「〜らしい」とか「〜みたい」といったはっきりとしない言い回しは怪談などでよく使われる印象がある。
この話はそれをとことんやった感じで、なにかと仄めかされては(あるとするならば)真相のようなものには辿りつかない。
語り手の友人には「話してはいけない話」があり、話すとよくないことが起きる。友人が何かを話そうとした時、妙な物音がして、同時に実家でも変なことになっていると連絡が届く。これが友人家族の中では知られた事実として共有されている。
おもしろいのは、この感覚が語り手にも伝播しているところだ。語り手自身も「ぼんやりとした、結末を持たない話」に触れて、それを語ることに怖気付く。するとどんどん話の真相みたいなものは奥ばって遠ざかり、結局なんなのかは藪の中という次第。
分からないものに対する畏れが深化していく構造が良い。