事件は自白から

 いくら綿密な計画といえど、素人がそれを実行するのは難しい。俺は今更後悔していたが、他に選択肢などない。槇の提案に乗ることを選んだ俺は、いったいどんな悪行をさせられるのかと一晩中震えていた。しかし予想は外れ、翌朝に随分な朝寝坊をしてきた槇が命じたのは、館の全員を一室に集めるという雑用だった。


「……そんなのでいいんですか?」

「まずはそこからですね」

 空室に一同を呼びつけるくらい自分でやってくれと槇に弱々しく抗議してはみたが、彼は首を横に振る。


「面倒くさいじゃないですか。この島にはワイファイなんて贅沢な代物は飛んでいませんし、おまけに圏外ですし。全員を集めようと思ったら館を駆けずり回らないといけないのでね、大変なんですよ。あと僕、いろいろやることがあって忙しいんです」


 忙しいという割にのんびりと部屋でくつろぐ槇は笑って煙草に火をつけた。

「この館、二年前から禁煙ですよ」

「禁煙にうるさい八木さんはもう死んでますよ」

「……ゲホッ」

 返事の代わりに咳込む俺を慮ってか、槇は空室の窓を開ける。瞬間に海風が俺を叩きつける。セットした髪がぼさぼさになった。


「…………」

「なんでよりによってこの部屋なんですか?」

 手で髪を整えながら俺は尋ねた。隣の部屋は八木の書斎、つまり八木の死体が今なお毛布の下で転がっている。どうにも落ち着かない部屋である。


「空室の中で一番内装が豪華なのでね。推理ショーにはもってこいでしょう」

 呑気なことを言われて泣きたくなったが、逆らえる立場ではない。館にいるのは俺と槇のほかにたった三人だけだ。

 八木の使用人である宇佐美さんからはすぐに同意を取れ、作っている最中の昼食の支度が終わればすぐに行くと言ってもらえた。問題は、八木の大学時代の後輩だという神崎夫妻である。


「それ、集まらなければいけないものですか?」

 神崎夫妻の妻の方、神崎美穂が怪訝そうな顔で尋ねた。

 ほらやっぱり。この館にいるのは被害者の八木に無人島に招待された客同士なわけで、俺と槇のように上下関係はない。いや、俺も槇に決定的瞬間を見られるまでは対等な関係だったのだが。


 神崎夫妻に命令するのは躊躇われる。しかし連れてこなければ、槇に全てを喋られてしまうかもしれない。結局喋られてしまう可能性もあるが、それは今は考えないようにしよう。


「いやぁ、槇さんがどうしても集まってくれというものですから……」

「集まって何をするんだ」

 神崎夫妻の夫の方、神崎健がいきなり威圧した。ただでさえごつい健に睨みつけられて、思わず全身が縮み上がったが、ここで折れるわけにはいかない。


「俺も何をするかは知らないんですけど、とにかく集まってくれ、と」

「なぜ死体の隣の部屋なんですか?」

「内装が豪華だかららしいですよ」


 神崎夫妻は怪訝そうな顔をするが、槇が事実そう言ったのだから仕方ない。実際、推理ショーに向いている部屋だとは思う。全員が座れるソファをはじめ、ベッドやクローゼットや、挙句の果てには風呂まであるのだから、もしかするとあの部屋で合宿でも始めるつもりなのかもしれない。しかし一番可能性が高いのは、

「名探偵気取りで推理ショーか?」

「はい」

 俺ははっきりと頷いた。


 犯人は俺なのだから、推理ショーをやられると窮地に陥ってしまうのだが、槇様のご意向である。

「それとも、推理ショーをされてはいけない理由があるのですか?」

 俺の質問に、夫妻は顔を見合わせる。はいと答えるわけがない。だって犯人は俺なのだから。そして俺の狙いは見事にハマり、神崎夫妻は渋々ながら集まってくれることになった。


 現場の隣の部屋の空室に戻ると、槇が窓から煙草を捨てているところだった。俺たちが来たことに気が付いた槇は窓を閉め、一人がけのソファに態度大きく陣取る。その槇の手前には先ほど声をかけた、使用人の宇佐美さんが慎ましく立っていた。


「槇さん、全員揃いましたよ」

 俺の声掛けに槇は満足そうに頷いて、客たちにソファをすすめた。

「それでは今から、八木吉信さん殺人事件の真相をお話しましょう」


 足を組み頬杖をついて、ふんぞり返るように背もたれにもたれかかる姿は、とても探偵の態度とは言えない。しかしやはり槇にはこの場を支配する何かがあって、全員が姿勢を正して槇の次の言葉を待っていた。


「そもそも我々は、八木さんに招待されて、一昨日この孤島にやってきたわけです。僕としては、こんな無人島に別荘を建てるなんて、金持ちの道楽は意味不明だなぁと思うものですが」


 それは俺も同意見だった。確かに八木は若くして経営に成功し、それなりの規模の会社の社長となった男だ。当然稼ぎは良かっただろう。だからと言って、南の島(いちおう日本の中ではあるが)を買って館を立て、休暇の度にダイビングだのクルーズだの楽しむとは。素人とは次元が違う娯楽である。


「庶民には分からない道楽とはいえ、これだけ島を愛していたんですからね。金をかけた価値があると僕は思いますよ。八木さんはこの別荘で仕事をすることもあったそうですし。ほら、以前にも我々は何度かここで顔を合わせることがあったはずです。八木さんの誕生日パーティとかでね」


 八木という男は、普段から多くの人物を館に招待してパーティなどを開いては盛り上がりたがる男だった。八木の会社の社員である俺も、入社してからは毎年誕生日パーティに付き合わされた。

 ブラック企業のため、ただでさえ短い夏休みを強制的に全部潰されたのだから、立派なパワハラである。

 社員ではないが、槇や神崎夫妻も俺と同様に、ダイビングやパーティーに付き合わされていたのだろう。皆、互いに顔見知り程度ではあった。


「たとえば僕は小谷さんのことを知っています。あの後、泳げるようになりましたか?」

「俺も槇さんのこと知ってます。船酔いしてずっと吐いてましたよね?」

 俺と槇との間で、無言で視線が鋭く交わされる。


「今回は誕生日パーティではありませんが、とにかく八木さんに呼び出された、と」

 今回招待されたのは俺含めたった四人だけだった。本土から連れてきた使用人も一人だけである。いつもと違うな、というのが最初の印象だった。


「いつもと違ったのは人数だけではありません。初めから、八木さんの態度は何か不思議なものでした。いきなり山に入りだしたりね」

「それは旦那様の最近の趣味の山菜取りです」

 宇佐美さんに出鼻をくじかれた槇は、一瞬黙って目を細めたが、すぐに気を取り直す。


「しかしその真相が明らかになることなく、事件は昨日の昼過ぎに起こりました」

 この部屋の隣にある八木の書斎で、腹部を刺されて血塗れになった八木の死体が見つかったことだ。もちろん犯人は俺である。部屋に忍び込んでちょちょいのちょいだった。


 鍵? そんなのは使用人が一人しかいない館ではあってないようなものだ。簡単に盗み出せるし簡単に戻せる。密室など夢のまた夢、しょせん現実はそんなもんである。


 しかし問題は遠隔殺人の後だった。殺人装置を回収しなければ、俺が犯人だとバレてしまう。せっかく作ったアリバイもパーだ。死体が見つかる前に、なんとしても装置を回収しなければならなかった。


 だから俺は自分以外の全員にアリバイができる時間をそれとなく調べ、その時間を装置の回収時間として、綱渡りではあるが綿密な計画を作り上げたのだった。段ボールがなければ完璧に遂行できたんですけどねぇ。


 俺が槇と鉢合わせ、必死で部屋に帰り、ベッドの上で痛みに悶えていた頃、宇佐美さんが死体を見つけた。館中が大騒ぎになった。おまけに警察に電話しようにも電話が繋がらないと、これまた大騒ぎになった。館の電話線の主ケーブルが抜かれていたのである。だから腰痛の時に宇佐美さんに内線をかけても繋がらなかったんだな。


 このご時世、ケーブルが抜かれるとどうにもならないという事態に少々驚いたが、まあ無人島だし仕方ないのかもしれない。そもそも電話線がなくなったのは俺の知るところではない。ケーブルに足が生えて、海に身投げでもしたのかな。


 しかしベッドで寝ていた俺と死体以外の人間はたった四人、ここまで騒ぎが大きくなるとは思いもしなかった。おかげで槇と交渉することもできなかった。回収した殺人装置こそ処分して物的証拠は消したが、槇のせいで全てが台無しである。こうして槇を口封じに殺すことに決めたのに、それにも見事に失敗して今に至る。


 現実は計画のようにはいかない。生まれて初めての殺人は不完全燃焼で終わり、今全てが暴かれようとしている。それでも、殺人と殺人未遂が明らかになるより、殺人だけで済む方がよほどいい。だから寝込みを襲ったことを黙っていてくれるという彼の言葉に乗って、俺は槇の指示に従い、ぶるぶる震えて処刑を待っているのだった。


「あなたが犯人です」


 槇の言葉に思わず目を瞑ってしまったが、覚悟を決めて恐る恐る目を開ける。槇は確かに犯人に向かって指をさしていた。しかしそれは俺には向けられていなかった。


 その先にいたのは、

「神崎美穂さん」

 俺とは全然違う方向にいる三十歳ほどの女だった。八木の大学の後輩カップルの片割れである。


「私が……やりました」

 美穂さんはあっさり頷いた。そしてそのまま泣き崩れて夫の健に支えられている。殺人を犯したことを、ずっと後悔していたのだろう。涙がちょちょぎれる話である。


 いやいや待て待て。八木は確かに、書斎の椅子であっさり死んでいた。俺が仕掛けた殺人装置で死んだのに違いないはずだ。

 しかし、異常事態はこれだけでは済まない。


「私もやりました!」

 美穂さんに合わせるように、使用人の宇佐美さんが手を挙げた。

「いや実は俺が」

 俺は合わせてそっと手を挙げたが、そこに割り込むように健が割り込む。

「ふざけるな! やったのは俺だ!」

 何が何やら。俺が犯人のはずなのに。

「探偵さんも現場にいたでしょう?」

 我も我もと手を挙げる様子をソファから眺めていた槇に、宇佐美さんが声をかける。 


「はい」

 槇は軽く首をすくめて頷いた。


「厳密には僕の職業は探偵ではありませんがね。まぁ、刺しましたよね実際」

 槇はぷすぷすとナイフを刺すジェスチャーをして大きく笑う。


「……じゃあ、全員犯人じゃないですか」

 開いた口が塞がらなかった俺は、やっとそれだけ呟いた。

「そうです、全員犯人です。僕も含めてね」

 槇は不敵に笑う。笑うな。


「……動機は? 皆さんの動機はどこから来たんですか?」

 俺は異様ともいえる空気を打破すべく、無理やり質問をひねり出す。気になっていないわけではない。本当に彼らが犯人だと自称するのであれば、当然動機もあるはずだ。


「私は怨恨から」

「俺も怨恨から」

 ベンザブロックを彷彿とさせる端的な答えがほぼ同時に返ってきた。息の合った夫婦だ。


「旦那様のせいで、私の家族はめちゃくちゃになったんですっ!」

 一方、宇佐美さんは涙ながらだった。筋は通っている。俺も三人同様、動機は怨恨だ。


 八木という男、若くして成功した優秀な男でもあるが、一方で性格はねじ曲がっていて人間として終わっている、社会に存在してはならない男だ。二年前に妻に逃げられたのは社内で有名だが、逃げられて当然のクソ野郎である。

 館から海に身を投げて自殺したのだという黒い噂も聞くには聞くが、それだけ八木のパワハラはひどかった。俺もパワハラによって死ぬ寸前まで追い込まれ、ついに八木殺害を決意したのだった。


 しかし、一人だけ事情が違うのが槇だった。


「僕は金目当てですかねぇ。八木さんは僕の叔父なので、彼が死んだら僕にも遺産が入ってきます。それに八木さんの会社は僕のライバル社ですから、彼がいなくなってくれた方が僕の商売のためにもなるんでね」

 場に沿わないクズっぷりを披露されると調子が狂う。


「……金目当てに親族を殺すなんてあります?」

「世の中の親族が皆仲良しだとは思わないことですね。八木さんはそうは思っていなかったかもしれませんが、僕は嫌いでしたよ。叔父と甥という関係で『八木さん』などと他人行儀な呼び方をしている時点で察していただきたいものですが」

「…………」

 八木と槇の関係は、八木の片思いだったということか。ここを深堀りすると思わぬ地雷を踏みそうなので、俺は無言で会話を終わらせた。


「あ、煙草吸っていいですか?」

 槇は返事を待たずに煙草を取り出して素早く火をつける。気休め程度に窓を開けたが、やはり強烈な海風が槇の髪をかき乱した。ああこいつの髪の寿命はそう長くないなと槇の生え際を見て俺は思った。


「ということで、八木吉信さん殺人事件の犯人は全員です。皆さんわかりましたか?」

 いやいやいやいや。さっぱりわからない。そう言うと、槇は煙の甘ったるいにおいを漂わせながら顔を軽くしかめた。


「僕は探偵じゃないのでね、推理ショーは得意じゃないんですよ」

 槇は分かりやすくへそを曲げた。じゃあ推理ショーなんてやるな。

「だってその方が面白くないですか? 犯人ですら事件の全容を知らないなんてねぇ」

 それを説明するのが推理ショーだろうが。


「まあまあ、そんなに焦らずにいきましょうや。死体は逃げませんからね」

 詰め寄る俺をサッと避け、槇は笑顔を保ち続けている。そうではないと言いたかった。この異様ともいえる状況、理解があまりにも追いつかない。いくら死体が逃げなくとも、俺の心臓の拍動が強くなって限界を迎えてしまいそうだった。じらさないでくれ、頼むから。


「そもそも、事件は八木吉信さんが殺された事件だけじゃないんですよ」

 こちらのソファと、ローテーブルを挟んだ向かいのソファから同時に息を飲む音がした。


「後悔しませんね?」

 槇はゆっくりと周囲を見渡して真剣な顔で尋ね、

「……たぶん」

 俺は絞り出すようにそう答えた。


「さて――」

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