Ⅲ.甲府盆地へ

 何番目かのトンネルを抜けると、眼下に甲府盆地の夜景が見えた。

「綺麗……。これ、本当に甲府盆地なの?」

 大都会のそれとは全く異なる、静かな、しかし優しい輝きを放つそれに、ヒメは釘付けになった。


 あずさ号は勝沼ぶどう郷を通過する。この駅は、楓太一押しの絶景スポットだ。

「すごいでしょう。昼の眺めも最高ですが、夜も心が洗われます」

 楓太が自慢げに話すのが面白かったのだろう、「なによそれ」とヒメが苦笑する。

「はあ……でも本当に、色んな事がどうでもよくなるくらい綺麗。なんか愚痴っちゃって悪かったわね」

「全然いいですよ、俺も話し相手欲しかったし。こんなに綺麗で可愛い人と一緒に旅ができるんだから、お酒も美味しいですね」

「あんた馬鹿なの?大体人じゃなくて蛙じゃない」

 ばっかじゃないの、と、笑顔のまま呆れるヒメ。声に棘が無いことは、動かない表情からもよく分かった。

「……ねえ。乗った時から思ってたけど、あんたかなりのイケメンね。こんな時間に東京から一人旅?彼女とかいないの?」

 唐突な問いかけに、楓太は「あはは」と間抜けに笑った。

「勿体ないわね~、絶対モテるのに。……何ならあたしと付き合ってみる?ためしに」

「それは遠慮します」

「何でよ、そんなあっさり断らなくてもいいじゃない」

「違いますよ。ヒメさんには家族がいるじゃないですか。きっと貴女の帰りを待っている。俺が取ったら文字通りの泥棒です」

 確かにそうね、とヒメは納得した。物としての所有権、という意味だけではきっと表せない何かを、持ち主はきっと持っている―そう願わずには、楓太はいられなかった。

「プレゼント、あげたんですよ」

 今度はヒメがきょとんとする番だった。

「……幼馴染がいたんです」

 ぴたり、と空間が呼吸を止めた気がした。


「家が近所だったので、よく遊んでいました。一個上の、ポニーテールとツリ目、日焼けした肌が特徴な女の子。

 所謂男勝りな子でした。兎に角負けず嫌い。ゲームをすれば延々と対戦させられたし、鬼ごっこも雪合戦も本気。いつも泥だらけになってました。

 明るくて、強くて、友達思いで、優しくて、ちょっと涙もろいところもあって、すごく頼りになるんです。あとこう、ニカッ、とした笑顔が特徴で……」

 何よ惚気ちゃって、そんなに好きだったのね?とツッコミが入った。照れ笑いをしながらも、楓太は続ける。

「すごく好きでした。……恥ずかしながら、ずっと片想いですよ。

 その子とは家族ぐるみの付き合いでした。一回、互いの親に連れられて出かけることがあったんです。ちょっと遠くの方までね。それで、どういうわけか入った雑貨屋さんで、その子の足が止まった。

 棚の商品をじ~っと見つめて動かない。見たこともない集中力でした。気になって行ってみたら、色んな動物のぬいぐるみがあったんです」

「へえ。実はかわいいところがある、的なね」 

 ヒメの的確な相槌に、そうそう、と大きく頷く。

「でも、隣に立ってみたら、ですよ。その子びっくりしちゃって。なっ、なんだよ!いたなら言えよ!ちょっと疲れたからな、休憩してただけだ!……って」

 面白いでしょう?気になるから見てた、って言えばいいのにね。饒舌な楓太に呼応する、あっはははは、という、黄色い笑い声。可愛いぬいぐるみを欲しがる、ガキ大将な友達―そのギャップある光景は、容易に共有された。

 それで、と尋ねるのはヒメだ。

「ちょうど家族が帰ろうとした隙に、見つからないようにお店に戻って、そしてひときわ目が丸くてかわいい、けど値引きシールつけられていっちばん安い蛙のぬいぐるみを手に取って、なけなしのお小遣いで買って、プレゼントしたってわけね」

 まるで見てきたような口ぶりに、楓太は一瞬驚いた眼をしたが、

「……そうですね」

 遠い記憶が蘇る。

「言われた気がしたんです。買ってあげなさいよ、って」

 一つ呼吸をして、楓太は続けた。


「彼女が立ち止まっていた棚の、隅の方に目が行きました。そして、ふと視線が合ったんです。

 ……薄い黄緑色をした、大きな目の蛙さんとね」

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