、メリアちゃん、私の順番が来たら教えてちょうだい」

「はい、わかりました」

 アテナは自分の部屋に行ってしまった。その後ろ姿を目で追っているうちに思い出したことがあった。

「あ、そうだ! 麗のヤツ、まだ寝ているんだよな? 起こした方がいいんじゃないか?」

「……でもかなり疲れていたようなので、あのまま寝かせてあげても良いかもしれません」

「そうか? ……うん、まあいいか。ちょうど部屋も開いているしな。それに中途半端な時間に無理やり起こして帰らせてもな……」

「ええ」

「うん。有難うメリア。オレ、いちいち迷うことが多くてさ……ダメだな」

「……」

 気のせいかもしれないが、かすかにメリアが笑ったような気がした。





「きゃー!」


 オレは風呂の順番を待っている間にまた腕枕しながらうつらうつらしていたが、誰かの小さな悲鳴で目が覚めた。

「……誰だ?」

「麗さんです」

「え? ……そうか」

 メリアは律儀にまだオレの傍に居た。

「部田! い、今、何時!?」

 麗は部屋から出てバタバタとこちらに走ってきた。

「え? え~とだな……」

「十一時少し前です」

 まだ寝ぼけているオレに代わってメリアが麗に返答した。

「え~? どうしよう……」

「麗、もう遅いから泊まっていけよ。どうせ今まで寝ていた部屋が空いているんだ。それでいいだろ?」

「うん、でも……」

「気にすんな。今さら一人多く増えても同じだ」

「うん……」

 麗は浮かない顔だ。

「なんだ、どうしても帰りたい理由でもあるのか?」

「ううん、そうじゃなくて……」

「?」

 オレには麗が何を気にしているのか、全く見当がつかない。

「部田さん」

「え?」

 不意にメリアがオレに声をかけた。

「麗さんに寝具とか着替えとか他にもいろいろ必要です」

「あ、そうか」

 なるほど。女子なんだから化粧を落とすとかもしなくちゃいけないし、替えの衣類だって当然必要だろう。こういう時、男というのはつくづく全く気が利かないものだ。反省。


「別にいいから。一晩くらいどうってことない」


 麗はオレに余計な手を煩わせまいとして、遠慮しているようだ。

「そうもいかねえだろ。少なくともパンツくらいは替えないと気持ち悪いはずだ。メリア、麗と買い物に出たときに下着も買ったろ? 予備は無いのか?」

「大丈夫です。かなり余っています」

「歯ブラシとかもあるかな?」

「大丈夫です。無いのは布団くらいです」

「……そうか。あとは化粧関係か。メイク落としとか、化粧水とか、あとはなんだ?」

「……」

 オレは麗があわよくばそれらを持ち歩いていないか期待しながら視線を送ったが、彼女は下を向いたまま無言だった。

「麗?」

「……」

「部田さん、私で良ければ麗さんの手助けをさせて下さい」

「え? ……ああ、ま、別にいいけど。だけど何か買わなくちゃいけないものがあるならオレが出すから。どうせハガイの金だし」

「わかりました」

 メリアは何かとよく気が付くタイプだ。彼女が言うことにはきっと意味がある。鈍感で無粋なオレにはわからない何かがあるからオレに意見したのだ。

 ここは任せて素直に従うべきだ。金のことは除いてだが。

 麗とメリアはそのまま洗面所というか浴室の方へ行ってしまった。

「ふう……」

 オレは再びゆっくりとその場に腰を下ろした。するとちょうど麗たちと入れ替わるようにアテナが現れた。

「あら、子豚ちゃん、あの子、泊まっていくの?」

 アテナは長い髪をタオルで拭きながら、オレに尋ねた。

「ああ。もう遅いからな。……おい、ちゃんと何か着ろよ」

 アテナはバスタオルを巻いただけの恰好だった。

「だって暑いんだもの。お風呂って気持ちいいけど、熱が残るのね、知らなかったわ」

「昨日も入ったろ?」

「あら、ばれちゃった?」

「当たり前だ」

「子豚ちゃんが欲情するかなって思って~」

「なんで、そうする必要があるのだ?」

「居候させてもらっているのに何もしないのも悪いし~」

「アホ! お前だって好きで来ているわけじゃないだろ? お互い様だ。余計な気を遣わなくていい。そもそもそういうサービスは要らん」

「あら、荒れ狂う暴力的なオスの本能が抑えられないからああいういやらしい動画を観ているんじゃな~い?」

「な、なんだと?」

「でも、それが女を蹂躙(じゅうりん)することなく生きていくための人間の知恵ならアリかも」

「は? お前、何を言ってんだ」

「ふふっ、子豚ちゃん、だんだんリーダーらしくなってきたわね」

「え?」

「じゃあね。劣情を催したらいらっしゃい」

「なぬ!?」

 アテナは一方的にしゃべった挙句、さっさと部屋に引き上げてしまった。

 相変わらずオレをからかってばかりのアテナだが、今日は時々何を考えているのか理解できない態度があった。



「部田さん」

「んっ?」

 次にオレを呼んだのはガイアだった。

「おやすみなさいを言いに来ました」

「そうか。お、パジャマ、買ってもらっていたんだな、よかったな」

「はい!」

 初登場時にはヒョウ柄ビキニで、もしあのまま一緒に出掛けたらすぐに通報されただろうが、麗のおかげで私服も部屋着もまともになった。今なら、本当に妹とか親戚でも通用するだろう。……顔はこれっぽっちも似ていないが。

「シルクはもう寝たか?」

「あ、はい。お風呂出たらすぐ寝てしまいました。ごめんなさい」

「ああ、いや、気にしなくていい。じゃあ、おやすみ」

「はい! おやすみなさい」

 ガイアは少し天然だが、誰よりも純粋で真っ直ぐだ。あのまま成長してほしいものだ。



「ブタ」

「ん?」

 テレビをボンヤリ見ていたオレに再び誰かが声を掛けた。だが、『ブタ』とシンプルにオレを呼ぶヤツは一人しかいない。

「どうした? 風呂は入ったんだろう?」

 オレは体勢を変えずにちらりと横目で見ながら答えた。エキドナはまた、ボンデージスタイルだ。

「ああ」

 らしくない返答にオレは何か気になり、後ろで突っ立っていたエキドナの方へ振り向いた。

「何かあったか? ……ああ、そうだ。今日は有難うな。お前が助けてくれなきゃシルクはどうなっていたかわからなかった」

「……いや、そんなことはねえさ。アテナもメリアも……ガイアだって相当なツワモノだ。アイツらが何とかしたさ」

「……そうか。だが、非常時のお前の落ち着き払った振る舞いはやはりさすがだと思ったよ。部下も頼りになるヤツみたいだしな。正直たまげた」

「そうか……本当にそう思うか?」

「え? だから今そう言っただろ?」

「……だが、私は非情さに欠けるのだ」

「え? なんだって?」

「いや、なんでもない。明日も外に出るんだろ?」

「ああ、まあな」

「わかった。よろしく頼む。それじゃあな」

「え!? おい!」

 なんだなんだ、今日は。どいつもこいつも何か意味ありげで、そのくせハッキリ言わないからさっぱりわからん。

 エキドナは褒めてやったのになぜか浮かない顔だった。そしてオレの言葉を少し疑っているようだった。さらに非情さに欠けるとはどういうことだ? ……わからん!

「部田さん……」

「お、メリア。あがったか」

「はい。あとは部田さんだけです。お待たせしました」

上下スウェットになったメリアはしなやかにお辞儀をした。着ている物が普通になったので、品の良い所作がますます映える。

「麗はどうした?」

「はい、髪を乾かしています」

「そうか……それじゃあ、布団はオレのを使うように言ってくれ。あとはパジャマか」

「大丈夫です。あります」

「わかった。悪いけどあとは任せてもいいかな? ちょっとオレも眠くなってきた。風呂は明日にするかな……」

「はい」

 そこまで会話をした後、オレは記憶がない。また落ちるように寝てしまった。






「部田さん」

「……」

「部田さん」

「……ん」

「お風呂の準備、出来ています」

「……ん?」

「お風呂」

「……ふ……ろ?」

「はい、風呂です。昨晩もお入りにならなかったので」

「……なん……だ」

「お風呂です」

「……風呂か」

「そうです、お風呂です」

「……風呂は……明日にしよう」

「いいえ、もう明日になりました。今は朝です」

「……そうか……って何!?」

 オレは飛び起きた。既に朝だ。いつの間に……

「はい。昨晩も急に寝てしまわれたのです。疲労が原因だと思いますが」

「あっそう……あれ、メリアは何でここに居るんだ?」

 メリアはオレの枕元に正座していた。既に『正装』だった。

「風呂は明日にするとおっしゃっていましたので、起こしに来ました」

「わざわざ?」

「はい」

 なんと律儀なことだ。メリアのことはかなりわかってきたつもりだったが、ここまでとは。

「わ、わかった。すぐに入ってくるから、メリアも朝飯まで好きにしていろ」

「はい」

 気づくと誰かが枕と毛布を掛けてくれていたようだ。それは助かったが、麗はちゃんと布団で寝てくれたのだろうか。

 オレは目をこすりながら脱衣場まで移動し、風呂場に入った。


「きゃあ~!!」

「おわあ~!!」


 なぜか風呂には麗が居た。そんな馬鹿な。オレは大慌てで浴室から出た。

「お、おい、麗。なんで居るんだ? 昨日入ったんじゃなかったのかよ」

 オレは扉越しに麗に話しかけた。

「わ、私は朝も入るの! 習慣なのよ!」

「そ、そうか。じゃあ、次はオレが入るから上がったら教えてくれ」

「う、うん」

 おかしい。脱いだものがあればオレだって気づいたし、入浴中なら湯を流す音とかも聞こえるはずなのに全く人が居る気配がなかった。それに……

 麗はあそこまでの『パイオツ・カイデー』ではない! (ただし大きいほうではある)


「あれ? どうなさったんですか?」

 オレはもう一度着衣し直してから自分の部屋に戻った。メリアもまだそこに居た。

「麗が先に入っていた」

 オレは少し気が動転していたかもしれない。

「えっ? それはおかしいですね。朝になってからまだお姿を見ていませんが」

「……とにかく居たんだよ」

 オレ自身が一番合点のいかない心境なのに、またメリアから疑問を投げかけられても答えようがない。

「……たぶんそれは――」

「なんだ? 何か心当たりがあるのか?」

 オレは座ろうとして再び立ち上がった。

「ええ、恐らくですがそれはアテナさんです」

「なぬ!?」

 オレは一瞬、メリアが何を言っているのか理解できなかった。断言できるが麗の姿をこの目で確かに見たのだ。いくら寝ぼけていたと言ってもアテナと見間違うはずがない。それともメリアはオレの視覚を全く信用していないのか?

「アテナさんならその程度は造作もないことです。それにそのような『やんちゃ』をするのは……」

 オレはようやく合点がいった。

「ヤツしかいないな」

「……ええ」

 なるほど。オレは今、人間とは違う摩訶不思議な世界の住人と暮らしているのだ。魔法を使ったり、異界の魔物をしもべにしていたり、ケガをあっという間に直したりできるような連中だ。人に化けるくらい文字通り朝飯前だろう。

 もちろんまだ証拠はないが、メリアの仮説は非常に説得力があった。さっきオレが感じた不可解なことも納得いくし、昨晩だって着替えやら何やらであれだけ遠慮していた麗がオレに一言もなく風呂を使うこともおかしい。

「よし!」

 オレは再び風呂場に向かった。今度は絶対にひるむまいという強い決意を抱いて。そしてアテナに言ってやる。『ふざけるな!!』と。

「おい!」

 オレは掛け声と共に勢いよく扉を開けた。だが、オレの気合は見事に肩透かしに遭った。既に浴室内は無人。

 でもよくよく考えればこれで良かったのだろうか。頭を冷やして考えると、もしアテナに再び遭遇したら、どうしてた? 素っ裸の相手にオレはビシッと言えたか? 言えるわけない。

「危なかったな……」

 オレはシャワーを浴びながら、短絡的な行動に出た自分を少し反省した。



「おい、アテナ!」

 オレが風呂から上がって再びダイニングへ戻ると、既にほとんど皆が集まっていた。メリアとアテナはキッチン前に立ち、朝食の準備をしていた。

「あら、子豚ちゃん、おはよう~」

「挨拶はいい! お前、麗に成りすまして風呂に居ただろ!? どういうつもりだ!」

「……」

 アテナは振り向かない。

「おい、聞こえているんだろ?」

「……うふ。怒っちゃった?」

 ようやくこちらを向いたアテナの顔は言葉とは裏腹に無表情に近い。

「あ、当たり前だ」

 想定外のアテナの態度にオレは少しひるんでしまった。

「でも体はほとんど私だったのよ。お顔だけ借りちゃった感じ」

 今度はすこし悪戯っぽく微笑むアテナ。

「あ、悪質な行為だ」

 いつもの妖艶な眼差しでオレの様子を伺う仕草に戻ったのはいいが、それはそれでやはり動揺してしまう。おかげでこっちが視線を外してしまった。

「でも、しっかり見たんでしょ? 舐めまわすように……」

「ば、馬鹿なこと言うな! すぐに出ただろ!?」

「……でも、胸の大きさが違うな~とかは考えたんでしょ~?」

 アテナはオレに近づき体を密着させ挑発的な目でじっと見つめてきた。

「や、やめろ」

 オレは反射的にアテナを軽く小突いてしまった。

「いやん」

 アテナはわざとらしく倒れて横座りの体勢になってオレを上目使いで見た。

「あっ、ごめん! 大丈夫か?」

 オレごときが軽く手の平で押したところで魔女にダメージを与えられるわけがないが、少なくとも男が女に対して身体的に圧力をかけるなどということは絶対にいけないことだ。

「あら、心配してくれるの?」

 オレが慌ててアテナの肩を抱くと、アテナはニッコリと微笑んでそう言った。

「当たり前だ。すまなかった」

「……」

 再びアテナは無表情になった。

「お、おい、どうした?」

「……えっ? い、いいえ、なんでもないわ。さあ、朝食にしましょう」

 先ほどとは逆でオレと目を合わさないようにして立ち上がったアテナは台所に向き直り、いそいそと仕上げのキャベツの千切りを始めた。




「おはよう、部田……」

「ん? おう、昨日は眠れたか?」

「う、うん」

 オレがダイニングテーブルの椅子に腰かけると同時に麗が現れた。表情とパジャマの乱れ具合から察するに起き抜けであることは明らかだ。朝からエロいぞ! 麗!

「なんだ、随分と眠たそうだな。なんだったらまだ寝ていてもいいぞ。メシは取っといてやるから」

「大丈夫……顔洗ってくる」

「そうか。先に食っているから早く来い」

「うん」

 すっぴんの麗を見るのは久しぶりだ。アイツはそのことに気づいていないようだが、彼女はその方が少し幼く見えて、むしろ可愛い雰囲気になる。このことも麗は自分では知らないだろう。


「いただきま~す!」

 シルクが最初に食事を始める挨拶をした。

 思い返せば彼女も昨日はかなり恐い思いをしたはず。ショックで精神的に不安定になってしまったのではないかと少し心配したが、今見る限り、その様子は感じられない。

「うん、元気でよろしい」

「えへへ」

 オレのほめ言葉に満面の笑みで答えるシルク。


「朝からロリコンか? 変態大王」


「な、なんだと?」

 すかさず口出ししてきたのはエキドナだ。

「……いいや、なんでもねえ。ただ、ブタのライブラリに沢山あったアレ……なんだっけ? ああ、そうだ! 幼女性愛者とかいう異常性欲の持ち主が良く観るもんなんだろ?」

「な、なんだと!?」

「だってよ、お兄ちゃんがどうこうとかそういうタイトルのヤツ多くなかったっけ?」

「う、うるさい! そのことは関係ないだろ!」

 せっかくシルクの快活な姿に安心したところなのに、朝っぱらからコイツは何を言い出すんだ。

「ブタしゃん、『いじょうせいよく』ってなに?」

「えっ!?」

「いじょうせいよく~」

「そ、それは!! ……」

 シルクの限りなく純粋な瞳に見つめられて、オレは言葉が出なかった。

 代わりにひとすじの汗が額を伝ってきた。だが、保護責任者としてこのまま黙ったままではいけない。

「も! ……もう少し時間が経ったら……もう少し大きくならないとわからない……ものすご~く難しい言葉だから今はわからなくてもいい……」

「えぇ~~?」

 苦しまぎれの言い訳にしか聞こえない返答にシルクも不満の声を上げた。当然だろう。しかし本当の意味を言うことはできない。それこそ当たり前じゃないか。


「お待たせ」

 マズイ。このタイミングで麗が戻ってきた。

「麗ちゃん、『いじょうせいよく』ってな~に?」

「あっ、コラッ!」

 シルクはオレに聞いても教えてくれないからって麗に聞きやがった。……あ、いや、聞いてしまった。

「ええっ!?」

「ようじょせいあいも教えて~」

 シルクは場の雰囲気も読まずにというか読めないからなのだが、麗にすりすりしながら意味不明の猫なで声でエロ質問を追加した。

「はあ!?」

 麗はおかげですっかり目が覚めたようだった。

「ちょ、ちょっと麗、待て! あ痛っ!!」

 オレはパニクりながら立ち上がったせいで、足のつま先をテーブルの脚にぶつけてしまった。

「とりた!!」

「い、いや、だからちょっと待てよ」

 案の定、麗はオレがシルクに余計な知識を植え込んだと思い込んでいる。さっきの寝ぼけ眼はどこへ行ったのか。今の麗はまるで鬼か魔人である。


「あ~あ、また始まっちゃった」


 そもそもエキドナの適当な発言が発端なのに、コイツは完全に観客気分だ。

「麗さん、部田さんがシルクに教えた言葉ではありません。どうか落ち着いてください」

「そ、そうだ! オレじゃない!」

 メリアの一言で麗の顔が大魔神から訝しげな顔へと変化した。よし、ここで一気に誤解を解く! オレは腕組みしながらうんうんと大きくうなずいた。

「え、本当にそうなの? メリアさん」

「はい、そうです。確かに部田さんが保有しているいやらしい動画ディスクから推察されたことではあるのですが……」

「なぬ!?」

 オレは超高速でメリアの方へ振り向いた。てっきり助け舟を出してくれたものだと思ったわけだが、まさかの彼女の余計なひと言に目ん玉が飛び出そうになった。

「よくわからないけど、結局のところ部田のエロDVDが原因ってことでしょ!?」

 思ったとおり、麗は痛いところをついてきた。

「お、おい、そこを端折るなよ。大事なところなんだから。とにかく落ち着け! あ、朝飯食べようぜ、皆が腹空かしてる」

「ごまかそうとしているのがあからさまだけど……まあ、いいわ。今日も出掛けなくちゃいけないし」

「そ、そうだろ?」

 麗はオレの問いかけに答えることなく着席した。とりあえず無理やりの一件落着ということにしよう。

 それにしても今日は朝の時間が昨日よりさらに濃密に感じる。

 ……アレ? 昨日もオレの『ライブラリ』絡みで大騒ぎの朝食タイムだったような気がするな。ま、いいか。

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