偽主人公やってるけど、何か問題でも?

もっちゃん

第1話

「はぁ……はぁ……、ぐっ……」


 悲鳴を上げる心臓。冷たい空気が肺を突き刺す。背後に迫る獣の唸り声に、今すぐ逃げ出したいと、本能が叫ぶ。


(……って、今逃げてんだけどな!)


 脳内で勝手にツッコミが入る。


『グルアァァァァァァアッッ!』


 獣の咆哮。先程、チラリと見た姿は猫を大きくして、コウモリの羽をはやしたような怪物。人為らざる者──異形。


(走れっ! 走れっ!)


 酸素を求める身体を無理やり動かす。運動音痴というのは自分でも理解している。そんな奴が暗い夜道を恐怖に震えながら走って。


(……あ、こけた)


 当然の結果だろう。自業自得、因果応報。まったいらな地面で転がるのも、足を挫くのも、──今、こうして倒れている間にも、死がその喉を食い破らんと迫るのも。すべては数分前の己の愚行が招いた結果。


(ラノベの主人公だったら、ここらへんで秘められた力に覚醒したり、美少女ヒロインに助けられたりするのに……)


 余りにも鮮烈な死の実感に、しょうもないことを考えてしまう。現実逃避というものだろうか。


(あの娘は逃げられたかな……)


 異形に襲われているところを助けた少女。大通りに逃げるように言っておいたが。


(『それなら、僕の死は無駄じゃない』って言えたら、カッコいいんだけどなぁ)


 逃れることのできない死が、すぐそこに迫って来ている。


「……痛くしないでね」


 冗談を言ってみる。迫る怪物の爪が紅く、淡く輝く。スゥーッと、それが伸びていく様は美しく。


「……死にたく、ないな」


 こぼれ落ちたその言葉に、怪物が嗤う。



 §§§§§§



「あ、帰らなきゃ」

 

 ふと顔を上げると、窓から射し込む光は淡い朱色になっていた。時計の指す時刻は四時半の少し手前。グラウンドからのサッカー部やテニス部のかけ声が、どこか別世界のように思える。ゆったりとした空間に名残惜しさを感じつつ、本棚に読みかけの本を戻す。


「失礼しました」


 図書室の住人……と、僕が勝手に呼んでいる司書のおじいちゃんに挨拶をしてドアに手をかける。秋だというのにいまだに暑く、それと相まって五教科入りのかばんの重さに家まで歩くことが憂鬱になる。


 廊下を歩いているとこの学校には僕しかいないと思えるほど、静寂が広がっていた。部活動の終了時刻にはまだ早く、教室に残っている人はもういない放課後の微妙な時間帯。この時間が、僕は好きだ。

 図書室と玄関の距離はそう遠くない。校庭の喧騒が大きくなる。こんな時間に校門をくぐろうと思うのは僕ぐらいだろう。


 ──図書室も、もっと遅くまで開いてればいいのに。


 乾いた風が、ため息混じりにこぼした言葉をさらっていった。






「……腹へったなぁ」


 今日も空腹に悩まされる帰り道。給食を食べていないわけではない。……というか、人より食いまくっている。今日も隣の四組から余ったものをもらってきたのだ。


(成長期の腹には困ったもんだ)


 ぼんやりと、帰って何しよう。おやつ食って、ラノベでも読むか。それともゲームでもするか。そんなことを考えていた。


「……ひ……っぐ……」


 風に乗って聞こえてきた微かな声に立ち止まる。泣き声だった。小一くらいの女の子だろうか。声の聞こえてきた方向は少しいりくんだ住宅街の細道。


(このまま放置するとなぁ、良心が痛んじゃうし)


「少しぐらい、寄り道してもいっか」


 誰にともなくそう言って、僕は声は声に導かれるように薄暗い道を進んだ。



 いくらか進むと、袋小路と呼ばれる場所に出た。女の子は袋小路の壁際。


 ──その少女をいたぶるように、一匹の異形がいた。



 §§§§§§



(そんなこんなで女の子を助けたりして、今の状況に戻ります!)


 迫る爪に制服の入った第一かばんを向ける。切れ味のいいその爪にかばんが引き裂かれる。ただ、そのおかげで時間を稼げた。さっきの一撃で僕を仕止める予定だったのだろう。かばんを引き裂いた勢いのまま僕の後ろに着地。一瞬にして距離を詰めてくる。


 石を握る手が震える。


(狙うなら、目)


 はっきり言って、悪あがき。それでも、生きていたい。


 そんな思考の後、一つの石が投てき──されなかった。


 僕と異形の間に何者かが舞い降りた。その者が腕を振るい、その刹那、異形が横たわっていた。


「……えっ」

「大丈夫?」


 振り向いたその人は、中性的な整った顔立ちをした少年。物語の主役のように堂々と立っている。先ほどの出来事を理解できていないままの僕に、彼は語り出す。


「異形に襲われてたでしょ」


 僕と同じように歩道に座り、こちらを見る。


「あ、えっと、ありがとうございます」


 つっかえながら言った言葉に少年はうなずく。年は僕とそう変わらないだろうか。


「そんなに畏まらなくていいよ。ぼくは月城つきしろ奈月なつき。君は?」

「僕は松本──」

「キヨシ?」

「違うよ。僕は京介、松本まつもと京介きょうすけ






 そうして出会った僕らは、すぐに打ち解けた。彼が僕と同じで本が好きだったというのもあるが、それ以上に馬が合った。


「なあ、月城」

「ん?」

「美少女だったりしない?」

「するわけないだろ。男だぞ、ぼくは」

「そっか、残念。僕に秘められた力とかは?」

「ないかな」

「怪しい契約とかは?」

「ラノベ展開を望むな、と言いたいけど……」

「えっ、契約とかするの?」

「うーん、……君が適任、かな」


 そう言って、月城が改めてこちらを向く。日はそろそろ沈もうかとしている。


「ぼくの偽物になってほしい。会ってすぐの人に頼むことではないとわかっているけど。契約してくれる?」

「偽物……。さっきの話しが関係するの?」

「うん。異形を人知れず倒している五つの一族がいるって言ったよね」

「ああ」

「その一族の中に、裏切り者がいる。それに気づいた何代か前の竜王の継承者が失踪して……」

「その子孫がお前ってことか?」

「そうだよ。そして、今も一つの一族を欠いたまま四つの一族は異形を退治している」

「で、その一族達の中から裏切り者を見つけるための囮になれ、と」

「うん、このままだと魔神達が復活するかもしれないから」


 彼の言っていることを要約すると、


 一、異形と呼ばれる魔神が生み出した化け物がいる。

 二、魔神は既に封印されている。

 三、魔神を封印した五つの一族が今も異形を退治している。

 四、その一族の中に裏切り者がいる。

 五、それに月城のご先祖様が気づいたことに裏切り者に知られたため、失踪。

 六、今も四つの一族が異形を退治している。


 と、いったところか。裏切り者を見つけるために四つの一族に接触したいが、月城本人が接触するのは危険。だから、身代わりになって、と。


「いやだったら別にいいん……」

「やるよ」

「えっ?」

「頼んできた奴が驚くなよ」

「え、だって、死ぬかもしれないのに?」

「命の恩人の頼みだから。それに、偽物になるってことは僕も月城みたいな力を使えるようになるんだよね。魔法とか超能力には憧れてるし」

「で、でも、命を落と……」

「何回も言わせないで、ほら契約」


 「でも……」と言いたそうな月城をかす。やっと動き出した月城に、言われるままに手を差し出す。その手を月城が握り──


「『我、竜王の名の下に契約す。《竜装者竜の宿りし者》月城奈月は松本京介を《貴方之影似て非なる者》とする』」


 青紫色の光が廻り、幻想的な光景を生み出す。そうして僕は月城のドッペルゲンガーとなった。


「今日からよろしく、京介」

「任せろ、奈月」

「でも、無理しないこと。身体に違和感はない? 力に関しては京介に合ったものが少しずつ目覚めてくるはずだから」

「違和感は……ないよ。強いて言うなら、めちゃくちゃ腹がへってるくらい?」

「まだ五時だよ?」

「成長期の腹を甘く見んな。今なら豚骨ラーメン八杯ぐらいいけるぞ」

「うそつけ」

「だったら見せてやろう! 僕が奈月の金で豚骨ラーメン九杯を食べるのを!」

「増えてない? というか、ぼくのお金?」

「気のせい、気のせい」


 そうして和やかに会話が進んでいく。


(僕って、死にかけてたんだよな……)


 奈月の登場が一秒でも遅ければ、ここには一つの肉塊ができていた。今があるという奇跡を、珍しくも感慨深く思ってしまう。


「それじゃ、そろそろ帰ろうか」

「うん、ばいばい」

「またね」


 僕の挫いた足を超常的何らかの力で治した奈月が伸びをし、そう言って立ち上がり。


「「…………」」


 顔を見合わせる。


「もしかして、家って下野城しものじょう町?」

「隣の倉雅野くらがの


 顔を見合わせたまま立ち止まり、どちらからともなく噴き出す。


「早く言ってよ」

「いや、ぼくも知らなかったから。でも、そっか。近いけど、学区が違ったのか」

「そういうことだね──て、あっ! 制服!」

「どんまい」


 ズタズタに引き裂かれた制服を思い出し、僕は灰になった。



 §§§§§§§



 それが俺と奈月の出会い。中二の秋だ。そして、現在。


「起きて、京介。入学式に遅刻するよ」


 目を開けると、中性的な顔立ちに透き通った紫色の目、長いまつ毛がこちらを覗いていた。


「おふぁよぅ、なつき」

「顔洗ってきなよ」

「うん」


 下まぶたロミオ上まぶたジュリエットが愛し合ったまま、俺は起き上がるのだった。

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