さんびきのこぶた 2.木
狼は足を止めた。
静かな夜であった。草木の擦れ合う音と、僅かな夜鳥の鳴き声だけが聞こえていた。
森の中、かなり奥の地点に踏み込むと、そこは更に静かであった。いや、静かすぎた。音が、急に消えたのだ。狼は踵に力を入れる。土の軋む音が聞こえた。
狼は暗闇に目を凝らす。やや開けた位置に、木の小屋があった。喪った左眼に、痛みが走る。
小屋と呼ぶには小さいような気もした。むしろ箱と呼んだ方が相応しいと思った。豚が1匹隠れられるほどの箱。更に注視すると、箱は1つだけではなかった。彼方此方に、幾つも置かれていた。
どう進むべきか。そう考えて、狼は小さく舌打ちした。こうして勘案してる時点で、豚の術中に嵌っている気がした。
小屋の位置を頭に入れる。草原を陥穽だらけにした豚の仲間が、どのような策を弄するか。
低い姿勢で駆ける。最寄りの小屋に一気に距離を詰める。足元で、何かを引っ掛けた感覚があった。矢。2方向から向かってきた。やはりだ。1本は躱し、1本は払い落とした。小屋に距離を詰め、勢いまかせに蹴り飛ばす。小屋はあっさり崩壊した。思った以上に、薄い板であった。露わになった内部に、弩が見えた。
小屋はまだ無数にある。おそらく、そのどれにもこんな仕掛けがされてるのだろう。
狼は暗闇を誰何した。音が、飛んで来た。狼はそれを掴む。矢が、額の直前で止まっていた。命を奪うために放たれたとは思えなかった。いつでも狙える。そんな意味が込められているのだろう。
豚の気配は無い。然し、森に入ってからずっと、湿った殺気が纏わりついていた。
矢。また飛んで来た。狼は動かない。風が頬をかすめて、闇の中へ消えて行った。
狼は低い姿勢で走った。矢が、次々と飛来する。難なく叩き落とすが、危うく刺さりそうになった物もあった。死角から飛んで来た矢だ。左眼が無いということの弊害は、思った以上にある。
狼は小屋を次々と破壊した。何処にも、豚は潜んでいない。
視界が届く範囲の小屋は、残り1つになっていた。10は破壊したはずだ。月が沈んでいた。時間は、思った以上に浪費されていた。
最後の小屋に向かって駆ける。殺気。瞬間強くなる。爪を振るったが、感触は無い。代わりに、此方の肩が斬られていた。咄嗟に身を捩ったが、傷は浅くない。
木の上からの攻撃であった。死角を、的確に突いてきた。万全なら、擦りさえしなかった。
豚は、10歩ほどの距離から此方を見ていた。獲物は薙刀であった。ゆったりと中段に構えていた。どこにも力を入れていない。故に、何時でも攻撃に転じられる。そんな構えであった。
暫く固着した。森は、静かなままであった。豚から仕掛けてくる気配は無い。まるで何かを誘っているようであった。狼は姿勢を低くする。
飛び出した。それと同時に豚は踵を返した。森の奥へ、遠ざかって行く。狼は確信する。豚たちの狙いは時間稼ぎだ。ならば、その理由はどうあれ、速やかに決着をつける必要がある。
豚は蛇行しながら逃げる。矢が、何度か飛んで来た。おそらく、仕掛けを作動させながら逃げているのだろう。矢が当たることは無かった。全て払い落としていた。
地の利は豚にある。然し、脚力は狼に分がある。もう4、5歩の距離まで迫っていた。そこで豚は振り返った。薙刀を大きく振りかぶり、振り下ろそうとした。狼は違和感を覚える。動きが、大き過ぎる。狼は脚の回転を上げ、爪を突き出す。斬撃。豚の首が、宙を舞った。長男に比べ、感情を露にしない豚であった。その豚の顔に、喜色が浮かんでいた。狼は舌打ちをする。左腕に、矢が刺さっていた。
無理矢理に抜いた。毒は使われてないようだ。然し、左腕の動きは重くなっていた。万全の状態を10だとすると、3の力も出せないだろう。
豚の首が足元に転がっていた。
豚たちは、勝つつもりなんて初めから無かったのではないかと狼は思った。1本の針を、1本の矢を刺すためだけに、命を囮にしたのか。
そして、時間はどれくらい稼がれたのか。それは豚たちにとってどれほどの益を齎したのか。
どちらにせよ急いだ方が得策だと、狼は思った。
空が、白み始めていた。
森の向こうに、山が姿を見せ始めていた。
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