第2話

 じゃぶじゃぶじゃぶ。冷たい水に顔をしかめる。夏は気持ちいいのだが冬……というか春? にはつらい。毎朝やっていることではあるが、だからといって慣れるものでもない。


「いってきまーす!」


 明るい声が玄関から聞こえる。陽花あすかだろうか。中二の妹だ。犬の散歩にでも行くのだろう。


「京介、早く。遅刻するよ」

「わかった」


 ひょこっと顔を出した奈月は制服を着ていた。手にはピーナッツバターを塗ったトーストが二枚。


(食べたい)


「食べたいなら早く動いて」

「承知しました、月城司令官殿!」

「よろしい。時間は有限だ、急げ!」

「ハッ!」


 そうして《見えざる敵時間》との戦いが始まった。



 §§§§§§



「急げ、急げ、急げ!」

「遅刻したら、寝坊した京介のせいだよ」

「いや、ミルクと遊んでた奈月の方が悪い」


 時間にぎりぎりで敗北した俺達二人は、全力で自転車を漕いでいた。俺達の入学する高校は小高い山の上にあるため、自転車通学者には罰ゲームでしかない。やっとの思いで坂道を登り、若い女教師が閉めている校門を超え──


「「間に合った!」」

「遅刻だ、バカタレ」


 校門を閉めていたツリ目の厳しそうな、仕事できます、という感じの教師がテンポよくツッコミを入れる。


「って、えっ!?」

「喜べ、月城。みんな大好き牧之原まきのはら先生だぞ」

「奈月の知り合い?」

「叔母さんだよ」

「ほぉ、おばさん呼ばわりとはいいご身分になったものだなぁ」

「父さんの妹って意味で言ったのにっ、理不尽だ!?」

「問答無よ──むぐっ!?」

「はいはい、落ち着いてまなちゃん」


 牧之原先生? を宥めるようにボインとした先生が間に入った。なんというか、ボインとした先生。眼鏡をかけて、おっとりとした雰囲気を纏うボインとした先生。母性をばらまいている優しそうな、ボインとした先生。何を、とは言わないが、あそこがメロンみたいに大きな若い先生だ。


(おっ○いって、あそこまで大きくなるんだ……)


 只々、出会った人にボインのことしか考えられなくするような先生だった。


「……」

「痛っ!」


 足首を蹴られ、奈月をにらむ。奈月はあからさまに、バカだなぁと思っているような表情をしている。


(いいじゃないか。男なんだからいいじゃないか! おまえは気にならないのか!?)


「はぁ……」


 ため息を吐かれた。



 §§§§§§



 入学式が始まった直後だったというのもあり、非常に目立ちながら体育館内を移動した。元来、俺と奈月は陰キャラである。ひとりふたりでいることをよしとする人種である。あれはとてもつらい苦行だった。あれから三時間。その苦行は新たな段階に移行していた。俺と奈月にクラス中の視線が集まっている。


(不幸中の幸いというか、奈月の主人公補正か。奈月と隣なんだよな、素直にうれしい)


 男女混合の出席番号順に並んでいるので、奇跡と言っても過言ではない。更に付け足すとすれば、このクラスに美少女達が集まっていることも奇跡と言えるだろう。特に群を抜いているのが四人いる。その四人は仲がいいのか、楽しげにしゃべっている。


(入学早々友達になったのか? いや、元々友達だったんだろう。少し騒がしいが百合を見れるのでよしとしよう)


 そんな下らないことを考えている。それが伝わったのか、注意しようと奈月が顔を近づけてくる。


「京介──」

「二人って、遅れてきたよね?」


 奈月の言葉を遮るように、先ほどから気になっていた四人の美少女の内の一人が話しかけてきた。俺と奈月の意識外からの一言。常に警戒しているわけではないとはいえ、異能力者二人の不意を突くという行為の異常性。


(こいつ、まさか!)


「どうしてなの?」


 フランクに話しかける少女が、その藍色の瞳を輝かせて訊ねてくる。


「道で困っているおばあちゃんを助けてたんだよ」

「さては、遅刻常習犯だなっ」

「バレた?」


 少女に軽く応えつつ、奈月と目配せする。


 ──もしかして……?

 ──うん、そうだよ。


 奈月と契約したことによって可能になった念話による会話。彼女が──いや、彼女達が調査対象であると、奈月は言う。


「あ、自己紹介がまだだったね。あたしは神楽かぐら美希みき。よろしくね」

「俺は松本京介、よろしく。で、こっちにいるのが月城奈月」

「よろしく、神楽さん」

「うん、仲良くしようね!」


 神楽さんははにかみ、ポニーテールを犬の尻尾のように揺らした。その笑顔に、一瞬ドキッとしてしまう。


「席に着いてくださーい」


 聞き覚えのある声に振り替えると、果たして朝のおっとりとしたボイン先生が教室の入り口に立っていた。奈月の叔母である牧之原先生のルームメイトであり、この学校の聖母でもある雪野原ゆきのはら優愛ゆあ先生。


「先生が来ちゃった。それじゃ、またね!」


 神楽さんは自分の席ヘと駆けて行った。


(なんというか、嵐みたいな子だったな)


 彼女にそんな感想を抱く。


「一年間このクラスを担当する雪野原優愛です」


 先生が話し始めた。


 ぼんやりと、四人の少女達の背を見る。


 一人は、黒髪の男勝りな性格をしていると眺めているだけでわかるボーイッシュな少女。

 一人は、銀髪を伸ばした無表情でミステリアスな雰囲気に包まれた少女。

 一人は、茜色の髪をした幼稚園児と見間違えるほど小さく、戦えるのか不安になるような少女。

 一人は、茶髪をポニーテールにまとめた嵐のような明るい少女。


「担当教科は英語です。わからない英単語があったら気軽に訊いてください。一年間よろしくお願いします」


 雪野原先生の声が、優しく耳朶を打つ。




 ──俺達と四神をそれぞれの身に宿す少女達との邂逅。それは波乱に満ちた高校生活の幕開けであった。

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偽主人公やってるけど、何か問題でも? もっちゃん @obake03

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