さんびきのこぶた 3.煉瓦

 静かに、煉瓦の壁に触れた。

 ほぼ、乾いていた。然し、完全に固まるには、まだ四刻(約1時間)は必要だろう。

 空が、白み始めていた。山並に刺す光が少しづつ強くなる。


 豚は、目を閉じる。長兄と次兄の背中が浮かんだ。

 捨て駒になるのは自分であるべきだったという思いが拭えなかった。長兄か次兄が煉瓦を組んで、自分が時間稼ぎをする。それが最良策だった。然し、言い出せなかった。狼と対峙する。それを想像するだけで怯懦した。

 お前が一番組むのが巧い。出立前、長兄はそう言って肩に手を置いた。次兄は、何も言わずに微笑んでいた。その優しさが、末弟の心を締め付けた。

 兄は、この壁を褒めてくれるだろうか。このまま煉瓦が固まれば、狼は容易に攻めては来れなくなるだろう。

 風が、強く吹いた。豚は矛を持つ手に力を込めた。

 風の中、微かに匂いがした。血が染み付いた毛皮の独特の匂い。捕食者特有の匂い。

 心臓が早鐘を打っていた。豚は背後を向く。狼が、立っていた。

 豚はゆっくりと矛を中段に構えた。腕が、震えている。穂先が定まらない。狼はゆったりとした足取りで、こちらに歩き、3間(約5m)ほどの距離で立ち止まった。しばらく固着した。震えは、止まらなかった。

「お前の兄は、強かった」

 不意に、狼は口を開いた。よく姿を見ると、左眼は潰れていて、全身に傷が刻まれていた。

「失望させないでくれよ」

 豚ははっとした。狼は口角を上げた。そのまま、姿勢を、低くする。豚は矛を強く握った。震えが、止まっていた。

 視線を合わせ、互いに咆哮した。狼は一歩で距離を詰め、腕を伸ばす。豚は地摺りから矛を跳ね上げる。交差する。押し合い、2人とも弾かれるように後ろに跳んだ。

 豚は、自分から前に出た。内側から力が湧いてくる。2人の兄は、狼と対等に渡り合った。そして、狼もそれを認めた。矛を、上段から突き刺す。狼は跳躍して躱す。矛が、地面を大きく穿った。

 狼の脳裏に高揚と恐怖が同時に浮かぶ。豚の長兄と次兄は、末弟のために捨て石になった。今の一撃で、それがよくわかった。

 豚は続けざまに斬撃を繰り出す。豪風が吹き荒れる。狼は全て紙一重で躱した。擦った毛が焦げていた。一度でも当たれば、それで終わるだろう。

 横薙ぎ。潜るように避けた。下から右爪を突き出す。柄で防がれた。左爪を出そうとする。その前に豚の蹴りが飛んできた。重い。後ろに飛んで威力を殺したが、直撃したら骨の1、2本は折れていただろう。

 左腕が、思った以上に動かなかった。死角があるせいで反応も鈍くなっている。豚。こちらに穂先を向け、気を漲らせていた。その構えに、怯懦は微塵も無い。豚は大きな何かを背負っていた。使命感や復讐とか、そういった言葉では片付けられない、複雑で大きな何か。狼は悟る。相手は一匹の豚では無い。三匹の豚だ。

 狼の呼吸は乱れていた。一方、豚は泰然としていた。狼は両脚にありったけの力を込める。長期戦になればなるほど狼が不利だ。塞がりかけた傷口から、血が垂れていた。気を、静かに溜める。

 豚も闘志を穂先に集めた。そのまま、固着した。汗が、滴り落ちた。次にぶつかったとき、そこで決着だろう。

 動いたのは同時だった。甲高い音が鳴った。相擦れ違っていた。しばらく、互いに動けなかった。

 豚が膝をついた。胸元が、斬られていた。石突を地面に突き立てる。矛は、中ほどで折れていた。

 狼は豚に背を向けたまま、頬を緩めた。良い闘いが出来た。その思いだけがあった。相手は豚でも無く、被食者でも無く、強者であった。ただ、力を出し切って闘う。その快さをずっと忘れていた気がする。

 狼は、そのまま前に倒れた。胸を、矛が貫いていた。

 豚は、仰向けに倒れた。傷は広く伸びていたが、深くは無かった。全身が傷だらけであった。しかし、生きている。豚の眼から、涙が止めどなく流れた。

 兄と共に闘っていた。兄と共に、矛を振るっていた。きっと、一人では勝てなかった。兄が、力を貸してくれた。

 山の向こう側から、朝日が見えてきた。夜は、まもなく終わる。

 この先、兄のように生きられるだろうか。兄のように死ねるだろうか。嗚咽は止まらなかった。

 煉瓦の壁は、しっかりと固まっていた。

 朝日は、豚も、狼の屍も、等しく照らした。



【さんびきのこぶた 了】

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ハードボイルド童話 さんびきのこぶた 北 流亡 @gauge71almi

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