その後

「そういえば聞くの遅れたけど、いつまでに描けるようになりたいとか、期間はあるのか?」


 本渡の絵の実力を確認した後。

 もう夕方、下校時刻という事もあり、このまま日が落ちるのもお構いなしに続けるのも不味いので、ひとまずお開きとなった。2人の家の事情もあるし、いざとなればオンラインでもある程度のレクチャーはできる。

 3人で帰り支度をし、少しずつ茜色が周囲に溶け込み始めた頃合いで実習棟の外に出た。


「いえ、特にそういった期間は考えてません。勿論早いに越したことはありませんが、それは私の努力次第だと思いますので」

「そっ。なら、実生活と勉学に支障の出ない範囲でやるから、こっちに来れる時や教えられるタイミングとか教えてくれると有り難い」

「はい、わかりました!」


 とりあえず独学でやっても成果が出なかったという事は分かった。それだけでも収穫だろう。


「とりあえず、悪いけどもう少し声量落としてくれ」

「え、あ、すみませんでした……」

「まぁ謝らなくてもいいけどさ。道場とかだとそれくらいが普通なのか?」

「はい。まぁ、なんというか、癖、みたいなものです……」


 本人に悪気がないのは分かってる。でも流石に至近距離であの声量は、鼓膜と心臓に悪い。何から何まで規格外……とまではいかないが、驚かされるのは確かだ。

 すると道場という言葉に反応して、「そういえば」と古橋さんが本渡へ尋ねた。


「琴美ちゃん、私琴美ちゃんが出てた番組観た事あって、それずっと不思議に思ってた事があったんだけど……」

「っ!?  な、なんで、しょうか……?」


 ほんの一瞬だけ、本渡がように見えたが、見間違いだと思って気にせず古橋さんの言葉を待つ。


「お父さんの事、何でって呼んでるの?」

「…………えっ!?」


 すげぇ素っ頓狂な声を上げる本渡。かく言う俺も、古橋さんの問いに少しだけ困惑してしまった。


「そうなの?」

「えっと、はい……。あ、ああのでもでも、道場でしかそう呼んでなくて!!」

「じゃあ普段は何で呼んでるんだ? 父上?」

「違いますよ、ちゃんとパパって普通に呼んでま、す……!!」


 直後、茹でダコみたいになった顔を必死に手で隠した上でしゃがみ込んでしまった。


「もう、余計な事言うから」

「すまん。冗談のつもりだったんだ」


 まさか実際にパパ呼びしてる人がいるとは思わなんだ。まぁその前の先輩呼びも中々のインパクトはあったが。

 ひとまず羞恥心で小さくなってる本渡をどうにかしないと。


「悪かったよ。まぁ、その、なんだ。別に高校生にもなってパパ呼びするのは子どもっぽいだろ、とか思ってないからさ」

「……ぅ、……ぁぅぅ……!!」

「おいそこのデリカシークソザコ太郎」

「すみませんホントに今のは失言でした」


 他人の心を慮るってガチで難しいな。

 とりあえず古橋さんにバトンタッチする。こういうのは女子同士の方がいいだろうし、……いや本当、デリカシークソザコで、すんません。


「ごめんね琴美ちゃん、私が余計な事聞いたばっかりに」

「……いえ、私の不注意が原因ですので、お気になさらず。えっと、父の呼び方なんですけど。確かに、先輩と呼んでます。あと、私以外の門下生も、全員そう呼んでるんです」


 彼女の父親は道場の師範で、聞いた話によると世界大会に出場するレベルの選手だという。そんな父親の影響を受けて、小さい頃から本渡も空手をやっていたとか何とか。

 しかし師範だとか、あるいは師匠でも違和感はないだろうが、何故先輩なのか。


「私も理由は聞いたことがなかったので、よくは知らないんです。最初にぱ……父のことは『道場では先輩と呼ぶように』って言われて、それ以来ずっと、それが普通なのかなって漠然と思ってただけなので」

「へぇ。こう言ったら失礼だろうけど、変わってるな、本渡のお父さん」

「あはは……。まぁ私も、ちょっと思ってます。道場の門下生も、私より後に入った新人たちにも、まず自分のことは先輩と呼ぶよう指導するんです。師範とか先生とかって呼ぶと、『先輩だ先輩。そういう呼び方するなよ』って言うんです」

「うんうん。私が観た放送でもそういうやり取りがあったから、ずっと不思議だったのよね。空手道での不文律的なものなのかな、って勝手に思ったりしたし」


 あまりそういう呼ばれ方に慣れてないだけなのか、あるいは別の理由があるのか。

 道場内では師弟の間柄になるとはいえ、自分の娘にまで呼び方を徹底してるのだから、余程の理由があるのだろうと予想する事しかできない。

 本渡自身は周りの人も素直に先輩と呼ぶ環境にあった為か、今まで先輩呼びに対して殆ど疑問に思わなかったそうだ。


「じゃあ、学校の先輩を先輩呼びするのって、本渡的には違和感があったりするのか?」

「あー……、いえ。苗字と合わせて呼ぶので、あまり違和感はありませんね。古橋先輩、みたいな感じで」

「でも荒画くんは先生呼びなんだ」

「それは、先生は先生ですから。私としては師匠と呼びたいんですが」

「本当にやめてくれ」


 最早イジメじゃねぇか。こいつの場合、本当に尊敬の眼差しを向けてこう呼んでくるのだから多分本気なんだろうけど、言われてる方からしたら揶揄われてるのかと勘繰ってしまう。


「私、先生の絵を見て本当に感動したんです。『小海』も『灼陽』も本当に素晴らしくて、なによりタイトルも素晴らしいです」

「題名、ねぇ……」

「そういうのって、どんな感じで考えていらっしゃるんですか?」


 興味津々に聞いてくるものだから、どう答えればいいか口篭もってしまう。まぁ嘘を吐いても仕方がないし、隠す理由もないからいいのだが。


「ああそのタイトルね、

「先、生? というのは、先生ではなく?」


 そう言いながら本渡は俺を指差す。俺の事だと一瞬でも本気で思ったのか今の文脈で。


「そうそう。彼の絵の先生で、私達芸列げいれつの担任でもあるの。学年主任ならぬって感じね」


 元々『先生』と最初にあったのは小学生の時。本当に偶然で、ここまで絵にのめり込むきっかけになった人。こうしてこの学校を勧められ、言われるまま推薦入学で入って来てみれば『先生』の務める高校でした、というオチで現在に至る。

 別に行きたい高校なんてなかったし、こうして登校も制作もかなり自由にできてるのだから文句なんて微塵もないのだけれど。


「へぇ。その方がその2作品のタイトルを。何故先生自身がお決めにならなかったんですか?」

「いや、最初は俺が考えた題名を付けようとしたんだ。だけど先生が、『こっちが絶対いい!!』なんて言うから」

「ちなみになんてタイトルだったんですか?」

「……『池』」

「はい?」

「だから、小海は『池』で、『灼陽』は『午後』だよ」


 そんなに変か? 俺は描いた物を見たまま、描いたままの通りに題名を付けただけなんだけど。何で『先生』もこいつもあからさまにガッカリした顔になってんだよ。


「こんなんだから、自分の描いた絵のタイトルはぜぇえええんぶ、他の人が考えたものなのよ。ちなみに『朴訥な深緑』を考えたの、私なの」

「え、えええええ!! そうだったんですか!?」


 そんな驚く事か?


「別に、絵の題名として違和感ないだろ」

「ないけど普通すぎるのよ。ただでさえ写真みたいな絵ばっかりなのに、あんな捻りも何もないタイトルだと観た人の印象に残らないでしょう?」

「うーん……あのレベルの写実なら、印象に残らないって心配はしなくてもいい気がしますけど、確かに池とか午後とかは、味気ないですねぇ……」


 何だよ味気ないって。お前に絵画の何が分かるってんだ。


「ついでに、『朴訥な深緑』には何てタイトルを付ける予定だったっけ、荒画くん?」

「『腐った木』か『苔むした倒木』のどっちかにしようと思ってた」


「うわぁ…………………………………………本当に見たままですね」

「悪かとね見たまんまじゃ!?」

「荒画くん、訛り訛り」


 全く、失礼で配慮の足りない後輩を持つと疲れるな。

 まぁ校門から駅までの道中に交わす会話としては、妥当なところだろう。明日からの事を思うと少々気が重いが、それでも伸びしろがある教え子なのは多少なりとも有り難い。やる気のないやつを相手にするよりもかなりマシだろう。

 風に冷たさがほんのちょっぴり織り込まれていく。空は朱色の塗料でもぶちまけたような色をして、上空に浮かぶふわふわの吸水スポンジを巻き込んでいる。


 やれやれ、明日もこのどこか抜けてる後輩の為に、朝から登校してやるか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空の掌 神群俊輔 @deicide547

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ