八木吉信殺人事件

「まずおさらいですが、八木吉信さんは、腹部をナイフで刺されて亡くなっていましたね」

 俺は大きく頷いた。槇の言う通り、八木は俺が仕掛けた殺人装置が発動して死んだ。


「しかし、彼は直接腹部を刺されたわけではありません。遠隔殺人装置によって彼は刺されたんです。直接刺したのは僕だけです」

 いちいち捨て身のギャグを入れてくるな。誰も笑ってないぞ。


「遠隔殺人装置の仕組みはこうです。机の下に取り付けられた、刃物の出る装置。スイッチを押すと、刃物がびょいーんと飛び出して、八木さんの腹を刺すというわけです」


 槇は滔々と遠隔殺人装置の説明をする。それは昨日の夜に、俺が槇に尋ねられて渋々教えた仕組みであった。あたかもそれを自分が解き明かしたかのような態度で説明されると少々腹が立つというものだが、俺はまたぐっと唇を噛んでこらえる。


「その装置を仕掛けたのは、小谷宗一郎さん。あなたですね」

「……はい、俺です」

 俺は素直に罪を認めた。槇に逆らえるような立場ではないからである。


「しかし、先ほども言ったように、殺人事件の犯人はあなただけではありません。たとえば僕です」

 犯人のたとえに自身を出す事態の奇怪さについていけず、俺は気まずくソファに座る。


「殺人装置の回収で慌てていた小谷さんは気づいていなかったようですがね。被害者の八木さんの腹部には、僕が刺したもう一つの傷があるはずです」

「……え?」


 しかし、言われてみると確かに俺はきちんと八木の死体を見ていない。殺人装置の回収の時点では、どこかの段ボールのせいで腰が虫の息だったので八木の腹などチェックする余裕はなかった。第一発見者は宇佐美さんだし、死体に毛布を掛けたのは槇らしい。その頃の俺は腰痛のため、部屋にこもりっきりであった。


「知らなかった、社長にもう一つ傷があるなんて」

「だってさっきも言ったでしょ。僕も刺したんですよ」

 それは八木の身体にナイフを刺したのか。それとも、とどめを刺したのか。


「あの、槇さんはなぜ社長を刺したんです?」

「あの殺人装置は不十分だったからです。人を殺せる代物じゃありません。八木さんにあれだけの傷が入った時点で大成功ですよ。あれで殺人を犯すなんて不可能ですから、殺人装置じゃないですね。傷害装置といったところかな」

 俺は槇の発言に深く深く傷ついた。槇の発言こそが傷害装置である。


「俺の装置のどこが悪かったんですか」

「そもそも腹部に一刺しで殺そうと思ったら、位置がかなり良くないといけません。しかし、八木さんは椅子に座っているとはいえ多少の位置の誤差はあります。必ず殺せる装置とはとても言えないんですよ」


 弱々しい反撃は数倍にして返される。しかし槇が一旦口を止めたのは煙草をひと吸いするためであって、反撃はまだまだ治まらなかった。

「小谷さん。あなた、犯行計画を立案する時、八木さんの椅子の下の絨毯に残った痕から、八木さんの座る位置をちゃんと逆算しました? していなかったでしょう?」

 突然の槇の説教に、俺はまた深く深く傷ついた。


「しかも、腹部を刺された場合、即死に至ることはめったにありません。多少は動けるので、助けを呼ばれてしまいます」

 言われてみれば、そのことに俺は思い至っていなかった。殺人装置の作成とアリバイ計画の立案に気を取られ、いざナイフを刺して助けを呼ばれる可能性は頭にはなかった。殺人装置で殺すのだから、現場に犯人こと俺はいない。助けを呼ばれてしまうとそれを止める術はないのだ。


「僕が八木さんを殺すために部屋に入った時、ナイフが刺さって苦しんでいる八木さんを見て大層驚いたものですが、僕も彼を殺すために部屋に入ったのでね。そのナイフを抜いて、もう一刺しさせてもらいましたよ。そして、自殺に見せかけるためにナイフを手に持たせ、助けを呼ばれないように扉の前を段ボールで塞いだんです」


 俺の腰を殺したのはお前か。


 地団太を踏みたかった。俺は槇のせいで犯行を失敗し、その後ずっと槇に踊らされていたのだから。俺は頭を抱えて天を仰いだ。涙を我慢するためである。

「だから段ボールが死ぬほど重かったんですね……」

「はい。あの後、部屋の中の電話が使えないように、館の電話線の主ケーブルを抜いたのも僕です」

 はいはいはい、どうもすみませんねぇ。自称綿密な、実際には穴だらけの殺人計画で。なにせ、生まれて初めての殺人なものですから。


「……でも、俺が装置を回収した時には、あの男は椅子の上でちゃんと死んでましたよ。助けを呼ぼうとした痕跡なんてなかったじゃないですか」

 俺は槇に殴りかかりたい衝動をぐっとこらえて尋ねた。


「それが不思議だったんですよ。でも色々調べるうちにわかりましてね。それは、なぜポンコツ傷害装置でかなりの傷が入ったかにもつながります」

 ポンコツ呼ばわりされ、俺はさらに深く深く傷ついた。数え役満とでも言うべきか、槇の辛辣な言葉は、しっかり俺の精神にとどめを刺す。こいつだけ連続殺人犯だろ。


「八木さんはね、最初から動けなかったんですよ。だから小谷さんの狙い通りの位置にナイフが刺さり、ずっと椅子の上で苦しんでいたわけです。僕がとどめを刺す必要は実質的にはなかったかもしれませんが、やはりポンコツ殺人装置ですからね。とどめを刺すに越したことはないでしょう」

 まあ苦しんで死んだのなら良しとするか、と俺は無理やり自分を納得させる。


「八木さんが動けなかった理由、それはあなたにあります。ですよね、八木さんの使用人として料理を作っていた宇佐美さん?」

 槇の矛先が俺から外れた。と同時に宇佐美さんの身体が一気に硬直する。

「あなたは毒キノコを八木さんに盛った、違いますか?」

 槇はポケットからゴソゴソと何かを取り出し、彼女に見せる。俺や神崎夫婦も一緒に槇の手の平を覗き込んだ。それは毒キノコの欠片だった。


「八木さんの体が動かないとなると、恐らく毒でしょう。毒を一番盛りやすいのは当然、料理を作っていた使用人のあなたです。そうでなくても、台所に手がかりがある可能性が高い。昨日の晩、少しばかり台所のゴミ箱を調べさせてもらいました。案の定捨ててありましたよ、調理時に残った毒キノコの残りをね」

 キノコを照明にかざした槇は、首をひねりつつキノコの推理をもしはじめた。


「あくまで欠片なので自信はありませんが、テングタケですかねぇ。これだけじゃなかなか死なないはずなので、ドクツルタケなども使ったんじゃないですか?」

 宇佐美さんは答える前にわっと泣き崩れた。

「そうです。まさにテングタケとドクツルタケ、それに不凍液を使ってスープにしたんです。絶対に殺そう、苦しませて殺そうと思って……」


「それでも必ず死ぬとは限りませんが……。とにかく、あなたが彼に毒入りスープを盛ったのに間違いはありませんね?」

「はい。私がやりました」

 なんちゅうとんでもないスープだ。しかしそれは口に出さず、俺は泣いている宇佐美さんの元へ駆け寄って背中をさすってやる。宇佐美さんは大泣きで全てを語り始めた。


「私の兄が、八木のパワハラで自殺したんです。そのショックで母は病んでしまい、父は家を出ていきました。一家は離散状態です。その恨みを晴らすために、私は三年前に使用人になって、ずっと殺すチャンスを狙っていたんです……!」


 同じく八木からパワハラを受けていたので、俺も気持ちは分かる。俺の場合、その殺意が自分に向かうのではなく八木本人に向かった結果、こうなったわけだが。


「すぐ罪を認めてくださると思っていましたよ。そもそも毒で殺したとなれば、すぐにあなたが疑われてしまいます。僕が最初に美穂さんを犯人として指名した時も、宇佐美さんはすぐに自分が犯人だと名乗りを上げてらっしゃいましたしね。元から、犯人だと隠れる気はあまりなかったのでしょう?」


 まさにその通りだったようで、宇佐美さんは泣きじゃくりながら何度も頷いた。

 宇佐美さんは根が善人なのだろうという印象を受けた。そもそも雇い主の八木が死んだ後も料理を作ったり甲斐甲斐しく世話をしてくれたり、なんなら八木を未だに旦那様と呼んでいることからもわかるし、今の様子を見てもそう思う。


 俺は彼女よりもう少し性根が曲がっているので、あわよくば犯人から逃れようとチャンスをうかがっているが。しかし彼女は違う。そんな彼女に殺人を決めさせた男、八木。やはり生半可ではない恨みを買っていたに違いない。


「それでも、少なくとも館の中では自分が犯人だとはバレたくないところですよね?」

 そりゃそうだ。今回は全員が八木に恨みがあったからいいが、もし美穂さんあたりが八木の愛人だったりしたら、私刑リンチに加えて島中引き回しの上、簀巻にされて海にポーンの刑に処される可能性もある。俺も犯行前にそれが脳裏によぎった。


「宇佐美さんにはきっと、誰もゴミ箱には触らないという自信があったんでしょうね。ここは無人島ですから、ゴミは二日に一回ほど焼却炉で燃やしてしまいます。毒キノコを自分で処分すると毒が出てくるかもしれませんし、それならゴミに混ぜて焼却炉で一気に燃やす方が安全です。警察が来るまでには証拠がなくなるはずだったのでしょう」

 そうすれば司法解剖される前までは病死で通せる。いや、病死なら解剖にすら至らないかもしれない。そうなれば彼女の勝ちだ。


 しかし俺が殺人装置で八木を刺してしまい、死体は毒殺体ではなく刺殺体として発見された。しかも彼女の予想よりはるかに前に。宇佐美さんにとって、事件は泥沼と化した。第一発見者となった彼女だが、さぞかし不安だっただろう。

 人生をかけた殺人計画が大きく狂うというのは、えもいわれぬ不安に襲われるものだ。同じ殺人者として深く同情した。


「宇佐美さんが真っ先に名乗り出たのは、この不安もあると僕は思っています。犯人が分かったら、何がどうなっているのか僕が説明してくれる。そう思ったのでしょう」

 槇は真面目な顔で推理している。しかしお前、何がどうなっているのかを全く説明せずに推理ショーを終えようとしていなかったか?


「とにかく、以上が八木吉信さん殺人事件の全てです」

「これが館で起こったことの全てということですか……」

「いや、それは違いますね」

 感慨深く頷いたところで、槇が素早く俺の言葉を否定する。


「え? だってそう言ったじゃないですか」

「僕が言ったのは、八木吉信さん殺人事件はこれが全てだということです」

「……ほかに何かあるんですか?」


「ありますよ。話は一番初めに遡ります。そもそも、なぜ八木さんは誕生日でもないのにわざわざ我々を集めたのか。なぜ、普段と違う雰囲気だったのか。答えられますか、小谷さん」

「さあ……」

 俺は八木を殺す絶好のチャンスだと思って話に乗ったに過ぎない。八木が自分を招待した理由などどうでもよかった。


「それが何か関係あるんですか?」

「もちろんです。この事件の裏に潜む、もう一つの殺人事件の謎が明らかになるんですから」

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