事件は秘密の裏にある
「……もう一つの殺人事件?」
「はい。この館で起こった殺人事件は、我々が殺した八木吉信さん殺人事件だけではありません。裏でひっそりと、もう一人死んでるんですよ」
誰も笑わない槇のボケに対応するのが面倒になってきた俺は、いちいち突っ込むのをやめて素直に疑問をぶつけることにした。
「誰かがもう一人殺したってことですか?」
「そういうことです」
ボケを拾ってもらえず、少し悲しそうな顔をした槇は、それでも鷹揚に頷いた。
「でもそれはおかしいですよ。この館に招待されたのは、俺と槇さんと神崎さん夫妻の四人です。それに使用人の宇佐美さん、招待主の八木社長でしょ。さっき槇さんがそう言ったんですよ。誰一人減ってないじゃないですか」
人が死んだら必ず頭数が減る。槇の言うようにひっそりと死んでいるのならなおさらだ。
「ヒントはこの部屋です。この部屋、八木さんの書斎の隣という、まさに一等地の部屋のはずですよね。僕の座っているソファに三人掛けのソファが二つ。内装もやけに豪華ですしね。ここがなぜ空室なのか、皆さんご存じですか?」
「ここが奥様の部屋だったから、でしょう……?」
不安そうに宇佐美さんが答える。
「その通りです。ここは元々、八木さんの奥さんの部屋でした。しかし八木さんの奥さんは二年前から行方不明のはず。そうですね?」
二年前の八木の誕生日パーティのことだ。入社してから毎年誕生日パーティに参加させられていた俺も、当然のようにその場にいた。パーティーの最中、初日には確かにいたはずの彼女が前触れもなく忽然と姿を消した。
もちろん館では騒動になったのだが、数日経っても彼女は見つからなかった。しかし、彼女が島から出られるわけもない。いずれ見つかるだろうと結論が出て、客人扱いの俺や神崎夫妻、そして槇、その他招待された面々は決まった時間の船で本土に帰った。それ以降の消息を俺は知らない。
その後奥さんが見つかったという情報はなかった。八木の性格とは真逆の、とても性格の良い優しい人だったから、八木のパワハラに耐えかねて失踪したのだろうとか自殺したのだろうと陰で囁かれていた。
「奥さんはいい人でしたねぇ。喫煙者にロクな人間はいませんが、彼女だけは例外でした」
喫煙者にロクな人間はいない、それが槇の自己紹介だとすれば、俺は激しく同意する。そして、奥さんがいい人だということにも。
「その奥さんですがね。殺されたんですよ」
「え?」
静かだが、確かにざわめきが起こった。
「……誰に?」
「それは八木さんもわからなかったんです。だから、奥さんを殺したのだと思われる人物、つまり誕生日パーティにいて、アリバイもない怪しい人間を全員ここに集めて尋問しようとしたんです。絶対に館から逃がさないようにね」
それが俺たちだったというわけだ。だからなんとなく顔見知りだった客同士がこの館に集められたのだ。やっと納得がいった。
「性格の腐っている八木さんですが、奥さんへの愛は本物だと思いますよ。その証拠に、彼女が消えた二年前から、この館は禁煙だったでしょう。八木さん自身は煙草が嫌いなんですよ。でも奥さんの煙草は止めなかった。我慢してたんでしょうね、あの我慢の利かない八木さんが。全く、愛ってのはすさまじいですねぇ」
そして館の持ち主が死んだ途端、槇はここぞとばかりに変なにおいの煙草をスパスパやっているわけだが。
「その愛をもってしても、自分の妻を殺した犯人は分からなかったわけです。だから今回、最終手段に出た、と」
「でも犯人が分からないのなら、どうして奥さんが殺されたとわかるんです?」
「八木さんが奥さんの死体を見つけたからですよ」
槇はそういうとカーペットを端からめくっていき、床下収納の蓋を開ける。一見、何も入っていない床下収納のようにしか見えなかった。しかし槇は床下収納のカップのような形をしている底をゆっくりと外してゆく。
「奥さんはここです」
槇は館の基礎が見えている床下を指さした。小さな無人島の砂地に立てられた館だからか、床下は砂だらけだった。床下はそれなりの深さもあって見えにくかったが、その中に人間の頭のような黒い何かが確かに見えた。宇佐美さんが悲鳴を上げる。俺や神崎夫妻は、そのあまりにも惨い有様に言葉を失っていた。
「これは……?」
「ミイラ化した奥さんの死体です」
指紋がつかないようにハンカチ越しではあるものの、槇は床下に頭を突っ込んで躊躇なくミイラに手を差し伸べ、持ち上げようとする。俺も宇佐美さんも神崎夫妻も、叫び声とも悲鳴ともつかない大声を上げて広い部屋の四隅に逃げた。
「そんなに嫌ですか?」
平気で触れるあなたは何者ですか?
「そんなんだから探偵になれないんですよ」
お前、探偵じゃないって自称していただろうが。
「まあいいや、話を続けましょう」
ミイラを持ち上げるのが重労働だったらしい槇はハンカチで汗をぬぐう。それ、ミイラに触ってたやつですよね?
「八木さんの誕生日当日は夏でしたから、気温は高かったはずです。そしてここは南の島ですし、この部屋には海風も強く吹いていますから、床下も通気性がいいことでしょう。ミイラになるのに十分適した気候だと思います」
嫌がられることを悟った槇は、ミイラを指さすだけにとどめる。俺は渋々床下を覗き込んだ。砂に隠され、首があらぬ方向に曲がり、後頭部から肩にかけてが見えているだけだったが、確かに人間のミイラだった。髪型や服装を見るに、奥さんであることにほぼ間違いはなかった。
「……いったい誰が」
恨んでいた男の妻とはいえ、八木夫人に仕えてきた宇佐美さんが手を合わせて呟く。
「私がここに来たのは三年前で、奥様自身とはあまり接してこなかったのですが。でも、旦那様が奥様の部屋を当時のままにしろと強く仰るものですから、ずっとその状態に保ってきました。それで奥様に愛着がわいて……」
俺たちは部屋を見渡す。確かに綺麗に整えられてはいるが、どこか生活感を感じる部屋でもある。
「許せません、犯人が」
「じゃあ、さっさと犯人を名指ししましょうか」
宇佐美さんの肩を優しく叩いて槇は微笑んだ。
「先ほど、八木さんを殺してないのにその罪を認めた人がいますね」
槇のその言葉を聞いて、俺は宇佐美さんと一緒に振り返った。
「神崎美穂さん」
槇の二度目の名指しに、美穂さんはゆっくり首を振って一歩後ずさった。
「僕は最初に言いましたね、あなたが犯人だと。もう一度聞きます。奥さんを殺したのはあなただ。違いますか」
彼女ははじめに名指しされた時にはあっさり認めたのに、今度はきょろきょろして俯くだけだった。前回の自白が嘘、そして今回が図星なのは明白だった。
「最初、小谷さんがお二人に、八木さんを殺した動機を聞きましたね。二人とも即座に怨恨と答えたはずです。具体的に何があったかお聞きしてもいいですか」
「……それは」
「普通はね、殺人を認めた人間は動機を喋れと言われたら、ペラペラと恨みつらみのエピソードを喋るものだと思いませんか? 宇佐美さんも小谷さんもそうだったでしょ。でも二人は違う。ただ『怨恨』と答えたんです。人を一人殺す動機がそんなに単純なわけがありません。そこもボロが出てましたよ」
「私は奥さんを殺してません! 本当なんです、信じてください!」
それだけのことで疑ったのか、と思ったがよく考えたら違う。槇は推理ショーを始めるより前に、事件の絡繰に気が付いていたはずだ。彼らを疑った理由は別にある。だからいくら言い訳しても意味はない。
槇は余裕たっぷりに彼らの言い訳を聞いている。随分楽しそうだ。その底意地の悪さに気づいたとき、俺は思わずぶるりと震えた。
「八木さんはこの奥さんの死体を見ただけでは、犯人が誰かわからなかったようですが、僕にはわかります。さっき、この部屋を一通り探って証拠を見つけましたからねぇ」
なるほど、俺が宇佐美さんや神崎夫妻を呼びつけている間に、槇は部屋の中で証拠探しをしていたのか。俺が全員を部屋に集めようとしていた時、槇が忙しいという割に部屋から出ていなかった理由も納得がいく。
「犯人は私じゃありません」
美穂さんの声を遮って、槇は自信たっぷりに言葉を続けていく。
「美穂さん、あなたは八木さんを殺していないはずです。どうして僕が最初に美穂さんを犯人だと指名した時、自分が犯人だと認めたんですか?」
「それは……」
「そうすることで奥さんの死体を隠したかったんでしょう?」
「……どういうことですか? 自分がやってもいない罪を認めたら死体が隠れるなんておかしい話じゃないですか」
手を挙げてやり取りに割り込んだ俺の疑問に、槇は頷いて一本の指を立てる。
「美穂さんが隠した死体は、二年間誰にも気づかれずに済みました。しかし今回、美穂さんの思惑に反して八木さんが殺されてしまった。しかも奥さんの死体の隣の部屋でね。まあ僕らが殺したんですけど。しかし、このまま警察の大規模な捜査が入れば、奥さんの死体が見つかってしまいます。そうなると証拠が見つかってしまうでしょ」
奥さんの後頭部の打撃痕などはくっきり残っている。きちんと警察が調べたら証拠だらけなのだろう。
「でもそれ、美穂さんが罪を認めたら奥さんの死体を隠し通せることの理由にはなっていませんよ」
「まあまあゆっくり聞いてくださいよ。自分がやってもいない罪で自白した場合、どうなりますか?」
「……まず警察に捕まって、取り調べを受けて、警察が証拠を集めに捜査をする、というところでしょうか」
そしてそれが俺の未来でもある。答えながら気が滅入る。
「そういうことです。もしここで美穂さんが自白して、適当なことを言ったらどうなりますか? 警察は罪を全面的に認めている美穂さんの証言通りに捜査をするでしょうね。大規模な捜査が入るよりも奥さんの死体が見つかる確率は減ります。過剰防衛なんかを主張すれば、さらに捜査の規模は小さくなるでしょう」
ところどころ不思議に思いながらも俺は頷いた。犯人が誰とも知れない殺人事件の捜査となれば館全体をひっくり返して捜査が始まるだろうが、解決寸前の殺人事件の現場、しかもその隣でしかない部屋を警察が細かく捜査するということはないだろう。ただでさえ八木個人の私物である館なのだから。
「でも、八木を殺した罪を被ったら意味がないじゃないですか」
「はい。ですが美穂さんが実際には殺人をしていない以上、一切の物証は出てきません。その頃には、小谷さんや宇佐美さん、僕にも捜査が入り、証拠が出てくるかもしれません。もし美穂さんが途中で一転して無罪を主張し、警察には取り調べで自白させられたと証言すれば、最終的には嫌疑不十分として不起訴、もし裁判になったとしても無罪に持っていける可能性は十分にあります」
「美穂さん、あの一瞬でそんなことを考えていたんですか」
「実際にはそううまくはいかないでしょうが、やってみる価値はあるでしょうね」
俺の感嘆に美穂さんはため息で返す。
「……私はやってません」
「証拠なら僕が出さなくても、警察がいくらでも出してくれますよ。あ、そうだ。いま罪を認めたあなただけに、あなたの知らない真実をお教えします」
テレビの通販みたいなことを軽い言い出した槇に思わず呆れたが、一方の美穂さんは随分それに心惹かれたようだった。表情が変わり、食い入るように槇を見つめている。あ、効くんだ。テレビの通販も、案外こういう人が電話をかけたりするのかもしれない。
「美穂さん。あなたは今、とても不可解に思ってることがあるでしょう。その真実ですよ」
「あの、美穂さんが奥様を殺したのではないのですか?」
「そうですよ。ですが、完全に美穂さんだけの仕業とも言い切れません。美穂さんはいくつか知らないことがあるはずです。ですよね、健さん」
急に話題を振られた健は、妻と同様に一歩後ずさった。似たもの夫婦である。
「僕が美穂さんを犯人だと名指しした時、健さんも同時に名乗り出ましたね。ほとんどの人は妻をかばった、と捉えるでしょうが、僕は違います。僕は全てを知っていますからね。全くの茶番ですよ」
嘘だ、どう見てもかばっていたじゃないか、と思ったが、美穂さんと健はどちらも槇から顔を逸らして俯いている。槇の自信たっぷりな様子、そして夫婦二人の微妙な表情が、どうにも信憑性を生み出してしまっていた。
「健さん、あなたは美穂さんが知らない以上の真実を知っているはずです」
そう言った槇は微笑んで、健から顔を背けて美穂さんの方に向き直る。
「美穂さん、あなたが奥さんの死体を隠したのは床下ですか?」
美穂さんは震えながら横に首を振る。そしてゆっくり顔を挙げて健の方を見た。そっと目を背けた健がぎりりと歯を食いしばっている。
「……私が彼女の死体を隠したのは、この部屋のクローゼットの中です。二年前のパーティで口論の末、彼女を灰皿で殴り殺してしまった私は、動かなくなった彼女を慌ててクローゼットの中に入れました」
そこで俺は気が付いた。奥さんは喫煙者なのに、この部屋には灰皿がない。だから槇は窓から煙草を捨てていたのだ。八木が奥さんの灰皿を撤去したわけもない。
彼女が失踪してから、いや死んでからずっと、この部屋はそのままの状態を保ってある。家主の八木が宇佐美さんにそうするように命じたのだから、灰皿がこの部屋にあったのならば二年経っていたとしても存在が消えるはずはない。
「灰皿は海に投げ捨てて、家具や床の血は丁寧に拭いて、必死で隠しました。でもすぐにバレると思っていました。なのに二年間、誰にもバレませんでした。私は怖くて怖くて……」
「美穂さん、あなたはさぞ驚いたでしょうね。なにせ、あなたが隠したはずの死体が二年経っても一向に見つからず、今になって全然違うところから見つかったんですから」
美穂さんは何度も頷いた。気の毒なほどの震えと怯えた目の深刻さは、最初に名指しされた時のそれとは明らかに異なる。あちらはどう見ても演技だ。しかしこちらは本物である。
完全に怯え切った美穂さんは全てをぺらぺらと語りはじめた。元々美穂さんと八木夫人は仲が悪かったらしい。俺などは、八木にはもったいない優しい妻だと思っていたが、実際はそれは表向きの顔なのだという。
美穂さんは八木夫人にとっても大学の後輩だ。そして、美穂さんに対しては本性を現し、何かにつけてきつく当たっていたとのことだった。まごうことなきクズだ。似たもの夫婦だったということか。
「あの女、私が付き合っていた人をいじめて自殺させたんです。殺人鬼ですよ、あの女は」
うーん、人を一人自殺させたところも似たもの夫婦だったかぁ。
「あれ、じゃあ健さんは何者ですか? みんな大学のサークル仲間だったんでしょ?」
こういう時に余計なことを言うのが槇である。
「彼が亡くなって落ち込んでいたところを、健さんがずっと寄り添ってくれて……」
答える美穂さんも美穂さんだ。
「そういうパターンですか。ありがちですねぇ」
この状況でそういうデリカシーのないことを言える才能に俺は嫉妬している。
嘘だ。絶対に関わりたくないと思っている。
「でもそれで合点がいきました。健さんの行動にね」
槇の言葉にわずかに健さんは狼狽えたが、一生懸命に胸を張っている。それはもはや虚勢にしか見えなかった。しかし槇はゆっくりと健さんの方から体を背けて美穂さんの方へ向き直る。
「なぜクローゼットの中にあるはずの死体が床下にあったか。それは誰かが移動させたからですよ。ねぇ、健さん?」
「……違う」
「まあ認めないのならばそれはそれで構いませんが。でも証拠は奥さん自身に残ってますよ。さあ皆さん、奥さんのミイラ、見たくないかもしれませんが、よく見てください」
槇に指し示されて、宇佐美さんと俺は、眉間にしわを寄せながら恐る恐る床下に近寄っていく。槇は床下に上半身を突っ込んでライトで照らし、八木夫人の首元を指さした。あらぬ方向に曲がっている首は何度見ても背筋を凍り付かせる。
「いくら殺意を持っていたとしても、女性の美穂さんが灰皿で殴ったくらいで八木夫人の首は折れません。同時に、ミイラ化して床下で二年間寝かせた程度で首が折れることもないでしょう」
槇は床下から顔を挙げて大きく息を吸った。
「美穂さんが突発的に殴った時、奥さんはまだ死んでいなかった。そんな奥さんの首を折り、とどめを刺したのはあなたですね?」
「なぜ俺だと思った?」
健さんに全員の注目が集まる。傍から見ていても漏らしそうなほど強く槇を威圧する彼だが、槇は平然と質問に答えた。
「第一に、美穂さんだけでは、奥さんを二年間隠し通すのは不可能だと思ったからです」
「なぜ美穂だけでは不可能なのか聞かせてもらおうじゃないか」
一見、美穂さんが八木夫人を殴り殺して床下に放り込んだように見える。女性の力では難しいかもしれないが、やってやれないことではないはずだ。
「八木さんは二年間、島中で奥さんを探し続けたはずです。当然、床下もね。しかし見つからなかった。その理由はなぜだと思いますか? 誰かが床下の砂地を掘り返して奥さんを埋めていたからですよ。しかし二年間の間に、風通しのいい床下に海風が入り込んで、奥さんにかけられた砂を少しずつ吹き飛ばしてしまった。だから今になって八木さんに見つかったんです」
死体を床下に放り込むだけなら難しくないが、砂地を掘り返して埋めるとなれば話は別だ。床下は深さもあるし、乾いた砂地を人間が一人埋まるほど掘り返すのはそう簡単ではない。女性が一日でできる作業ではない、と槇は言う。
「クローゼットに死体を隠していたら、そのうち死体は腐ってしまい、悪臭で死体が見つかってしまいます。だから健さん、あなたはクローゼットの中の奥さんにロープでとどめを刺し、いったん床下に隠した。そして本土に帰る日の直前、床下の奥さんの死体がミイラ化した頃を見計らって埋め直したんでしょ」
最初から死体を埋めてしまっては、彼女がミイラになる確率は下がってしまう。だから風通しの良い状態で死体を数日ほど放置してから、帰る直前に死体を埋め直さねばならない。
突発的に奥さんを殺した美穂さんは、死体が見つかることを覚悟していたらしい。しかしその犯行を知った彼は死体を隠しきることを選んだ。死体が発見されなければ、自分の妻が罪に問われることはない。
「そして第二に、美穂さんの殺人を手助けしたのがあなただという理由です。はじめは、あなたは美穂さんの夫として彼女の罪を隠そうとしたのだと思っていましたが、先ほどの話を聞いてわかりました」
健さんが槇の胸倉をつかむ。健さんと槇の間には大きな体格差があった。危ないと思った俺は急いで止めに入ろうとしたが、槇は右手でゆっくり制する。
「……おい、それ以上言うな」
「僕を殴るんですか? いいですけど、喉を潰すのって意外と大変ですよ。僕は潰れるまでずっと喋りますし」
槇は俺を制した右手でそのまま健さんの左手を下ろさせた。胸倉をつかまれたまま、槇はあくまで笑顔を保って喋り続ける。健さんを見上げているはずなのに、表向きには慇懃な言葉の調子は健さんをおちょくっているようにしか聞こえなかった。
「ここらへんは、あくまで下世話な推論ですけどね。美穂さんの中で、八木さんの奥さんは、美穂さんの思い人と深くつながっているわけです。そのつながりを断つために、あなたは奥さんの死体を隠し通すことにしたんじゃないですか?」
健さんは答えずに槇とにらみ合っている。槇は手を伸ばして健さんの頭を手繰り寄せ、なにやら耳打ちをしはじめた。
「奥さんが美穂さんの思い人を殺した苛烈ないじめ、あれにあなたが加担していたのは秘密にしてあげますよ」
声がデカい。丸聞こえである。
「お前、どこでそれを……」
「あなたは隙を見て奥さんを殺すつもりだったんでしょ。でなければ、ワイファイのないこの館で、あなたはどうやって美穂さんが奥さんを殺したことを知ったんですか? あなたはずっと、奥さんを殺すタイミングをうかがっていたんですよね?」
健さんの表情が明らかに変わったのが見て取れる。そりゃそうだ。大声で秘密をばらされたらそれは秘密ではなくなる。
「あなたが本当にいじめに参加していたかどうかはどうでもいいんです。あなたをおちょくりたくてそう言っただけで。しかし、奥さんを殺そうとしていたのは確かでしょう? 僕は先刻まで奥さんを善人だと思っていたので、動機は怨恨ではなく口封じか何かだろうと思って、そちらから動機を邪推しましたが、よく考えてみれば怨恨もあり得ましたね。そこは僕のミスです」
「…………」
嵌められた健さんの眉間に深くしわが寄る。同時にこめかみに血管が浮いた。槇ははったりで他人を嵌めることが好きなのだと俺は昨晩知ったが、健さんは最悪のタイミングで知らされたということになる。うんうんわかるよ、その気持ち。
「僕の服、伸びちゃうので。その手離してくれますか?」
槇は良く通る声で健さんに呼びかける。健さんはすぐに胸倉をつかんでいた手を離して、力が抜けたかのように床に崩れ落ちた。
「もちろん、美穂さんをかばうという理由も、十分に大きかったと僕は思っています。あの場では何としても死体を隠さなければいけない、それは確かです。二年前の誕生日パーティの日は、今と違って多くの人がいました。いくら夜とはいえ、館から奥さんの死体を連れ出すのは難しいですし、下手に証拠を残しては無意味です。床下に隠すという選択は良かったと思います。死体が見つかったならともかく、奥さんが行方不明になった程度では無人島に警察は来ません。死体は絶対に見つからないでしょうからね」
しかし、八木が殺されてしまっては話が変わってくる。警察は必ずこの館にやってきて、館中を調べまわるだろう。それでは死体が見つかってしまう。
健さんが床下に死体を隠したことは彼本人しか知らない。だから、美穂さんが自ら八木を殺した犯人だと名乗りを上げ、下手に嘘の証言をしてしまうと床下の死体が見つかってしまう。だから健さんは自分が犯人だと名乗りを上げたのだ。
「証拠は? 証拠はあるんだろうな?」
ドスの利いた声で健さんは槇を睨みつける。先ほどはったりで失言をして学習したのだろうか。自分が相手でもないのに震えあがる俺に対し、余裕綽々で槇は答えた。
「なにせ二年前の事件ですからねぇ。素人の僕が見つけられるような証拠はありませんよ。もしあったら、とっくに八木さんが気づいているはずです。でも、あなたは美穂さんの犯行を知って、衝動的に奥さんの首を折ったわけでしょう? 彼女の首元にあなたの指紋と掌紋があるのは確実でしょうね」
「……二年前だぞ。残ってるわけないだろ」
「そうでしょうか?」
微笑む槇は乱暴にクローゼットの扉を開ける。未だに当時の八木夫人の服が吊るしてあるのを手でかき分け、奥に顔を突っ込んだ。
「ほぼ完全にふき取ってあり、一見シミにも見えますが血痕がありますね。奥さんのものでしょう。しかし、中には血が垂れたとも血しぶきとも言えない痕があります。美穂さんの血の手形です。指紋もあるでしょうね」
槇は半ば無理矢理に美穂さんの手を取り、嫌がる彼女をクローゼットに連れていく。そして手形に彼女の手を合わさせた。俺は驚いて唾を飲む。手の大きさに関しては完全に一致していた。手のひらの形も、指の長さも。言い逃れができる状況ではなかった。
「何年の前の指紋でも、血の指紋であれば証拠能力は高いですよ。警察が来て調べたら一目瞭然でしょうね」
槇の手を無理矢理に振り払うのが美穂さんの精いっぱいだった。反論どころではなく、ただ自分の手を押さえ、ゆっくりと崩れ落ちるようにへたり込んだ。今まで美穂さんを守ろうと必死だった彼も、これ以上の反論はできないようだった。
「僕もクローゼットの中に証拠があるという確信はありませんでしたけどね。でも衝動的な殺人で手袋をしているわけがありませんし、事件当時は死体を隠すのに一生懸命でしたでしょうし」
黙り込む健さんに、槇はさらに追い打ちをかける。
「健さん、美穂さんはもう犯行を認めてますし、証拠だってあります。そろそろ諦めたらいかがですか? 警察が調べたらもっと出てくると思いますよ」
「諦めましょう、健さん。最初から無理だったのよ、事件を隠し通すなんて」
美穂さんも健さんの肩を取り、説得に入る。
事件が解決した瞬間だった。力が抜けるように俺はソファに座り込む。
「……何も気付かなかった」
二年前の誕生日パーティで八木夫人の姿が消えた時、殺人が起こっているなどとは全く想定していなかった。性格の悪い男の妻が逃げた。あるいは海に身を投げた。
ざまあみろと皆が陰で八木を笑い、八木夫人に同情し、俺もその噂がきっと真実だろうと思って八木を笑っていた。それが館の中でミイラとなって死んでいるとは思いもしなかった。
そしてまさか、八木にこの孤島に呼び出されたのを、彼殺害のチャンスととらえている人間が三人もいるとは思いもしなかった。また、俺も殺人装置の欠陥にも気づいていなかった。
もし、俺が槇の言うことを信じていなかったらどうなっていたのだろう。全ての真相は闇の中、自分だけが八木と槇の連続殺人犯として捕まっていたかもしれない。
これで良かったのだろう。満足げに煙草をふかす槇の横顔を見て、俺はそう結論付けた。
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